12三つの墓
ゆっくり瞼を持ち上げると、幾重にも身体に絡みつく蔓草が目に入る。
反射的に確かめた足には、切られたはずの痛みがない。当然だ。あれらは全てセレウスファンタスマが脳髄に叩き込んだ高度な幻覚だったのだから。
ホーカーが力任せに身をよじると、蔓草は小さな花をバラバラと砂の上に散らせ、あっさり彼を解放した。
よろめきながら急いで蔓たちから離れたホーカーの目に、信じがたい惨状が飛び込む。
木製の家や丹精を込めて手入れされていた花壇、そして砂の大地にまで。そこには明らかに殺意を持ってふるわれた刃の跡が、数えきれない傷となって刻まれていた。
そしてホーカーを包むように絡みついていた蔓草にも、無関係ではない傷が無数にある。
どうやらホーカーは無意識に、姿のない何かと戦っていたらしい。その証拠に、少し離れたところに鬼菊が転がっている。ホーカーは素手でも充分に戦えるが小刀は大事なものだ。彼は慌てて鬼菊を拾いながらも、頭にはてなを浮かべていた。
「……もしかして、助けてくれたのか?」
蔓は傷だらけのくせして、なかなか元気よく頷いた。
この状況だ。蔓がその気になれば、ホーカーを絞め殺すこともできただろう。
やはり幻覚はこの蔓たちではなく、もっと別のものが原因だったようだ。
目の前の青く小さな花からは、あの支配するような強い香りはしない。どこか別の場所にセレウスファンタスマという名の白い花が潜んでいるのだろう。
「わりぃな。……その、さんきゅ」
ホーカーはバツの悪い思いで、自分を救った蔓たちへ不器用な礼を言った。
すると一本の蔓が彼の右手に絡みつき、そっと何かを握らせて引いていく。
右手に視線を落としたホーカーの手のひらには、小さな青い花が一輪あった。
「幻覚が見えないようになる花か何かか?」
自分が幻覚から解放されたことを思って言うと、蔓は首をふるように横に揺れた。
青い花はホーカーを信じているが、白い花はそうではなかった。しかし幻覚の中で二人は和解し、セレウスファンタスマはもう彼に幻覚を見せないだろう。つまり幻覚を見せない花など必要ない。
ただ青い花は忘れないでほしいと願っただけだ。自分たちにも意思と意志があることを。そして、みんながホーカーを信じたという事実を。
言葉を持たない花の思いをホーカーに理解できることはないだろう。しかし、ホーカーは受け取った花が潰れないように懐へしまうと、決心したように頷いた。
改めて現在地を確認するために周囲を見回すと、ここはタウベと別れて少し離れただけのところだった。
「……ずいぶん早く術に落ちてたんだな」
自分に呆れて肩を竦めると、蔓たちが笑うように揺れた気がした。
ホーカーは白い花が見せた幻覚の場所を探す。
現実ではない何かで受けた道案内。それによって辿り着いたところ。それは寸分違わず現実と同じ場所だった。
ただあえて違うところを探すのなら、弟子が待ち構えていないところと、夕焼けが目に染みるところか。
タウベの形をしていた白い花びらの群れが指し示していたのは、どこなのだろう。
幻影から醒めてからというもの、肺を満たすほどの花蜜の香りも、それ以外の不思議なことが起こる気配もない。
やがて道の両脇を貫くように伸びる、極端に長い花壇が見えてきた。その遥か前方に巨大な白い花が咲き誇っている。
セレウスファンタスマだ。
白い花を中心に十字路になっており、花を囲うように三つの墓が建っている。
「……そりゃあ、連れ戻せねぇよ」
ここにいた人たちは、三人が誰にも干渉されることのない、穏やかな空間にするために立ち去ったのか。
どうしてそれほど多くの者に慕われるようになったのか。三人のことを語れる者は誰もいない。
見上げるほどの花は夕日に染まり、心なしか寂しげだ。
誰もいない、というのは語弊がある。
蔓草は、白い花は、語る言葉を知らない。それでもなお、何かを伝えたかったのかもしれない。
わざわざジエダスのことを書いた小説を塔に残して、姿を消した者のように。
仲間たちからの信用を失った心を。心を深く閉ざし、失意の果てにこんな辺境の地に移り住むことを選んだ想いを。
「どうしてジエダスは、誰かの期待に応えなくなったんだろうな」
この花はその答えを知っている。と、根拠なき確信がホーカーにはあった。
しかしその答えを聞き出すことは叶わない。
蔓草は、白い花は、花蜜の苑で眠る三人を守っている。
やがて彼らが忘れ去られる日が訪れても、それは変わらないだろう。




