1-89 魔王と狼の邂逅
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
戦国という途方もない時代に転生した一人の男の物語は、数々の陰謀と死線を乗り越え、ついに天下の命運を決する「上洛戦」の業火の中へと、真っ直ぐに突入していく。
――だが、その果てしなく続く軍列の中で馬に揺られながら、僕は数日前に起きた「ある男」との密室での面会を思い出し、ふと背筋に冷たいものを感じていた。
僕が遠藤喜右衛門の暗殺計画を未然に防ぎ、信長が恙なく美濃の岐阜城へと帰還した直後のことである。
いよいよ上洛の準備が佳境に入る中、一人の男が僕の屋敷を密かに訪ねてきた。越前を退去し、将軍・足利義昭公を奉じて美濃へやってきたあの浪人――明智十兵衛光秀だ。
「木下殿。私を、織田家に仕官できるよう、信長様にお取り次ぎ願いたい」
光秀は、端正な顔立ちに静かな笑みを浮かべ、深く頭を下げた。僕は上座から光秀を見下ろし、じっとその姿を観察していた。
確かに、彼の度量は群を抜いている。教養、武芸、そして時代を読む戦略的な視点。どこに出しても恥ずかしくない、第一級の英雄だ。
だが、僕の前世の記憶が警鐘を鳴らすまでもなく、実際に一対一で相対した光秀の顔には、隠しきれない「あるもの」が張り付いていた。
(……殺気だ)
穏やかな微笑みの裏側に、研ぎ澄まされた刃のような冷たい殺気が満ちている。かつて毛利元就が「外寛内急」と見抜き、眠れる狼だと評したその危うさ。僕の目から見ても、光秀の面差しには、いつか必ず主を噛み殺す「反逆の相貌」がはっきりと表れていた。
(こんな危険な男、織田家の中枢に入れるべきじゃない。適当な理由をつけて追い払うか……?)
僕は一瞬、本気でそう思案した。本能寺の変という最悪の未来を未然に防ぐためには、ここで光秀を歴史の表舞台から消し去るのが一番手っ取り早い。でも、現実はそう単純じゃない。
光秀は、流浪の将軍である足利義昭を織田家へと結びつけた最大の功労者だ。足利義昭の強い推挙もあり、何より信長自身が「あの明智という男に会ってみたい」と強く望んでいる。
ここで僕が独断で光秀を追い返せば、足利義昭の機嫌を損ね、上洛の大義名分にヒビが入る。歴史の巨大なうねりは、一人の転生者の小手先の細工を許してはくれない。
「……承知いたしました、明智殿。信長様にお引き合わせしましょう」
僕は腹を括り、努めて愛想の良い笑みを浮かべて頷いた。後患は恐ろしい。だが、今は毒を食らってでも、上洛という目前の巨大な壁を越えなければならない。
数日後、岐阜城の謁見の間。信長は、僕の引き合わせによって進み出た明智光秀を、興味深そうに見下ろしていた。
「貴様が、明智十兵衛か」
「はっ。こうしてお目にかかることができ、生涯の誉れでございます」
光秀は、ただ者ではない風格をまとっていた。整った顔立ちに、落ち着いた立ち居振る舞い。そして、どこか知性を感じさせる雰囲気がある。
農民出身の僕や、荒々しい尾張武者たちの中に立つと、その存在感はひときわ際立っていた。信長も、一目見ただけで光秀の器量を見抜いたのだろう。
「いい面構えだ。十兵衛、今度の上洛戦では三好討伐の先鋒に加われ」
それは、まだ仕官したばかりの浪人に与えるには、あまりにも破格の抜擢だった。光秀は深々と頭を下げ、感激した様子で答えた。
「ははっ!この命に代えましても、必ずご期待にお応えいたします!」
信長と光秀。二人の天才が、ついに直接交わった瞬間だった。僕はその光景を末席から見つめながら、静かに息を吐いた。賽は投げられた。もう後戻りはできない。彼が狼であるならば、その牙がこちらに向く前に、天下のすべてを平定してしまうほかない。
そして時は進み、永禄11年(1568年)の秋、9月。ついに信長様の上洛の軍が、岐阜城から出陣の時を迎えた。上洛への道を阻む最初の壁は、僕たちの味方になることを拒んだ近江の国主・六角入道承禎だ。
信長は「六角入道承禎を征伐し、直ちに京都へ攻め上るべし」と宣言し、かつてない規模の大動員を下した。
動員されたのは、美濃、尾張、三河、そして僕たちが調略で従わせた伊勢の軍兵たち。その数、すべて合わせて48,000騎。街道を埋め尽くすその軍列は、まさに圧巻の一言だった。
色とりどりの旗指物が秋の高く澄んだ一天を覆い隠し、林立する槍や刀の切先が雲を突くかのように煌めいている。兵の士気は異常なまでに高く、馬は嘶き、48,000という途方もない数が整然と陣形を乱すことなく進んでいく。
先陣がすでに近江国の平尾に到達しているというのに、後陣はまだ美濃の垂井や赤坂で支えているという、とてつもない長蛇の列だ。未来で見たどんな映画のCGよりも凄まじい、リアルな暴力のうねり。これぞ、天下布武を掲げる織田家の真の力だった。
だが、迎え撃つ六角承禎も、決して無策で待っていたわけではない。将軍・足利義昭の暗殺を企て、三好・松永と結託していた六角承禎と、その息子である右衛門佐義弼。彼らは織田の超大軍を防ぐため、近江の地形を知り尽くした、緻密で堅固な防衛線を構築していた。
僕は陣中の馬上で、草の者たちが命懸けで持ち帰ってきた六角方の「布陣図」を開き、思わず舌を巻いた。
「……さすが。これは一筋縄ではいかない」
六角承禎自身は、本城である観音寺城に立て籠もっている。でも六角承禎は、本城を守るための要害として、新たに和田山と箕作に強固な砦を築き上げていた。本城とこの二つの砦が、互いにカバーし合う「鼎の三足」を形成している。兵の配置も隙がない。
和田山砦:吉田出雲守率いる3,000騎。
箕作砦:山中山城守率いる3,000騎。
さらに、近江一帯に点在する支城群にも、名だたる国人衆がびっしりと配置されている。
日野城:蒲生下野守……800騎。
守山城:種村大蔵大輔……1,000騎。
水口城:遠藤山城守……1,500騎。
石部城:伊庭出羽守……1,000騎。
草津城:馬淵治部大輔……700騎。
長光寺城:上坂兵庫助……1,000騎。
そのほか、宇佐山、堅田、大溝など、防衛拠点はすべて合わせて18ヶ所。それぞれが天険の要害に立て籠もり、防御の備えは厳重を極めている。
「一つ一つの城を力攻めにしていたら、48,000という大軍を持ってしても、上洛する前に年が明けるぞ……」
僕は布陣図を睨みつけながら、六角軍の意図を正確に読み取っていた。彼らの狙いは「持久戦」だ。強固な防衛網で織田軍の足を止め、兵站が尽きるか、背後の大名が裏切るのを待つ。戦国における絶対の定石である。
いかに織田軍の士気が高くとも、この18ヶ所に及ぶ鉄壁の要塞群を容易く平定できるとは、誰の目にも見えなかった。
「藤吉郎!」
軍列の先頭から、信長の鋭い声が飛んできた。僕はハッと顔を上げ、急ぎ馬を走らせて信長の御前へと進み出た。
「はっ! ここにおります!」
「六角の備え、見たか」
「はい。観音寺城を中心に、見事な防衛網を敷いております。まともに相手をしては、いたずらに時と兵を削られるだけかと」
信長は、遠くそびえる箕作の山容を冷たい目で見据えた。
「その通りだ。奴らは我らが定石通り、外堀から一つずつ城を落としてくると踏んでおる」
信長の口角が、獰猛に吊り上がる。それは、桶狭間の時にも、稲葉山城の時にも見た、常識を根底から破壊する時の魔王の顔だった。
「ならば、奴らの想像の斜め上を行くまでよ。……藤吉郎。あの鼎の三足、最も固い結び目を一撃でへし折るぞ」
「御意に!」
僕の胸の奥で、日輪が歓喜に震えた。
相手がどれほどの鉄壁を築こうとも、僕たちにはそれを打ち砕く「力」と「狂気」がある。48,000の黄金の魔王軍は、近江の青空の下、六角氏の命運を断ち切るための最初の決戦の地へ向けて、怒涛の勢いで突き進んでいく。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
明智光秀信長に謁す
さても信長卿は、木下が謀計にて恙なく歸國ましまし、上洛の用意しきりなり。さるほどに明智十兵衛光秀越前を退去し、木下藤吉郎によりて織田に仕へんことを需む。藤吉對面して光秀を考ふるに、度量衆に秀でし英雄なれども、殺氣面に顯はれ、反逆の相貌あれば、後患を恐れ、とやせんまじ、かくあらセじと思慮しければ、かねがね光秀がことは足利義昭公を織田へ進め、動座なし奉り、就中義昭公の吹舉を以て、信長も光秀を見んことを願ふときなりければ、已むことなく言上に及びけるに、信長急ぎ光秀を召し出し、その骨柄尋常ならず、秀麗たる威風あるを悅び、「今度の上洛三好誅伐の先手に加ふべし」と、甚だ氣色よろしかりければ、光秀恩を謝して欣びけり。さても永祿十一年秋九月、信長上洛の出陣ありて、まづ江州六角承禎御味方に參らざれば、これを征伐ありて、直に京都へ攻上るべしと定め給ひ、美濃、尾張、三河、伊勢の軍兵を都て四萬八千餘騎、旗旗一天を覆ひ、槍刀雲を突き、人盛に馬強く、整々として備えを亂さず、先陣すでに江州平尾に至りければ、後陣はいまだ濃州垂井、赤坂に支へたり。このとき佐々木六角入道承禎、同苗右衛門佐義弼、三好、松永に與ければ、織田勢を防がんと、その身は觀音寺の本城に楯籠り、和田山、箕作の要害に砦を築き、本城と鼎の三足に比し、相助けて長蛇の勢をなさんと、吉田出雲守の三千餘騎、和田山を守らせ、山中山城守同三千騎、箕作に楯籠り、そのほか日野の城には蒲生下野守八百餘騎、守山の城には種村大藏大輔一千餘騎、水口の城には遠藤山城守一千五百人、石部の城にも伊庭出羽守一千餘騎、草津の城には馬淵治部大輔七百餘騎、長光寺の城には上坂兵庫助一千餘騎、そのほか宇佐山、堅田、大溝の城々、都て十八箇所、おのおの要害に楯籠り、防禦の備へ嚴重なりければ、いかに大軍を以て攻め来るとも、容易く平定すべしとは見えざりけり。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
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絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
ネタ探しでググってたところ、興味深かったのが本話の「近江」についてですが、滋賀県では「近江屋研究プロジェクト」という調査が行われており「近江屋が全国に多い」という現象が研究対象になってました。…なんかマニアックw
屋号「近江屋」を持つ企業や店舗を調査
公益財団法人 びわ湖芸術文化財団
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