1-77 千生瓢箪の始まり
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
東国第一の名城、稲葉山城の陥落。それは同時に、木下藤吉郎という男が、天下という途方もない盤面の主役へと躍り出る、確かな幕開けの瞬間であった。
――しかし、戦いはまだ完全に終わったわけではない。
太陽が完全に昇り切り、朝の光が凄惨な戦場を照らし出す頃。外周の防衛ラインである二の丸までを完全に織田軍に制圧された斎藤龍興は、残された僅かな手勢と共に、最後の砦である本丸へと立て籠もっていた。
急峻な山頂にそびえる本丸は、まさに絶望的な孤立状態にあった。周囲はすでに一万二千の織田軍によって何重にも取り囲まれ、逃げ道はどこにもない。それでも龍興は、祖父・道三から受け継いだ誇りを胸に、最期の討死を覚悟して防戦の構えを崩さなかった。
だが、僕は知っていた。彼らがどれほど死に物狂いで抗おうとも、その抵抗が長くは続かないことを。
「……そろそろ、内側から限界を迎える頃だ」
本丸を見据える陣幕の中で、僕は静かに呟いた。力攻めによって外堀を埋めたのは昨夜の奇襲だが、実はそれよりもずっと前から、僕は稲葉山城の「内臓」を確実に腐らせるための仕掛けを施していた。
この稲葉山城の中には今、本来戦うべき兵士のほかに、数え切れないほどの領民――老人、女、子供たちがあふれ返っている。戦闘の役に立つ者は、全体のわずか二割から三割に過ぎない。残りの七割以上は、ただ徒に城の兵糧を消費するだけの存在だ。
これこそが、僕が戦前に仕掛けておいた最大の謀略だった。数ヶ月前から、僕は密かに美濃のあちこちに工作員を放ち、巧みな噂を流して回った。「織田の軍勢は村々を焼き払い、撫で斬りにするらしい」「安全なのは稲葉山城の中だけだ」と。
恐怖に駆られた美濃の民たちは、我先にと稲葉山城へと逃げ込んだ。若く経験の浅い龍興は、領民を見捨てるわけにもいかず、あるいは城の威容を見せつける虚栄心からか、彼らをすべて城内へと迎え入れてしまった。
城という閉鎖空間において、最も恐ろしいのは敵の刃ではない。数万の胃袋がもたらす「飢餓」だ。未来の知識を持つ僕にとって、兵站――物資の補給線と消費量の計算こそが、戦の勝敗を分ける絶対的な真理だった。僕の流言飛語に踊らされた斎藤軍は、自らの手で城内に無数の「食い扶持」を抱え込み、籠城の利点を完全に手放してしまっていた。
「戦う前に、すでに彼らの胃袋は空っぽだ。……哀れだが、これも乱世の現実というやつさ」
武器を持たない非戦闘員を兵糧攻めの道具に使う。未来の倫理観からすれば、吐き気がするほど非道な策だ。でも、ここは戦国だ。何万の兵が血を流して殺し合うよりも、腹を空かせて戦意を奪う方が、結果的にはるかに多くの命を救うことにも繋がる。僕は胸の奥の罪悪感を冷たい理性で押さえ込み、次の一手へと思考を巡らせた。
「……藤吉郎。本丸の様子はどうだ」
背後から響いた底冷えのする声に、僕は振り返り、その場に平伏した。漆黒の南蛮胴に身を包んだ信長だった。燃え盛るような鋭い眼光が、丘の上から斎藤家の最後の砦を睥睨している。
「はっ。もはや城内の兵糧は尽き果て、士気は完全に崩壊しております。今一息に攻め上れば、半刻(約一時間)もかからずに踏み潰せるかと存じます」
「ならば、一気に揉み立てるか」
信長が腰の太刀に手をかけた瞬間、僕は床に額を擦りつけ、声を張り上げた。
「お待ちください、信長様! ここはお怒りを収め、龍興に降伏の使者を送るべきです!」
「……何?」
「今、城内には無数の領民がひしめき合っております。これごと焼き尽くせば、確かに斎藤家は滅びましょう。しかし、美濃の民の心には織田に対する消えない憎悪が残ります。天下を治めるためには、民の心という『土台』が不可欠。どうか、非命に死にゆく軍民の命を救うため、慈悲の御心を……!」
信長の逆鱗に触れれば、その場で首を刎ねられてもおかしくない。でも、信長はしばしの沈黙の後、ふっと短く鼻で笑った。
「貴様が城に民を追い込んだのだろうが。……悪党ぶるのか、善人ぶるのか、どちらかにしろ、猿」
「……天下を獲るためならば、どちらにでもなる覚悟でございます」
「ふん。よかろう」
信長様は踵を返し、陣幕の奥へと歩き出した。かくして、織田軍から本丸の斎藤龍興へ向けて、最後にして最大の通告が突きつけられたのである。
『城を開き、速やかに退去するならば、城中上下の男女、ことごとくの助命を約束しよう。これは多くの軍民が非業の死を遂げることを嘆いての処置である。もしこれに応じない場合は、大軍をもって一息に攻め立て、一人残らず踏み潰す』
圧倒的な武力を見せつけた後での、この上ない温情の提示。飢えと疲労の極致にあった龍興に、もはやこれに抗う気力は残されていなかった。龍興は助命の恩に感謝すらして、信長の使者を送り返した。
翌日。永禄7年(1564年)8月15日。夏の終わりを告げるような澄み切った青空の下、稲葉山城の重い扉がゆっくりと開かれた。
出てきたのは、かつて美濃一国を震え上がらせた名家の当主とは思えない、ひどく憔悴した若者の姿だった。斎藤龍興。そして彼に付き従うのは、斎藤九郎右衛門、長井隼人、同飛騨守、日根野備中守、同治右衛門、牧村牛之助といった、最後まで忠義を捨てなかった僅か30人の家臣たちだけだった。
彼らは一言も発することなく、うつむき加減に歩みを進めた。祖父の代から住み慣れ、栄華を極めた国を追われ、見知らぬ都を目指して落ち延びていくその背中。そこには、一つの時代が完全に終わりを告げたという、途方もない寂寥感が漂っていた。
その後ろからは、城に立て籠もっていた無数の民衆や兵士たちが、安堵の涙を流しながらそれぞれの故郷へと散っていった。美濃の国は、こうして一滴の無駄な血を流すこともなく、完全に織田の属領へと組み込まれたのである。
美濃征伐の完全なる勝利。長年の宿敵であった斎藤家をついに滅ぼし、美濃一国を手中に収めた信長の喜びは、筆舌に尽くしがたいものだった。
後日、新たに織田家の本拠地となった稲葉山城(間もなく『岐阜城』と名を改めることになる)の大広間において、盛大な論功行賞が行われた。
「木下藤吉郎、前へ」
信長の低く威厳のある声に呼ばれ、僕は大広間の最前列へと進み出て、深く平伏した。周囲の武将たちからの視線が、僕の背中に突き刺さる。かつては草履取りから始まった見すぼらしい農民の倅が、名だたる猛将たちを差し置いて、今やこの美濃攻略の最大の立役者としてこの場にいるのだ。嫉妬、驚嘆、羨望。様々な感情が入り混じった空気が広間を満たしている。
「藤吉郎。今度の美濃征伐において、貴様の働きは見事であった。半兵衛を筆頭とする美濃三人衆の調略、領民を操った兵糧攻め、そして何より、瑞龍山の絶壁からの搦手強襲。どれを取っても並の将にできることではない」
「もったいないお言葉、身に余る光栄に存じます」
「莫大な功である。よって、美濃の内において、貴様に新たな領地をあまた下し賜うものとする」
広間がどよめいた。下級武士の身分から、一気に広大な領地を持つ大身の将への出世。大抜擢だ。胸の奥で、日輪の熱が歓喜に打ち震えている。
だが、信長の言葉はそれで終わりではなかった。彼は少しだけ口元を緩め、面白がるような、それでいてどこか凄みのある笑みを浮かべた。
「それともう一つ。……今度の戦で、貴様が合図に使ったあの『瓢箪』の相印のことだ」
「はっ……?」
「夜空に突き出された瓢箪。いかにも貴様らしい、猿知恵のきいた面白き趣向であった。とりわけ、味方を大勝利に導いた吉事の証である」
信長は扇子をパチンと鳴らし、僕に向かって力強く言い渡した。
「この後、例として、あの瓢箪を貴様の『馬印』に用いるが良い!」
馬印。それは戦場において、大将の所在を示す神聖なる旗印だ。武将としての誇りであり、その軍の魂とも言えるもの。それを、主君である信長から直々に授けられる。これほど武士として面目を施す出来事はほかにない。
「……っ! ありがたき幸せ……! この木下藤吉郎、一生の誉れといたします!!」
僕は感極まり、声の限りに叫んで深々と頭を下げた。
震える僕の背中を、信長の鷹のような鋭い視線が射抜いているのを感じる。それは「期待」であり、同時に「少しでもしくじれば、その馬印ごと首をへし折る」という無言の圧力でもあった。
論功行賞の夜。僕は自分の陣屋に戻り、一つの中くらいの手瓢箪を酒の肴に、一人静かに盃を傾けていた。
月明かりに照らされたその丸みを帯びた形は、どこか滑稽で、しかし不思議な力強さを持っている。豪華絢爛な金の軍配でもなく、勇猛な龍や虎の旗でもない。ただ農民が水筒に使う、ありふれた瓢箪。それが、これからの僕を象徴する旗印となる。
「……面白いじゃないか」
僕は盃を置き、瓢箪を撫でた。農民の倅として、何もないゼロの状態からこの世界に転生した僕には、まさに相応しい。
この瓢箪の中は今は空っぽだ。名誉も、絶対的な権力も、まだ完全には手に入れていない。けれど、空っぽだからこそ、無限の可能性を詰め込むことができる。僕は、この日から一つ心に決めたことがある。戦功を挙げるごとに。勝利を重ねるごとに。この大きな瓢箪の周りに、小さな瓢箪を一つずつ結びつけて増やしていこうと。
今はまだ、たった一つの瓢箪に過ぎない。だが、これから先、信長と共に天下布武の道を突き進む中で、百の戦に勝ち、千の戦に勝てば。この瓢箪は無数に連なり、やがて黄金に輝く巨大な房となって、戦国の空を覆い尽くすだろう。
「待っていろよ、戦国。……僕の物語は、ここからが本当の始まりだ」
胸の奥で、あの日見た「日輪」の夢が、これまで以上に眩しく、熱く燃え上がるのを感じた。
一介の転生者が己の知識と泥臭い執念で駆け上がる、天下取りの道。のちに『千成瓢箪』として、その名を日本中の誰もが知ることになる伝説の馬印。その栄光の歴史は、尾張の貧しい村で目覚めた一人の転生者の、小さな決意から始まったのである。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
千生瓢簞の由來
さるほどに齋藤龍興、稻葉山の二の丸まで敵のために討破られ、本丸に楯籠り防ぎ戰へども、終には落城討死と覺悟を定め、最期の戰を挑む。この稻葉山の城には、城下の百姓老少あまた籠り、物の用に立つべき者は十に二三分にして、徒に兵粮を費すのみなり。これは已前より木下藤吉郎さまざまの謀略を運らし、美濃の將士を欺き、百姓を城中へ入らしめ、籠城の便なからしめ、このときに至つて信長卿より使者を遣はし、「齋藤龍興城を開き退去するにおいては、攻口を開き、城中上下の男女ことごとく助命たるべし。このこと多くの軍民、非命に死せんことを歎くが故なり。もし承引なきに於ては、大軍一息に揉み立てて、一人も殘らず踏み潰すべし」と聞こえければ、龍興大に悅び、助命の恩を謝して使者を歸し、その翌日永祿七年八月十五日、城を開きて退散す。附き隨ふ家人には、齋藤九郎右衛門、長井隼人、同飛騨守、日根野備中守、同治右衛門、牧村牛之助、次第次第に城を出で、主從僅に三十餘人、住み馴れし國を餘所になして、都を志して遁れ行きける。そのほか城中の軍民、老少男女に至るまで、己がさまざま出行きける。
ここに於て美濃一國、ことごとく織田に屬し、信長喜悅限りなく、功ある者はことごとく恩賞を與へ、就中木下藤吉、濃州征伐において莫大の功ありて、美濃の内にてあまた領地を下し賜はり、「今度瓢簞の相印、面白き趣向、とりわけ味方の吉事なれば、この後例として馬印に用ふべし」と仰せ渡されければ、藤吉面目を施し、これより後瓢簞を馬印にし、戰功あるごとに小さき瓢を一つづつ増しけるにぞ、千生瓢簞とて、その名天下に普く高し。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
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絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
名古屋には、豊臣秀吉の馬印である「千成瓢箪」をあしらったふわふわの焼皮に、こだわりの餡がたっぷり詰まった老舗和菓子店・両口屋是清の代表銘菓「千なり(せんなり)」があります。キヨスクとかじゃなくてデパ地下で売ってる系の高級価格帯なので、そうそう食べれませんが、もちろん「でらうみゃあ」です。




