1-79 情報戦の敗北、情報戦の勝利
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
夕日に照らされた伊勢の空を見上げながら、僕は自嘲気味に笑った。魔王・織田信長。あの底知れぬ天才に追いつくためには、僕はもっともっと、この瓢箪に多くの経験を詰め込んでいかなければならない。
戦国の風は、焦げ臭い匂いを孕みながら、次なる乱世の幕開けを予感させていた。――だが、その「学び」の機会は、僕が予想していたよりも遥かに早く、そして最悪の形で訪れることになる。
高岡城の攻略を土壇場で停止したその日の夜。桑名の本陣において、信長は諸将を集めて緊急の軍議を開いた。議題はもちろん、高岡城主・山路弾正から申し入れられた「降伏」の扱いについてである。
「山路弾正、すでに力尽きて降参したいと申してきている。皆の者、どう見るか」
床几に腰掛けた信長が、鋭い視線で諸将を見渡す。僕は迷わず進み出て、声を張り上げた。
「信長様!山路の降参は偽りです!あのような死に物狂いで抵抗していた者たちが、城を落とされる寸前になって急に白旗を上げるなど不自然極まりない。時間を稼ぐための罠です。今すぐ攻撃を再開し、一挙に城を乗っ取るべきです!」
未来の歴史知識がなくとも、盤面の流れを見ればわかる。あれは負けを認めた者の態度ではない。将棋で言えば、ただ「待った」をかけて盤面を凍結させようとしているだけだ。
だが、僕のこの主張に真っ向から反対する者がいた。大手口の指揮を執っていた猛将、柴田勝家である。
「藤吉郎、貴様は戦というものをわかっておらん!」
柴田は僕を睨みつけ、重々しい声で語り始めた。
「国を平定する大道は『仁』にある。山路弾正は力尽きて降伏を乞うているのだ。『窮鳥懐に入れば猟師もこれを殺さず』という言葉を知らぬか。今、弾正を容赦なく攻め殺せば、伊勢の将兵たちは信長様の不仁を憎み、二度と降伏しようとはせず、死力を尽くして徹底抗戦するだろう。そうなれば、伊勢の平定など夢のまた夢ぞ!」
柴田の言葉に、周囲の武将たちも「もっともだ」と頷く。確かに武士の道徳や、長期的な統治のロジックとしては間違っていない。だが、それは相手が「真に降伏している」という前提があってこその話だ。
(……駄目だ。この時代の人間の『名誉』や『情け』といった感情が、合理的な判断を曇らせている!)
僕がさらに反論しようと口を開きかけた、まさにその時だった。陣幕の外から、転がるようにして伝令が飛び込んできたのである。
「申し上げます! 岐阜城より早馬! き、急報にございます!!」
「騒ぐな。何事だ」
「甲斐の武田信玄が、美濃の残党と通じて大軍を起こし、尾張・美濃の両国へ乱入する構えを見せているとのこと! その動き、甚だ急なり! 信長様におかれましては、直ちに軍をまとめ、御帰国されたしと!!」
その報告がもたらされた瞬間、軍議の場は水を打ったような静寂に包まれ、次の瞬間、爆発的な動揺が弾けた。
「た、武田が動いただと!?」
「本国が空の隙を突かれたか! これは不ずいぞ!」
あの『甲斐の虎』が本国に迫っている。その圧倒的な恐怖が、歴戦の将たちの冷静さを一瞬にして奪い去った。信長もまた、目を見開き、舌打ちをした。
「……致し方あるまい。まずは山路弾正の降参を許し、ここは直ちに兵を引く。本国の防衛が最優先だ」
「お待ちください!!」
僕は身を乗り出し、必死に食い下がった。
「信長様、冷静になってください!これは絶対に敵の罠です!流言をもって味方を惑わし、この大軍を退かせようとする謀略に違いありません!」
未来の歴史知識が、僕の脳内で警鐘を鳴らしていた。この時期、武田信玄は越後の上杉や、今川との外交問題で手一杯のはずだ。いきなり尾張に大軍を差し向けるような余裕はない。情報のタイミングがあまりにも良すぎるのだ。
「どうか僕を信じてください!これは偽情報です!」
身を揉んで焦り、喉が裂けるほど叫んだ。しかし、情報の真偽を確かめるすべを持たないこの時代において、「本国滅亡の危機」というリスクを無視できる指揮官など存在しない。
「美濃に万が一の変事があれば、こんな小城を一つ獲ったところで何の意味もない!退くぞ、藤吉郎!」
柴田の一喝に諸将も同意し、衆議は完全に「撤退」で一決した。かくして、織田の大軍は高岡城を目の前にして、慌ただしく美濃へと引き返していったのである。
急ぎ岐阜城へ帰還した信長が、自ら放った草の者や美濃の重臣たちを通じて事の真偽を正したのは、それから数日後のことだった。
結果は、僕の指摘した通りだった。武田信玄が動いたという報告は、全く根拠のない流言だった。武田家は越後の上杉との対立の最中であり、他国へ出兵する余裕などない。さらに言えば、武田と織田の間には同盟の繋がりもあり、異心など毛頭ないことが明白となった。
そして何より、桑名城に残っていた滝川一益からの報告が、決定的な事実を突きつけた。『山路弾正の降参は偽りでした。すべてはあの八田城に籠もっていた楠七郎左衛門の謀略です。山路に偽りの降伏をさせて時間を稼ぎ、その間に偽の風聞を流して、織田の軍勢を退かせたのです』
「…………」
岐阜城の大広間。報告を聞き終えた信長は、無言のまま、恐ろしいほどの殺気を周囲に放っていた。魔王が、一介の地方武将の知恵比べに完全にしてやられたのだ。その屈辱はいかばかりか。
しかし、信長が並の武将と違うのは、己の非を認める冷徹さを持っていることだ。
「……藤吉郎。前へ出よ」
「はっ」
信長は、平伏する僕を見下ろし、低く、しかし確かな声で言った。
「貴様の先見、まさに神に通じておった。あの場での貴様の言葉を退けたこと、返す返すも我が落ち度であった。見事な眼力だ、褒めてつかわす」
あの絶対君主である信長が、家臣の前で自身の判断の誤りを認め、僕の洞察力を称賛したのだ。大広間にいた諸将たちは、驚きに息を呑んだ。
だが、信長の言葉はそこでは終わらない。
「コソコソと猿芝居を打った伊勢の小虫どもに、織田の本当の恐ろしさを教えてやる。全軍に触れを出せ。……二度目の伊勢征伐を行う」
永禄11年(1568年)春、2月。信長は、尾張と美濃の軍勢を極限まで動員した。その数、なんと総勢40,000騎。前回の4倍に膨れ上がった、まさに天地を埋め尽くすような超大軍である。
再び桑名へと出陣した織田軍は、関、八田、安濃津、細野、神戸、高岡、鹿伏兎、国府といった伊勢の主要な城々に対し、40,000の兵を放射状に差し向け、同時多発的に一斉攻撃を仕掛けるという、暴力的な絨毯爆撃の構えをとった。
小手先の謀略など、圧倒的な物量の前には無意味。
それが、魔王・信長の出した答えだった。
40,000の大軍が伊勢を蹂躙し始める中、僕は自陣の幕舎で一人、不敵な笑みを浮かべていた。
(……楠正具。お前が情報戦を仕掛けてきたのなら、僕も同じ土俵でやり返してやる)
未来社会において、情報の拡散力は時に兵器を凌駕する。僕は配下の者たちを密かに近江方面へと放ち、伊勢の国中に一つの噂をバラ撒かせた。
『織田信長は、近江の六角と同盟を結んだ。間もなく六角の大軍が、西の鈴鹿山脈を越えて伊勢へなだれ込んでくるぞ!』
東からは信長の四万の魔王軍。そして西からは六角の大軍による挟み撃ち。この絶望的な情報は、またたく間に伊勢の軍民の間に広がり、彼らを極限のパニックに陥れた。
「西からも敵が来るだと!? もう逃げ場はないぞ!」
「勝てるわけがない! 一刻も早く降参するのだ!」
恐怖は伝染する。千種、宇野、赤城、稲生といった伊勢の国人や地侍たちは、戦う前から完全に心が折れ、次々と織田軍へと降伏を申し出てきた。彼らは生き残るために、自ら織田軍の先鋒として加わることさえ志願した。
「兵を動かさずして、敵の心を折る。……これが情報戦の威力だ」
噂一つで敵陣営を内部崩壊させた僕は、意気揚々と次なる任務へと向かった。向かう先は、前回僕たちを欺いた因縁の城――高岡城。
僕は大軍をもって高岡城を完全に包囲させると、今度は武力ではなく、信長の「使者」として、たった数人の供回りだけを連れて敵城の中へと足を踏み入れた。
本丸の広間。そこには、死を覚悟した悲壮な面持ちの山路弾正が座していた。彼は僕を見ると、苦々しい表情を浮かべた。
「……木下殿か。前回はまんまと我らの計略に嵌って退かれたが、今回は随分と大勢の客人をお連れだな」
「ええ、信長様は少しばかり負けず嫌いでしてね。弾正殿、前回は見事な手際でした。僕もしてやられましたよ」
僕は柔和な笑みを浮かべ、山路の真正面に腰を下ろした。
「だが、盤面は完全に変わりました。西の六角が動くという噂、すでにお聞きでしょう? もう、貴方たちに勝ち目はありません」
「……ふん。ならば、この首を獲りに来ればよかろう。我ら高岡の武士、最後まで戦い抜き、討ち死にする覚悟はできておる!」
山路弾正が刀の柄に手をかける。周囲の家臣たちも一斉に殺気を放った。しかし、僕は全く動じることなく、まっすぐに山路の目を見据えた。
「死んでどうなるのですか、弾正殿」
「な、なに?」
「貴方が討ち死にすれば、名誉は守られるかもしれない。だが、残された家臣や民はどうなりますか? 40,000の大軍に蹂躙され、灰燼に帰すだけです。それは『武士の意地』ではなく、ただの『自己満足』だ」
僕は身を乗り出し、誠心誠意の言葉をぶつけた。
「信長様は、本気で降伏する者には寛大です。今度こそ、真実の降参をしてください。僕が命に代えても、貴方と城兵の命は守ってみせます。伊勢の未来のために、どうか無駄な死を選ばないでほしい!」
僕の目には一切の嘘も、謀略の気配もなかった。ただ純粋に、彼らの命を救いたいという感情だけが込められていた。
山路弾正は、僕の目をじっと見つめ返していた。やがて、その張り詰めていた肩の力が、ゆっくりと抜けていく。
「……木下殿。貴方のような男が織田にいるとはな」
山路弾正は深く息を吐き、刀から手を離した。どうせ籠城は叶わない。死を覚悟していた彼にとって、敵将である僕が自ら死地に赴き、誠意をもって説得にあたったことは、冷え切った心を打ち溶かすのに十分だったのだ。
「わかった。真実に帰服いたそう。……そして、我が主家である神戸蔵人友盛様にも、私から和睦を勧めよう」
「!。弾正殿、それは真ですか!」
この日を境に、伊勢の平定は劇的な速度で進展した。山路弾正の説得により、有力領主である神戸友盛は織田との和睦を受け入れた。信長はこれに応じ、自身の子息である三七信孝を神戸家の養子として送り込み、強固な縁戚関係を結ぶことに成功した。
主家である神戸家が降ったことで、峯、鹿伏兎、国府といった一族の城も、次々と雪崩を打つように無血開城していったのである。
一つの刃も交えることなく、伊勢の主要な城が次々と織田の軍門に降っていく。僕と山路弾正の連携は止まらなかった。次は安濃津城を包囲し、城主である長野の一族を説得。国司の弟である長野次郎を実家へ送り返し、代わりに信長の弟である三十郎信兼を新たな城主として据え置いた。
さらに亀山から関城へと軍を進めると、城主の関安芸守は、頼みにしていた近江の六角氏が「織田と結んで鈴鹿山まで兵を出している」という(僕が流した偽の)噂を完全に信じ込み、戦意を喪失してあっさりと降伏してきた。
血の雨が降るはずだった40,000の超大軍による侵攻は、僕の流言と誠意の合わせ技により、ほとんど刃に血を塗ることなく、伊勢一円を平定してしまったのである。
残るはただ一つ。前回僕たちを謀略で苦しめた楠七郎左衛門が籠もる、八田城のみとなった。
「よし、あそこが最後だ。全軍をもって楠の首を刎ねてくれる!」
かつての屈辱を晴らさんと、信長が猛然と攻撃の号令を飛ばそうとした時だった。僕はすかさず進み出て、その前に平伏した。
「信長様、お待ちください! 楠一人があの小城に籠もっていようと、もはや大勢に影響はありません! あのような孤立した城を無理に落とす必要はないのです」
「何?奴は我らをコケにした男だぞ」
「だからこそ、放置するのです。奴の後ろ盾である北畠の国司さえ押さえれば、あんな城は勝手に干上がります。北畠本家への本格的な征伐は、また改めて緻密な計略を定めてから向かうべきです。ここは、伊勢の大半を無血で制圧したという『大勝利』のまま、兵を引くのが上策かと存じます」
戦術的な恨みにとらわれず、戦略的な勝利を優先する。僕の進言を聞いた信長は、少しだけ目を細め、やがてフッと口角を上げた。
「……貴様。すっかり軍師気取りだな」
「恐れ入ります」
「よかろう。滝川一益を伊勢の惣奉行として残し、南への備えとせよ。全軍、岐阜へと帰還する!」
かくして、織田軍の二度目の伊勢征伐は、圧倒的な戦果を挙げながらも、実に鮮やかな引き際をもって幕を閉じた。
帰陣の列の中、馬に揺られながら、僕は腰でカラカラと鳴る「千成瓢箪」をそっと撫でた。力でねじ伏せるだけが戦ではない。情報を操り、敵の心に働きかけ、無駄な血を流さずに盤面を制圧する。僕は今回の戦を通じて、その難しさと圧倒的な威力を骨の髄まで理解した。
(天下を獲るというのは、こういうことなんだな)
前世の僕の知識と、この時代に生きる人々の情念。その二つを誰よりも巧みに結びつけることができた時、僕はこの戦国という混沌の時代を、完全にハックすることができるはずだ。
日輪の熱は、胸の奥で静かに、しかし確かな炎となって燃え続けていた。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
山路彈正僞つて信長に降る
高岡の城主山路彈正、力すでに盡きて降參のよし聞こえければ、信長諸將を集めて評議し給ふ。ときに木下藤吉進み出で、「山路が降參僞りし、進んで攻め討ち、一擧に城を乘取るべし」と云ふ。柴田勝家藤吉を拒んで曰く、「征伐は仁を以て大道とす。山路彈正力盡きて降を乞ふ。窮鳥も懷に入るときは狩人もこれを殺さず。今彈正を攻め殺さば、勢州の將士、君の不仁を惡んで、重ねて歸降するものなく、死力を盡して防戰すべし。然るときは勢州平治せんことおぼつかなし」。信長卿いまだ心決せず、衆議紛々(ふんぷん)としてさらに一定ならざるところへ、岐阜の城より飛脚到來して、「甲州武田信玄、美濃の三老臣と計を合せ大軍を起し、尾濃兩國へ亂入する由その聞こえ甚だ急なり。早く軍をまとめ御歸國然るべし」と追々(おひおひ)飛脚重なりければ、信長甚だ驚き給ひ、「まづ彈正が降參を免し、重ねて事を計るべし」と、歸國の用意をせられける。藤吉郎大に苦しみ、「これ必ず敵方に智者ありて、流言を以て味方を惑はし、大軍を退かせん謀なり」と、身を揉みて焦りけれども、「本國に變あらば、この小城攻取つて要なし」と衆議一決し、直に歸國し給ひける。さるほどに信長卿、三老臣を召して事を正し給へば、さらに據なき流言にて、武田家はこの頃は越後の上杉と取合ひ最中なれば、外を攻むる暇なく、その上信長と内縁の因もあれば、毛頭異心これなき由明白に相知れ、かつ桑名の城主瀧川左近一益より、使節を以て、「山路彈正降參の條僞りにて、これかねて楠七郎左衛門、謀計を以て山路をして僞つて降參なさしめ、合戰を緩め置き、流言を以て織田の軍を退かしめたる」由、つぶさに言上に及びければ、信長卿大に後悔し、藤吉が先見神に通じたるを返す返す感稱あり、重ねて征伐あるべきとて、永祿十一年春二月、美濃、尾張の軍勢ことごとく催促し、その勢都合四萬餘騎、桑名まで出陣し、この所にて手分を定め給ひ、關、八田、安濃津、細野、神戸、高岡、鹿伏兎、國府等の城々(しろじろ)へことごとく軍勢を差し向け、同時に攻め討つべしとその勢盛なり。木下藤吉計謀を以て、江州の佐々木、信長と好を結び、西の方より勢州を攻むるよし流言させければ、軍民甚だ恐れ慄き、千種、宇野、赤城、稻生の住士らことごとく降參し、先手に加はりければ、大軍を以て高岡の城を圍ませ、藤吉郎、信長の使者となりて敵城に赴き、山路に説いて眞實の降を勸めければ、彈正も所詮籠城叶ひがたしと思ひ、よく戰ひて力盡きなば討死と覺悟せしに、藤吉が誠心を大に悅び、心實に歸服し、神戸藏人友盛を勸めて和睦を取り結び、信長卿の子息三七信孝殿を友盛の養子となして、因を結びければ、神戸の一族、峯、鹿伏兎、國府等と共に降りぬ。ここに於て藤吉、山路と計りて安濃津を取圍み、長野の一族郎從らを勸め、城主長野次郎は國司の舎弟なるを大河内へ送り返し、信長の舎弟三十郎信兼を安濃津の城主となし、それより龜山に至り、關安藝守を攻むる。安藝守は江州の六角承禎が後詰を賴みて籠城せしところに、信長、佐々木縁者となりて、鈴鹿山まで出張の沙汰ありしかば、大に驚き、いま信長の陣に來たりて降參す。斯く刃に血塗らずして勢州一圓に鎭まり、今は八田の一城のみなり。信長急に攻め討たんとありけるを、藤吉郎制して、「楠一人捨て置きたりとも、何ぞ患ふること候はん。國司と共にもかくも落著あるべし。北畠征伐は重ねて計略を定めて向ふべし」とて、瀧川一益を惣奉行として勢南を押へさせ、めでたく歸陣ましましける。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
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絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
私、有松いわゆる鳴海に住んでまして、今話舞台の地元民として(名港トリトンって名古屋港横断の大きな橋が架かってるため長島まで車で40分なので地元?w)名物をご紹介させて頂くと、なんでかパクパク食べれる「安永餅」とか、こし餡が絶品の「赤福」とか、お餅系が美味しいです。




