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新訳 太閤記 ~ 転生 豊臣秀吉、未来を識る僕は史実の道を静かに歩む 〜  作者: 条文小説


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1-81 傀儡の都と、血塗られた粛清

挿絵(By みてみん)


 『太閤記(たいこうき)』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。

 『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本(よみほん)。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia

 日輪の熱は、もはや誰にも止められない業火となって、この身を焦がし始めていた。


 ――しかし、僕たちが「上洛」という天下の盤面(ゲーム)に本格的に介入するためには、まだ最後の大義名分(ピース)が欠けていた。


 将軍を弑逆(しいぎゃく)した三好三人衆(日向守長縁、下野守政安、岩成主税好通)と松永弾正久秀を討つ。それは立派な理由だ。でも、それだけでは「織田が新たな権力を簒奪(さんだつ)しにきた」と見なされかねない。


 僕たちには、京の都へ堂々と進軍するための「神輿(みこし)」が必要だった。そして、その神輿は今、凄惨な血の粛清を逃れ、歴史の闇の中を必死に彷徨(さまよ)っていた。


 足利義輝を暗殺した三好三人衆(日向守長縁、下野守政安、岩成主税好通)と松永弾正は、間髪を入れずに次の一手を打った。松永弾正らは阿波に避難していた足利 義栄(よしひで)という人物を強引に京都へ迎え入れ、朝廷に圧力をかけて新たな征夷大将軍に任命させたのである。


 完全に自分たちの言いなりになる傀儡(あやつりにんぎょう)の将軍。それを据え置くことで、松永弾正らの逆臣たちは我が物顔で天下の政務を執り行い始めた。もちろん、彼らは決して安心していなかった。


 旧将軍・足利義輝の血筋が残っている限り、必ず自分たちを討伐しようとする反乱の芽になる。そう考えた松永弾正らは、足利義輝の弟たちを次々と暗殺し始めた。


 鹿苑寺(ろくおんじ)にいた弟君は謀り殺され、その他の血縁者たちもことごとく弑逆された。


 残るは、ただ一人。奈良の一乗院(いちじょういん)で門主を務めていた、覚慶(かくけい)という名の仏門に入った足利義輝の弟君だけであった。この覚慶こそが、のちに室町幕府最後の将軍・足利義昭(よしあき)となる人物である。


「……三好(三人衆:日向守長縁、下野守政安、岩成主税好通)も松永弾正も、徹底しているな」


 岐阜城で報告を受けた僕は、戦国大名の残酷な論理(ロジック)に舌を巻いた。生かしておけば必ず禍根になる。だから根絶やしにする。非道ではあるが、権力を維持するための手段としては極めて合理的だ。


 覚慶の命が狙われている。その危機に直面し、最も深く嘆き悲しんだのは、足利家に絶対の忠誠を誓う幕臣・細川藤孝(ほそかわふじたか)だ。


 細川藤孝は、武力で三好三人衆(日向守長縁、下野守政安、岩成主税好通)・松永弾正の軍勢に対抗することは不可能だと悟っていた。そこで彼が頼ったのは、剣や槍ではなく、目に見えない絶対的な権威――「信仰(オカルト)」の力だ。


 細川藤孝は密かに摂津の石山本願寺へと赴き、絶対的な影響力を持つ宗主・顕如(けんにょ)上人に面会した。


「上人様!三好(三人衆:日向守長縁、下野守政安、岩成主税好通)と松永弾正は主君を弑し、連枝を尽く害しました。残るは一乗院の覚慶様ただ御一人。しかし、今まさに南都へ軍勢を向け、討ち果たそうとしております!」


 細川藤孝は血の涙を流しながら、畳に額を擦りつけて懇願したという。


「三好(三人衆:日向守長縁、下野守政安、岩成主税好通)は、本願寺の熱心な信徒であると伺っております。どうか上人様の大慈悲をもって、三好(三人衆:日向守長縁、下野守政安、岩成主税好通)の徒に道理を示し、覚慶様の助命を説いてはいただけないでしょうか! 悪事を転じて善事となすこと、これ以上の善根はございません!」


 この時代、宗教勢力のトップ(インフルエンサー)が持つ発言力は、現代人の想像を絶するものがある。藤孝の必死の懇願に心を打たれた顕如上人は、すぐさま三好三人衆(日向守長縁、下野守政安、岩成主税好通)の元へ使僧を遣わし、覚慶への手出しを禁じるよう強く説き伏せた。


 するとどうだろう。将軍を平気で殺すほどの冷酷な逆臣であった三好三人衆(日向守長縁、下野守政安、岩成主税好通)が、上人の教化にあっさりと先非を悔いた。


「上人様の仰る通りでございます。覚慶様には、毛頭害心はございません」と、わざわざ誓紙まで書いて本願寺へ送り返してきたのである。


(……人間の心というのは、本当にバグだらけだ)


 報告を聞いた僕は、思わず苦笑した。将軍という現世のトップは惨殺できるのに、来世を司る仏の言葉には逆らえない。三好三人衆(日向守長縁、下野守政安、岩成主税好通)の行動は、論理破綻しているようでいて、この時代の人間としては極めて真面目だ。


 細川藤孝は天に昇る心地で喜び、急ぎ南都へと向かった。だが、この一件を聞いて、文字通り腸(はらわた)が煮えくり返るほど激怒した男がいた。松永弾正である。


「あの三好(日向守長縁、下野守政安、岩成主税好通)の愚か者どもがァッ!!」


 松永久秀は、報告を聞くや否や、周囲の物を破壊して狂ったように怒り狂ったという。


「仏に惑わされ、僧侶(ぼうず)の言葉を真に受けて、目前の最大の怨敵を生かしておくなど正気の沙汰か! 後になって首を刎ねられる時に後悔しても遅いのだぞ!」


 松永弾正は、三好三人衆(日向守長縁、下野守政安、岩成主税好通)のような信仰心(ストッパー)を一切持たない、極端なまでの合理主義者(リアリスト)であった。


「所詮、我々は主君を弑逆した大罪人だ。草を斬るなら、根まで断たねばならぬ!法師(ぼうず)だからといって生かしておけば、後の禍(わざわい)は計り知れん!……奴らが殺さぬというなら、俺がこの手で殺してやる!」


 松永弾正は自らの手勢から300人の精鋭を選び出し、南都の一乗院へ向けて一気に軍を差し向けたのである。だが、細川藤孝は松永の行動(アルゴリズム)を完全に読んでいた。


「三好(三人衆:日向守長縁、下野守政安、岩成主税好通)と松永弾正の間で必ず内輪揉めが起きます。その隙に、急ぎここを脱出しましょう」


 細川藤孝は、本願寺から南都へ直行するや否や覚慶を説得。夜の闇に紛れて一乗院を脱出し、近江の矢島へと逃れることに成功したのである。


 松永弾正の軍兵が南都に到着し、血眼になって覚慶を探し回った時には、すでに鳥は籠から放たれた後だった。もぬけの殻となった一乗院の報告を受けた松永弾正は、地団駄を踏んで悔しがった。


「ああ、忌々しい! あの愚か者どもの長舌のせいで、最も恐ろしい敵を討ち漏らしたわ!」


 松永弾正は、未来を見通すかのように、逃げた覚慶の行動を正確に予言してみせた。


「見よ。あの男は必ず他国へ走り、武田、上杉、織田、北条といった天下の大名に寄りすがり、義兵を掲げてこの都へ攻め上ってくるに違いない! まだ遠くへは逃げておらんはずだ、手を分けて探し出せ!」


 松永弾正は近隣の国々に間者(スパイ)を放ち、必死に行方を探させたが、ついに覚慶の姿を見つけることはできなかった。怒りの矛先を失った松永弾正は、三好三人衆(日向守長縁、下野守政安、岩成主税好通)を激しく罵倒し、彼らを公然と辱めたのである。


(……すさまじい男だ、松永久秀)


 歴史の知識を持つ僕ですら、松永の恐ろしいほどの先見(マクロ)の視点には震えを覚えた。


 彼は、覚慶(足利義昭)という存在が、強大な軍事力を持った大名たちにとって最高の「大義名分(アクセスキー)」になることを完璧に理解していた。


 この「覚慶逃亡事件」を決定的な引き金として、将軍暗殺の共犯者であった三好三人衆(日向守長縁、下野守政安、岩成主税好通)と松永弾正の間には、修復不可能な確執が生まれた。かつての盟友は完全に決裂し、血を血で洗う軍事衝突へと発展したのである。


 松永弾正は畠山氏を味方に引き入れ、三好(三人衆:日向守長縁、下野守政安、岩成主税好通)方は篠原氏を味方につけて激突した。当初、戦いは三好(三人衆:日向守長縁、下野守政安、岩成主税好通)方が優勢であり、松永弾正は敗軍の将として偽りの和平を乞うた。だが、それは時間を稼ぐためのブラフだった。


 松永弾正は三好長慶の養子であった三好義継を密かに自陣営へと引き抜き、彼を大将に担ぎ上げて大和(奈良)の多聞山城(たもんやまじょう)に立て籠もった。


 激怒した三好三人衆(日向守長縁、下野守政安、岩成主税好通)は、阿波から傀儡将軍・足利義栄を擁して大軍を発し、南都へと出張(でば)ってきた。

 彼らが本陣を敷いたのは、なんと東大寺の大仏殿であった。


「……信じられない。『いくら何でも、あの松永弾正だって大仏殿には手を出さないだろう』と踏んだのか」


 報告を聞いた僕は、三好三人衆(三人衆:日向守長縁、下野守政安、岩成主税好通)の甘すぎる戦術(見通し)に頭を抱えた。相手は、主君を毒殺し、将軍を弑逆した男だ。神仏の祟りなど、最初から信じていない。


 果たして、松永弾正は奇計を用いて、夜の闇に紛れて大仏殿へ不意打ちの夜襲を仕掛けた。そして――何のためらいもなく、火を放ったのである。


 ゴオォォォォォッ……!!


 夜空を焦がす、地獄の業火。あの壮大に立ち並んでいた大仏殿、廻廊、方丈、台所に至るまで、すべてが凄まじい炎に包まれ、文字通り一宇も残らず灰燼(かいじん)に帰してしまった。


 神聖なる仏の住処(すみか)を焼き払うという、常軌を逸した暴挙。大火炎の熱とパニックに巻き込まれた三好(三人衆:日向守長縁、下野守政安、岩成主税好通)勢は散々に打ち負かされ、大和から京都へと逃げ帰るしかなかった。


 これより後、京と大和の周辺は、三好(三人衆:日向守長縁、下野守政安、岩成主税好通)と松永弾正が果てしなく殺し合う、地獄のような内戦状態へと突入したのである。


「……京の都は、完全に焼け野原だな」


 岐阜城の縁側で、僕は呆れと興奮の入り交じったため息をついた。将軍は死に、権力者たちは内輪揉めで東大寺の大仏まで焼き払っている。もはや、室町幕府というシステムを内側から立て直すことは不可能だ。


 だが、それは同時に、僕たち織田家にとって最高の状況(セットアップ)が完成したことを意味していた。


 中央の権力は空白。そして、細川藤孝に救い出された「覚慶」改め、足利義昭(あしかがよしあき)は、近江や越前を流浪しながら、自分を京へと連れ帰ってくれる強力な武力(スポンサー)を血眼になって探している。


「藤吉郎」


 背後から、足音が近づいてきた。振り返ると、縁側に立つ魔王・信長が、はるか西の空――京の方角を見据えていた。


「京の有様、聞いておるか」


「はい。三好(三人衆:日向守長縁、下野守政安、岩成主税好通)と松永弾正の争いで、都はもはや灰燼に帰しつつあります」


「……愚かな虫どもめ。自ら大義を捨て、盤面を壊して回るとはな」


 信長はニヤリと笑い、僕の方へと視線を移した。


「越前の朝倉に身を寄せている流浪の足利義昭から、俺の元へ密使が来た。……『余を奉じて上洛し、逆臣どもを討ち果たせ』とな」


「っ……!」


 僕は息を呑んだ。ついに来た。松永弾正が予言し、恐れた通り。流浪の将軍候補は、最も強大で、最も危険な力を持つ魔王の元へとたどり着いていた。


「これで名分(フラグ)は立った。我らは正当なる将軍の守護者として、堂々と京の都へ踏み込む」


 信長の瞳に、天下を灼き尽くすような野望の火が灯る。


「藤吉郎。出陣の支度を急がせよ。美濃と尾張の全軍をもって、一気に上洛を果たすぞ」


「ははっ!! 直ちに!」


 僕は深く平伏し、弾かれたように立ち上がった。腰に結びつけた千成瓢箪(せんなりびょうたん)が、出陣を告げるかのようにカラカラと軽快な音を立てる。


 美濃、伊勢と続いた地方での足場固めは終わった。ここからは、日本の歴史そのものを書き換える「天下布武」の本番だ。


 木下藤吉郎。のちの豊臣秀吉。


 現代の知識と、泥臭い執念を手にした一人の転生者が、ついに戦国の中心(センター)へと駆け上がっていく。――僕たちの途方もない物語は、炎上する京の都へ向けて、さらなる速度で加速し始めていた。




【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】




三好(みよし)松永(まつなが)確執(かくしつ)


三好(みよし)の三老臣(さんらうしん)、松永(まつなが)彈正(だんじやう)らは、阿波(あは)の御所(ごしよ)にましましける義榮(よしまさ)公(こう)と申(まう)す御方(おんかた)を京都(きやうと)へ迎(むか)へ奉(たてまつ)り、禁廷(きんてい)へ奏(そう)し、征夷(せいい)將軍(しやうぐん)の職(しよく)を申し下(くだ)し、四人(よにん)の者(もの)互(たがひ)に政事(せいじ)を執(と)り行(おこな)ふ。ここに故(こ)將軍(しやうぐん)義輝(よしてる)公(こう)の御令弟(ごれいてい)、鹿苑寺(ろくをんじ)におはしまししを謀(たばか)りて討(う)ち奉(たてまつ)り、その餘(よ)の御連枝(ごれんし)君達(きんだち)をことごとく弑逆(しいぎやく)し、今(いま)御一人(ごいちにん)の御弟(おんおとと)、一乘院(いちじやうゐん)の御門主(ごもんしゆ)覺慶(かくけい)と號(がう)し奉(たてまつ)るをも討(う)ち進(まゐ)らせんと、三好(みよし)、松永(まつなが)その計(はかりごと)まちまちなりけるを、細川(ほそかは)藤孝(ふぢたか)甚(はなは)だ歎(なげ)き、密(ひそか)に攝州(せつしう)石(いし)山本願寺(やまほんぐわんじ)の上人(しやうにん)(顯如(けんによ))に謁(えつ)し、「三好(みよし)、松永(まつなが)不道(ふだう)にして君(きみ)を弑(しい)し、あまたの御連枝(ごれんし)ことごとく害(がい)し、僅(わずか)に一乘院(いちじやうゐん)の御門主(ごもんしゆ)のみ、今(いま)に生命(せいめい)を全(まつた)うし給(たま)ふといへども、このごろ急(きふ)に南都(なんと)へ押寄(おしよ)せ、討(う)ち奉(たてまつ)る評定(ひやうじやう)最中(さいちゆう)なり。もとより三好(みよし)の三老臣(さんらうしん)は、當院(たうゐん)の檀越(だんえつ)にして、歸依(きえ)し奉(たてまつ)ること他に越(こ)えたり。あはれ上人(しやうにん)の大慈悲(だいじひ)を以(もつ)て、三好(みよし)が徒(ともがら)に理(り)を示(しめ)し、門主(もんしゆ)の助命(じよめい)をなさしめ給(たま)はば、將軍家(しやうぐんけ)に對(たい)し大功(たいこう)この上(うへ)あるべからず。黄泉(くわうせん)の下(もと)において、故(こ)將軍(しやうぐん)義輝(よしてる)公(こう)、上人(しやうにん)の厚情(かうじやう)を嬉(うれ)しく思(おも)ひ給(たま)ふべし。一つには檀越(だんえつ)たる三好(みよし)が輩(ともがら)、惡事(あくじ)を轉(てん)じて善事(ぜんじ)となすこと、これ二つながら上人(しやうにん)の惠(めぐみ)なれば、善根(ぜんこん)この上(うへ)や候(さふら)べき」と、血(ち)の涙(なみだ)を流(なが)して頼(たの)みければ、上人(しやうにん)もいたう涙(なみだ)ぐませ給(たま)ひ、やがて三好(みよし)が方(かた)へ使僧(しそう)を遣(つか)はし、さまざま示(しめ)し給(たま)へば、三老臣(さんらうしん)も上人(しやうにん)の教化(けうげ)に先非(せんぴ)を悔(く)い、覺慶(かくけい)君(きみ)においては毛頭(まうとう)害心(がいしん)これなき由(よし)、誓紙(せいし)を以(もつ)て上人(しやうにん)へ送りければ、藤孝(ふぢたか)天(てん)に悦(よろこ)び地に欣(よろこ)び、上人(しやうにん)に拜謝(はいしや)して、南都(なんと)をさして急(いそ)ぎける。松永(まつなが)彈正(だんじやう)このことを聞き大に怒り、「三好(みよし)一家(いつけ)の愚人(ぐにん)ばら、佛(ほとけ)に淫(いん)し僧(そう)を歸依(きえ)し、目前(もくぜん)の怨敵(をんテき)を助(たす)け置き、首級(しゆきゆう)を失(うしな)ふ期(き)に至つて後悔(こうくわい)すとも何(なに)の益(えき)かあらん。所詮(しよせん)主君(しゆくん)を弑害(しいがい)せし我々、草(くさ)を斬(き)らば根(ね)を斷(た)つべし。法師(ほうし)なりとて助け置かば、後の禍(わざはひ)限りあらじ。よしよし彼(かれ)はともあれかくもあれ、我においては生け置くまじ」と、手勢(てぜい)を勝(すぐ)つて三百餘人(さんびやくよにん)、南都(なんと)へこそ指(さ)し向(む)ひけり。細川(ほそかは)藤孝(ふぢたか)は先達(さきだ)て、石山(いしやま)より直(ただち)に南都(なんと)へ来(きた)り、覺慶(かくけい)君(きみ)に事(こと)の仔細(しさい)を言(ごん)上(じやう)し、「三好(みよし)、松永(まつなが)内變(ないへん)を生(じ)、必ず事(こと)一決(いつけつ)すまじ。この隙(ひま)に早々(はやはや)ここを遁(のが)れ給(たま)へ。何方(いづかた)までもお御供(おんとも)いたし、御先途(ごせんど)を見(み)参(まゐ)らすべし」と申しければ、覺慶(かくけい)君(きみ)も兄(あに)を弑(しい)せられ給(たま)ひし上(うへ)は、今は我(わ)が身(み)の上(うえ)なりと思ひ定め給ひしが、藤孝(ふぢたか)が忠志(ちうし)に力(ちから)を得(え)給(たま)ひ、夜(よ)に紛(まぎ)れて南都(なんと)を落させ給ひ、江州(がうしう)矢島(やじま)(和田(わだ)伊賀守(いがのかみ)が方(かた))に暫(しばら)く忍(しの)びおはしける。さるほどに松永(まつなが)が軍兵(ぐんぴやう)南都(なんと)に至(いた)り、覺慶(かくけい)を探(さが)し奉(たてまつ)るに、はや落失(おちうせ)せ給(たま)ひて行方(ゆきがた)を知(し)らざれば、すべぎ様(やう)なく、手(て)を空(むな)しくして京へ歸(かへ)り、松永(まつなが)にこの由(よし)を告(つ)ぐ。久秀(ひさひで)足(あし)ずりをして悔(くや)み怒(いか)り、「よしなき愚人(ぐにん)の長(ちやう)舌(ぜつ)議(ぎ)にて、由々(ゆゆ)しき敵(テき)を討(う)ち漏(も)らしぬ。見(み)よ見(み)よ、この人他國(ひとたこく)に走り、武田(たけだ)、上杉(うへすぎ)、織田(おだ)、北條(ほうじやう)なんどの大家(たいけ)に寄(よ)つて義兵(ぎへい)を揚げ、やがて都(みやこ)に攻め来るべし。いまだ遠(とほ)くは落行(おちゆ)くまじ、手を分(わ)けて探(さが)せよ」とて、近國(きんごく)近在(きんざい)へ間者(かんじや)を入(い)れ、普(あまね)く探(さが)し求(もと)むれども、さらに行方(ゆきがた)知れざれば、三老臣(さんらうしん)を罵(ののし)り恥(はづ)かしむること大方(おほかた)ならず。ここに於て三好(みよし)、松永(まつなが)確執(かくしつ)に及び、松永(まつなが)は畠山(はたけやま)を語(かた)らひ、三好(みよし)方(かた)は篠原(しのはら)を味方(みかた)となし、終(つひ)に合戰(かつせん)に及びけるが、松永(まつなが)終(つひ)に敗軍(はいぐん)して、僞(いつは)つて和(わ)平(へい)を乞(こ)ひ、金山(かなやま)駿河守(するがのかみ)と計(はか)つて、三好(みよし)義繼(よしつぐ)を招(まね)き、これを大將(たいしやう)と仰(あお)ぎ、和(わ)州多聞(たもん)の城(しろ)に楯籠(たてこも)り、三好(みよし)家(け)は阿波(あは)の御所(ごしよ)を守(まモ)り立てて、大軍(たいぐん)を發(はつ)し南都(なんと)へ出張(しゆつちやう)し、大佛殿(だいぶつでん)に陣(ぢん)を取(と)る。松永(まつなが)奇計(きケい)を以(もつ)て不意(ふい)に夜討(やうち)し、火(ひ)を放(はな)つて焼討(やきうち)す。さしも建て連(つら)ねたる大佛殿(だいぶつでん)、廻廊(くわゐらう)、方丈(はうじやう)、厨(くりや)、一宇(いちう)も殘(のこ)らず灰塵(かいじん)となる。三好勢(みよしぜい)は散々(さんざん)に打負(うちま)け、大和(やまと)には溜(たま)まり得(え)ず、京都をさして逃(に)げ上(あが)りぬ。これより三好(みよし)、松永(まつなが)、合戰(かつせん)止(や)むときなく、暫時(ざんじ)も隙(ひま)はなかりけり。

〜参考文献〜

太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource

https://share.google/AxQqE2xRgf0LcmxAN

絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編

夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700


〜舞台背景〜

 歴史ヲタクな昔からの愛読者様にはご不用かと思いますが、ふらっとご覧頂く歴史初心者の方向けに(話のテンポを犠牲にしてもわかり易さ優先で)畿内編?似た名前のモブキャラがごちゃごちゃ登場する近江国付近の話は名前のフルネーム表記させて頂きます。

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