じゃあ、燃やして帰ろうか?
シンチャオ趙氏貞です。
今日のベトナム語は「Đốt」
「燃やす」という意味です。
「なんで今回だけ物騒なんだよ」
「役所を取ったから」
「取ったなら守れ!」
「でも米も武器も運んだし、人もいないよ?」
「だからって燃やす方向へ行くな!」
清河はそう言いながら、もう風向きを見ています。
「私は止めてるからな!」
「水路は逃げ道に残す?」
「残す。あと民家側には先に水撒け」
「詳しいね」
「お前が燃やすって言ったんだろ!」
千人の討伐軍が戻ってくる前に、私たちは帰ることにしました。
ただし、役所は持っていけません。
「ほっとけ! 普通はそのままでいいんだよ!」
Đốt。
その夜、山の下が赤くなりました。
「せっかく百人で取ったんだ。だったら――守ってやろうじゃねえか!」
清河がそう言ってから、まだそんなに時間は経っていなかった。
景謙は剣を抜き、大柄な男も笑い、周りの者たちは役所の門へ集まり始めている。
遠くでは、こちらへ戻ってくる討伐軍の軍鼓が鳴っていた。
私は役所の中を見回した。
さっきまで走り回っていた役人も兵も、もうほとんど残っていない。
倉の米は兄たちが荷車へ積み、持てる武器も運び出している。
徴発の記録は燃え、床には切れた紐や黒く焦げた木札が散らばっていた。
「清河」
「何だ?」
「何を守るの?」
清河の顔から、さっきまでの勢いが消えた。
「……あ?」
大柄な男が振り返る。
「何を言っている。俺たちは今夜ここを落としたんだぞ」
「うん。でも米はもう運んだよね?」
兄が荷車の方から答えた。
「運んだ! お前らが次から次へ出してくるからな!」
「武器は?」
「持てるだけ積んだ!」
「中に人は残ってる?」
清河が廊下の奥を見る。
「逃げた奴は逃がした。捕まえた奴も武器を捨てさせて外へ出したし、こっちの怪我人ももう運ばせてる」
私はもう一度、役所を見た。
建物はある。
それだけだった。
「じゃあ、燃やして帰ろうか?」
今度こそ全員が黙った。
兄は米俵を抱えたまま止まり、大柄な男は口を開け、景謙まで私を見た。
清河が額を押さえる。
「氏貞、お前さっき建物まで燃やしたら危ないって言ってただろ」
「さっきは中に人がいたから」
「今はいねえけど!」
「じゃあ大丈夫だよ」
「大丈夫の意味が変わってんだよ!」
私は別に、役所そのものへ恨みがあるわけではない。
壁に税を取られたことはないし、柱に怒鳴られた覚えもない。
ただ、千人の兵がここへ戻ってくるという。
帰ってくるのなら、帰る場所が残っていない方が困るはずだった。
「千人がここへ戻ってくるんでしょう?」
「戻るな」
「だったら、ここがなくなってた方が嫌じゃない?」
「……嫌だろうな」
清河がまた黙った。
だが、今度は景謙が先に口を開いた。
「同じではないぞ、氏貞」
「何が?」
「役所へ忍び込んで米を奪うのと、役所そのものを焼くのは違う」
景謙は珍しく、私の顔ではなく燃え残った徴発の木札を見ていた。
「今夜のことだけなら、向こうはまだ賊の襲撃として扱える。だが官衙を焼けば、役人が戻って仕事を続ける場所までなくなる。税を集める場所も、命令を出す場所も、兵を置く場所もだ」
大柄な男も頷いた。
「ここはただの家じゃない。呉がこの郡を治めている印みたいなものだ。それを焼けば、向こうも『米を取り返して終わり』では済まなくなるぞ」
私は少し考えた。
「もっと兵が来る?」
「来る」
景謙は即答した。
「今より本気でな」
清河まで黙っていた。
それは少し困る。
千人でも十分多い。
「じゃあ残したら?」
私が訊くと、景謙の眉が動いた。
「何?」
「明日の朝、役人が戻るでしょう。机を置いて、また徴発の札を作って、兵を集めるんじゃない?」
誰も答えなかった。
私は床に落ちている黒い木札を見た。
燃やした記録そのものは戻らなくても、役所が残れば新しい札を作り、米を集め、人を出せと命じることはできる。
「ここを残すって、向こうがもう一度始められる場所を残すってことじゃないの?」
今度は景謙が黙った。
清河が頭を掻く。
「お前、急に嫌なところ見るな」
「嫌?」
「こっちも向こうも、逃げ道なくなるってことだよ」
なるほど。
そこは少し怖かった。
役所を焼けば、戻れないのは向こうだけではない。
私たちも、もう「少し揉めただけです」とは言えなくなる。
大柄な男が屋根を見上げた。
「これを焼けば、本当に呉へ喧嘩を売ったことになるぞ」
私は考えた。
「もう売ってない?」
「……売ってるな」
「じゃあ同じだね」
「だから同じじゃねえって今説明しただろ!」
清河に怒鳴られた。
「売った喧嘩に油まで撒いて火つける話してんだよ!」
「分かりやすいね」
「感心すんな!」
それでも、建物だけ丁寧に返したところで許してもらえるとは思えなかった。
役所を残せば、向こうはそこからまた始められる。
燃やせば、こちらも引き返しにくくなる。
どちらを選んでも、昨日の朝には戻れない。
私は役所を見た。
「それでも燃やそう」
今度は誰もすぐには返事をしなかった。
少しして、清河が長く息を吐く。
「……分かった」
それから外へ出た。
次の瞬間には、
「風見ろ! 火をつけるなら荷車が出てからだ! 倉は最後まで空にしろ! 裏の水路側は逃げ道に残せ! 周りの家に火が移りそうなところは先に水撒け!」
と怒鳴り始めた。
私はその背中を見た。
「清河、もう止めてないよね?」
「止めた! 一回は止めた! お前がそれでもやるって言ったんだろ!」
今回はその通りだった。
言い返せない。
兄が米俵を担いだままやって来た。
「ちょっと待て。俺は役所を襲うって話までは聞いた」
「うん」
「米を運ぶのも聞いた」
「そうだね」
「なんで最後に役所が燃えるんだ?」
清河が即答した。
「氏貞が燃やすって決めた」
「清河もすごく詳しく燃やしてるよ」
「お前ら二人とも俺に説明するな!」
兄は米俵を荷車へ放り込んだ。
火を放つ前に、もう一度すべての建物を確かめた。
逃げ遅れた者がいないか、怪我をして動けない者が残っていないかを清河たちが見て回る。
近くの民家まで焼くつもりはないので、囲いの外へ火が移りそうな場所には水を撒き、燃えやすい物も退けた。
景謙はその間、門の外から続く道を見ていた。
「急げ。先頭はもう近い」
「どれくらい?」
「急げと言っている」
そういう言い方をする時は、かなり近いらしい。
最後の荷車が門を出たところで、役所へ火をつけた。
松明の火が乾いた柱へ移る。
最初は小さかった炎が梁を舐め、屋根の下から煙が膨らんだ。
風に煽られるたび赤い光が広がり、役所の壁も柱も、夜の中で違うものに変わっていく。
その明かりが私の衣まで照らした。
黄色い布が炎を拾って、妙に明るく見える。
着ている本人としては、ただの服だった。
けれど暗い場所では、思っていたより目立つらしい。
「氏貞、もう行くぞ!」
清河に呼ばれ、私は門を出た。
少し離れてから振り返る。
数日前まで、あそこから来た役人に私は賊と呼ばれていた。
今は、その役所を自分で燃やしている。
景謙の言葉が頭に残っていた。
私は今、ただ屋根や柱を燃やしているわけではないらしい。
さすがに話が大きくなりすぎた気がした。
「氏貞! ぼーっとすんな!」
兄の声が飛んでくる。
「こっち押せ! 車輪が動かん!」
感傷に浸る時間はなかった。
米は重かった。
荷車と怪我人を先に出し、松明も必要最低限まで減らす。
平地の道をそのまま行けば追いつかれるので、途中から何本かの小道へ分かれ、山へ入ってからまた合流することになった。
景謙が私の横へ来る。
「氏貞、お前は荷車の先頭へ行け」
「また勝手に決めるの?」
「今回は清河と同じ意見だ」
振り返ると、清河が二十人ほど残していた。
「私は最後に行くぜ。追ってきた奴を遅らせる」
「私も残るよ」
「駄目だ」
「どうして?」
「お前は目立つ」
またそれだった。
「夜なら見えないでしょう?」
「背がでかくて黄色い服の奴が槍持って歩いてりゃ、暗くても分かるんだよ。それに今は、お前が前へ行けと言えば皆が行く。荷車と怪我人をまとめろ」
「清河がやればいいじゃない」
「私は追ってくる奴の邪魔すんだよ」
「危なくない?」
「今さら聞くな!」
清河は笑って、二十人と一緒に道の脇へ消れた。
景謙がその方向を見る。
「無茶をする女だ」
「景謙にだけは言われたくないと思うよ」
「俺は無茶ではない」
「氏貞の亭主でもないぞ!」
暗闇から清河の声だけ戻ってきた。
聞こえていたらしい。
山道へ入って間もなく、後ろから角笛が響いた。
討伐軍の先頭が役所へ着いたのだろう。
続いて怒鳴り声まで聞こえる。
遠くて言葉までは分からなかったが、たぶん喜んではいない。
「役所、燃えてるからね」
私が言うと、兄は荷車を押しながら睨んできた。
「誰のせいだと思ってる?」
「今回は私かな」
「やっと認めたか!」
そのうち、後ろから一人の男が走ってきた。
「追っ手が出た! でも全部じゃない!」
役所へ戻った軍勢は、火を消す者、倉を確かめる者、逃げた役人から事情を聞く者、それから私たちを追う者に分かれたらしい。
千人が一つの塊で追ってくるよりは、ずっとましだった。
結果だけ見れば、役所を焼いた意味はあった。
けれど景謙が言った通り、これで終わるとも思えない。
今夜は逃げられても、次はもっと来る。
そう考えると、少しだけ胃の辺りが重くなった。
それでも、残しておけばまた同じ場所から徴発が始まる。
どちらが正しかったのかは、まだ分からない。
「荷車を先に!」
私は周囲へ声をかけた。
「怪我した人は真ん中へ。走れる人だけ後ろを見て!」
返事が上がり、人が動く。
少し前なら、なぜ私の言うことを皆が聞くのか考え込んでいたと思う。
今も分からない。
でも、分からないから何も言わないわけにはいかなくなっていた。
荷車が止まれば米も怪我人も置いていくことになる。誰かが道を間違えれば、山へ戻れない者が出る。
自分が頭だと名乗った覚えはない。
それでも、皆はこちらを見る。
だったら見るなとも言えなかった。
後ろで石が何かにぶつかる音がした。
続いて清河の怒鳴り声。
「追ってくんな! 役所に帰れ!」
私は思わず振り返った。
「清河、それ帰る場所さっき燃やしたよ!」
「分かってるわ!!」
暗闇の向こうから返ってきた。
追撃の兵は山道へ入るほど遅くなった。
こちらには子供の頃から歩いている場所でも、向こうには木と岩しか見えない暗い山である。
清河たちは正面から道を塞がなかった。
石を投げて姿を消し、追えば別の場所から声を上げ、止まれば横からまた何かを飛ばす。
しばらくして追いついてきた清河に、私は言った。
「戦ってるというより嫌がらせだね」
「撤退戦ってのはな、気持ちよく戦った方が負けなんだよ!」
「誰に教わったの?」
「今覚えた!」
超不安になった。
景謙が後ろから言った。
「間違ってはいない」
「お前まで認めんな!」
清河が怒鳴る。
それでも追撃は次第に鈍った。
役所の火が大きくなりすぎたのだろう。
振り返るたび山の下の空が赤く染まり、討伐軍の一部はとうとう引き返していった。
夜の終わりが近づく頃、私たちは本拠地へ戻った。
そこで妙なことに気づいた。
留守を守っていた人たちは、誰一人こちらを見ず、そろって山の下へ顔を向けていた。
郡の役所がある方角だった。
「……あれ、役所だよな?」
一人が言った。
「そうだな」
別の男が答える。
しばらく沈黙があった。
「すごく燃えてないか?」
「すごく燃えてるな」
私たちは荷車を引いたまま、その横へ戻った。
ようやく一人がこちらを見た。
そこには煤だらけの清河と、米俵を積んだ荷車を押す兄、泥だらけの景謙がいる。
私も、炎の明かりがまだ残っているように見える黄色い衣のまま、槍を持って立っていた。
男はもう一度、真っ赤な空を指した。
「氏貞……あれ、何?」
「役所」
「それは分かる。なんで燃えてる?」
「燃やしたから」
清河が横から口を挟む。
「見りゃ分かるだろ」
兄がすぐ叫んだ。
「俺は米を運んでただけだからな!」
誰も聞いていなかった。
私は遠くの火を見た。
百人を一人で倒したという噂なら、違うと言えた。
私が一人で何百人も追い返したという話なら、それも違うと訂正できた。
でも、今回は難しい。
役所へ行き、米と武器を持ち出し、徴発の記録を燃やして、最後には役所そのものまで焼いて帰ってきた。
全部、本当にやった。
しかも、それが何を意味するのかも少しだけ分かってしまった。
その日の朝、空が明るくなってから、別の里から最初の使者が山を登ってきた。
私はその時、まだ知らなかった。
今度は噂が勝手に私を大きくするのではない。
燃える役所を見た人たちが、本当に起きたことだけを話し――
それだけで、人が集まり始めることを。
呂清河だ。
今日のベトナム文化は、市場。
村や町では朝から人が集まり、米や野菜、魚、塩、布なんかを売り買いする。
けれど集まるのは品物だけじゃない。
税が増えた、兵が来た、隣の里で誰か連れていかれた――そんな話も、買い物のついでに人から人へ渡っていく。
「清河、役所が燃えた話も?」
「それは広めるな」
「でも徴発の札も燃えたよ?」
「余計に広まる奴だ!」
市場で話を聞いた者が里へ戻り、また別の誰かへ話す。
そのうち、噂を聞くだけじゃ足りなくなる奴も出てくる。
翌朝、山へ人が来た。
一人じゃない。
次回。
燃える役所の話を聞いた者たちが、今度は自分の足で集まり始める。
「氏貞、人が増えるぞ」
「兄さん、米」
「俺を兵站扱いするなァ!」




