私、負けてないよ?
シンチャオ、趙氏貞です。
今日のベトナム語は Cho tôi xuống ở đây。
「ここで降ろしてください」という意味です。
タクシーなどで、目的の場所に着いた時に使えます。
「清河、ここで降りる」
「象からか?」
「うん」
「走ってる途中に言うな!」
「じゃあ文七、止めて」
「先にそっちだろ!」
「降りたいって言っただけなのに」
「順番があんだよ!」
旅行では、安全に止まってから降りましょう。
今回は、帰りたい人を止めません。
困ったことに、それを一番よく分かっているのが敵みたいです。
陸胤という男が来たらしい。
最初に聞いた時、私は太守だと思っていた。
「新しい太守が来たんだって」
そう言ったら、書佐がものすごく困った顔をした。
「氏貞殿、太守ではありません」
「違うの?」
「交州刺史です。安南校尉も兼ねています」
私は清河を見る。
「太守より偉い?」
「私を見るな。知らねえよ」
「清河、何でも知ってそうなのに」
「どういう評価だ!」
書佐が説明してくれた。
九真だけではなく、交趾も含めて交州全体を見る役目らしい。
つまり、かなり偉い。
「じゃあ忙しいね」
「そこを心配するのかよ!」
清河に怒られた。
私たちが立ち上がってから、もう五か月目に入っていた。
その間に呉軍とは何度も戦った。
三千来た。
もっと来た。
負けると増えた。
だから、次も兵が来るのだと思っていた。
ところが陸胤は、来たのに攻めてこなかった。
それが一番困った。
「清河」
「何だ」
「いつ来るの?」
「もう来てる」
「でも兵が来ないよ?」
「だから私も困ってんだよ!」
清河は朝から地面に道を描いていた。
北から蒲田へ入る本道に、川沿いの道。山へ抜ける細い道や、前に呉軍が使った渡し場まで書き込んでいる。
横には興がしゃがみ込み、斥候から聞いた人数を木札へ書いていた。
私は字が読めないので、二人が何をしているのか半分くらいしか分からない。
「どこから来ると思う?」
「それを調べてんだよ」
「道がないところ?」
「私じゃねえんだから、いきなり崖から来ねえよ!」
興が吹き出した。
「叔母上なら来るの?」
「お前、私を何だと思ってんだ」
「道がなくても来る人」
「誰が教えた!」
「叔母上」
「くそっ!」
清河が地面を蹴った。
少し離れたところで、弘公、美公、成公が同時に一歩だけ避けた。
最近、この三人は妙に動きが揃う。
「今の見た?」
私が聞くと、清河が嫌そうに三人を見る。
「見た。何で蹴られる前から避けてんだよ」
弘公が答えた。
「蹴ると思いましたので」
「私の動きまで読んでんじゃねえ!」
「護衛ですから」
「護衛してんの氏貞だろ!」
確かにそうだった。
三人とも私の後ろに戻った。
そこへ景謙が来た。
昨日まで置いてあった竹簡は持っていない。
代わりに、北から届いた木簡を持っていた。
最近、景謙が何か持ってくると話が大きくなるので、私は少し警戒した。
「氏貞」
「王様の話なら聞かないよ」
「まだ何も言っていない!」
清河が噴き出した。
景謙は一度目を閉じてから、木簡を書佐へ渡した。
「北の里からだ。陸胤が告示を出した」
書佐が受け取り、私たちにも分かるように読み上げる。
武器を置き、郷里へ戻る者を受け入れる。
降った者には害を加えない。
こちらへ応じる里には兵を乱暴に入れず、民を苦しめるような取り立ても改める。
さらに、先に応じた者には布や財物まで与えているらしい。
私は首を傾げた。
「もう一回」
書佐がもう一度読んだ。
清河の顔が、だんだん険しくなる。
「氏貞」
「何?」
「分かってるか?」
「うん」
「何が?」
「私たちと似てるね」
「そこだよ!」
清河が地面を叩いた。
私たちは、逃げる兵をどこまでも追わないことにした。
降った人を殺さないことにもした。
里から勝手に米を取らないと決めたのも、そうした方がいいと思ったからだ。
陸胤も似たようなことを言っている。
「いい人なのかな?」
「敵だよ!」
「でも、里を荒らさないんでしょう?」
「そこだけ見るな!」
兄が米袋を数えながら奥から出てきた。
「里を荒らさない?」
「そう言ってるって」
「本当に守るなら助かるな」
清河が兄まで睨んだ。
「兄貴まで乗るな!」
「俺は米の話しかしてねえ!」
それは本当だった。
兄は戦況を聞いても、最後にはだいたい米の話へ戻る。
その横で景謙だけが笑っていなかった。
「うまいな」
清河が振り向く。
「何がだよ」
「陸胤だ」
景謙は地面の地図を見る。
「兵を出せば、氏貞は戦う。里へ入れば里の者が武器を取る。米を奪えば、それを理由に周囲が集まる。なら、全部やらなければいい」
私は景謙を見る。
「戦わないってこと?」
「違う」
景謙の指が、蒲田の周りに並んだ里を一つずつなぞった。
「もう戦っている」
清河が黙った。
景謙は続ける。
「氏貞を倒す必要はない。氏貞のところにいる理由を消せばいい」
私は少し嫌な感じがした。
昨日まで景謙が私に言っていた話と、どこか似ている。
人を見ている。
誰が何を欲しがっているのか考えて、その人が動くように道を作る。
興も同じことを考えたらしい。
「道を塞がないんだな」
景謙が興を見る。
「何?」
「帰る道を作ってる」
景謙の目が少し細くなった。
「そうだ」
興はそれ以上言わなかった。
また覚える顔をしている。
私はその顔を最近よく見る。
昼前、一つ目の里から頭が来た。
何度か一緒に戦った人だった。
前に大勢の呉軍が来た時にも兵を出してくれている。
でも、その日は槍を持っていなかった。
「氏貞殿」
「何?」
「里の者たちと話しました。陸刺史の言葉が本当なら、しばらく兵を引こうと思います」
清河の顔が固まった。
兄も米袋から顔を上げた。
景謙だけは何も言わない。
私は聞いた。
「里へ帰るの?」
「はい」
「畑もあるしね」
男が驚いたように私を見る。
「お怒りには、ならないのですか?」
どうして怒るのだろう。
この人たちは私の兵になるために生まれたわけではない。
家があって、畑があって、待っている人がいる。
呉の役人が来て米を取るから戦った。
働く人を連れていかれるから槍を持った。
それが本当に止まるなら、戦わない方がいい。
「帰っていいよ」
「氏貞!」
景謙だった。
清河ではない。
そちらの方が少し驚いた。
「何?」
「簡単に帰すな。少なくとも陸胤の言葉が本物か確かめるまで待たせろ」
「でも帰りたいんでしょう?」
「だから待たせるんだ!」
景謙が里の頭へ視線を向ける。
「一度帰せば、次も帰る。ここに残る人数が減れば、他の里も不安になる」
「でも、この人の里でしょう?」
「今は戦争をしている!」
「だからって帰れないの?」
景謙の顔が険しくなった。
「門を閉じろ」
弘公たち三人が景謙を見る。
誰も動かなかった。
「聞こえなかったのか。出すな」
弘公は答えず、私を見た。
美公も成公も同じだった。
景謙のこめかみが動く。
私は里の頭へ言った。
「帰っていいよ」
三兄弟が左右へ開いた。
きれいに道ができた。
清河が額を押さえる。
「お前ら、本当に三人で一匹みたいになってきたな……」
「三人おります」
「知ってるよ!」
里の頭は深く頭を下げた。
「もし陸刺史の言葉が偽りなら、また参ります」
「その時、困ってたら助けるよ」
男はもう一度頭を下げ、外へ出ていった。
景謙は三兄弟を睨んでいた。
「俺の命令は聞かないのか」
弘公が不思議そうに答えた。
「氏貞殿の護衛ですので」
「だから何だ」
「氏貞殿が通せと」
景謙の顔が固まった。
清河が私の袖を引いた。
「氏貞、今は何も言うな」
「何で?」
「いいから!」
私は黙ることにした。
たぶん何か言うと景謙がまた怒る。
その日の午後、文七が象を連れて戻ってきた。
北側の道を見てきたらしい。
「呉軍は?」
清河が聞く。
「見ませんでした」
「またかよ!」
「ですが、人は見ました」
私は文七を見る。
「誰?」
「こちらから北へ戻る人たちです。家財を持った者もいました」
文七は象の耳の後ろを撫でながら、少し考えた。
「追われているようには見えませんでした」
景謙が聞く。
「何が言いたい」
「人は、追えば逃げます」
「当たり前だ」
「でも、帰れる場所を見せると、自分でそちらへ行きます」
清河が嫌そうな顔をする。
「お前まで陸胤のやり方分かってんのか」
文七は首を傾げた。
「象も同じです」
「象で政治を説明すんな!」
「似ていますよ」
「似せるな!」
文七は真面目だった。
だから余計に困る。
兄はその横で人数を数え直していた。
「減ったな」
「人?」
「人もだ。運べる米の量も減る」
私は首を傾げた。
「食べる人も減るよ?」
「だから面倒なんだよ!」
兄が木札を振る。
「兵が減れば食う量は減る。だが荷を運ぶ奴も、道を直す奴も、象の餌を集める奴も減る! 楽になるところと苦しくなるところが一緒に来るんだ!」
「難しいね」
「今さら気づいたのか!」
兄は頭を抱えた。
夕方までに、もう一つの里から同じ話が来た。
次の日には二つ。
その次の日には三つ。
誰も逃げなかった。
夜中に荷物を持ち出す者もいない。
みんな私のところへ来て、頭を下げてから帰っていった。
それが余計につらかった。
嫌われたわけではない。
裏切られたわけでもない。
「氏貞殿のおかげで助かりました」
そう言って帰る人までいた。
止められなかった。
止めたら、何のために戦ってきたのか分からなくなる。
夜になると、役所の前が少し広く見えた。
前は人が多すぎて、兄が毎日怒っていた。
今は声が減り、焚き火も少ない。
私は象の鼻を撫でた。
鼻先が肩を押してくる。
「人、減っちゃったね」
象は草を食べていた。
文七が隣へ来る。
「気になりますか?」
「うん。でも帰れるなら、その方がいいと思う」
「氏貞殿らしいですね」
「そう?」
「はい」
少し後ろには弘公、美公、成公がいる。
「三人は帰らないの?」
三人がほとんど同時にこちらを見た。
「帰りません」
清河が振り向く。
「そこだけ完璧に揃えるな!」
「そうでしょうか」
「前も聞いた!」
興が笑った。
景謙だけは笑わなかった。
暗い役所の中から、ずっとこちらを見ている。
私は目が合ったので手を振った。
景謙は振り返さなかった。
「怒ってるのかな」
「怒ってるだろ」
清河が即答した。
「何で?」
「お前が人を帰すからだよ」
「でも景謙の人じゃないよ?」
「それを本人の前で言うなよ。絶対だぞ」
言われると少し言いたくなる。
その時だった。
北の道から馬の音がした。
一騎だけだった。
最近は大軍より、一騎の方が怖い。
興が立ち上がる。
三兄弟が何も言わず私の前へ出た。
「まだ誰か帰るのかな」
「そういう予想やめろ!」
清河が槍を取った。
馬から降りた斥候は、そのままこちらへ走ってきた。
「麗海婆王殿!」
「婆はいらないよ!」
「今それか!」
清河に怒られた。
斥候は息を整える。
「高涼から知らせです!」
景謙が役所から出てきた。
さっきまでの不機嫌な顔が消えている。
「黄呉か」
「はい」
私は立ち上がった。
「黄呉殿、どうしたの?」
斥候は一度、私と景謙を見比べた。
「陸胤から使者が入りました。財物を持たせ、降れば罪を問わず、高涼の者を害さないと伝えたそうです」
清河が舌打ちする。
「それで?」
斥候は答えにくそうに口を開いた。
「黄呉殿が……陸胤と話すため、高涼を出たとのことです」
誰も声を出さなかった。
昨日までなら、北から兵が来るかどうかを気にしていた。
今は違う。
呉の兵は、まだ一人も蒲田へ来ていない。
それなのに私たちの周りから、人だけがいなくなっていく。
そして今度は、高涼まで動いた。
清河が暗い道を見る。
「氏貞」
「何?」
「こいつ、本当にお前と戦う気ねえぞ」
私は返事ができなかった。
景謙が小さく息を吐く。
「違う」
清河が振り向いた。
「何がだ」
景謙は北を見たまま答えた。
「もう、とっくに戦っている」
その夜も、陸胤の兵は来なかった。
呂清河だ。
今回はベトナムのホテルだ。
外国人が泊まる時は、宿泊先でパスポートを見せることがある。
滞在情報を届け出るために必要なんだ。
預けっぱなしにするよう言われたら、いつ返してもらえるか確認しとけよ。
「氏貞、名前は?」
「趙氏貞」
「旅券は?」
「ないよ」
「三世紀だもんな!」
「清河は?」
「あるわけねえだろ!」
旅行講座なのに、私らだけ絶対にチェックインできねえ。
今回は人が次々と蒲田を出ていった。
次回は、残った奴の名前を数える方が早くなるかもしれねえな。




