1-96 同じ盤面、異なる手札
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
灰と血の匂いが立ち込める箕作城の本丸。無言で踵を返し、自陣へと戻っていく明智十兵衛光秀の背中を、僕は静かに見送っていた。
彼の背中には、己の完璧な軍略を盤外からの奇策によって泥塗れにされた、どす黒い怨念のようなものが張り付いているように見えた。
でも、僕は光秀をただの「頭の固いエリート」だと見下すつもりは毛頭なかった。むしろ逆だ。薄ら寒いほどの戦慄すら覚えている。
なぜなら、この箕作城攻めにおいて、光秀が頭の中に描いていた「本来のシナリオ」は、僕が実行した裏工作と、根本的には全く同じ構造だったからだ。
光秀が最初に坂井と森の部隊に無理な力攻めを命じたのは、単なる無策ではない。あれは意図的に「偽り負け」を演じさせ、血の気に逸った城兵を城外へおびき出すための高度な罠だった。
光秀の描いた本来の計略は、敵が勝ちに乗って城外へ突出した瞬間を見計らい、味方の軍勢の中に紛れ込ませておいた「工作員」を、混乱に乗じて敵兵の中に交じらせる。そして敵が城内へ引き揚げる際、しれっとトロイの木馬のごとく内側へと入り込ませる。
その後、外から大軍で急激に攻め寄せ、敵の意識が城門に釘付けになった隙を突き、潜伏した工作員たちが内側から火を放ち、主将を暗殺して城戸を開け放つ――。
見事な作戦だ。僕が蜂須賀小六たちを使ってやったことと、戦術的な狙いは完全に一致している。
しかし、光秀の完璧な脳内シミュレーションは、現実の物理的な制約の前に頓挫した。光秀は織田家に仕官したばかりの「新参者」である。己の命を投げ出してでも極秘任務を遂行してくれるような、腹心の部下が絶対的に少なかった。
この日、光秀の命を受けて敵兵に紛れ込み、城中へ潜入しようと試みたのは、彼の従弟である明智弥平次、同次郎、奥田、三宅といった、わずか4人のみだったという。
たった4人で、殺気立つ敵の牙城で工作を行うのはあまりにもリスクが高い。彼らは正体が見顕わされることを恐れ、卒急に手を下すことができず、暗がりで息を潜めたまま完全に機を逸してしまった。
一方、僕の「手札」は違った。実行犯は小六を筆頭とする川並衆。忍びの達人であり、汚れ仕事に長けた30人。そして何より、僕には未来の「収集癖」がもたらした、最強の偽装工作があった。
――時は遡ること8年前、永禄3年。
織田と今川が激突した、あの「桶狭間の合戦」。当時、六角家は織田家を支援するため、大量の具足(鎧)、武具、そして自軍の印が入った袖印を僕へと貸し与えていた。義元が討たれ、今川軍が総崩れとなった後も際、僕はそれらの装備品を、六角へ返却することなく、密かに蔵に貯め込んでいた。
「いつか、六角と戦う日が来る。その時、この装備は必ず役に立つ」
未来の歴史知識を持つ僕は、8年間ものあいだ入念に手入れをし、温存し続けてきた。そして今日、小六たちはその「六角家の正規の具足と袖印」を身に纏い、完全に近江兵の顔をして堂々と城内に潜り込んだ。暗闇と混乱の中で、城兵たちが彼らを敵だと見分けることなど、物理的に不可能だ。
盤面を読む力は互角。だが、手持ちの駒と、未来の歴史知識を知っているからこその泥臭い準備の差が、箕作城一番乗りという結果を僕にもたらした。ただそれだけのことだ。
生き残るためなら、遠慮なく借りパクだってする。それが、木下藤吉郎という男の「臨機応変の才智」の正体だ。
「見事だ、藤吉郎! そして十兵衛も大儀であった!」
箕作城が落ちた直後、菩提院に敷かれた信長の本陣は、異様なほどの熱気と高揚感に包まれていた。近江の覇者・六角承禎が「絶対に落ちない」と豪語していた和田山と箕作の二城が、わずか半日の内に跡形もなく粉砕されたのだ。織田軍の士気は天を突き抜けんばかりに高まり、諸将の顔には血に飢えた獣のような獰猛な笑みが浮かんでいる。
「信長様! 我が軍勢の勢いはまさに破竹の如し! この余勢を駆って、直ちに六角の本城・観音寺城へ攻め込みましょうぞ!」
「応!六角承禎の首を刎ね、京への道を我らの血で染め上げてご覧に入れよう!」
柴田勝家や丹羽長秀といった重臣たちが、次々と即時開戦を主張する。評定の空気は「徹底殲滅」へと完全に傾いていた。
床几に腰掛けた信長様もまた、爛々と輝く猛禽のような双眸で、観音寺城の方角を睨み据えている。
(……まずいな。完全に脳内麻薬がドバドバ出てる状態だ)
僕は陣の末席で、密かに舌打ちをした。たしかに今の織田軍は無敵状態だが、観音寺城は日本の城郭史上でも屈指の規模を誇る巨大な山城である。いかに勢いがあろうと、まともに力攻めをすればこちらの出血も計り知れない。京に入る前に自軍のリソースを削り切るなど、戦略のセオリーから外れた愚行だ。
「――恐れながら、信長様」
僕は静かに、だが戦場の熱気を冷や水をぶっかけるような平坦な声で進み出た。諸将の不満げな視線が一斉に僕に突き刺さるが、気にする素振りも見せずに信長の前へと平伏する。
「直ちに兵を動かすのは、下策かと存じます。ここは一つ、観音寺城へ使節を立て、六角承禎父子に『降参』を勧めるべきです」
「なんだと? 猿、貴様、戦う前に敵を逃がすつもりか!」
勝家が怒鳴るが、僕はそれを手で制し、信長の目だけを真っ直ぐに見返した。
「逃がすのではありません。戦わずして『折る』のです。……信長様、想像してください。絶対の自信を持っていた左右の盾、和田山と箕作を、わずか半日で粉々に打ち砕かれた男の心理状態を」
僕は冷徹な事実だけを並べ立てた。
「今の承禎は、恐怖と混乱で思考が完全に麻痺しているはず。そこへ、血まみれの刃ではなく、極めて寛大な『降伏勧告』を提示するのです。『大人しく城を明け渡せば、所領は保証してやる』と。……極限の絶望の中に落とされた甘い蜘蛛の糸。判断力を失った人間は、必ずそれに縋りつき、結果として自壊します」
無駄な兵力は一兵たりとも使わない。敵の精神をハックし、盤面から自主的に退場させる。これこそが、未来社会の企業間戦争で使われる「M&A」の極意だ。
信長はしばらく黙考していたが、やがてフッと口角を歪め、低く凄みのある声で命じた。
「……面白い。猿、貴様の計略で使者を立てよ。承禎の心がどう壊れるか、見物させてもらおう」
僕の読みは、残酷なまでに的中した。その頃、観音寺城の本丸。近江守護の血を引く名門・六角承禎入道は、もはや武将としての矜持を完全に喪失し、無様な姿で震え上がっていた。
「ば、馬鹿な……! 箕作が落ちた? 和田山もだと? わずか半日で……あの大軍を前に、我が城が……!」
玉座にへたり込む承禎の顔は土気色に染まり、歯の根が合わずにガチガチと音を立てている。「天下の堅城」という前提が崩れ去った瞬間、彼の中の戦術的思考は完全に周章狼狽してしまった。いかにして防衛線を再構築するか、どこへ兵を回すかといった合理的な評議は一切行われず、ただただ広間には絶望と混乱の悲鳴が飛び交っていた。そこへ、織田家からの使者が到着したのである。
「――織田上総介信長が名代、罷り越しました。六角殿におかれましては、直ちに矛を収め、降参の意を示されるのであれば、これまでの所領はすべて安堵たるべき旨、お伝え申し上げる」
使者は一歩も引かず、極めて事務的に、理を尽くして降伏の条件を申し述べた。普通に考えれば、これは渡りに船である。名より実を取り、家を存続させるための最大のチャンスだ。
だが、極度の恐怖状態にある人間に、まともな論理は通じない。「織田の罠ではないか」「いや、ここで降伏すれば名門の恥だ」「しかし戦えば皆殺しにされる」――矛盾する膨大な情報処理に脳が耐えきれなくなり、承禎はついに、大将として最もやってはならない「決断先送り」を引き起こした。
「ま、待て……!すぐには決められん! 跡より、追って返答に及ぶべし!使者は下がれェッ!」
金切り声で使者を追い返した承禎は、その後、建設的な戦略を一つも打ち出すことはなかった。名門の当主としてのプライドは完全に砕け散り、彼の中を支配したのは「死への絶対的な恐怖」ただ一つ。
――その日の夜。
月が雲に隠れた漆黒の闇の中、観音寺城の裏門から、コソコソと逃げ出す一団の姿があった。六角承禎とその父子である。彼らは鎧を着ることもなく、調度品や金銀財宝をそこそこに持たせ、妻子や一族郎党だけを引き連れて、甲賀方面にある支城・石部城へと逃亡を図ったのである。
最後まで付き従った家臣たちすら置き去りにした、大将の夜逃げ。近江にとどまらず畿内一円に君臨した名門・六角氏の最後としては、あまりにも見苦しく、そして滑稽な最後だった。
翌朝。陽光が差し込む中、僕たち織田軍の先鋒が観音寺城の大手門をくぐった時、そこに抵抗する者は一人としていなかった。主将に逃げ出された城兵たちは、夜の内に散り散りになって逃亡するか、武器を捨てて完全に平伏していた。一滴の血を流すこともなく、巨大な要塞は僕たちの手の中に落ちた。
「……終わったな」
誰もいなくなった観音寺城の豪奢な大広間。僕は床に散らばった金屏風や、慌てて荷造りをした形跡のある散乱した書状を踏み越えながら、冷たい声で呟いた。
これが、戦国のリアルだ。剣を交えて華々しく散るだけが戦いではない。心を折り、誇りをへし折り、人間の尊厳を根こそぎ奪い取って盤面から引きずり降ろす。僕が放った「合理的な使者」は、六角承禎という男の精神を内側から食い破り、その歴史的価値を完全に終わらせたのだ。
広間の縁側に立つと、眼下には琵琶湖の青い水面が広がり、その向こうには京の都へと続く道が、どこまでも真っ直ぐに伸びていた。
胸の奥で、あの日見た日輪の熱が、静かに、だが圧倒的な質量を持って脈打っている。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
六角承禎観音寺の城を退去
箕作の城攻め(しろぜめ)、光秀が謀は、城兵をおびき出し、偽り負けてよき圖に引附け、大軍一度に攻め登るときは、敵周章てて引退くべし。そのとき物馴れたる勇士を敵兵に交ヘ城中ヘ入れ置き、續いて急に攻寄するに、城中より火を放ち、或は主將を切り殺し、城戸を開かせ、攻入るべき方便なり。然れども新參と云ひ、腹心の郎等も少なく、このとき城中ヘ紛れ入りしは、従弟明智彌平次、同次郎、奥田、三宅ら四人のみにて、しかも見顯はされんことを恐れて、卒急に手を下し得ず。藤吉郎も光秀と謀略は同じけれども、兵士は小六黨の強盗にて、忍びの達人三十餘人、その上去ぬる永祿三年、織田、今川桶狭間の合戰のとき、佐々木家より借り請けし具足、武具、袖印までを貯ヘ、敵兵に紛れ城中に入れ置きければ、見分くること能はず、終に藤吉が手に落城す。これ木下が臨機應變の才智なり。信長卿は木下が計略にて、和田山、箕作兩城を半日の内に攻落し、その勢破竹のごとく、直に観音寺の本城を攻めらるべしと、評定まちまちなりけるが、木下藤吉郎が計らひにて、観音寺の城ヘ使節を立て、承禎父子に降參を勸む。さても佐々木承禎入道は、和田山、箕作ただ一時に落城ければ大に驚き、恐怖周章大方ならず、いかがはせんと評議の最中、織田家より使者到着せしかば、呼び入れてその口上を聞くに、降參せば所領安堵たるべき條、理を盡して申し述ぶる。承禎卒に思慮すること能はず、「跡より返答に及ぶべし」とて、使者を返し、取り定めたる思案もなく、周章て狼狽ヘ、調度財寶そこそこに持たせ、妻子一族引き連れて、夜中に石部の城ヘ落行きしは、見苦しかりける有様なり。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
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絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜 投稿31日目UU累計5,000人達成!御礼投稿 6/10話 〜
ランキング露出が無いのに、昔からの愛読者様にはご覧頂けて順調にUUが右肩上がりの1ヶ月を過ごす事ができました。本当にありがとうございます。心からの感謝を込めて少しですがまとめて投稿させて頂きます。是非お時間のある時にお楽しみ下さい。




