二章 つまらないもの
彼が恋をした女性は、植物学者だった。
高い評価を集める有能な学者と、期待を裏切り続けた天才魔導士。二人の出会いは必然的なもので、非常に味気ないものだった。
勉強熱心な彼女は、誰も興味を持たない天才が育てるという、なんの面白味もない植物というものに強い興味を持ったのだ。
彼女もここを訪れた多くの者がそうであったように、何か不思議な香りに誘われたのだろう。
誰もが天才と謳う魔導士が、つまらないものを育てるはずがない。天才にしか理解できないような、とても重要な植物に違いない。
劇的な恋の始まりは、なにも劇的なものばかりではない。
彼女は弟子にこっそり尋ねた。
あれは魔術か魔法薬に使う材料なの?
弟子はこっそり教えてやった。
あれは彼が大事に育てる子供のようなもので、親にとって子は天才的じゃなくても素晴らしいものなのです。
人並の感性を持っているのね。ただの植物好きのおじさんじゃないの。
そう返した彼女は、次の日もそこを訪れた。
その次の日も。そのまた次の日も。
彼女が訪れるたびに、彼はすまなそうな顔をする。
どうして私がくるとそんな顔をするの? 迷惑だったら早めにそう言ってくれないと、私はしつこい女よ?
植物にばかり興味を注いできた二人。先に相手に興味を持ったのは、彼女のほうだった。
だが彼からすれば彼女も、重い期待を寄せる一人でしかなかった。
この植物たちには涙を流すようなエピソードも、笑いが止まらなくなるキノコのような効果も、官能的な香りも、あなたが期待するような使い方も存在しない。
あなたは植物学者だ。この草たちのことを理解しているだろう。それがすべてだ。
この草たちになんの秘密もないと知って、つまらないと思ったかい? ここに来た人たちの感想はみんな同じだ。みんなつまらないと言う。
彼が教えると、彼女は本当につまらなそうに鼻を鳴らした。
勝手に期待したのはあんたじゃないか。弟子は心中で憤慨した。
だが彼女は、それを決めるのはあなたじゃないでしょう。と返した。
そして怒ったように乱暴な靴音を鳴らしながら出て行ってしまう。
彼は弟子と顔を見合わせ、どちらに賭けるか自嘲気味に尋ねた。
ポンコツ弟子は、最後はみんな同じです、と答える。
彼は、それじゃあ賭けにならないじゃないか、とおどけて見せた。
(中略)
彼女は高慢なようでいて、かなり卑屈な性分だ。
そして、自分を過小する彼女にとって、周囲の尊敬は重荷でしかなかった。
彼は彼女のように卑屈な人間ではなかったが、その気持ちを理解しているつもりだった。
ポンコツに比べてどちらも天才的で、期待と尊敬を集め、それを背負わされている。
ただ一つ、弟子は二人の決定的に違うところをすぐに見つけた。
一方は諦められ、絶望され、見捨てられたことがある。つまり終わりの後を生きている。
もう一方はまだ諦められておらず、まだ絶望されておらず、見捨てられたことなどない。
彼女にとっての彼は、近い将来の自分の姿に見えたかもしれない。
では彼にとっての彼女は、まだ情熱的でひたむきだった過去の自分に見えただろうか。
(中略)
兎にも角にも、彼は彼女を驚かせてみようと、研究熱心だった頃に積み重ねたあらゆる技術と知識を揺り起こし、ただ彼女の、一瞬の感嘆を手に入れるためだけに目覚めさせた。
ポンコツ弟子も含め、周囲は思い出したように期待し、その期待は漣が津波になるが如く広まった。
だが、この狂おしいほど奇矯な行動に最も関心を持たなかったのは、皮肉なことに彼女その人だった。
彼女に言わせれば実験とは万の試みであり、成果は万のうちの一つのみ。失敗が前提の実験に生まれる、一つの奇跡。
幾万の試みで生まれる一つまみの奇跡の中に、ようやく自分が望む成果というものが生まれる。
対して彼は必ず成果を上げる天才だ。ほとんど努力せずに望むものが得られると言っても言い過ぎではない。
多くの学者や魔導士は彼に嫉妬しない。彼が目の前にいること自体が、至高の魔術書を拝むかのような幸福感さえ覚える。
成果を上げなくなった彼を見て、絶望するなというほうが酷な話だ。
ジョウロを持って水やりをし、ただにこにこしている場合ではない。
弟子はそんな小言をよく口にした。が、彼が変わることはなかった。
弟子や周囲と彼女が圧倒的に違ったところは、彼女が成果を急がないところ。
彼女は彼に関心を持っているが、実は彼のおこなう実験には関心がない。彼の育てる植物に関心を持ったのは、出会ったばかりの頃だけだった。
ではなぜ周囲と同じように見捨てたりしなかったのか。
そう。植物学者がその生涯で唯一、植物以外に大きな関心を持ったのだ。
では彼女が望む成果とは、どのようなものなのだろうか。




