1-80 獣の野心、形骸化した玉座
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
日輪の熱は、胸の奥で静かに、しかし確かな炎となって燃え続けていた。
――だが、その熱に冷や水を浴びせるような、あるいは戦国という時代の炎をさらに爆発的に燃え上がらせるような凶報が、京の都から飛び込んできたのは、伊勢を平定してから間もなくのことだった。
「……将軍が、死んだ?」
岐阜城の一室。もたらされた凶報を前に、僕は思わず絶句し、手にしていた茶碗を取り落としそうになった。
歴史の知識として、いつかその日が来ることは知っていた。だが、いざ現実の事件として「室町幕府の崩壊」という歴史の特異点を突きつけられると、背筋に冷たいものが走るのを止められなかった。
足利義輝。
室町幕府第十三代征夷大将軍にして、剣聖・塚原卜伝から奥義を授かったとされる「剣豪将軍」。その彼が、家臣の裏切りによって暗殺されたというのだ。
戦国の世とはいえ、天下の将軍を弑逆するなど、前代未聞の大事件である。僕は大きく息を吐き、乱れた呼吸を整えながら、京の都で起きた凄惨な悲劇――そして、それに至るまでの血塗られた謀略の連鎖へと、思考を巡らせた。
「鸚鵡は人語を真似るが、所詮は鳥に過ぎない。猩々(しょうじょう)(オラウータン)は人のように笑うが、獣の域を出ない。礼節をわきまえない人間は、どれほど雄弁であろうとも、ただの禽獣と同じである」昔の賢人はそう言ったという。
室町幕府を開いた足利尊氏から数えて十一代。義晴の御代に至り、将軍家の権威はすでに地に堕ちていた。幕府の実権は管領である細川家に奪われ、さらにその細川家すらも、配下である三好修理太夫長慶によって蔑にされていた。
実力主義の戦国時代。三好長慶は諸侯の上に君臨し、天下の政務を完全にその掌に握りしめた。
三好長慶はついに先代将軍・足利義晴を京から追放し、その嫡男である足利義輝を強引に新たな征夷大将軍へと据え置いた。未来で学んだの歴史で言えば、後漢の皇帝を傀儡にした董卓や曹操のような振る舞いである。
誰も三好長慶の決定に逆らうことはできず、彼は将軍家の輔佐を名乗り、数年にわたって事実上の天下人として君臨し続けた。だが、真の悲劇はここから始まる。
三好長慶が摂津国(現在の大阪)へ下向した際、京の都の守護を任された一人の男がいた。松永久秀。通称、松永弾正。
戦国屈指の梟雄であり、奸佞邪智を極めた怪物。松永は三好の威光を傘に着て、将軍家に対して度重なる無礼や暴言を繰り返し、かつての上司である細川家をまるで奴隷のように侮り、踏みにじった。まさに、礼節を知らぬ「禽獣」そのものであった。
これに激怒した細川晴元は、密かに将軍・足利義輝と結託し、松永弾正を暗殺するための謀議を重ねた。しかし、隠し事は必ず露見する。松永弾正は誰よりも早くこの陰謀を察知すると、先手を打って軍勢を率い、細川晴元の館がある白河へと急襲をかけたのだ。細川晴元は一戦にして敗走。勢いに乗った松永弾正は、そのまま将軍・足利義輝が滞在する東山を包囲し、あわや将軍の命まで奪おうとしたのである。
この時は、凶報を聞いて駆けつけた主君・三好長慶の必死の仲裁により、なんとか和睦が成立した。だが、これは終わりの始まりに過ぎなかった。
やがて、絶対的な権力者であった三好長慶も老いと病に蝕まれ、嫡男である三好筑前守義長へと国政を譲ることになった。
永禄4年(1561年)3月3日。三好義長の館において、盛大な「曲水の宴」が催された。将軍・足利義輝をはじめ、在京の大名や小名がことごとく集い、庭園の小川に盃を浮かべて和歌を詠み合うという、極めて優雅な催しである。
応仁の乱以来、百年近くも戦火が絶えなかった京の都において、これほど雅な宴が開かれるのは奇跡に近い出来事だった。
『めぐりあふ 今日や弥生のみかは水 名に流れたる 花の盃』
京極黄門がそう詠み上げたように、人々は久方ぶりの平和な空気に酔いしれ、誰もがこの静寂が続くことを願っていた。
――だが、その美しい宴の裏側で、静かに凶刃は振るわれていた。
松永弾正である。彼はこの日、なんと自らの主君である三好義長の盃に「毒」を仕込み、毒殺するという暴挙に出た。
宴の席にいた諸侯は、松永弾正の不審な動きに気づいていた者もいたという。しかし、すでに京の都を裏から支配しつつあった松永弾正の権威と報復を恐れ、誰一人として真実を口に出すことはできなかった。
最愛の息子である三好義長を突然の病(と偽装された暗殺)で失った三好長慶は、悲嘆のあまり完全に正気を失い、政務をすべて松永弾正に丸投げして病の床に伏してしまった。
邪魔者をすべて排除した松永弾正は、三好長慶の甥である三好義継を傀儡の養子として据え置き、自らの息のかかった「三好三人衆(日向守長縁、下野守政安、岩成主税好通)」を後見人として配置。京の都を完全に掌握した。
そして永禄7年(1564年)。時代を支配した巨星・三好長慶が、病と絶望の中でひっそりとこの世を去った。それを合図とするかのように、松永弾正の狂気はついに、「室町幕府」という歴史そのものへと牙を剥く。
永禄8年(1565年)、5月。ついにその日は訪れた。
松永弾正と三好三人衆(日向守長縁、下野守政安、岩成主税好通)。彼らが将軍・足利義輝を暗殺するという前代未聞のクーデターを成し遂げるために用意した『秘密兵器』――それは、特殊な暗殺の道具でも、奇抜なからくりでもない。
3,000人という、京の御所を完全に物理封鎖し、有無を言わさず制圧するに足る、純然たる『軍事力』そのものだった。
権威や伝統という目に見えない力を、圧倒的な暴力によって粉砕する。それこそが、戦国という時代の最も残酷で、最も確実な戦術だ。
「将軍様が清水寺へご参詣されるにあたり、我らが路次の警護を務めさせていただきます」
そんな見え透いた嘘を掲げ、具足の上に薄い帷子を羽織った3,000の武装集団が、突如として二条室町にある将軍の御所へと押し寄せた。
彼らは一斉に鬨の声を上げると、御所の門を破壊し、なだれを打って攻め込んだ。
「謀反だ! 三好(三人衆:日向守長縁、下野守政安、岩成主税好通)と松永弾正が兵を挙げたぞ!」
「将軍様をお守りしろ!」
御所内は大混乱に陥った。上野、一色、馬木、彦部、有馬、小林、大館、富山といった、将軍家に代々仕えてきた側近たちは、甲冑を着る暇すらなく、平服のまま太刀を握りしめて決死の防戦を試みた。彼らは天下の将軍を護るという誇りを胸に、文字通り命を投げ打って群がる大軍へと斬り込んでいった。
だが、多勢に無勢。圧倒的な人数の暴力の前には、どれほどの忠義も無力だった。忠臣たちは次々と刃に倒れ、31人が壮絶な討死を遂げた。燃え上がる御所。迫り来る敵兵。その絶望的な光景を前に、将軍・足利義輝は、静かに死を悟ったという。
「……もはや、これまでか」
足利義輝は、己の運命を呪うことはなかった。彼は代々将軍家に伝わる数々の名刀を畳の上に突き立てると、静かに硯を引き寄せ、最期の辞世の句をしたためた。
『五月雨か 露か涙か ほととぎす
我が名を上げよ 雲の上まで』
(この降りしきる五月雨は、天の涙か、己の涙か。時鳥よ、我が名と無念を、どうか雲の上の天まで届けてくれ――)
筆を置いた足利義輝は、静かに立ち上がった。そして、自ら御剣を引き抜き、燃え盛る炎を背にして、なだれ込んでくる敵兵の群れへと単騎で駆け出したのである。
「退けェッ! 余は、征夷大将軍・足利義輝である!」
その剣捌きは、まさに鬼神の如き凄まじさであったという。塚原卜伝直伝の秘剣が閃くたび、三好(三人衆:日向守長縁、下野守政安、岩成主税好通)の鎧武者たちが次々と血飛沫を上げて切り倒されていく。刃がこぼれれば畳に刺した別の名刀を引き抜き、血に濡れた刃を振るい続ける。天下の将軍自らが、その身を血に染めて一騎当千の戦いを見せた。
敵兵たちはその凄まじい気迫と剣技に圧倒され、誰一人として足利義輝に近づくことすらできなくなった。
――しかし、彼らは武士の誇りを持った者たちではなかった。
「まともに相手をするな! 足を狙え!」
三好(三人衆:日向守長縁、下野守政安、岩成主税好通)の家臣である池田丹後という男が、卑劣にも両開きの扉の陰に隠れ、足利義輝が通り過ぎようとした瞬間、その死角から長柄の武器で将軍の足を力任せに薙ぎ払った。
「ぐっ……!?」
体勢を崩し、無念にも床に倒れ伏す剣豪将軍。その瞬間を、松永弾正の兵たちは見逃さなかった。彼らは一斉に群がり、何枚もの重い障子や襖を足利義輝の上に覆い被せるようにして押さえつけ、身動きを封じた。
「……無念」
将軍の最期の声は、障子の上から突き立てられた無数の槍の刃によって、無残にも断ち切られた。その直後、御殿の奥から凄まじい炎が燃え上がり、黒煙が御所中を覆い尽くした。あまりの猛火に、三好(三人衆:日向守長縁、下野守政安、岩成主税好通)・松永弾正の兵たちも将軍の首級を挙げることすらできず、這々の体で退却するしかなかったという。
足利義輝、御年30歳。
室町幕府十二代にわたって天下人として君臨してきた足利将軍家は、この日、自らの家臣である逆臣たちの手によって将軍を討たれるという、かつてない悲劇を迎えた。
武人として最後まで戦い抜いた将軍。その最期は、一つの時代の終わりを告げるにしては、あまりにも悲しく、あまりにも無惨なものだった。
僕は、岐阜城の窓から、遠く京の方角――西の空を見つめていた。
足利義輝の暗殺。この凄惨なクーデターの報せは、瞬く間に日本中を駆け巡り、諸国の大名たちに決定的な「価値観崩壊」をもたらした。
将軍という不可侵の権威は、もはや存在しない。実力さえあれば、神輿を下ろすことも、新たな神輿を担ぐこともできるのだと、松永弾正が身をもって証明した。
これは、古い室町幕府というシステムが完全に機能停止したことを意味している。
(……これで、盤面の前提条件が完全にひっくり返った)
僕は、腰の千成瓢箪を強く握りしめた。美濃を平定し、伊勢をほぼ無血で制圧した我が織田信長。圧倒的な武力と経済力を持ちながら、信長に唯一欠けていたもの。それは、天下を治めるための「大義名分」だった。
だが今、逆臣によって将軍が殺され、京の都は不法な賊軍によって占拠されているという事実ができた。
『逆賊・三好(三人衆:日向守長縁、下野守政安、岩成主税好通)と松永弾正を討ち果たし、京の都に秩序を取り戻す』
これ以上の、完璧な上洛の大義はない。信長がこの絶好の機会を見逃すはずがなかった。
「……藤吉郎」
背後から響いた、地を這うような低い声。振り返ると、信長が広間の奥に立ち、燃えるような眼光で僕を見下ろしていた。
その口元には、凄惨な事件への同情などは微塵もなく、ただ血に飢えた魔王のような、獰猛な笑みが刻まれていた。
「出陣の支度を急がせよ。……京へ上るぞ」
その一言に、僕は全身の血が沸き立つのを感じた。歴史の歯車が、狂ったような速度で回転し始めている。古い権威が焼け落ちた灰の中から、新たな覇王が誕生しようとしているのだ。
「はっ……!直ちに!」
僕は深く平伏し、そして顔を上げた。戦国最強の魔王が、ついに関西の土を踏む。木下藤吉郎の戦いは、美濃や伊勢という地方戦から、ついに「天下」そのものを懸けた最終局面へと突入しようとしていた。
――日輪の熱は、もはや誰にも止められない業火となって、この身を焦がし始めていた。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
三好松永ら義輝公を弑す
鸚鵡よく物を云へども鳥類を離れず、猩々よく言へども禽獸を放れず。今人として禮なきは、よく物云ふといへども、また禽獸の心ならずや。足利尊氏公より十一代の將軍、義晴公の御代に至つて、武威權勢大に衰へ、管領細川が家臣三好修理太夫長慶、威を諸侯の上に震ひ、主家細川を蔑にし、專ら天下の政務を掌に握り、終に將軍義晴公を追うて、嫡男義輝公を征夷將軍となし奉り、王莽、董卓が威を振ふといへども、主家細川を始めとして、將軍家すら勢ひ微にして、これを糺し給ふこと能はず。況やその餘の諸侯に於てをや、一人もその下知を背く者なく、自ら將軍家の輔佐となり、攝政すること數年なり。後事あつて攝州に在國し、家臣松永彈正久秀を京都の守護たらしむ。松永もとより奸佞邪智の曲者なれば、陰謀を企て、三好が下知と號し、將軍家に對し不禮失言を振舞ひ、細川一家を奴隷のごとく侮り輕んじれば、細川晴元、將軍義輝公に勸め奉り、松永を誅せんがため、密に細川が計に隨ひ、松永誅伐の計議まちまちなり。隱れたるより顯るるはなしと。將軍家深く匿せ給へども、松永彈正このことを早く悟り、軍勢を率し、細川が館白河に押寄せ、一戰に晴元を追ひ失ひ、直に東山を取圍み、義輝公を討ち奉らんとす。三好長慶この騷動を聞くと等しく、急ぎ上洛して松永を制し、軍兵を返さしめ、義輝公、松永と和睦調へ、暫く洛中鎭まりける。このとき長慶齡すでに高く、嫡子筑前守義長を以て國政を執り行はしむ。ときに永祿四年三月三日、三好義長が館において曲水の宴を催し、義輝公を始め奉り、在京の大名小名ことごとく寄り集まり、流水に羽觴を飛ばし、和歌を詠じ、詩を吟じ、終日宴を催しける。去じ應仁の朝廷、山名、細川亂を發せしより以來、すでに百年になんなんとすれども、天下一日も靜かならず、内裏の行事ども行はれず、かかる優なる催は、堂上にさへ絶えたりければ、人々 目さむる心地して、興あること限りなし。めぐりあふ今日や彌生のみかは水名に流れたる花の盃と、京極黄門の詠じ給ひしも、斯くやあらんと優しかりき。この日松永彈正、毒酒を以て主君三好筑前守義長を殺害す。同席の諸侯、豫めその手段を知るといへども、松永が權威に恐れ、敢て口外に出す者なし。長慶曾て松永が陰謀を知らず、愁傷に他事を辨へず、家督のことを松永に任せ、病床に臥して立つこと能はず。松永久秀ここに於て威勢ますます強く、長慶が舎弟十河民部が男義繼を以て長慶の養子となし、一族三好日向守長縁、同下野守政安、岩成主税好通三人を後見となして、京都を守護せしむ。これ三好の三老臣と云ふ。皆松永が陰謀に與せし者なり。永祿七年、三好長慶病死す。同八年、松永久秀三老臣と計を定め、將軍義輝公清水寺へ詣で給ふに、路次の警固なりと僞り、帷子の上に具足を著し、兵卒を集むること三千餘人、卒に二條室町の御所に押寄せ、鯨波を作つて攻入りける。將軍家の近士、上野、一色、馬木、彦部、有馬、小林、大館、富山が輩、手痛く防ぎ戰ふといへども、もとより不意のことなれば、甲冑を著たる者なく、三好、松永が多勢に取込められ、討死する者三十一人、義輝公も今はこれまでなりと思召しければ、辭世と思しくて、五月雨か露か涙かほととぎす我が名を上げよ雲の上まで斯くなん詠じ捨て給ひて、御劔を拔き持ち駈出で給ひ、鎧武者三騎切り倒し、多勢を目がけて進み給ふを、三好が郎等池田丹後、妻戸の陰に隱れ居て、御足薙ぎて打倒し、障子を以て押臥せ奉り、上より槍にて突き通す。そのとき御殿の内火燃え出で、黒煙御所中に滿ちて、御首は取り得ずして退きける。義輝公御年三十歳。嗚呼此日はいかなる日ぞや、足利家十二代の將軍、逆臣のために弑せられ、永く泉下の鬼となり給ふ、武運の末こそ悲しけれ。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
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絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜 投稿27日目UU累計4,200人達成!御礼投稿 〜
この畿内編?あたりから、文字引き継ぐ系の似ている名前の登場人物が急増します。日本史が解り難くなる&歴史小説がとっつきにくい原因なので、親子、主従ハッキリ違う名前にして欲しかったな、実際呼びにくいだろうにと前から思ってます。歴史ジャンルが異世界転生ジャンルに勝てないのはこれが原因じゃないかとw




