10その選択を後悔してるのか?
少し日が傾いてきた。
夕暮れにはまだまだ時間があるが、この調子なら入口に戻るのはちょうどいい頃合いになるだろう。
赤や黄色、大に小。カラフルで大きさも様々な花びらは、絵の具をでたらめに使って描いた道のように砂を彩る。
なんとなく花びらを踏まないよう脇を辿っていくと、弟子は迷える客人を待つように堂々と立っていた。
「……いつかはあなたが来ると思っていました」
弟子はどこか困ったような目をホーカーへ向けると、こちらへどうぞ、と静かに先を歩き出した。
ホーカーは芳香によって現実感を失った曖昧な足をふわふわと頼りなく動かし、その静かな背中の後に続く。
それほど歩かぬうちに辿り着いたのは、砂漠の静寂に溶け込むような慎ましい大きさの家。周囲には意思を持って蠢く蔓草が密集し、家を飲み込むような太い蔓が幾重にも絡みついている。
弟子が家の入口へ歩み寄ると、蔓草は器用に蠢いて飛び石のような足場を作ってみせた。
ホーカーは招かれるままに家の中へ入ると、簡素な木製の椅子に座るよう促されて腰を下ろす。
室内は使い込まれたベッドとテーブル。そしてそれほど大きくない本棚には植物関係の本が隙間なくぎっしりと詰め込まれている。
その知識は植物学者のものか、あるいは魔術に長けた者の名残か、埃に晒されることも知らずに丁寧に管理されている様子だ。
「確認させていただきますが、ホーカーさん。あなたは師匠を探しに来たんですか?」
ホーカーは頷いた。
「あなたがかつて、師匠と対等に接してくれていたことは知っています。師匠ではなくただ隣に立っていただけの僕がお迎えしたのは、申し訳なく思います」
弟子はくだけた敬語を扱いながらも、卑屈に、そして本当にすまなそうに頭を下げた。
ホーカーは慌てて頭を上げるように言う。
「今さらジエダスが塔に戻ってくるとは思ってねぇよ。ただ俺は、その理由が知りたいだけさ」
厳密には調査が任務だというわけではない。ホーカーは明確に、ジエダスを連れ戻すよう塔の任務を言い渡されてきたのだ。
もっとも、ホーカーにその気があるかは別の話。砂鳥の権限は塔の命令に背くことすら許容されている。つまりホーカーは任務を放棄しても、何も困らない。暗部や魔導士師団の顔を立ててやれるか程度の話なのだ。
「ご迷惑をかけてすみません。結論から言いますと、師匠は二度と砂塔に戻らないそうです」
「その理由は?」
弟子は力なく首をふると、膝の上で組んだ自分の指を見つめたまま、何か深く考え込むように俯いてしまった。
大方の予想はつく。ホーカーは術で霞む頭ながらも確信していることがあった。
この砂漠の下に骨を埋めたという伝説的な植物学者、彼女の影を追いながら朽ちることを望んでいるのだろう。あるいは魔導士師団という組織、ひいては砂塔の環境そのものに嫌気が差したか。特に魔導士師団は塔からほとんど外出許可が出ない。さぞ息苦しかっただろう。
明確な不満はないことになっている。重い期待に押し潰されそうだから逃げた、などというのは、一部の人間が言っている想像でしかないのだ。
弟子はテーブルの上で祈るように手を組むと、一つ一つの言葉を選んで話し始める。
「塔には友人がいます。そして、こちらには恋人がいます。師匠はどちらかを選ばなければいけませんでした。そして、かつての師匠は恋人を選びました」
直接聞いたわけではないが、ホーカーはそれを知っている。稀有なことに、小説に書いてあったから。
「人は常に選択を迫られ、一方を選んだらそれが正解だと信じて生きるしかないのです」
「お前には、ジエダスの行動はどう見えた?」
「それはさして重要ではないでしょう。それでもあえて答えるなら、がっかりしましたよ。もったいない、自分にもし同じくらいの才能があれば、そんな選択はしないのに、などと栓なきことばかり考えたものです」
弟子はまた首をふり、実際にがっかりしたような調子で言った。
「俺が連れ戻しに失敗したら、いよいよ塔は諦めるだろうな。でも俺は、実は連れ戻す気がねぇ。ただ久しぶりにあいつの顔が見たかっただけさ。ジエダスと同じだな」
ホーカーは、ジエダスは彼女を連れ戻しに行くふりをしたと考えていた。そういった口実でもなければ、そもそもこんな辺境の地に彼が訪れることすら許されなかっただろう、と。
弟子の考えは分かった。
かつては闇雲に尊敬し、期待をしていた師匠。今では、例え間違っていると感じていても尊重したい、大切な人物。
今の境地に至るまでに、弟子には弟子なりの苦悩があったのだろう。
だが弟子には師匠を説得する言葉も、強引に連れ戻す力量もなかった。
だからこんな現状に落ち着いてしまったのだ。
「あなたは自分の立場を自覚したほうがいい。砂鳥であるあなたがここを訪れることにどれほど大きな、そして残酷な意味があるか、分かっているのですか? ……なんて。そんな正論は僕には言う資格もありませんね。僕はあの日、師匠が全てを投げ打つその瞬間に、それが正しいと肯定してしまったのですから」
「その選択を、後悔してるのか?」
しかし弟子は驚いたような顔をしたあと、とても穏やかな笑みをホーカーに向けた。
「今では、愚かな自分がよくそんな英断を下せたと、そう思いますよ」
水やりをするときのジエダスのような表情をするようになったな。
ホーカーは微かに笑い返しながら、そう思った。




