私、ババアじゃないよ?お姉さんだよ……
シンチャオ、趙氏貞です。
今日のベトナム語は Tôi nghe không rõ(トイ・ンゲー・ホン・ロー)。
「よく聞こえません」という意味です。
相手の言葉を聞き取れなかった時に使えます。
「清河、もう一回言って」
「麗海婆王」
「……婆?」
「そこだけ聞き取るな!」
「王は聞こえたよ?」
「じゃあ全部聞こえてんじゃねえか!」
私はまだ数え二十三です。
「ババアじゃないよ?」
「誰もそういう意味で言ってねえ!」
「お姉さんだよ……」
「そこまで落ち込むな!」
旅行では、分からないまま頷くより聞き返した方が安全です。
今回は、聞き返しても『婆』が消えません。
呉軍が、私を王と呼び始めた。
最初に聞いた時、その意味が分からなかったわけではない。
昨日、蒲田には九真のあちこちから人が集まり、高涼の黄呉殿からまで使者が来た。
みんなで呉にどう対抗するかを決めただけなのに、向こうから見れば、私はもう、ただ一つの里を率いる女ではなく、九真の人間をまとめて動かす存在に見えているらしい。
だから、王。
敵が勝手に付けた呼び名とはいえ、たぶん軽い話ではない。
興も清河も国達兄さんも、そこを気にしていた。
でも私は違った。
「……麗海婆王」
興がもう一度その名を口にしたところで、私は聞き返した。
「……婆?」
清河が嫌そうな顔をした。
「そこに食いつくのかよ」
「だって婆って言ったよ?」
「王も言っただろ!」
「王は別に年齢じゃないでしょう?」
「婆もそういう意味じゃねえ!」
興が困ったように頭をかいた。
「呉軍の捕虜が言ってたんだ。向こうじゃ氏貞のことを、そう呼ぶ奴が増えてるらしい」
「麗海婆王?」
「そう」
「婆?」
「戻るなよ!」
私は数え二十三だ。
母さんならともかく、私が婆と呼ばれるには早すぎると思う。
そのことを説明すると、清河が額を押さえた。
「だから年寄りって意味で付けてんじゃねえって!」
「じゃあ何?」
「女を立てて呼んでんだろ!」
「だったら、もっと若そうな字にしてほしい」
「敵に注文つけんな!」
朝から大声を出したせいで、国達兄さんまでやってきた。
「何だ、今度は何が増えた?」
最近、兄さんは何か起きるたびに、また人が増えたのか、兵なのか、それとも米の仕事なのかと聞く。
今日は名前だった。
「呉軍が氏貞を麗海婆王って呼んでるらしい」
清河が説明すると、兄さんは私を見た。
それから興を見て、もう一度私を見た。
「王か」
「兄さんもそこ?」
「そこ以外どこを見るんだよ」
「婆だよ」
「お前だけだ!」
味方がいない。
そこへ李弘公たち三兄弟まで来た。
昨夜も遅くまで私の近くにいたはずなのに、朝になるともういる。
最近では、私が城内を歩くと一人か二人が自然についてくるようになった。
頼んでいない。
「何のお話でしょう?」
弘公が尋ねた。
興がまた説明する。
「呉軍が氏貞を麗海婆王って呼んでるらしい」
三兄弟がそろって私を見た。
「お似合いかと」
美公が言った。
私は固まった。
「婆が?」
「王がです」
「ちゃんと言って」
成公が少し笑った。
「氏貞殿はお若いですから」
「そうでしょう?」
ようやく分かってくれる人がいた。
清河が成公を睨む。
「お前、そこ甘やかすなよ」
「事実ですので」
私は満足した。
その直後、弘公が、
「麗海婆王殿」
と言った。
「今、使ったよね?」
「はい」
「何で?」
「敵がそう呼ぶほどなら、悪い名ではないかと」
「婆が入ってるよ?」
「そこは称号です」
「称号でも入ってるよ?」
清河が腹を抱えた。
笑いすぎだと思う。
困ったことに、その日のうちに呼び名は広がった。
昨日の会盟に参加した者がまだ蒲田に残っていたからだ。
どこから聞いたのか、一人が私を見つけるなり、
「麗海婆王殿!」
と呼んだ。
私は振り返らなかった。
「氏貞、呼ばれてるぞ?」
「違う人です」
「お前だよ!」
「私は婆じゃないよ」
「王の方を受け取れ!」
会盟に来ていた山側の男まで面白そうに笑った。
「呉軍がそう呼んでいるなら、我らも使わせてもらいましょう」
「使わなくていいです」
「麗海婆王殿」
「聞いてました?」
「はい」
「じゃあ、やめてください」
「立派な呼び名です」
話が通じない。
昨日までは「氏貞殿」だったのに、一晩で余計なものが増えた。
しかも、使う人間が増えるほど、みんな楽しそうになっていく。
「清河」
「何だ、麗海婆王」
「帰っていいよ」
「幼馴染を追放すんな!」
国達兄さんは笑っている場合ではなかった。
「呼び名なんかどうでもいい! 昨日来た奴らが帰る前に兵糧の割り振りを決めるぞ!」
「兄さん、麗海婆王にその言い方は失礼だよ」
「自分で言うようになってんじゃねえか!」
「説明しやすいから」
「慣れるの早えよ!」
兄さんは木札を抱えたまま走っていった。
あの人は王より米の方が大事らしい。
たぶん正しい。
文七は少し遅れて戻ってきた。
象の背に積んでいた荷を降ろしながら、周りが私を見て笑っているのを眺める。
「何かありましたか?」
「氏貞が婆になった」
清河が言った。
「なってないよ!」
文七は私を見る。
顔を見て、髪を見て、それから普通に首を傾けた。
「見えませんね」
「でしょう?」
「そこを確認すんな!」
清河が叫ぶ。
文七は事情を聞くと、しばらく考えた。
「呉軍が王と呼ぶなら、かなり警戒されてますね」
やっぱり王の方だった。
「文七まで」
「何がです?」
「婆を気にしてくれない」
「氏貞殿は婆ではないので」
「そうだよね」
「だから話す必要がないかと」
それも正しい気がする。
でも少し寂しい。
そんな騒ぎの中、景謙だけは笑わなかった。
昨日と同じ場所で地図を広げ、会盟に参加した里の位置を確認していた。
私が近づくと、ようやく顔を上げる。
「聞いた?」
「何を」
「麗海婆王」
景謙の目が止まった。
「王、か」
やっぱりそこだった。
「婆もあるよ」
「どうでもいい」
「どうでもよくないよ」
「呉が、お前を王と呼び始めた」
景謙は私の言葉を聞いていないようだった。
地図へ視線を戻し、蒲田の周囲を指でなぞる。
「昨日ここへ集まった連中も、お前を中心に動く。高涼からも使者が来た。敵まで王と呼ぶなら、もう形はできている」
嫌な言い方だった。
「何の形?」
「国だ」
私は首を振った。
「昨日、みんなで決めたでしょう。自分の土地は自分で守るって」
「それでも中心は必要だ」
「蒲田は連絡する場所だよ」
「違う」
景謙はきっぱり言った。
「お前だ」
朝から散々「王」と呼ばれていたのに、景謙に言われた時だけ笑えなかった。
「氏貞が旗なら、皆はそこへ集まる。だったら、集まった力を使わなければ意味がない」
「何に?」
「呉を追い出す。その後もだ」
その後――
私はそこまで考えたことがなかった。
景謙は考えているらしい。
「九真だけで終わる必要はない。高涼にも同じ考えの者がいる。交趾にもいるだろう。お前の名なら集められる」
「集めてどうするの?」
「治めればいい」
「私が?」
「俺たちでだ」
また、その言葉だった。
私は景謙を見る。
「景謙」
「何だ」
「どうしていつも、私と景謙が一緒に決めることになってるの?」
景謙が黙った。
ほんの少しだけ間があった。
「俺が、お前を一番分かっているからだ」
「そうかな?」
顔が動いた。
怒ったわけではない。
でも、私がそんな返事をするとは思っていなかったらしい。
「清河も兄さんも文七もいるよ。李氏三兄弟だって、昨日来たばかりなのに私が嫌だと言えば退いてくれる」
景謙の目が細くなった。
「またあの三人か」
そこだった。
私は何も言っていないのに、後ろで足音がした。
弘公たちが来たのだと思った。
振り向くと、本当に三人いた。
「何してるの?」
「特には」
成公が答える。
「また近いよ?」
「景謙殿とお話しでしたので」
美公が言った。
清河が遠くから叫んだ。
「もう理由まで護衛じゃねえか!」
三兄弟は顔を見合わせた。
弘公が真面目に尋ねる。
「そうでしょうか」
「そうなんだよ!」
景謙は三人を見ていた。
私ではなく、三人を。
昨日より露骨だった。
「氏貞の近くに常に三人も要らない」
「景謙が決めることじゃないよ」
私が言うと、景謙はすぐにこちらを見た。
「こいつらは新参だ」
「でも私がいいって言ってるよ」
「お前は簡単に人を信用しすぎる」
「信用してない時も近くにいたでしょう?」
弘公が小さく咳をした。
笑ったようにも聞こえた。
景謙の顔が硬くなる。
まずいと思ったところへ、国達兄さんが戻ってきた。
「お前ら、朝から何やって――」
私たちを見て止まる。
それから景謙と三兄弟の間にある空気を見た。
「景謙」
「何だ」
「氏貞がいいっつってんだから、それで終わりだ」
景謙は答えなかった。
私は少しだけ息を吐いた。
その日の昼には、もっと困ったことになった。
蒲田を出ていく者たちが、帰り際に私へ頭を下げる。
昨日と同じだ。
違うのは呼び方だけだった。
「麗海婆王殿、またいずれ!」
「婆はいらないです」
「ははは!」
笑って帰っていった。
別の人も、
「麗海婆王殿、ご武運を!」
「だから婆は――」
もう聞いていない。
次の人も同じだった。
私は途中で諦めた。
清河が隣で楽しそうにしている。
「よかったな。定着したぞ」
「よくないよ」
「敵が付けて、味方が使って、お前だけ嫌がってる」
「一番大事な人の意見が抜けてるよ」
「誰だよ?」
「私」
清河が笑った。
その時、城門の外から新しい使者が入ってきた。
昨日の会盟にいた者ではない。
私の前まで来ると、息を整え、深く頭を下げる。
「麗海婆王殿」
私は目を閉じた。
もうそこからなのか。
「どちらから?」
「北より参りました。呉軍の動きについて、お伝えしたいことがございます」
清河の笑いが止まった。
国達兄さんも振り返る。
景謙は、さっきまでの不機嫌が消えたように使者を見た。
私はまだ婆の一文字に納得していなかった。
でもどうやら、向こうは私の年齢を気にしている場合ではなくなったらしい。
呂清河だ。
今回はベトナムの食卓だ。
料理は大皿をみんなで分けることが多く、客の碗へ料理を取り分けてくれるのも、もてなしの一つだ。
満腹なら無理せず、もう十分だと丁寧に伝えろよ。
「氏貞、また碗に増えてるぞ」
「頼んでないよ?」
「好意だ!」
「名前も増えたよ?」
「そっちは呉軍だ!」
ちなみに箸を飯へ真っすぐ立てるのは避けよう。
食べ終えたら碗の脇へ置けばいい。
「婆王も脇へ置けない?」
「称号を箸みたいに片づけんな!」
次回、片づかないのは名前だけじゃない。
呉軍まで動き始める。




