私の生き方は、私が決める
シンチャオ、趙氏貞です。
私は、誰かに行き先を決めてもらうために戦っているんじゃない。
守りたい人がいるから、自分で決めて前へ出る。
今日のベトナム語は「Tôi muốn đến đây.(トイ・ムオン・デン・ダイ)」
「ここへ行きたいです」という意味です。
旅先で地図を示しながら、目的地を伝える時に使えます。
「氏貞、どこへ行きたい?」
「戦場」
「旅行の話だ!」
「では私も氏貞様と同じ場所へ」
「氏鳳まで戦場を観光地にすんな!」
行く場所は、自分で決める。
だけど今日――
それを私の代わりに決めようとする人がいた。
區粟が落ちた翌朝、兄は祝いの酒ではなく地図を広げていた。
私は昨日と同じ場所を覗き込む。
林邑が取った區粟には、小さな印が増えている。
でも兄が見ているのは南じゃなかった。
蒲田の近く。
昨日より呉軍の印が増えていた。
「兄さん」
「何だ?」
「勝ったんだよね?」
「ああ」
「何で近づいてるの?」
兄は顔を上げた。
「俺も聞きたい」
「兄さんも分からないの?」
「理由は分かる。納得したくないだけだ」
難しい。
隣にいた清河が地図を覗き込み、大きく鼻を鳴らした。
「區粟なんか後で取り返しゃいいと思ってんだろうよ。それより先にこっちを潰す気なんだろ?」
「そういうことだ」
兄が答える。
私は少し考えた。
「陸胤って、しつこいね」
「お前に言われたくはねえと思うぞ」
「どうして?」
「五日間ずっと目の前で暴れてただろうが!」
氏鳳が口元を押さえた。
「氏貞様は、目立ちますから」
「氏鳳だって私に見えるようにしてたよ?」
「私は影武者ですので」
「そこ堂々と言うんだ」
その時、軍議の入口から景謙が入ってきた。
昨日より顔色が悪い。
けれど疲れているようには見えなかった。
むしろ、何かを決めてきた顔だった。
兄が地図へ視線を戻す。
「始めるぞ」
◇◇◇
兄が最初に確認したのは兵の数ではなかった。
米だった。
「今ある分で、無理に切り詰めず何日持つ?」
書佐が答える。
兄は次に塩、矢、薬、布、負傷者の数を聞いた。
さらに東の里から蒲田まで荷車が何刻で来られるか、西の道を夜に通れる者が何人いるか、焼いた北の桟道へ呉軍が回り込んでいないかまで確認していく。
清河が私の耳元へ顔を寄せた。
「戦の話、いつ始まるんだ?」
「もう始まってるんじゃない?」
「米の数えてんぞ」
「兄さんだから」
「それで納得できるのすげえな」
兄がこっちを見た。
「聞こえてる」
清河が黙った。
私は笑った。
「お前もだ」
私も黙った。
兄は地図の西側を指した。
「西はまだ安全だ。ここは潰すな。退くことになった時、使える道が一本あるのとないのとでは全然違う」
続いて、兄は東側を指した。
「東の里も守る。ただし里の中で戦うな。前と同じだ。家や畑の前まで敵を入れたら、守ったことにならない」
李弘公がうなずく。
「我ら三人、道を分けます」
「弘公は北寄り、美公は東、成公は蒲田へ戻る道を見ろ。敵が出たら戦うより先に知らせろ」
三人が同時に答えた。
「承知」
きれいに揃った。
清河が嫌そうな顔をする。
「お前ら最近、息まで合ってきたな」
李美公が真顔で返した。
「氏貞様を守るためです」
「何で息合わせる必要があんだよ!」
「一人では足りませんので」
「三人で囲む気満々じゃねえか!」
私は三兄弟を見る。
三人とも否定しなかった。
もう聞かないことにした。
兄は文七へ向いた。
「象は?」
「二頭とも問題ありません。ただ、氏貞様の象が今朝から少し落ち着きません」
「どうしたの?」
「風が変わっています」
清河が眉を寄せる。
「象に風が分かんのか?」
「象ですから」
「便利な言葉みてえに使うな!」
文七は気にせず続けた。
「北東から人の動く音が増えています。昨夜より近いかもしれません」
兄が地図の駒を一つ動かした。
笑っていた清河の顔が戻る。
「やっぱ来てんのか?」
「ああ」
そして兄は私と氏鳳を見た。
「今日も二人とも出てもらう。ただし前へ出すぎるな。相手はもう昨日までとは違う」
景謙が口を開いた。
「氏貞は出すな」
まただ。
兄はすぐには答えなかった。
「理由は?」
「陸胤が狙っていると分かったばかりだろう」
「だから氏鳳も使う」
「影武者一人で十分だ」
氏鳳が景謙を見る。
私は先に口を開いた。
「それは嫌だよ」
景謙の目が私へ向いた。
「何がだ?」
「氏鳳だけ危ないところへ行かせるの」
「影武者はそのためにいる」
「でも氏鳳だよ?」
「だから何だ?」
今度は私が少し困った。
説明するほど難しいことじゃないと思う。
「氏鳳は氏鳳だから」
清河が吹き出した。
「お前、たまにものすげえ当たり前のこと言うよな」
「変だった?」
「いや……たぶんお前にはそれでいい」
氏鳳が私の隣で肩を震わせた。
景謙だけは笑わない。
「氏貞……お前は自分がどう見られているのか分かっていない」
「呉から?」
「違う」
言いかけて、景謙は止まった。
兄が代わりに言う。
「作戦を決める。氏貞と氏鳳は別の場所へ出る。清河はその間を動け。文七は氏貞につけ」
「待て」
景謙が地図へ手を置いた。
「氏貞は蒲田から出すな」
兄の目が細くなった。
「今、決めた」
「なら変えろ」
「変えない」
「国達」
「景謙」
兄の声は大きくなかった。
なのに、部屋の全員が黙った。
「これは軍議だ。氏貞の判断までお前が決めるな」
景謙の指が、地図の上で止まった。
「……何だと?」
「聞こえただろ」
私は二人を見比べた。
清河が私の腕を引く。
「今は黙っとけ」
「でも」
「珍しくあたしが止めてんだから黙っとけ」
それは確かに珍しい。
◇◇◇
昼前、出る準備が整った。
ところが門へ行くと、閉まっていた。
私は象の上から門を見る。
「開かないね」
清河が横で眉をひそめる。
「見りゃ分かる」
門番に聞くと、もっと分からなくなった。
「氏貞様は本日、外へ出してはならないと」
「誰が?」
門番が困った顔をした。
答える前に、後ろから声がした。
「俺だ」
景謙だった。
清河が二刀の柄へ手をかける。
「てめえ、何してんだ」
「氏貞を守っている」
「勝手に軍令変えてんじゃねえ!」
「国達の命令がおかしいから変えた」
さすがに私にも分かった。
これは駄目だ。
「景謙」
「氏貞、お前は戻れ」
「嫌だよ」
景謙が止まった。
「……何?」
私は象の上から景謙を見た。
「私は行くよ」
「危険だと言っている!」
「知ってる」
怖くないわけじゃない。
槍が向いてくれば怖いし、矢の音を聞けば今でも身体が強張る。
でも、それは清河だって氏鳳だって同じだ。
三兄弟も、文七も、私の名を信じて集まってくれた人たちも同じだ。
「私が戦うって言ったから、みんなここにいるんだよ」
景謙が黙った。
「それなのに、私だけ門の中にいて『行ってきて』なんて言えない」
「お前が生きていれば軍は残る!」
「だから生きて帰るよ」
「そんな保証がどこにある!」
「ないよ」
清河まで黙った。
私は景謙を見る。
「でも、保証がないのは私だけじゃない」
風が門の隙間から入ってきた。
象の耳が揺れる。
「私は守ってもらうためだけに前に立ったんじゃない。私を信じてここまで来てくれた人たちと一緒に、この土地を守るためにいるの」
景謙の顔が固まった。
「だから、私がどこへ行くかは私が決めるよ」
「氏貞――」
「景謙が決めることじゃない」
声を荒らげたつもりはなかった。
でも、景謙は何も言わなかった。
その時、兄が来た。
閉じた門を見る。
門番を見る。
景謙を見る。
それだけで何があったか分かったらしい。
「誰の命令で閉めた」
「俺だ」
「俺の命令を取り消したのか」
「氏貞を死なせる命令には従えない」
兄はしばらく黙っていた。
「門を開けろ」
門番たちがすぐ動いた。
景謙が兄の前へ出る。
「国達!」
「後で話す」
「今話せ!」
「今は出陣だ」
兄は私を見上げた。
「氏貞」
「うん」
「戻れなくなるところまで行くな」
「分かった」
清河が横から叫ぶ。
「そこは本当に分かれよ!」
「分かってるよ!」
「毎回言ってる!」
氏鳳が笑った。
門が開く。
私は象を進めた。
今度は振り返らなかった。
◇◇◇
その日の戦いは短かった。
呉軍はこちらの動きを探るだけで、深くは入ってこない。
私たちも追わなかった。
兄の言った通り、帰れるところで戻った。
夕方、軍議が開かれた。
景謙も来た。
いつもの席へ座ろうとした。
「景謙」
兄が呼び止める。
「そこへ座るな」
景謙が止まった。
清河も氏鳳も、文七も三兄弟もいる。
私もいる。
兄は全員の前で言った。
「今日限りで、お前を首脳部から外す」
誰も動かなかった。
「……理由を聞こう」
「独断で軍令を変えた。門を閉じ、決定済みの作戦を止めようとした」
「氏貞を守るためだ」
「それを理由にすれば何をしてもいいわけじゃない」
「お前が氏貞を危険に晒すからだ!」
景謙が卓を叩いた。
兄は動かなかった。
「だから言っただろ。俺は氏貞が帰ってこられるようにする。氏貞がどこへ行くかまで俺が決める気はない」
「それでは死ぬ!」
「それを防ぐために俺たちがいる」
兄は地図を指した。
「清河もいる。氏鳳もいる。文七も三兄弟もいる。何より、氏貞自身がそう決めている」
景謙が私を見る。
「氏貞……お前もそれでいいのか?」
私は景謙を見返した。
もう迷わなかった。
「うん」
「俺が外されてもか?」
「景謙がいるかいないかを、私は戦う理由にしてないよ」
景謙の目が止まった。
「私は、自分でここにいるって決めたの。だから誰かがそばにいるから戦うとか、いなくなったからやめるとか、そういうことじゃないよ」
誰も口を挟まなかった。
「景謙が私を心配してくれるのは分かるよ。でも、心配だからって私の代わりに決めないで」
自分でも、不思議なくらい静かに言えた。
「私の生き方は、私が決める」
景謙の顔から、何かが消えた。
私は続けた。
「だから、兄さんの決定でいい」
しばらく誰も喋らなかった。
景謙は私を見ていた。
それから、ゆっくり兄へ顔を向けた。
私を見る時とは、違う目だった。
怒っているだけじゃない。
その目を見た時、私は初めて少し怖いと思った。
でも――怖かったのは、私を見ていたからじゃない。
兄を見ていたからだった。
呂清河だ。
ベトナムじゃ、家や店に祭壇が置かれていることがある。
床に近いものもあるから、旅行中に見かけても、祭壇や供物をまたいだり、勝手に触ったりするな。
少しくらい遠回りしたっていい。
大事にされている場所だからな。
「じゃあ氏貞の前も横切らない方が?」
「私は祭壇じゃないよ」
「では私が道を空けます」
「氏鳳、護衛が板についてきたな!」
「清河もこちらへ」
「何であたしまで祀られる側なんだ!」
越えちゃいけない一線ってのはある。
今日、景謙はそこを越え、国達はあいつを軍議から叩き出した。
……だが、あの顔は素直に帰る奴の顔じゃなかった。




