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影武者が離れる時

シンチャオ、趙氏貞です。


今日のベトナム語は「Đi đường nào?(ディー・ドゥオン・ナオ?)」

「どの道を行きますか?」という意味です。

旅先で道順や進む方向を確かめたい時に使えます。


「氏鳳は、どの道?」

「東へ回ります」

「清河は?」

「左だ」

「私は?」

「お前は兄貴に言われた道を行け!」


今日は三人とも別々らしい。


「では私は、敵から氏貞様に見えるように進みます」

「もう道の話じゃねえ!」


そして、私たちが別れる瞬間を、ずっと待っていた人がいたらしい。

東の里から来た男は、門をくぐったところで膝をついた。

息が切れている。

私たちはさっきまで夕飯の魚が小さいとか、私が歩くと右へ寄るとか、どうでもいい話をしていた。

でも、その男の顔を見た瞬間、清河が私の腕から手を離した。

「何があった?」

兄が先に聞いた。

男は肩で息をしながら、何度か口を開き直した。

「呉の使者が……また来ました」

やっぱり……

何日も何も起きなかったのに、来る時は急だった。

「里長は?」

「会いました」

「何を言われたの?」

男は私を見る。

その目を見た時、あまり聞きたくないと思った。

「趙氏貞様から離れれば、東の里には兵を入れない、と」

清河の眉が跳ね上がった。

「またそれかよ!」

「清河」

「だってそうだろ! こっちから離れりゃ助けてやるって、脅してんじゃねえか!」

男はうなずいた。

「税も今まで通りでいい。兵糧も取らない。里長が麗海婆王との縁を切ると約束すれば、それでよいと」

私は黙った。

前にも似たことはあった。

でも今度は、もっとはっきりしている。

私から離れれば助ける。

私を選べば攻める。

兄が聞いた。

「里長は何と?」

「断りました」

胸の中で何かが揺れた。

嬉しい。

そう思ったのに、同じくらい苦しくなった。

「どうして?」

男が少し驚いた顔をした。

「どうしてって……」

「私から離れれば、里は助かるんでしょう?」

清河がこっちを見る。

氏鳳も黙っている。

男はしばらく答えなかった。

やがて、ゆっくり言った。

「里長は、今さら麗海婆王を売って助かっても、次は別の里が同じ目に遭うと言いました」

私は何も言えなくなった。

兄が地図を広げる。

「使者は帰ったのか?」

「はい、ただ次は返事を聞きに来るとは限らない、と」

清河が鼻で笑った。

「それ、もう答え聞いてんじゃねえか」

兄は東の道を指でなぞった。

「兵が動くな」

私は地図の東の里と、そこへ続く道、その向こうにいるはずの呉兵を順に見た。

頭では分かっている。

でも、私のせいで狙われるという感じだけが、どうしても消えなかった。

「兄さん」

「何だ」

「私が行かなければ、攻めないかな」

兄の指が止まった。

清河が何か言おうとしたけれど、兄が先に私を見る。

「お前が行かなければ、東の里はどうする」

「……分からない」

「次に同じことを言われた里は?」

「それも、分からない」

「なら、分からないことを理由に、今助けを求めている里を捨てるな」

厳しい。

でも、兄は怒っていなかった。

私が考えるのを待っているだけだった。

氏鳳が隣で静かに言った。

「氏貞様」

「うん」

「東の里は、氏貞様から離れないと決めました」

「うん」

「なら、今度はこちらが決める番です」

「見捨てないことを?」

「はい」

清河が腕を組んだ。

「難しく考えすぎなんだよ。向こうが助けてくれって言ってんだろ? だったら行く。そんだけだ」

「清河は簡単に言うね」

「難しく言ったら敵が減るのか?」

減らない。

「じゃあ行こう」

私が言うと、清河がすぐ笑った。

「最初からそう言え!」

兄はもう地図に目を戻していた。

「行くのは決まった。ここからは、どう守るかだ」

兄の指が東の里の手前で止まった。

「西と違って、東は道が広い。象は動かせるが、それは向こうも兵を広げられるってことだ。里の前に並んで待っていたら、左右から回られる」

清河が地図を覗き込む。

「だったら先に横を取るか?」

「全部取ろうとするな。兵が薄くなる」

兄は里へ続く道の両側を指した。

「守るのは里そのものじゃない。里へ敵を入れないことだ。家の前まで下がって戦えば、畑も家も巻き込む」

その言葉で、胸の奥が少し冷えた。

兄は続ける。

「敵がどこから来るか分からん以上、こっちから広げすぎるのも駄目だ。三兄弟は先に出て、正面、南、北の動きを見る。ただし戦うな」

弘公が眉を動かした。

「見るだけで?」

「敵の数と向きを知るまでだ。見つけたからって、その場で食いつくな」

美公もうなずく。

「誘われる可能性がある」

「ある。今回は里を攻めるより、氏貞を引っ張り出す方が目的かもしれん」

私は兄を見る。

「私を?」

「使者を二度送った直後だ。東の里が断ったことも、こちらが助けに来ることも向こうは読んでいると思え」

清河が口の端を上げた。

「じゃあ、来るのを待ってるってことか」

「その可能性は高い」

成公が地図の北側を見る。

「なら、逃げ道も残しておいた方がいい」

兄がうなずいた。

「敵の逃げ道じゃない。こっちの退き道だ。東へ出た全員が、勝てるつもりで前へ出るな」

清河が嫌そうな顔をした。

「逃げる前提かよ」

「戻れない勝ち方は負けと同じだ」

清河が黙った。

兄のこういう言い方には、私も反論しにくい。

「弘公、美公、成公。先行して敵の広がりを見る。正面で見つけても、左右が分かるまで手を出すな」

「承知」

「南は私が」

「北を回ります」

今度の三人は、返事まで少し軍議らしかった。

私はちょっと感心した。

兄は次に文七を見る。

「文七は氏貞につけ。象が動けない地面へ入るな。敵より先に足元を見ろ」

「はい」

文七はそれだけで分かったらしい。

「清河は左。敵が氏貞の象だけ見ているようなら、横から崩せ。ただし追いすぎるな」

「分かってるよ」

「今の返事が一番信用できん」

「兄貴!」

私はちょっと安心した。

いつもの二人だった。

そして兄の目が氏鳳へ向いた。

「氏鳳殿」

「はい」

「今回は氏貞から離れてもらう」

胸の奥が、少しだけざわついた。

何日もずっと一緒だった。

朝も、食事も、軍議も、寝る時も。

それが当たり前になっていた。

影武者なんだから、戦場では別に動く。

分かっていたはずなのに、実際に言われると変な感じがした。

兄は地図の東側を指した。

「氏鳳殿は別の兵を連れて東へ回れ。姿は隠しすぎなくていい。むしろ一度は見せろ」

「見せるんですか?」

私が聞くと、兄がうなずく。

「向こうが氏貞を引っ張り出すつもりなら、氏貞が二か所にいる方が困る」

清河が笑った。

「どっち追うか分かんなくなるってことか」

「それだけじゃない。氏鳳殿へ兵を割けば、氏貞の正面が薄くなる。割らなければ、氏鳳殿を自由に動かせる」

氏鳳が地図を見る。

「私は戦うより、見せることを優先します」

「そうしてくれ。敵が寄ってきても深追いするな。氏貞がいると思わせたまま動けばいい」

氏鳳は迷わなかった。

「承知しました」

私は氏鳳を見る。

「氏鳳」

「はい」

「ちゃんと戻ってきてね」

一瞬だけ、氏鳳の目が丸くなった。

それから少し笑う。

「氏貞様も」

「私は文七がいるから」

「私にも兵がいます」

「そうじゃなくて」

言ってから、また自分でも何を言いたいのか分からなくなった。

清河が横から口を挟む。

「お前ら、出陣前まで似た者同士になるな!」

「似てないよ」

「顔じゃねえ!」

氏鳳が小さく笑った。

「戻ります」

それでやっと、私はうなずけた。

出陣の準備が始まる。

象へ鞍を載せ、槍を運び、水を持たせ、兵を分ける。

文七は私の象の脚を一本ずつ見て回っていた。

「今日も大丈夫?」

「今のところは」

「またそれ?」

「象ですから」

便利な言葉は今日も便利だった。

兄はその横で米袋を数えている。

「兄さん、また米?」

「戦うのに飯がいらんのか」

「いる」

「なら数える」

正しかった。

清河が自分の象へ乗りながら言う。

「氏貞、今日は右寄るなよ!」

「象まで右に寄るの?」

「お前次第だろ!」

氏鳳は少し離れたところで金色の鎧を締め直していた。

朝から何日も隣にいた人が、今日は別の隊の中にいる。

その姿を見ると、遠くからなら本当に私に見えた。

「氏鳳!」

呼ぶと振り返る。

私が手を上げた。

氏鳳も同じ高さまで手を上げた。

「最後まで合わせんのかよ!」

清河の声が飛ぶ。

私は笑った。

その笑い声の向こうで、景謙がこちらを見ていた。

◇ ◇ ◇

景謙は、出陣の準備が始まってから一度も目を逸らしていなかった。

何日見ても離れなかった女がいる。

朝も食事も軍議も、夜になってさえ、氏貞の隣には必ず氏鳳がいた。

だが今日は違った。

国達の命令を受けると、氏鳳は別の兵を率いて東へ回る準備を始めた。

最初は聞き間違いだと思った。

だが、氏鳳の象は氏貞の象とは違う方向を向いている。

付き従う兵も、これから進む道も別になる。

景謙の目が細くなった。

氏鳳に隙があるわけではなかった。

平時なら、ほとんどない。

だが影武者である以上、戦場では氏貞から離れなければならない。

氏貞を守るために離れる。

その役目そのものが、氏貞のそばに空白を作る。

景謙は、ようやくそれに気づいた。

少し離れた場所では、氏貞が氏鳳へ手を振っている。

氏鳳も同じように返した。

清河が何か怒鳴っている。

いつもの三人だった。

けれど、その三人が今日は別々の道へ向かう。

景謙の口元が、ごくわずかに動いた。

「戦になれば……離れるのか」

誰にも聞かせるつもりのない声だった。

出陣の合図が鳴る。

氏貞の象が東へ動き出し、清河は左へ、氏鳳はさらに別の道へ向かう。

何日も探していたものが、目の前で初めて形になった。

氏貞の隣から、氏鳳が消えた。

呂清河だ。


ベトナム旅行で人を撮りたくなっても、いきなりカメラを向けるな。

景色と違って相手には都合がある。

ひと声かけて、撮っていいか確かめるのが礼儀だ。


「じゃあ氏鳳、撮っていい?」

「氏貞様なら」

「許可早っ!」

「清河も一緒に撮ろうよ」

「勝手に三人写真にすんな!」


氏鳳が首を傾げた。


「景謙殿は、何日も許可なく見ていますね」

「そいつは撮影ですらねえ!」


そんな景謙が、とうとう氏鳳のいない瞬間を見つけた。


次回――東の里で、呉軍が待っている。

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