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帰る場所を残す

シンチャオ、趙氏貞です。


今日のベトナム語は「về nhà(ヴェー・ニャー)」

「家へ帰る」という意味です。


「氏貞、役所にまだ敵がいるぞ」

「武器を置いたら帰ってもらおう」

「また逃がすのか?」

「帰れないなら、最後まで戦うでしょう?」


そこまでは簡単でした。


「じゃあ、お前は?」

「私?」

「負けたらどこへ帰る?」


村があります。

家があります。

母さんがいて、鶏がいます。

そう答えようとして、止まりました。


私が戦っているせいで、その場所までなくなるかもしれない。


「……清河」

「何だ?」

「帰る場所って、勝手に残るものじゃないんだね」

「今さら気づいたか」


その日のうちに兄が来ます。

母さんを南へ移す、と。


「鶏は?」

「やっぱりそこ聞くのかよ!」

南の県へ着いた時、門はもう開いていた。

最近、この辺りの門は私が着く前によく開く。

ただし今回は、中から怒鳴り声が聞こえていた。

「清河」

「何だ?」

「開いてるけど、終わってないね」

「毎回ちょっとずつ面倒になってんな」

象の上から見ると、門の内側には現地の兵や下役、近くの住民まで集まり、その多くが武器を持っている。

その向こうでは役所を囲むように人垣ができ、屋根の上には弓を構えた兵が見えた。

文七だけが役所ではなく、人垣の方を見ている。

「どうしたの?」

「こっちの方が少し怖いです」

「味方だぞ」

景謙が眉をひそめる。

「分かってます。でも、なんとなく」

門まで迎えに来た男が私を見上げた。

「趙氏貞殿、お待ちしておりました!」

また待たれていた。

「中、どうなってるの?」

「県令は逃げました。しかし漢人の官吏と直属兵が三十人ほど役所へ籠もっています。弓もあります」

清河が屋根を見た。

「三十か。こっちは?」

「武器を持っている者だけでも二百を超えます」

「じゃあ囲んどきゃ終わるだろ」

男は少し顔を曇らせた。

「それが……」

役所の方から声が上がった。

「焼け!」

すぐに別の声も重なる。

「火をつけろ! 出てこられなくしてやれ!」

人垣が一気に騒がしくなった。

私も役所を見た。

清河も役所を見た。

それから、なぜか私を見た。

「氏貞」

「何?」

「お前、今ちょっと懐かしそうな顔しただろ」

「してないよ」

本当にしていない。

ただ、役所を燃やすという発想に少し覚えがあっただけだ。

私は象を進ませた。

人々が左右へ退き、口々に私の名前を呼ぶ。

「中の漢人ごと焼き払いましょう!」

私は窓の閉ざされた役所を見た。

入口には内側から何か積まれているらしく、押しても簡単には開きそうにない。

「燃やさないよ」

周りが静かになった。

清河まで黙ったので、少し腹が立った。

「何?」

「いや」

「何?」

「お前がそれ言う日が来るとは思わなかっただけだ」

「中に人がいるでしょう?」

「そこだけは最初から一貫してんな!」

この前だって、人がいなくなったから燃やした。

今回はいる。

だから燃やさない。

それほど難しい話ではないと思う。

ところが役所を囲んでいた若い男が声を荒らげた。

「あいつらは俺たちの米を奪った! 人夫も連れていった! 今さら助ける必要なんかありません!」

「出てきたら殺せばいい!」

空気が変わった。

文七がさっき人垣を見ていた理由が、少し分かった。

怒っているのは当然だと思う。

私だって、役人が里へ来て、米が足りなければ人を出せと言われた時は腹が立った。

でも、ここで三十人を殺したら、次に別の役所で囲まれた人たちはどうするのだろう。

「清河」

「何だ?」

「殺されるって分かってたら、降りないよね?」

「まあな」

「じゃあ、帰っていいことにしようよ」

周囲から声が上がった。

「帰すのですか!?」

「武器を置いたらね」

清河が頭を掻いた。

「また逃げ道残すのか」

「終わらない方が困るでしょう?」

景謙が役所と南門を見比べた。

「通すなら道を一本に絞れ。武器は役所前で捨てさせる。南門までこちらの兵を並べろ。途中で群衆が手を出せば、次から誰も降りなくなる」

こういう時の景謙は早い。

寝返ってきた書佐も頷き、弓の届かないところまで進んで声を張った。

「中にいる者へ告げる! 武器を置いて出るなら、趙氏貞殿は追わない! 前の県でも降った者は殺されていない!」

屋根から怒鳴り返された。

「信じられるものか!」

私は清河を見た。

「信じてもらえてないよ」

「そりゃ今まで役所焼いて回ってる女が外にいるからな」

「一回だよ」

「一回でも普通は十分なんだよ!」

中からまた声が飛んでくる。

「外へ出たところを殺す気だろう!」

私は少し考えた。

「じゃあ、どうしたら信じるの?」

「交渉を相手に聞くな!」

でも、分からないものは仕方ない。

しばらく返事がなく、やがて戸の向こうから一人が叫んだ。

「まず三人出す! 本当に通すなら、残りも出る!」

「いいよ!」

「返事早えよ!」

「それなら分かりやすいでしょう?」

書佐が条件を伝えると、しばらくして戸がわずかに開いた。

槍が三本、先に外へ投げ出され、そのあとから両手を上げた男たちが出てくる。

囲んでいた人々がざわめき、一人が踏み出した。

清河が腕を掴む。

「待て」

「ですが!」

「氏貞が通すって言った。通せ」

景謙の指示で兵が細い道を作った。

三人は罵声を浴びながらその間を歩き、誰にも殴られず南門へ消えた。

「帰ったよ」

「中の奴に聞こえるように言え!」

書佐が代わりに叫んでくれた。

それから少しして、戸が大きく開いた。

今度は槍や弓がまとめて外へ置かれる。

一人。

二人。

また一人。

残っていた者のほとんどが出てきた。

怒っている人はまだいる。

それでも、清河たちが睨みを利かせ、文七まで人垣の脇を歩いていたので、誰も手を出さなかった。

最後の男が南門へ向かったところで、清河が私を見上げる。

「これ、次から楽になるかもな」

「何が?」

「お前に降れば帰れるって分かれば、最後まで籠もる奴が減る」

「それならいいね」

書佐が深く頷いた。

「かなり大きな意味があります」

「そうなの?」

「お前、自分でやっといて毎回そこからかよ!」

役所へ入ると、今度は誰も火をつけなかった。

少し安心した。

「なんでお前が安心してんだ?」

「燃えてないから」

「誰のせいで役所を見るたび火の心配するようになったと思ってんだよ!」

中では現地の下役たちがすぐ動き始めた。

帳面を確認し、倉を開け、捕らえられていた者の名前を調べている。

私はもう、役所には燃やす以外の使い道もあることを知っている。

少し成長したと思う。

「氏貞殿」

書佐に呼ばれた。

「こちらの県でも、今後の方針を決めなければなりません」

「昨日のところと同じでいいんじゃない?」

「どの部分を?」

「逃げる人は追わない。住んでる人から勝手に米を取らない。倉の米は誰から取ったのか調べる。捕まってる人がいたら、何で捕まったのか見る」

書佐と清河が顔を見合わせた。

「何?」

書佐がゆっくり口を開いた。

「それを、他の県にも伝えましょう」

「どうして?」

「待て」

清河が割って入った。

「今の、結構でかい話になるぞ」

「清河が言ったんじゃないでしょう?」

「まだ何も言ってねえ!」

書佐は少し笑った。

「趙氏貞殿のお名前と一緒に、この方針を伝えるのです。降った者は殺さない。現地の民を害さない。倉も帳面も無駄に焼かない」

「最後、お前向けじゃねえか?」

「違います」

書佐は真顔で否定してから、少し間を置いた。

「……半分ほどは」

「半分も私なの?」

清河が笑い始めた。

腹が立つ。

それでも、戦わなくて済む場所が増えるなら、その方がいい。

「じゃあ、伝えればいいんじゃない?」

また二人が黙った。

最近、本当にこれが多い。

景謙だけは黙らなかった。

「氏貞の名を使わせるなら、誰に許したか残せ。勝手に名乗る奴が出れば収拾がつかなくなる」

「そこまで決めるの?」

「決める必要がある。氏貞の名だぞ」

文七が首を傾げた。

「氏貞殿が決めたことを守るなら、誰が伝えても同じじゃないですか?」

「同じではない」

「何が違うんです?」

「お前は黙って象を見ていろ」

「今、象は餌食べてます」

「そういう意味じゃない!」

昼を過ぎた頃、使者が来た。

一人ではなかった。

東の里では役人を追い出した。

山の向こうでは呉兵が近づき、援軍を求めている。

西の県では県令が逃げ、誰を残して役所を動かせばいいのか分からないという。

最後の男は、私の名前を掲げてもよいかと聞いた。

私は清河を見る。

清河も私を見る。

「どれから行けばいいの?」

清河が黙った。

いつもなら、どこかを指して「行くぞ」と言うのに、今日は言わない。

書佐が木簡を抱えて近づいてきた。

「趙氏貞殿ご自身が、すべてへ行く必要はありません」

「じゃあ誰が行くの?」

「近い場所にいる者が、それぞれ助ければよいのです」

「じゃあ、それでいいんじゃない?」

嫌な静けさが満ちた。

清河が額を押さえる。

「それやると、お前のところの連中が何組にも分かれて動くことになるぞ」

「うん」

「各地の頭にも話を通す」

「分かった」

「どこへ誰を出すか決める奴もいる」

「必要だね」

「それを軍って言うんじゃねえの?」

私は少し考えた。

たぶん、そうなのだと思う。

けれど、私が全部の県へ行くことはできない。

それなら近い人が助けに行けばいい。

それだけの話だった。

書佐が頭を下げる。

「では、趙氏貞殿の名のもとに、各地へ人を分けましょう」

「そこまで言ってないよ?」

「もう遅えよ」

その時だった。

「氏貞」

兄が役所の入口に立っていた。

「兄さん、米?」

「違う。今日はもっと面倒な話だ」

「米より?」

「俺の中じゃ米も十分面倒だ!」

兄は周りの木簡と人の数を見て、深く息を吐いた。

「母さんを南へ移す」

「母さんを?」

「ここまで広がったら、村に置いとけない。お前の母親だと知られたら人質にされる」

清河の顔から笑いが消えた。

私は少し考えた。

「母さん、嫌がると思うよ」

「知ってる。だから俺が行く」

「兄さんが?」

「説得して、荷をまとめて、先に住める場所を作る。米も置く」

私は兄を見る。

「そんなに危ない?」

兄はすぐには答えなかった。

「危ないからだけじゃない」

声が少し低くなった。

「俺たちが負けた時、帰る場所がなくなる」

今度は私が黙る番だった。

兄は続けた。

「勝つつもりで戦うのと、負けた時の道まで潰すのは別だ。村が焼かれても、ここが取り返されても、南に母さんがいれば帰れる。誰か一人でも生きて戻れば、そこからまた始められる」

清河まで静かに聞いている。

私は役所の外を見た。

さっきまで、私の名前を使いたいと言う人たちが何人もいた。

前へ進むことばかり考えていた。

兄は、戻る場所を考えていた。

「分かった」

「よし」

「鶏は?」

「……何?」

「母さん、鶏置いていったら戻ってくるよ」

兄が目を閉じた。

「連れていく」

「全部?」

「できるだけ! なんで反乱軍の退路を決める話で鶏の数まで考えなきゃならないんだ!」

清河が吹き出した。

「兄貴、向いてるよ」

「何にだ!」

「後方全部」

「範囲を広げるな!」

その時、門の外から馬の蹄が響いた。

一頭ではない。

何人もいる。

文七が先に顔を上げた。

「……今までの人たちと違います」

「何が?」

「分かりません。でも、遠くから来た感じがします」

景謙がすぐ立ち上がった。

「門を見ろ。誰だ?」

やがて、土埃をかぶった男たちが役所の前まで駆け込んできた。

先頭の男が馬から転げるように降り、息を切らしたまま頭を下げる。

「趙氏貞殿に、お伝えしたいことがあります」

清河が聞いた。

「どこの県だ?」

男は首を振った。

「県ではありません」

私が象の方を見ると、何も気にせず、まだ芋を食べていた。

男がもう一度、息を整える。

「九真の外から来ました」

呂清河だ。


今日のベトナム文化は、方角の呼び方。


北は「Bắc(バック)」、南は「Nam(ナム)」、東は「Đông(ドン)」、西は「Tây(タイ)」だ。

道や土地の位置を話すなら、覚えておいて損はねえ。


「氏貞、南の県から呼ばれてるぞ」

「Nam?」

「そうだ」

「じゃあ北へ逃げたら?」

「Bắc」

「東から敵が来たら?」

「Đông」

「西に象が逃げたら?」

「Tây! って何で象が逃げんだよ!」


役所を一つ取ったと思ったら、今度はNamからお呼びが掛かった。


「清河」

「何だ?」

「帰る方角は?」

「今それ聞くな!」


次回。

南へ進んだ先で、帰る場所の話が始まる。

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