全部って言っただろ!
シンチャオ、趙氏貞です。
今日のベトナム語は「Đá(ダー)」。
「石」という意味です。
「氏貞、敵は何人だ?」
「百人くらい」
「こっちは?」
「昨日まで畑にいた人たち」
「よし、山道使うぞ」
「清河、普通はそこで困らない?」
「百人来るなら、五人ずつしか通れなくすりゃいいだろ!」
なるほど。
「それで上からĐáを?」
「お前、急に飲み込みよくなるな!」
昨日は兵を一人投げました。
今日は百人来ます。
では、山にある物で何とかしましょう。
「その発想がもう賊なんだよ!」
Đá。
たぶん、今日は一個では足りません。
翌朝、私の家の前には兵が百人ほどいた。
そして、その百人より先に怒鳴り込んできた女がいた。
「氏貞ぇ! 出てこい!」
声だけで誰なのか分かったので、私は戸口から顔を出した。
「清河、おはよう」
「おはようじゃねえ!」
幼馴染の呂清河は朝からたいへん元気だった。
昨夜まで山向こうの親類を手伝っていたはずなのに、戻って早々、山仕事で使う鉈を肩に担いで私の家まで殴り込みに来たらしい。
髪も後ろで適当に束ねただけで、身支度を整えるより先にこちらへ来たことが分かる。
清河とは、物心がつく前から一緒に育った。
私よりは背が低いものの女としては大きい方で、山仕事をしているだけあって腕も脚もしっかりしている。
鉈を担いで仁王立ちしている姿だけ見れば、朝っぱらから誰かを斬りに来たようにも見えるが、本人にそのつもりはたぶんない。
たぶん。
顔立ちも悪くないので、祭りでは男から何度か声をかけられていた。
ところが清河は、差し出された酒を見ると「くれるのか」と受け取り、嬉しそうに飲み干してしまう。
そのあと相手の男が妙に落ち込むと、「あいつ何だったんだ?」と私へ聞いてくる。
私にも分からない。
その点では、とても気の合う幼馴染だった。
「聞いたぞ。昨日、呉の兵を投げ飛ばしたって?」
「一人だけだよ」
「人数の話じゃねえよ!」
清河は鉈の柄で地面を叩き、私の家の前に並ぶ兵たちを指した。
昨日の十二人とは比べものにならない。
鎧を着た兵が山道を塞ぎ、その後ろには弓を持つ者までいる。
朝からこれだけの人数に家を囲まれる経験は初めてだったので、私はどこへ目を置けばよいのか少し迷っていたが、清河は迷わなかったらしい。
全部に腹を立てていた。
「何したら一晩でこんなに増えるんだよ」
「少し話をしたよ」
「その『少し』をやめろ!」
昔から清河は、私が何かするとよく怒った。
子供の頃、「少し山へ行ってくる」と言って隣の谷まで歩いた時も怒られたし、川向こうに珍しい花が咲いていると聞いて見に行き、帰りが夜になった時も散々怒鳴られた。
そのたびに清河は「次から先に言え」と言う。
なので次から先に言うようにした。
すると一緒についてくる。
しかも途中から私より先を歩く。
止めたいのか参加したいのか、いまだによく分からない。
「昨日、役人が里長の息子を連れていこうとしたのを止めただけだよ」
「そこでなんでお前が止めるんだよ?」
「誰も止めなかったから」
「そういうとこだよ!」
清河が頭を抱えたところで、兵たちの間から役人らしい男が馬を進めてきた。
昨日の役人とは違い、年は四十ほどで、鎧の上からでも腹が少し出ている。
男は私と清河を見比べ、それから竹簡を開いた。
「趙氏貞という女はどちらだ?」
私は手を上げた。
清河がすぐ下ろした。
「何するの?」
「お前はこういう時だけ素直すぎるんだよ」
役人がこちらを睨んだ。
「昨日、官吏に逆らい、兵を傷つけ、里人を煽動したな」
「兵を傷つけてはいません。転んだだけです」
「お前が投げたのだろう!」
「では、転ばせました」
「言い直せば済むと思うな!」
朝からよく怒る人が二人になった。
清河と役人は初対面のはずなのに、妙に気が合いそうだった。
役人は竹簡を巻くと、今度ははっきり私を指した。
「大人しく縄につけ。お前一人を差し出せば、里の者には寛大な処置を考えてやる」
後ろにいた里人たちがざわついた。
私は少し考えた。
昨日の騒ぎで最初に前へ出たのは私だし、自分一人で済むなら、その方が里への被害は少ないかもしれない。
縄についたあとで何をされるのかは分からないが、百人を相手に殴り合うよりは、まだ穏やかそうだった。
「分かりま――」
「ふざけんな!!」
横から清河が遮った。
役人が眉を寄せ、私も清河を見る。
「清河?」
「昨日、税が足りないから人を出せって言ったのはそっちなんだろ?」
「貴様には関係ない」
「ある。ここの連中は知り合いだし、氏貞はガキの頃からの腐れ縁だ」
「ならば女賊の仲間か」
「誰が女賊だ!」
清河が一歩前へ出たので、私は嫌な予感がした。
清河はよく私の無茶を止めるが、だからといって穏やかな人間ではない。
私が崖へ近づけば「危ないだろ」と怒鳴りながら自分が先に覗き込み、喧嘩を止めに入れば両方を殴って終わらせる。
昔、祭りで酔った男二人が殴り合いを始めた時も、「やめろ」と言いながら片方を投げ、もう片方を水桶へ落とした。
喧嘩は終わった。
祭りも半分終わった。
「清河、少し落ち着いて」
「お前にだけは言われたくねえ!」
役人が鼻で笑った。
「山猿の女が二人で何を吠えている。まとめて捕らえろ」
その瞬間、清河が怒鳴るのをやめた。
だから余計に嫌な予感がした。
前列の兵が三人、こちらへ歩いてくる。
一人は私へ向かい、残る二人は清河を挟むように進んできた。
清河は鉈を肩に担いだまま、横目で私を見る。
「氏貞」
「何?」
「昨日、お前は兵を投げただけなんだな?」
「うん」
「誰も斬ってない?」
「斬ってない」
「よし」
何が「よし」なのか分からなかった。
次の瞬間、清河は目の前まで来た兵の槍を鉈の背で叩き落とし、その柄を掴んで兵ごと横へ引っ張った。
隣の兵が慌てて剣を抜こうとしたところへ肩からぶつかり、二人まとめて道端へ転がす。
昨日の私より手際がよかった。
「清河!」
「斬ってねえ!」
そういう問題ではない気がする。
役人が叫び、後ろの兵たちが一斉に槍を構えたところで、清河は奪った槍を私へ放った。
反射的に受け取ってしまった。
「なんで渡すの?」
「昨日拾ったんだろ! 使えるじゃねえか!」
「一回しか持ってないよ!」
「今日で二回目だ!」
経験が倍になった。
たいへん頼もしい。
兵たちは役人の命令で前へ出ようとしたが、この辺りの山道は狭く、一度に通れるのはせいぜい四、五人だった。
その様子を見た清河が急に笑う。
私はその笑い方を知っている。
ろくなことにならない。
「氏貞、この道の上に昨日切った木があるよな」
「あるけど?」
「太いやつ」
「あるね」
「縄も残ってる?」
「たぶん」
「よし」
「だから何が?」
清河は後ろを振り返り、里の若者たちへ声を張り上げた。
「上へ回れ! 昨日の丸太、全部落とせ!」
私は慌てて清河の腕を掴んだ。
「待って。それは話が大きくならない?」
「百人連れてきたのは向こうだろ!」
「でも丸太は……」
「殺さねえように手前へ落とせ! 道を塞ぐだけだ!」
なるほど。
それなら、と少し安心した。
清河は続けた。
「ついでに上から石も投げろ!」
安心した私が馬鹿だった。
若者たちは斜面へ走り、しばらくすると山の上から太い丸太が転がってきた。
兵たちが悲鳴を上げて後退し、一本目は先頭の少し手前で道を横切るように止まる。
そこまでは予定どおりだった。
すぐに二本目が来た。
その後ろから三本目まで来た。
「そんなに落とせとは言ってねえ!」
清河が怒鳴ると、山の上から声が返った。
「全部って言っただろ!」
正しかった。
役人の馬が驚いて暴れ、本人は慌てて首へしがみついた。
後ろの兵たちも丸太に道を塞がれて身動きが取れず、そこへ上から拳ほどの石が降り始める。
人を潰すほどではないが、当たれば十分痛い大きさだった。
「清河」
「何だ!」
「これ、追い払うだけ?」
「まだ誰も死んでねえから追い払うだけだ!」
基準がだいぶ広かった。
それでも山道に慣れていない兵たちは完全に混乱し始めた。
前へ進めず、後ろへ下がろうにも百人近くが詰まっているため動けず、そこへ石まで落ちてくる。
役人が隊列を整えろと叫ぶほど、兵同士がぶつかった。
兵法など知らない私でも、大勢いれば必ず強いわけではなく、百人いても一度に四、五人しか進めない山道へ押し込めば、その数がかえって邪魔になることくらいは分かった。
清河が私の肩を叩いた。
「氏貞、前へ出るぞ」
「なんで?」
「今押せば帰る!」
「さっき私を止めに来たんじゃなかった?」
「今それ言うな!」
私は槍を構え、清河たちと声を上げながら丸太の隙間から前へ出た。
すると呉兵たちは本当に退いた。
戦ったというより、こちらが一歩進むたびに相手が一歩下がり、狭い山道で互いに押し合いになっただけだったが、役人の馬がとうとう向きを変えたことで全体が崩れた。
役人は逃げながら何か叫んでいた。
私にはよく聞こえなかったが、清河には聞こえたらしい。
「二度と来るな!」
余計なことを叫び返した。
呉兵の姿が山道から消えると、里から歓声が上がった。
昨日まで畑を耕していた人たちが、今日は鍬や棒を掲げて笑っている。
勝ったことより、その人たちが急に私を見るようになったことの方が怖かった。
「氏貞が追い返したぞ!」
「趙氏貞が呉兵を追い返した!」
違う……
丸太を落とせと言ったのは清河である。
そう説明すると、清河は露骨に顔をしかめた。
「お前、今それ言うな」
「どうして?」
「なんとなくだ!」
説明になっていなかった。
ところが昼になる頃には、その話を聞きつけたらしい別の里から三人が現れ、次に五人、夕方になる頃には、十数人が武器を持って山道を登ってきた。
また呉兵かと思ったが、違った。
先頭にいた老人は私の前まで来ると、深く頭を下げた。
「趙氏貞殿とお見受けする」
殿までついた。
昨日は女賊だったのに、今日はずいぶん出世した。
「何でしょう?」
「我らも、あなた方とともに戦いたい」
私は清河を見た。
清河も私を見た。
「氏貞」
「何?」
「お前、昨日何した?」
「少し話をしただけ」
「やっぱりそれ禁止な」
老人の後ろには男だけでなく、女や若者まで並んでいた。
その向こうの山道からも、別の集団が登ってくる。
誰も私たちを助けに来た顔ではなかった。
自分たちも戦う顔だった。
昨日、役人から賊と呼ばれた時には私一人の問題だったはずなのに、百人の兵を追い返しただけで、どうやら明日からは私一人の喧嘩では済まなくなったらしい。
隣で清河が小さく呟いた。
「……これ、ちょっと話が大きくなってねえか?」
私は清河を見る。
「清河が丸太を全部落とせって言ったからじゃない?」
「全部お前から始まってんだよ!」
その時、山の下から馬の蹄の音が響いた。
また呉兵かと思ったが、駆け上がってきた男の格好は役人でも兵士でもなかった。
泥だらけになった男は馬から転がるように降りると、息を切らしながら私たちを見回した。
「軍安だけじゃない……九真のあちこちで、もう始まってる!」
歓声が止まった。
私は手の中の槍を見る。
昨日、拾っただけの槍だった。
けれど、どうやら返す相手はいなくなりそうだった……
呂清河だ。
今日のベトナム文化は、檳榔とキンマ。
客を迎える時や祝い事、縁談なんかで出すものだ。
「私の縁談にもあったね」
「相手はお前を見た瞬間、それどころじゃなくなったけどな」
茶椀を落とし、胸を見て、最後には「俺が守る」と宣言したらしい。
「恋ってすごいね」
「たぶん違う」
檳榔とキンマを噛むと、口の中が赤くなる。
「血みたい」
「だから縁起でもねえ!」
すると山の下から軍鼓が聞こえた。
「清河、また来たみたい」
「文化講座中だぞ!?」
氏貞は槍を持った。
「じゃあ続きは戦場で」
「文化番組から戦争アニメに戻るな!」
次回。
赤い口より赤い戦場。
九真の山に、また軍鼓が響く。
「だから誰が予告してんだ!」




