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新訳 太閤記 ~ 転生 豊臣秀吉、未来を識る僕は史実の道を静かに歩む 〜  作者: 条文小説


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1-75 稲葉山、内部崩壊

挿絵(By みてみん)


 『太閤記たいこうき』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。

 『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本よみほん。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia

 堀尾茂助スーパールーキーの背中を追いながら、僕は自分の呼吸を深く整えていた。


 茂助という、この瑞龍山ずいりゅうざんのすべてを知り尽くした最高の案内人ナビゲーターを得た僕たちの歩みは、先ほどまでの死闘が嘘のようにスムーズだった。


 茂助は迷いのない足取りで、木々の隙間や岩のくぼみ、獣すら避けるような細い尾根道を縫うように進んでいく。月明かりが時折雲に隠れる完全な暗闇の中でも、彼の足取りが乱れることは一切ない。


(……すごいな。やはり、後世に名を残す男は基礎的な能力スペックが違う)


 僕は岩肌に張り付きながら、内心で舌を巻いた。猟師としての経験だけではない。茂助には地形を立体的に把握し、最適な経路を瞬時に導き出す天性の空間認識能力がある。これほどの逸材が、ただの山の中で燻っていたとは。戦国時代という泥沼には、まだ見ぬ原石がどれほど眠っているのだろうか。


「藤吉郎様、あともう少しです。足元が滑りやすくなっておりますゆえ、お気をつけて」


「ああ、助かるよ茂助。君がいなければ、今頃僕たちは谷底の泥を啜っていただろう」


 僕が冗談めかして言うと、茂助は照れ臭そうに鼻の頭を掻いた。蜂須賀小六や弟の又十郎たちも、疲労の色は濃いものの、その瞳には獲物を狙う肉食獣のような鋭い光を宿らせている。


 やがて、傾斜が少しずつ緩やかになり、冷たい夜風が汗ばんだ肌を撫でた。視界を遮っていた木々が不自然に途切れ、僕たちはついに、稲葉山の絶頂へとたどり着いた。


「……着いたぞ」


 僕は岩陰に身を隠しながら、眼下を見下ろした。思わず、息を呑む。遙か下方に広がるのは、松明の明かりで赤々と照らし出された敵城――稲葉山城の全貌だった。何重にも巡らされた曲輪くるわ、黒々とした屋根瓦、そしてアリの群れのように蠢く兵士たち。正面の大手口からは、依然として怒号と鉄砲の破裂音が響き渡っており、織田軍の苛烈な猛攻が続いていることが窺えた。


「見ろよ、藤吉郎…様。見事に背中が留守だぜ」


 隣に並んだ小六が、獰猛な笑みを浮かべて顎をしゃくった。その通りだった。僕の推量ロジックは完璧に当たっていた。城の搦手からめて――つまりこの山の裏側には、警戒の松明すら焚かれておらず、見張りの兵一人として配置されていない。


 無理もない。「こんな断崖絶壁を、完全武装した軍勢が登ってこれるはずがない」という常識が、斎藤軍の思考を完全に縛り付けていたのだ。彼らは限りある兵力リソースのすべてを、正面防衛というタスクに全振りしている。絶対の安全地帯セイフティーだと信じ込んでいる背中。そこへ、僕たちという異物が入り込んだ。


「油断大敵とはよく言ったものだ。どれほど強固な鎧を着込んでいても、背中の隙間を突かれれば人は死ぬ」


 僕は静かに刀の鯉口を切り、親指で鍔を押し上げた。


「さあ、降りるよ。音を立てるな。ここからは、死と隣り合わせの影絵遊びだ」


 僕たち8人の決死隊は、静寂の中、敵の懐へと続く急斜面を滑り降りていった。


 山を下り、僕たちは城の最外郭にあたる塀際まで息を潜めて接近した。よし、この塀を乗り越えればいよいよ城内だ――そう思った矢先、僕たちの行く手に思わぬ障害バグが立ち塞がった。


「……おいおい、冗談だろう」


 僕は思わず、呻き声を漏らした。塀の手前に、幅一丈(約3メートル)ほどの堀が口を開けていた。水は涸れているものの、深く切れ込んでおり、底には鋭く尖った竹槍がびっしりと植え付けられている。未来の陸上選手なら、助走をつけて跳び越えられる距離かもしれない。だが、足元はぬかるんだ斜面であり、僕たちは重い刀や兵糧を身につけている。少しでも足を踏み外せば、竹槍の串刺しになってジ・エンドだ。


「どうします、兄者。縄を投げて向こうの木に引っ掛けますか?」


 又十郎が小声で提案するが、僕は首を横に振った。


「いや、暗闇でうまく引っ掛かる保証はない。何度も投げ損ねて音を立てれば、いくら無警戒でも見張りに気づかれる」


 盤面が完全に停止フリーズしてしまった。城は目の前にあるのに、たった三メートルの堀が、底知れぬ深淵のように僕たちを隔てている。何か板切れはないか、橋の代わりになるようなものはないか。周囲を素早く見渡すが、あるのは岩と土、そして数本の大木だけだ。


「……仕方ねえ。力技でいくか」


 沈黙を破ったのは、蜂須賀小六だった。彼は太い腕をボキボキと鳴らしながら、堀のすぐそばに生えている、ひときわ太い一本の柳の大木に目を向けた。


「おい、加次田、茂助。俺を手伝え」


「……承知」


「はいっ!」


 無口だが腕の立つ加次田隼人と、合流したばかりの堀尾茂助が、小六の両脇に並び立つ。彼ら三人は柳の大木の幹に太い腕を回し、腰を深く落とした。


「いくぞ……せぇぇのっ!!」


 ミシミシッ……! バキバキバキッ!!


 僕の目を疑うような衝撃の光景が繰り広げられた。3人の怪力男フィジカルたちが、顔を真っ赤にして筋肉を隆起させると、大地に深く根を張っていたはずの大木が、不気味な音を立てて傾き始めたのだ。


「うおおおおおっ!!」


「倒れろォォッ!!」


 野生の猪を素手で組み伏せる茂助と、野盗の頭目として鍛え抜かれた小六、そして歴戦の勇士である加次田。戦国のフィジカルエリート三人が生み出す暴力的なまでのパワーは、物理法則すらねじ伏せた。


 ブチブチと根が引きちぎれる音と共に、柳の大木はゆっくりと弧を描き、そのまま「ドスゥゥン!!」という重い音を立てて、見事に堀の向こう岸へと架かった。


「……嘘だろ」


 物理演算の常識が、木端微塵に粉砕される瞬間だった。チェーンソーも重機もない時代に、人間の腕力フィジカルだけで大木を根こそぎ押し倒すなんて。


「へっ、どうだ藤吉郎様。これぞ究竟くっきょう梯子かけはしってやつだ」


 息を弾ませながら、小六が白い歯を見せて笑う。


「……感動したよ、小六。やはり戦国は、理屈ロジックだけじゃ計れない」


 僕は呆れ半分、頼もしさ半分で苦笑し、すぐに表情を引き締めた。倒れた柳の木は、見事な天然の橋として僕たちの前に道を開いている。


「音で敵が来るかもしれない。急いで渡るぞ!」


 僕たち8人は、大木の上を音もなく駆け抜け、何の苦労もなく、ついに難攻不落の稲葉山城、その内側へと忍び込むことに成功したのである。


 塀を越え、物陰に身を隠した僕たちは、周囲の様子をきっと睨みつけた。城内は、正面からの猛烈な攻撃の余波で、どこか浮足立った空気に包まれていた。だが、この搦手のすぐ裏手にあたる一角だけは、奇妙なほど静まり返っていた。


「……あそこだ」


 茂助が指差した先。しばたきぎが高く積まれた物置小屋のような場所のそばに、斎藤軍の雑兵たちが十人余り、集まっていた。


 彼らは最前線での任務を終え、交代で休憩にでも来たのだろう。大きめの飯櫃めしびつが空になって転がっており、兵糧を炊き終わって腹を満たした彼らは、疲労困憊の様子で柴にもたれかかり、無防備スリープに横になって眠りこけている。いびきすら聞こえてくる。


(……やるしかない)


 胸の奥で、冷たい何かがスッと通り抜けるのを感じた。前世の記憶が、一瞬だけ悲鳴を上げる。無抵抗で寝ている人間を、背後から刃物で切り裂く。それは、未来の日本の倫理観からすれば、紛れもない「殺人鬼」の所業だ。でもここは戦国。僕が躊躇えば、僕の仲間が死ぬ。信長が負ける。そして何より、僕自身の「日輪の夢」がここで潰えることになる。


 僕は、自分の右手に握られた刀の重みを、魂の奥底まで刻み込むように強く握り直した。


「……小六、又十郎、皆。声を出させるな。一瞬で終わらせる」


 僕の声は、自分でも驚くほど冷徹で、静かだった。8人の勇士は無言で頷き、それぞれ太刀や脇差を抜き放った。足音を完全に消し、闇に溶け込むように雑兵たちへと接近していく。僕は、一番手前で口を開けて寝ている若い兵士の背後に立った。


 どこかの農民だろう。泥にまみれ、疲れ切った顔をしている。家族が待っているかもしれない。僕と同じように、くだらない冗談で笑い合う仲間がいたかもしれない。


(ごめん。でも、これも「縁」と「時」だ)


 僕は左手で兵士の口を強く塞ぎ、同時に右手で握った脇差を、その首筋へ躊躇なく深く突き立てた。


「ぐっ……!?」


 くぐもった声が漏れ、生温かい血が僕の手にドクドクと流れ込んでくる。痙攣する体が暴れようとするのを、僕は全身の体重をかけて押さえつけ、さらに刃を深く捻った。プツリと、命の糸が切れる感触が腕を伝わってくる。


 周囲でも、鈍い肉の裂ける音と、くぐもった絶命の呻きが微かに響いた。小六たちは流石の腕前だった。熟練の暗殺者のように、声一つ立てさせることなく、十人余りの雑兵たちをまたたく間にことごとく切り殺してしまった。濃密な血の匂いが、秋の夜風に混じって鼻を突く。


 僕は震える手を袴で拭い、ゆっくりと立ち上がった。これで後戻りはできない。僕の手は、もはや完全に戦国の血で染まった。


(……感傷に浸っている暇はない。急がなきゃ)


 僕は冷徹な指揮官としての仮面を被り直し、次の行動フェーズへと移行した。


「こいつらの具足を剥ぎ取れ! みんな、身につけるんだ」


 僕の指示に、仲間たちは素早く動き出した。まだ温かい死体から、血に濡れた胴丸や陣笠を剥ぎ取り、自分たちの身に着けていく。斎藤軍の軍装は、暗闇の中では十分なカモフラージュになる。これで僕たちは、敵の目から見れば完全に「味方の兵士」にしか見えなくなった。


「藤吉郎様、これからどう動きますか? このまま本丸に斬り込みますか?」


 敵の血で顔を汚した茂助が、興奮気味に尋ねてくる。


「いや、たった8人で本丸に突っ込んでも犬死にするだけだ。僕たちの役割は、この城の『内臓』を食い破ることだ」


 僕は、彼らがもたれかかっていた大量の柴や薪の山を見上げた。乾燥した木材が山のように積まれている。秋の乾燥した空気の中では、これ以上ない極上の火種だ。


「火を放て。城の中に、地獄の業火を作り出すんだ」


 僕たちは火打ち石を取り出し、火口ほくちに火を移すと、柴薪の山のあちこちに差し入れた。最初は小さな種火だった炎は、薪の乾燥した表面を舐めるように広がり、あっという間にパチパチと音を立てて燃え上がり始めた。夜風に煽られ、火柱はまたたく間に数メートルの高さにまで達し、周囲を真昼のように明るく照らし出す。


「よし、いいぞ。これだけ派手に燃えれば、大手で防戦している敵兵の目にも必ず入る」


 難攻不落を誇る城内から、突然上がる火の手。それを見た守備兵たちの心理に何が起こるか。


「裏切者がいるのではないか?」「もはや本丸が落ちたのではないか?」という疑心暗鬼。極限状態の戦場において、内側からの恐怖は、どんな大砲よりも効果的に軍隊の規律を崩壊させる。


「さあ、仕上げだ。落ちていた飯櫃めしびつを担げ。僕たちはこれから、『前線で戦う味方に兵糧を運ぶ、熱心な斎藤軍の兵士』になる」


 僕は、空になった大きな飯櫃を弟の又十郎に持たせ、自らも適当な荷物を担ぎ上げた。小六や加次田たちも、僕の意図を完全に理解し、顔を隠すように陣笠を深く被り直した。


「行こう。堂々と、大手口ゲートへ向かうんだ」


 背後で赤々と燃え盛る火柱を背に、僕たち8人の偽装部隊は、城の主要通路を大手口へと向かって歩き始めた。城内は、すでに大混乱に陥り始めていた。


「火事だ! 搦手から火の手が上がっているぞ!」


「敵の忍びか!? いや、味方の裏切りだ! 水を持て!」


 松明を手にした斎藤方の武将や足軽たちが、怒声と悲鳴を上げながら右往左往し、僕たちの脇を通り過ぎていく。普通なら、ここで呼び止められ、正体を怪しまれる。でも、僕たちは敵の具足を着込み、さらに「飯櫃」という兵站へいたんを担いでいる。


 混乱の極みにある城内において、最前線へ兵糧を運ぼうとしている(ように見える)兵士を、わざわざ足を止めて尋問するほど暇な者はいない。彼らの意識ヘイトは、背後で燃え上がる原因不明の炎と、正面から押し寄せる織田軍の恐怖に完全に奪われていたのだ。


「おい、お前たち! そこをどけ! 消火が先だ!」


「はっ、申し訳ありませぬ! 前線への飯運びを急ぎますゆえ!」


 すれ違う武将の怒鳴り声に対し、僕は平身低頭して道を譲り、それらしい言い訳を返した。武将は僕たちの顔をろくに見ることもなく、舌打ちをして火災の方向へと走り去っていった。


「……くくっ」


 僕は陣笠の下で、笑いが漏れるのを必死に堪えなければならなかった。誰も疑わない。誰も咎めない。僕たちという猛毒が、城の大動脈を悠々と歩き、最も致命的な場所へと向かっているというのに。盤面は、完全にひっくり返った。


 大手の門付近では、斎藤軍の兵士たちが決死の形相で織田軍の猛攻を食い止めていた。だが、背後から迫る炎の明かりと煙に気付いた者たちの間に、伝染病のように絶望が広がり始めている。


「後ろが燃えているぞ!」


「城内に入り込まれたのか! もう駄目だ!」


 防衛線に、致命的な亀裂が入り始めた。そして僕は、その亀裂のど真ん中に向かって、飯櫃を担いだまま悠然と歩みを進める。


 胸の中の日輪が、勝利を確信して激しく燃え盛る。戦国最強の要塞、稲葉山城。この東国第一の名城が、木下藤吉郎というたった一人の「猿」の奇策によって、音を立てて崩れ落ちる瞬間クラッシュが、いよいよ訪れようとしていた。




【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】




堀尾茂助ほりをもすけ稻葉山いなばやま城内じやうないみちび


さても藤吉とうきち主從しうじうは、茂助もすけ案内あんないにてみちまよはず、つひ稻葉山いなばやま絶頂ぜつちやういたり、はるか山下さんか見下みおろせば、敵城てきじやう眼下がんかにあり。藤吉とうきち推量すゐりやうたがはず、搦手からめて嶮岨けんそたのんで用心ようじんへい一人いちにんもなし。さればこそとて主從しうじう八人はちにんやまくだりて塀際へいぎはいたれば、一丈いちぢやう有餘いうよ細堀ほそぼりありて、わたることあたはず。いかがはせんと猶豫ためらひしが、小六ころく加次田かじた堀尾ほりを三人さんにんそばひたる大木たいぼくやなぎを、もろともにたふし、これ究竟くつきやうかけはしなりと、八人はちにんなんもなく城中じやうちゆうしのり、あたりをきつとてあれば、雜兵ざふひやうども十人じふにんあまり、兵粮ひやうらうかしをはり、しばにもたれてたる。八人はちにん勇士ゆうし太刀たちち、こゑをもかけずかの雜兵ざふひやうをことごとく切殺きりころし、具足ぐそくり銘々 ちやくし、齋藤方さいとうがた兵士せ、柴薪しばたきぎきたるなかへことごとくれ、飯櫃いひびつち、攻口せめぐち兵粮ひやうらうはこ有樣ありさまにもてなし、大手おほてかたいそぎけるを、齋藤方さいとうがた軍勢ぐんぜいあへとがむるものもなかりけり。

〜参考文献〜

太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource

https://share.google/AxQqE2xRgf0LcmxAN

絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編

夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700


〜舞台背景〜

 もちろん原書にはありませんが、書きたかったので今話で挿入させて頂きました。転生テンプレ『初めて人を◯した。ゲームとは違う。ゲロゲロ』w

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