私、奪いたくないよ?
シンチャオ、趙氏貞です。
今日のベトナム語は Không cần đâu, cảm ơn(ホン・カン・ダウ、カム・オン)。
「結構です、ありがとう」という意味です。
勧められた物やサービスを丁寧に断りたい時に使えます。
「清河、もう十分だから」
「何が?」
「米」
「もらっとけ!」
「里の人も食べるよ」
「じゃあ半分!」
「値切る話じゃないよ!」
旅行でも、必要のない物を無理に受け取る必要はありません。
笑顔でお礼を添えて断れば大丈夫です。
今回は米も兵も集まってきます。
でも私が断りたいものは、それだけではありません。
北で、これまでとは違う数の呉軍が集まっている。
その報告が入ってから、蒲田は夜になっても静かにならなかった。
昨日までなら、敵を見つければ火を上げればよかった。 近い里が助け、それでも足りなければ蒲田へ知らせる。 実際、それで呉軍を退けた。
ところが今度は、その「足りなければ」が本当に来るかもしれない。
城壁の上では興が北を見張り、国達兄さんは夜中まで兵糧の帳面を開いていた。 清河だけは妙に機嫌がよかった。
「大軍なんだろ?」
「そうらしいよ」
「やっと私らの出番じゃねえか!」
「嬉しそうに言わないで」
「昨日、一人も殴ってねえんだぞ!」
「それを悔しがるのがおかしいよ」
そして景謙は、昨日より大きな地図を広げていた。
私が眠る前に見た時には、蒲田へ向かう道の脇に木札が増えていた。
北に三か所あり、東と川沿いにも木札が置かれている。
昨日、景謙が勝手に置こうとしていた伝令所だった。
私はまだ認めていない。
それなのに朝になると、別のものまで蒲田へ増えていた。
「麗海婆王殿へ!」
門の前に俵を積んだ車が三台並んでいる。
敵ではない。 米だ。
後ろには荷を背負った人までいた。
私はしばらく眺めてから、国達兄さんを呼んだ。
「兄さん」
「見りゃ分かる。米だ」
「何で?」
「昨夜の話がもう広がったんだよ!」
北から大軍が来る。
その知らせを聞いた周囲の里が、蒲田へ食糧を送り始めたらしい。
昨日の戦で各地が勝手に動き、麗海婆王の決まりで呉軍を退けた。
今度も蒲田へ集めておけば何とかしてくれる。
そう思われたらしい。
何とかと言われても困る。
「これ、もらっていいの?」
私が聞くと、兄さんが妙な顔をした。
「欲しいか欲しくないかなら欲しい」
「兄さん」
「北から大軍が来る時に兵糧係へそれ聞くな!」
正直だ。
車を引いてきた老人が頭を下げる。
「敵の数が多いと聞きました。こちらでお使いください」
「でも、里で食べる分は?」
「残してあります」
「冬まで?」
老人が黙り、国達兄さんが天を仰いだ。
私は俵を見ながら、広くなればそれだけ人も馬も走るという昨日の文七の言葉を思い出し、大軍が来れば食べる量も増えるのだろうと考えた。
でも、それは蒲田にいる人だけではない。
「持って帰ってください」
老人が驚いた。
国達兄さんも驚いた。
「全部か!?」
「全部じゃないよ。余ってる分だけなら」
「氏貞、お前なあ!」
「だって、この人たちも食べるでしょう?」
「兵も食う!」
「知ってるよ」
清河まで寄ってきた。
「何だ、昨日は馬で今日は米か?」
「持って帰ってもらうの」
「何でだよ!」
二人になった。
私は老人に聞いた。
「これを出したら、困る人はいませんか?」
また答えが遅れた。
それで十分だった。
「やっぱり持って帰って」
「しかし、大軍が――」
「大軍が来るからでしょう?」
老人が私を見る。
「自分のところで食べる分まで蒲田へ持ってきたら、敵が来る前に困るよ」
清河が頭を掻いた。
「お前、昨日は兵を出すな、今日は米を出すなって、戦する気あんのか?」
「あるよ」
「どこに!?」
「取られないために戦ってる」
国達兄さんが、そこで私を見た。
結局、里で食べる分と種籾を残し、それでも余るものだけ預かることになった。
三台あった車は一台半ほどになった。
兄さんが、帰っていく俵を見送っている。
「米が……」
「人の米だよ」
「分かってる!」
昨日、兵が死なず米も減らない勝ち方が一番いいと言っていた人と同じとは思えなかった。
ところが、米が帰った途端、今度は人が来た。
二十人ほどの若い男たちだった。
槍や鉈を持ち、先頭の男が胸を張る。
「麗海婆王殿! 北の軍に備え、我らも蒲田へ!」
清河が私を見る。
「今度は返すなよ」
「畑は?」
「やっぱりそこかよ!」
聞けば、まだ農作業が残っている。 二十人全員が抜ければ、里には老人や女たちが多く残るという。
「自分の里にいてください」
男たちが固まった。
「しかし、蒲田へ兵を集めよとの話が」
私は嫌な予感がした。
「誰から?」
答えは、やっぱり景謙だった。
昨日、景謙は言っていた。
もっと大きな軍が来れば、今のやり方では間に合わない。
伝令所を増やし、馬と見張りを各里から出させるべきだと。
そして本当に大軍が来ようとしている。
だから景謙は、昨日の話をもう一段先へ進めたらしい。
城内へ戻ると、景謙は昨夜からほとんど変わらない場所にいた。
地図の周りだけが変わっている。
昨日より木札が増えていた。
「兵を集めてるの?」
「ああ」
「私、まだいいって言ってないよ」
「昨夜の報告を聞いただろう」
景謙は北側の札を指で押さえた。
「これまでの小隊とは違う。昨日のように各里が勝手に動けば、今度は各個に潰される」
「だから全部蒲田へ?」
「全部ではない」
景謙は札を動かした。
「蒲田に五百。北の道に三百。渡し場にも置く。昨日話した伝令所も作る」
国達兄さんが帳面を抱えたまま入ってきた。
「待て。今、五百って言ったか?」
「言った」
「誰が食わせると思ってんだ!」
「だから米も集める」
兄さんの顔が引きつった。
私は別の意味で嫌だった。
「景謙」
「何だ」
「その米、誰の?」
「各里から余裕のある分を出させる」
「本当に余裕があるか聞いた?」
「一軒ずつ聞く暇はない」
昨日と同じだった。
昨日は馬だった。
今日は兵と米になった。
「景謙が早く決めるのと、景謙が決めていいのは別だって、昨日言ったよね」
「状況が変わった」
「だから私が言ったことも変わるの?」
景謙の目が細くなった。
「敵が大軍なら、こちらも一つにまとめなければならない」
「里を空けて?」
「必要ならな」
「食べる米まで出させて?」
「負ければ、それ以上に取られる」
その言葉で、私は少し腹が立った。
「それ、呉も言うよ」
部屋が静かになった。
景謙の表情が消えた。
清河も口を閉じる。
私は景謙を見る。
「税だから、軍のためだから、必要だからって持っていくでしょう?」
「氏貞」
「働いて作ったものを持っていかれて、男の人まで連れていかれる。それで九真の人が困ってたから、私は嫌だったんだよ」
最初から、それだけだった。
王になりたかったわけではない。
国が欲しかったわけでもない。
誰かの畑から米が消え、家から働ける人までいなくなるのが嫌だった。
「私たちが同じことしたら、何のために戦ってるの?」
「同じではない」
景謙の語気が少し強くなる。
「俺たちは九真を守るためにやる」
「取られる人から見たら同じかもしれないよ」
「負ければ九真そのものが――」
「だから守るんでしょう?」
私は地図を指した。
昨日、火がつながった場所だ。
「北の人は北で守った。川の人は渡し場を守った。西では山道を塞いだ。それで勝てたでしょう?」
「昨日の敵は少なかった」
「今度大きいなら、助ける範囲を大きくすればいいよ」
「そんな単純な話ではない!」
「全部蒲田へ持ってくる方が単純だよ」
清河が吹き出しかけて、慌てて口を押さえた。
景謙は笑わない。
「お前は甘い」
「そうかな」
「人は放っておけば、自分のことしか考えない」
「それでいいでしょう?」
景謙が眉を寄せた。
「自分の家や畑や家族を守りたいんでしょう? そのために一緒に助ければいいよ」
「それだけでは国は作れない」
「作らなくていいよ」
景謙の顔が止まった。
国達兄さんまで私を見た。
私は少し不安になった。
「私、国を作るって言った?」
「言ってねえ」
兄さんが即答した。
安心した。
「じゃあ、いいでしょう?」
「よくない」
景謙がはっきりと言った。
「お前はもう、好きな時にやめられる立場じゃない」
「やめるとは言ってないよ」
「なら力を集めろ」
「守れるだけでいい」
「足りない」
「景謙には足りなくても、私は足りるよ」
その時、私の後ろで足音が三つ止まった。
振り返らなくても分かった。
弘公たちだ。
清河も分かったらしい。
「また来たな、お前ら」
弘公が答える。
「氏貞殿が景謙殿のところへ入られましたので」
「もう隠す気もねえな!」
「何をでしょう?」
「護衛だよ!」
三人は顔を見合わせた。
景謙の目がそちらへ動く。
昨日と同じ目だった。
私は先に言った。
「三人はいていいよ」
「氏貞」
「景謙が決めることじゃないでしょう?」
三兄弟はその場に残った。
でも美公が少し前へ出すぎたので、
「そこだと近いよ」
と言うと、すぐ戻った。
「失礼しました」
清河が景謙と三兄弟を見比べる。
何も言わなかった。
でも、たぶん私と同じことを考えた。
景謙は私のためだと言って、私の言うことを聞かない。
この三人は私を守ろうとして、私が言えば下がる。
同じ近くにいる人なのに、ずいぶん違う。
「兵を集める話は止めて」
私はもう一度言った。
「少なくとも各地へ聞くまで」
「その間に敵は待たない」
「私は待つよ」
「何を」
「みんなの返事」
清河が横から口を挟んだ。
「で、敵が来たら?」
「戦うよ」
「よし!」
「清河は何でそこで元気になるの?」
「やっと出番だろ!」
「まだ来てないよ!」
昼までに、興たちが各地へ走った。
昨日作った連絡網を、今度は私たちから使った。
兵も米も無理に蒲田へ集めず、まずは自分たちの土地を守る。
危なくなれば近いところ同士で助け合い、それでも足りない時だけ蒲田へ知らせてほしいと伝えた。
昨日は各地から火がつながってきた。
今日は蒲田から言葉がつながっていった。
景謙は最後まで賛成しなかった。
夕方、最初の返事が戻る。
「北の里、了解!」
興が駆けてきた。
「川沿いも兵を残すって! 渡し場は増員するそうだ!」
清河が腕を組んだ。
「結局、昨日と同じじゃねえか」
「昨日うまくいったからね」
「相手は昨日より多いぞ」
「だから、昨日より多く助ければいいでしょう?」
「お前、たまにものすげえ雑だよな」
国達兄さんは帳面を見ながら唸った。
「俺はこっちの方が助かる。全員蒲田へ来られたら、三日で俺が死ぬ」
「兄さんが?」
「帳面に殺される!」
文七は、その横で戻ってきた伝令馬を見ていた。
昨日は汗だくだった馬が、今日は少し落ち着いている。
「どう?」
私が聞く。
「今日は休ませられています」
「よかった」
「ただ、妙です」
文七は北を見る。
「何が?」
「向こうも休んでいます」
清河が嬉しそうに槍を持ち上げた。
「じゃあ明日は元気だな!」
「敵もだよ」
「だからいいんだろ!」
「何が!?」
そこへ北から斥候が戻ってきた。
昨日の使者ほど慌ててはいなかった。
そのことが逆に気になった。
男は私たちの前で馬を降りる。
「麗海婆王殿」
「どうしたの?」
「昨日集まっていた呉軍ですが、こちらへ進んでおりません」
清河の眉が上がった。
「怖じ気づいたか?」
「いえ」
男は首を振った。
「周辺の里へも入っていません。米も取り上げず、家畜にも手を出していないそうです」
国達兄さんが帳面から顔を上げた。
私も少し驚いた。
それでは、今までと違う。
「何してるの?」
「道を見ています」
「道?」
「はい、川の渡し場と山道、それに蒲田へ続く道を調べております」
私は地図を見る。
昨日、味方の知らせが走った線。
今日、私たちの言葉を返した線。
その道を、今度は敵が見ている。
文七の顔から、いつものぼんやりした感じが消えた。
「こちらがどう動くか、先に見ているんですね」
清河が槍を持ち直した。
「なら今のうちに殴るか?」
「行かないよ」
「またかよ!」
「まだ向こうから来てないでしょう?」
「来るために見てんだろ!」
それは、たぶんそうだった。
でも昨日までの敵なら、もっと乱暴だった。
米を見つければ取り、働ける男がいれば連れていった。
道を通るためなら、そこに住む人の都合など考えなかった。
今度の敵は、それをしない。
景謙が地図へ近づいた。
「誰かが変わったな」
私は北を見る。
昨日は、大軍が来ることが怖かった。
今は少し違う。
大軍そのものより、その軍を動かしている誰かの方が気になった。
敵が、こちらのやり方を見始めている。
呂清河だ。
今回はベトナムの歩道文化だ。
ベトナムでは歩道が、ただ歩くためだけの場所とは限らねえ。
飯を食ったり、茶を飲んだり、商売したり、人が集まったりする生活の場所でもある。
「氏貞、道が塞がってるぞ」
「みんな食べてるよ」
「突っ切るか!」
「やめて」
「じゃあ迂回!」
「それが普通だよ!」
旅行中も、歩道いっぱいに店や人がいたら無理に割り込まず、周囲を見て進もうな。
今回、敵も道を見始めた。
次回、道を見る奴が、道だけ見ているとは限らない。




