1-90 旧き定石と、新たな破壊
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
黄金の魔王軍48,000が、近江の青空の下、六角の命運を断ち切るための最初の決戦の地へ向けて、怒涛の勢いで突き進んでいく。
だが、その強大な暴力をいかにして振るうか。そこには、軍を率いる将たちの間で激しい論争があった。
「……まずは本城である観音寺城を叩くのが筋であろう!」
軍議の席で、猛将・柴田勝家が声を荒げた。隣に座る佐久間信盛も、それに深く同調する。
「左様。和田山、箕作の両城はいわば『枝城』であり、観音寺城こそが『根城』にござる。根を切らずして、枝を枯らそうとするのは覚束ない。まず本城を攻め落とせば、残りの枝城など攻めずとも自ずと崩れ去りましょう!」
彼らの意見は、戦国における旧来の「正攻法」である。敵の大将首を最初に討ち取れば、その他の部隊は戦意を喪失する。至極真っ当な理屈だ。だが、僕は布陣図を睨みつけながら、彼らの定石に対して冷や水を浴びせるような反論を口にした。
「勝家殿、佐久間殿。それは盤面を平面的にしか見ていない者の理屈です。……和田山と箕作は、単なる枝ではありません。六角家の『咽首』なのです」
僕は立ち上がり、布陣図の観音寺城と、その両翼に配置された和田山、箕作の三点を指で結んだ。
「この三つの城は『鼎の三足』として、互いに完璧な連携を組んでいます。もし我々が本城である観音寺城に攻めかかれば、和田山と箕作から即座に大軍が背後を突き、我々は進退の自由を完全に奪われます。抑えの兵を置いたところで、本城の攻防は泥沼化するでしょう。……だからこそ、この強固なネットワークを崩すには、あえて『枝』と見える咽首を先に噛み切らなければならないのです!」
僕の言葉に、柴田たちは「農民上がりが何を言うか」と苦虫を噛み潰したような顔をした。信長は床几に深く腰掛けたまま、両者の意見を聞き、静かに目を閉じていた。心中でいまだ決断を下していないように見える。
「……十兵衛。其方はどう見る」
不意に、信長が声をかけた。視線の先には、軍議の末席で静かに目を閉じ、これまで一言も発していなかったあの男――明智光秀がいた。
明智光秀。越前を退去し、織田の軍門に降ったばかりのこの新参者は、ゆっくりと目を開き、洗練された所作で信長に向かって平伏した。
「新参の某が、旧臣の方々の評定に異論を挟むいわれはございません。……しかし、信長様の御尋ねとあらば、申し上げないのは不忠というもの」
光秀の声は静かで、冷たく澄んでいた。だが、その言葉には、百戦錬磨の老臣たちを真っ向から切り捨てるほどの圧倒的な知性が込められていた。
「今回の戦については、木下殿のお考えが最も理にかなっていると存じます」
「……何?」
柴田勝家が眉をひそめる。僕も、わずかに目を見開いた。光秀は、僕の立てた作戦を完全に肯定したのだ。
「その理由は、木下殿が申された通り。もし観音寺城へ向かえば、和田山と箕作からの挟撃に遭い、本城の戦いは決してはかばかしい結果にはなりますまい。……ですが、逆に我らが和田山と箕作を攻めた場合、どうなるか」
光秀は、底知れぬ深淵のような瞳で、布陣図を見下ろした。
「観音寺城から、助勢の軍勢は『決して』出てきません」
「なんだと? 味方の砦が見殺しにされるというのか!」
「ええ。なぜなら、観音寺城は『大将の本城』だからです。六角承禎という男は、己の保身を第一に考える小心者。自分の城を空にしてまで、徒に打って出るような真似は決してしません」
――相手の心理を完全に分析し、その弱点をシステムとして利用する。光秀の言葉は、冷徹な真理を突いていた。
六角承禎という男の「保身」こそが、あの強固なネットワーク最大の穴なのだ。だからこそ、大将のいる本城を放置し、手薄になる両翼の砦を圧倒的な火力で一気に粉砕する。それこそが、この盤面をひっくり返す唯一の最適解である。
「ですから、藤吉郎殿の策こそ、近江を一気に平定するための最善の方法でしょう。私も実に見事な策だと感心いたしました。今は一刻も早く、和田山と箕作へ軍を進めるべきかと存じます」
光秀が詳しく言上し終えると、軍議の場は水を打ったように静まり返った。僕の直感的な「喉首」という表現を、光秀が冷徹な心理分析で完全に裏付けたのだ。完璧なプレゼンテーションだった。
あの毛利元就が「外寛内急の眠れる狼」と恐れた才能の片鱗。それが今、織田の軍議という舞台で、初めてその鋭い牙を覗かせた瞬間だった。
「……面白い」
沈黙を破ったのは、信長の低く、獰猛な笑い声だった。
「藤吉郎の猿知恵と、十兵衛の理屈。見事に合致したな。……よし、衆議は一決した!」
信長は立ち上がり、軍配を力強く振り下ろした。
「明朝未明! 目標は観音寺城にあらず! 和田山、箕作の両砦を、我が48,000の全軍をもって一挙に踏み潰す!!」
「「「ははっ!!」」」
諸将の力強い咆哮が、秋の夜空に響き渡る。僕と光秀。出自も思想も違う二つの異能が、歴史の舞台で初めて完全にシンクロした夜だった。
だが、僕の胸の奥では、日輪の熱が警告のようにチリチリと鳴り続けている。
彼のその恐ろしいまでの合理性は、いつか必ず、僕たち自身にも刃を向けるだろうという予感を抱えながら。
軍議が終わり、それぞれの陣屋へと戻る道すがら。僕は、前を歩く光秀の背中に向かって声をかけた。
「明智殿。先ほどは、見事な助け舟ありがとうございました。おかげで勝家殿たちを黙らせることができた」
「助け舟などではありません。私はただ、この盤面における最も合理的な最適解を口にしただけです」
光秀は振り返らず、淡々とした声で答えた。
「木下殿。貴方のその『勘』と『泥臭さ』は、時にいかなる兵法書をも凌駕する。ですが、それだけでは天下という巨大なシステムは回せません。……私と貴方が両輪となって初めて、信長様の覇道は完成する」
その言葉は、協力の申し出であると同時に、僕に対する痛烈なマウントでもあった。『お前の勘を、私の知性で補完してやる』と。
「……ふん。言うじゃないか」
僕は小さく鼻で笑い、自分の陣屋へと戻った。負けてはいられない。この上洛戦は、単なる六角との戦いではない。織田家中における、僕と光秀――「猿」と「狼」の、生き残りを懸けた熾烈な出世レースの始まりでもある。
そして翌朝。空が白む未明。48,000の黄金の魔王軍は、信長の号令のもと、凄まじい地鳴りを響かせながら、六角軍の「喉首」である和田山と箕作の砦へと向けて、一斉に進撃を開始した。
天下の命運を決する、最初の巨大な炎。戦国という途方もない時代を駆け抜ける木下藤吉郎の物語は、もはや誰にも止められない速度で、歴史の特異点へと突入していく。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
信長大軍三好を討つ
さても信長卿は佐々木防禦の備へを御覽じ、諸將を召され、軍の評定あられけるに、木下藤吉進み出で、「和田山、箕作の両城は、佐々木家の咽首にして、頼みとする所なり。この両城陥りなば、江州平治せんこと掌を指すがごとし」。柴田、佐久間らこれを拒んで、「和田山、箕作は枝城にて、観音寺は根城なり。根を切らずして、枝を枯らしめんこと覺束なし。まづ本城を攻落さなば、その餘の城々は攻めずして落著すべし」。信長心中いまだ決せず、光秀を召して計を尋ね給ふ。光秀は最前より軍の評定、口を閉ぢて聞き居たるに、このとき言葉を發し申しけるは、「新參の某、舊臣の評定を異論すべき謂れなしといへども、御尋ねの上は申し上げざるも不忠なり。このたびの合戰、木下殿の手段、甚だ尤もに候なり。その故は、観音寺へ向ひ攻め給はば、和田山、箕作の両城より首尾相討ち、進退を自由させじと構へたりし砦なれば、たとへ押への勢を以て防ぎ給ふとも、本城の合戰はかばかばしきことあるまじ。和田山、箕作を攻め討ち給ふとき、観音寺の城より、助勢決して出ることあるまじく候。これ大將の本城なる故に、狙りに出でて戰に及ばず。されば藤吉の計議、江州たちまち平治すべき要論にして、甚だ感心に堪へず候。はやく和田山、箕作を攻めかかり給はんこと肝要なり」と詳しく言上しければ、衆議ここに一決して、明朝未明に攻めかかるべしとて、その用意さまざまなり。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
https://share.google/AxQqE2xRgf0LcmxAN
絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
戦国時代最大の謎とも言われる「本能寺の変」については、現在50以上の説が存在するそうです。謀反を起こした理由とは果たして何か。色々研究や検証がされており、想像するコト自体が歴史の愉しみだと思いますが、理由は永遠に解らない筈です。
「心しらぬ 人は何とも 言はばいへ 身をも惜まじ 名をも惜まじ」
これは光秀の辞世の句ですが、光秀ご本人が「理由は言わない」とおっしゃってるので。強いて言えば、誰かを庇ってるのか⋯絶対人には言えない理由なのかな。




