五日だけ粘ってください
シンチャオ、趙氏貞です。
今日のベトナム語は、「Mất bao lâu?(マッ・バオ・ラウ?)」
「どのくらい時間がかかりますか?」という意味です。
旅先で目的地までの時間を聞きたい時に便利です。
「清河、區粟までどのくらい?」
「遠い!」
「時間を聞いてるんだけど」
「行かねえから知らねえよ!」
氏鳳が地図を覗き込んだ。
「氏貞様、今回はここで五日粘るそうです」
「じゃあ五日?」
「何で區粟までの時間が粘る日数になるんだよ!」
私たちは南へ行かない。
その代わり、南で城が落ちるまで――呉軍をここから動かさない。
朝の軍議に、知らない男が座っていた。
南の日差しに焼けた肌で、旅埃のついた衣をまとい、腰には刀を差している。
護衛らしい者は連れていなかった。
兄は私たちが揃うのを待ってから言った。
「林邑からの使いだ」
私は男を見た。
「また荷?」
「今回は荷ではありません」
本人が答えた。
清河が椅子を引き寄せ、ずいっと前へ出る。
「じゃあ何だ。兵か?」
「兵も参りません」
「何も来ねえじゃねえか!」
「清河、話を聞こうよ」
「お前に言われたくねえ!」
まだ何も聞いていないのに怒られた。
使者は困った顔もせず、持ってきた地図を卓上へ広げた。
九真より、ずっと南まで描かれている。
指が止まったのは區粟だった。
「林邑軍は、ここを攻めます」
清河の顔がぱっと明るくなった。
「おお、やっと派手なの来た!」
「前から向こうも呉とは戦ってる」
兄が横から訂正する。
「今回はこっちと動きを合わせるって話だ」
私は區粟を見た。
遠い。
蒲田から見れば、山も川もいくつも向こうだ。
「私たちも行くの?」
「行きません」
使者が答えた。
「では何を?」
私は聞いた。
男は、今度は九真を指した。
「五日ほど、ここで粘っていただきたい」
「粘る?」
「呉軍を九真から動かさないでいただきたいのです。その間に、我らが區粟を落とします」
私は少し考えた。
「つまり、私たちがこっちで戦っていれば、南へ兵が行かない?」
「その通りです」
「じゃあ五日いる」
「簡単に言うな!」
清河がすぐ横から突っ込んだ。
「でも、五日でいいんでしょ?」
「敵も五日おとなしく待ってくれると思ってんのか!」
「待ってくれないの?」
「戦争だぞ!」
氏鳳が口元を押さえて笑っていた。
兄は額を揉んでいる。
景謙だけは、笑っていなかった。
「氏貞を囮にするのか」
使者ではなく、兄に向けた言葉だった。
兄が顔を上げる。
「違う。九真の戦線を維持する」
「同じことだ」
「違う。囮なら逃げる前提だ。俺たちはここを持たせる」
景謙の視線が私へ来る。
「氏貞を前へ出す必要はない」
「私が出た方が呉軍は来るよ?」
言った瞬間、清河が頭を抱えた。
「お前はそれを自分で言うな!」
「でも本当でしょ?」
「本当だから余計に言うな!」
兄が地図を指で叩いた。
「氏貞だけを出す気はない。清河も氏鳳も動かす」
金色の鎧を着た氏鳳が静かにうなずいた。
景謙の顔がさらに険しくなる。
「また影武者か」
「はい」
「氏貞の姿を使って敵を惑わせることに、何とも思わないのか」
氏鳳は平然としていた。
「氏貞様から頼まれておりますので」
「私が頼んだよ」
手を上げると、景謙が私を見た。
「お前は何でも引き受けすぎる」
「でも、氏鳳も危ないよ?」
「お前は違う」
「何が?」
少し間があった。
「……お前は守られる側だ」
清河が鼻で笑った。
「象の上で一番前走ってる奴に言う台詞じゃねえな」
「黙れ」
「やだね」
「二人とも喧嘩しないで」
私が止めると、兄が深く息を吐いた。
「話を戻すぞ。五日だ。その間、陸胤を九真に釘づけにする」
林邑の使者が頭を下げた。
「區粟を落とせば、こちらも北へ圧力をかけられます」
兄もうなずく。
「施しじゃない。互いに楽になるための戦だ」
その言い方なら、私にも分かった。
助けてもらうだけじゃない。
私たちがここにいることにも、ちゃんと意味がある。
「分かった。五日頑張る」
「だから軽い!」
清河がまた怒った。
◇◇◇
一日目、私は東へ出た。
清河は北東、氏鳳は街道沿いへ回り、李氏三兄弟はその外側を走った。
「弘公は前へ、美公は林側に、成公は後ろを頼む」
兄が指示すると、三人は即座に散った。
「承知」
「異存なし」
「氏貞様には近づけません」
私は首を傾げた。
「最後、誰に言ったの?」
李成公が真顔で答えた。
「敵にも味方にも」
清河が噴き出した。
「もう完全に護衛じゃねえか!」
李美公が振り返る。
「元からそのつもりです」
「豪族はどこ行った!」
その横で文七が象の足を見ている。
弘公が聞いた。
「足は」
「問題ありません」
「腹帯は」
「問題ありません」
「象は」
文七が少し考えた。
「今日は機嫌がいいです」
私はほっとした。
「今日は?」
「昨日は機嫌が悪かったので」
「何で?」
「私が尻尾を触りました」
「触らないで!」
象が鼻を伸ばして私の肩を押した。
「今怒った?」
「甘えています」
「ほんと?」
「怒ればもっと分かります」
それは知りたくなかった。
◇◇◇
呉軍はすぐに動いた。
でも、突っ込んではこない。
こちらが出れば下がり、止まれば向こうも止まる。
森へ斥候を送り、湿地側にも兵を置く。
陸胤は、私たちが何を考えているのか見ている。
「気持ち悪いね」
私が言うと、文七が地面に手を触れた。
「向こうも同じことを思っているでしょう」
「私たち、そんなに気持ち悪い?」
「三人いますから」
「二人だよ!」
「清河様も含めて三人です」
遠くを見る。
清河が二刀を振り回しながら、敵の前列へ突っ込んでいた。
「あれは見れば分かるよ!」
「誰が見れば分かるって!?」
聞こえたらしい。
「清河、戻って!」
「分かってる!」
「前に進んでるよ!」
「勢いだ!」
「勢いで逆へ行かないで!」
その右手で氏鳳が動いた。
金色の鎧が陽を弾く。
敵の視線が割れた。
今日は、見分けられないだけでは足りない。
九真に、趙氏貞が何人もいるように思わせる。
ここで大きな戦が始まる。
そう思わせれば、それだけ兵は残る。
「氏鳳、もう少し前へ!」
「はい!」
氏鳳の象が進む。
敵の一隊がそちらへ向いた。
同時に李弘公が林から出た。
少し遅れて美公。
後ろへ回ろうとした兵を成公が止める。
三人は一度も並ばないのに、私へ近づこうとすると必ず誰かが出てくる。
「やっぱり囲まれてるよね?」
「お守りしております!」
「元気よく認めないで!」
その時、景謙が馬を寄せてきた。
「出すぎだ」
「でも、ここまで出ないと敵から見えないよ」
「見せなくていい」
「今日の仕事、それだよ?」
「俺の後ろへ下がれ」
私は困った。
「兄さんは、ここまでって」
「国達の命令より、自分の命を考えろ」
「考えてるよ」
「なら俺の言うことを聞け」
少しだけ、変な感じがした。
前は、こんな言い方をしなかった。
「景謙」
兄の声が飛んだ。
「持ち場へ戻れ」
景謙が振り返る。
「氏貞の護衛が必要だ」
「足りてる」
その一言で、三兄弟がこちらを見た。
文七もいる。
氏鳳も戻ってきた。
清河まで敵を蹴散らして帰ってきた。
「何だ?」
「何でもない」
「ならいい」
よくない気がする。
景謙の周りだけ、急に狭くなった。
「……そういうことか」
小さく呟いて、彼は馬首を返した。
意味は分からなかった。
◇◇◇
二日目も三日目も、やることは変わらなかった。
前へ出て呉軍を動かし、ぶつかったところで追わずに戻る。
城を取るわけでも、道を広げるわけでもない。
それでも兄は毎晩、地図を見て「まだ南へ動いていない」と言った。
四日目、さすがに私は聞いた。
「兄さん、私たち勝ってる?」
「勝ってはいない」
「負けてる?」
「負けてもいない」
「じゃあ何してるの?」
兄が答える前に、氏鳳が教えてくれた。
「陸胤をここで足止めしています」
「足止め?」
「向こうが南へ行けないように」
「ああ」
やっと分かった。
「私たちがここにいれば、林邑の人が少し楽なんだね」
兄がうなずく。
「そうだ」
「じゃあいい」
清河が笑った。
「お前はそこだけ理解が速えな」
氏鳳も笑う。
景謙だけが黙っていた。
「良くない」
みんなが振り返った。
彼は兄を見ている。
「氏貞は毎日、敵の前へ出ている」
「本人が納得してる」
「止めるのがお前の役目だろう」
「違う」
兄の声は静かだった。
「俺の役目は、こいつが帰ってこられるようにすることだ。閉じ込めることじゃない」
景謙の顔から、怒りまで消えた。
「お前には分からない」
「何がだ?」
「あいつが、どれだけ――」
そこで止まる。
景謙の目が私から氏鳳へ、清河へ、文七へ移り、最後に三兄弟で止まった。
私の周りにいる者を、一人ずつ数えているようだった。
「……もういい」
景謙は出ていった。
清河が眉をひそめる。
「何だ、あいつ」
「疲れてるのかな」
「お前は人を善意で解釈しすぎる!」
また怒られた。
◇◇◇
五日目の夕方。
南から舟が来た。
最初の使者とは別の男が、泥と潮にまみれて蒲田へ駆け込んできた。
軍議の途中だった私たちは、そのまま報告を受けた。
男は膝をつき、大きく息を吸った。
「林邑軍より報告!」
兄が身を乗り出す。
「言え」
「區粟、陥落!」
清河が真っ先に立ち上がった。
「よっしゃあ!」
私は地図を見た。
ずっと南。
一度も行ったことのない城。
「……私たち、そこ攻めてないよね?」
「だからいいんだよ!」
「でも落ちたよ?」
「向こうが落としたんだ!」
「林邑が勝った?」
「勝った!」
「私たちも?」
「勝った!」
「一緒に?」
「そうだよ! 何回聞くんだ!」
嬉しくなった。
氏鳳を見ると、彼女も笑っていた。
思わず手を握る。
「離れてても、一緒に戦えたね」
「はい」
兄だけは笑わなかった。
「兄さん?」
返事がない。
清河も気づいた。
「何だよ。區粟は落ちたんだぞ」
「ああ」
兄の指が、南から九真へ戻る。
「だからおかしい」
新しい印が置かれた。
昨日よりさらに、蒲田に近い。
「區粟が危ないと分かっていて、陸胤は兵を南へ回さなかった」
私は地図を見る。
「……助けなかったの?」
「區粟を救うより、こっちを選んだ」
部屋の入口に、人影があった。
景謙だった。
彼も地図を見ているのかと思った。
違った。
私を見ていた。
兄の指が、蒲田のすぐそばで止まる。
「南で城を一つ捨てても、氏貞を潰す方が得だと判断したんだ」
遠くの城は落ちた。
共同戦線は成功した。
それでも陸胤は、一歩も退かなかった。
そして景謙は、前よりずっと長く私を見るようになっていた。
呂清河だ。
ベトナムでは、チップは基本的に義務じゃない。
ガイドやスパでは渡すこともあるが、飯を食ったら必ず置いていく、って習慣じゃねえ。
サービスが良かった時に気持ちで渡せばいい。
「じゃあ氏鳳に何か渡さないと」
「なぜです?」
「いつも助けてくれるから」
「それはチップじゃなくて恩返しだ!」
「清河にも」
「急に怖えよ!」
五日粘って、區粟は落ちた。
だがこっちに届いたのは御礼じゃない。
次回――陸胤が、また蒲田へ近づいてきた。




