1-74 野に埋もれし猛将、八人の潜行
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
戦国の真の恐ろしさと向き合いながら、僕の脳髄は、城を落とすための悪魔のような一手を必死に探り始めていた。
織田軍が稲葉山城に取り付き、昼夜を問わず猛攻を仕掛けてから、すでに丸3日が経過していた。だが、東国第一の名城と謳われるこの城は、びくともしない。
稲葉山城は高い石垣を誇る城ではない。金華山そのものが巨大な要塞だった。幾重にも重なる曲輪と急峻な崖は、攻め手の兵を少しずつ削り取り、本丸へたどり着く頃には息も絶え絶えにさせる。
正面から挑めば、寡兵でも険しい隘路に立ち塞がれば、大軍をもってしても突破できない。それが天然の地形を活かした山城の恐ろしさだ。
斎藤家の兵たちは、もはや生き延びることなど考えていなかった。死兵となった彼らの防戦は凄まじく、斜面には味方の死体が折り重なり、血の臭いがむせ返るように立ち込めている。
(……このまま力押しを続ければ、織田軍は甚大な被害を出し、いずれ撤退を余儀なくされる。それは、信長の覇道がここで頓挫することを意味する)
僕は陣幕の中で、血走った目をこすりながら絵図面を睨みつけていた。正面からの攻撃は完全に手詰まりだ。ならば、盤面をひっくり返すにはどうすればいい?
僕は立ち上がり、夜の闇に浮かび上がる稲葉山のシルエットを凝視した。そして、視線を城の正面から、ぐるりと背後――搦手へと移す。
「……裏口、か」
城の搦手――つまり裏側にそびえるのは、峨々(がが)たる奇岩と絶壁が連なる高山だ。断崖絶壁。とてもではないが、軍勢が登れるような地形ではない。
見張りの兵すらまばらなのは、鳥ですら翔かけり難い物理的な進入不可領域と誰もが信じ込んでいるからだ。だからこそ斎藤軍は裏口のセキュリティを完全に放棄し、正面に全リソースを集中させている。
だが、僕の中の前世の記憶――数々の軍記物語や歴史の知識が、ひとつの狂気じみた閃きを提示した。
(――誰も登れない?そんなものは、固定観念に過ぎない)
誰もが「不可能だ」と切り捨てる場所にこそ、最大の死角が存在する。軍隊が通れないのなら、たった数人の隠密部隊で登ればいい。
僕の脳内で、一つの狂った奇策が完全に組み上がった。
「小一郎、いるか」
僕は、控えの幕にいた弟の木下小一郎(豊臣秀長)を呼び寄せた。
「はい、兄者。何か良い策でも?」
「ああ。これから僕自身の攻め口の指揮は、すべてお前に預ける。正面の敵を引きつける陽動を頼む」
「えっ……?指揮を私に預けるって、兄者は一体どこへ行くつもりですか!」
目を丸くする弟の肩を叩き、僕はニヤリと笑ってみせた。
「決まってるだろう? 鳥にしか越えられない山なら、猿が登ってやるのさ」
僕が選抜したのは、自分の命を預けるに足る、6人の精鋭たちだ。蜂須賀小六正勝、弟の又十郎、加次田隼人、稲田大炊、青山新介、そして日比野六太夫。僕を含めた、たった7人の決死隊である。
「藤吉郎…様、お前さんって奴は……相変わらずマトモじゃねえな」
夜の闇の中、身軽な装束に着替えた蜂須賀小六が、呆れたように、しかしどこか楽しげに笑った。
「マトモなやり方で天下が獲れるなら、誰も苦労はしないさ。小六、道中は険しいぞ。死ぬ気でついてきてくれ」
「へっ。俺の命は、とうの昔にお前さんに預けてある。地獄の底まで付き合ってやるよ」
僕は全員を見渡し、力強く頷いた。銘々が腰に数日分の兵糧をくくりつける。そして僕は、弟の又十郎に、ひときわ大きな「瓢箪」を背負わせた。中には、疲れを癒やすための酒と水がたっぷりと入っている。
(……瓢箪、か)
その丸みを帯びた奇妙な形を見つめながら、僕は内心でふつふつと湧き上がる熱を感じていた。のちに「千成瓢箪」として、天下人の馬印となるあの意匠。その伝説が、今夜、この絶壁の山から始まるのだ。運命の符合というやつは、どうしてこうも劇的なのだろう。
「時は満ちた。行くぞ!」
8月13日、申の半刻(午後4時頃)。僕たち7人の小部隊は、誰にも気づかれることなく密かに陣所を抜け出し、城の背後にある瑞龍山へと足を踏み入れた。
日が落ちると同時に、東の空から中秋の満月が昇り始めた。月明かりはまるで白昼のように煌々と山を照らし出したが、幸いにも鬱蒼と茂る松や柏の巨木が、僕たちの姿をすっぽりと隠してくれた。だが、道のりは想像を絶する過酷さだった。
道など、最初から存在しない。切り立った岩肌にへばりつき、わずかに飛び出た木の根に指を掛け、腕力だけで体を持ち上げる。一歩足を踏み外せば、真っ逆さまに谷底へ転落し、骨も残らないだろう。前世の平和な肉体なら、5分で泣き言を言ってリタイアしているレベルだ。
しかし、今の僕の体は違う。「猿」とあだ名されるこの小柄な体躯は、信じられないほどの敏捷性と筋力を秘めていた。
「よし、ここは僕が先に行く!繩梯子を下ろすから、順番に登ってこい!」
僕はまるで本当に猿になったかのように、岩角を伝い、枝から枝へと飛び移った。そして安全な足場を見つけるたびに繩梯子を下ろし、小六たちを引き上げていく。息は絶え絶えになり、指先は岩で擦り切れて血が滲む。それでも、胸の奥で燃える「日輪の熱」が、僕の体を無理矢理に前へと突き動かしていた。
岩壁と格闘すること数時間。僕たちは辛うじて、山腹にある一畳ほどのわずかな平地へと這い上がった。
「……はぁっ、はぁっ……流石に、骨が折れるな」
「藤吉郎……お前、本当に人間か? あんな岩壁をスイスイ登りやがって……」
大男の小六でさえ、地面に大の字になって肩で息をしている。僕たちはここで一時休憩を取ることにした。又十郎が背負ってきた大瓢箪の口を開け、回し飲みをして酒で喉を潤し、冷え切った握り飯を胃に流し込む。張り詰めていた緊張が、ほんの少しだけ解けた。――その時だった。
バキバキバキッ!!
突然、背後の深い茂みが暴力的な音を立てて薙ぎ倒された。草木が激しく揺れ、土砂が舞い上がる。そして、月明かりの下に現れたのは、一丈(約3メートル)はあろうかという、巨大な手負いの猪だった。脇腹には矢が深々と突き刺さっており、痛みと怒りで完全に我を忘れている。その目は血走り、鼻息は蒸気のように白く吹き上がっていた。
「なっ……!?」
「猪だ! それも、とんでもねえデカさだぞ!」
全員が弾かれたように立ち上がり、刀の柄に手をかける。だが、狭い平地だ。あんな質量の塊に突進されれば、戦う前に崖下へ突き落とされてしまう。絶体絶命の危機――そう思った次の瞬間。
「おおおおおっ!!」
茂みの奥から、猪の後を追うように一人の男が飛び出してきた。身なりは粗末な猟師のそれだが、動きの俊敏さはただ者ではない。男は逃げる僕たちを気にする素振りも見せず、猪の背後から跳躍し、その巨大な獣の首筋にしがみついた。
「ブギィィィッ!!」
猪が男を振り落とそうと、岩や木の根に体を打ち付けながら狂ったように暴れ回る。男は幾度も崖から落ちそうになりながらも、決してその手を離さなかった。そして、空いた片手で腰の山刀を引き抜くと、凄まじい膂力で猪の分厚い皮を貫き、喉元へ二度、三度と深々と突き立てた。
鮮血が、月光に照らされて黒く飛沫を上げる。猪は狂乱し、縦横無尽に平地をのたうち回ったが、やがて急所を突かれた傷から大量の血を流し、ついに力尽きて「ドスーン!」と地響きを立てて倒れ伏した。
「…………」
僕たちは、言葉を失ってその光景に見入っていた。戦場での人間同士の殺し合いとは違う。むき出しの生存本能と、野生の暴力のぶつかり合い。男は全身を獣の血で染めながら、ゆっくりと立ち上がり、荒い息を吐いた。
「……すげえぇ」
又十郎が、思わず感嘆の声を漏らす。僕も全く同意見だった。あの巨獣を、己の肉体と短い山刀一本で仕留めるとは。僕は警戒を解き、血まみれの猟師にゆっくりと近づいた。
「見事な腕前ですね。お名前を伺っても?」
男は警戒するように山刀を下げたまま、低く通る声で答えた。
「……堀尾茂助だ」
(――堀尾、茂助……!)
その名を聞いた瞬間、僕の脳内で、過去の記憶と歴史の知識が一気にスパークした。堀尾茂助。のちの堀尾吉晴。豊臣秀吉の天下取りを最古参として支え、のちに松江開府の祖。その「始まりの出会い」が、まさにこの稲葉山の裏道だった。僕は湧き上がる興奮を抑えつけ、努めて冷静な、しかし威厳のある声で口を開いた。
「堀尾茂助……! 君は、かつて岩倉城の攻防戦で、父親の堀尾忠右衛門と共に城に籠もり、父親の危機を見事に救い出して勇名を轟かせた、あの少年じゃないか!」
茂助は、泥だらけの僕の顔を見て、大いに驚いたように目を見開いた。
「……あんた、何者だ? こんな山奥で、なんで俺たち親子の過去を知っている?」
僕はニヤリと笑い、自らの胸をドンと叩いた。
「僕は、かつて岩倉城攻めの陣中にて、君のその勇猛な働きを見て感銘を受けたのだ。いつか必ず、配下に迎えたいと、ずっと再会を願っていた。」
僕は満面の笑みを浮かべ、彼に名刺代わりの言葉を叩きつけた
「僕は、織田信長の郎等、木下藤吉郎秀吉だ」
「木下……藤吉郎。あの、一夜城の?」
戦国時代において、身分の低い者の武勇が上に伝わることは稀だ。ましてや、敵将の武勇録など。だが、僕は「知って」いる。前世の知識というチートと、藤吉郎としての記憶が、目の前の男の価値を完璧に証明している。
人間は、自分の過去の努力や隠れた美徳を『見つけてくれた』相手に対し、無条件の忠誠と好意を抱く生き物だ。茂助は持っていた山刀を取り落とし、僕の前にその場に片膝をついた。僕は片膝をつく茂助の肩をガシリと掴んだ。
「茂助。君のその卓越した身体能力と、この山の詳細な地理を、僕に提供してくれないか。もしこの攻略が成功した暁には、君を信長様に推挙して、武将としての輝かしい未来と、莫大な恩賞を約束しよう」
泥と欲にまみれた、我ながら最低のプレゼンテーションだった。ところが、現代の論理と戦国の熱量を融合させた僕の勧誘は、山に埋もれていたこの天才ルーキーの心を、完全に撃ち抜いた。
ただの猟師として一生を終えるか。それとも、目の前の奇妙な武将と共に、歴史の表舞台へと飛び出すか。茂助は深く頭を下げ、そして顔を上げた。その瞳には、先ほどの猪すら凌ぐような、野心と覚悟の炎が宿っていた。
「……承知いたしました。この堀尾茂助、命に代えましても、藤吉郎様を城の背後までご案内いたします!」
「よく言った!小六、又十郎、気合を入れ直せ!ここからが本番だ!」
強力な現地の案内人を得た僕たちは、茂助の先導により、迷うことなく暗闇の獣道を進み始めた。道なき道を抜け、岩を越え、気が付けば僕たちは、城の最も脆弱な背後――誰も警戒していない「死角」へと、完璧に回り込むことに成功した。
「……見えたぞ。稲葉山城だ」
眼下には、正面の防衛に全兵力を注ぎ込んでいる斎藤軍の背中が無防備に晒されている。胸の奥で、日輪が燃え盛るような確かな予感がした。この一撃が、美濃を獲る。そしてこの僕が、戦国の歴史を決定的に書き換えるのだ。
「さあ、宴を始めようか」
僕は腰の刀を静かに引き抜き、眼下の闇へ向かって、獰猛な笑みを浮かべた。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
木下藤吉郎稻葉山の搦手を襲ふ
さるほどに信長の大軍、稻葉山を攻むること、晝夜三日に至れども、東國第一の名城、一夫これを守れば萬卒破り難き要害なるに、勇剛の壯士、必死の防戰をなしける故、容易く落つべしとは見えざりける。木下藤吉、つらつら戰の樣を見るに、この城力戰にては叶ふまじと、その夜城下の地理を見るに、城の搦手は峨々たる高山にして、鳥も翔りがたしと見ゆ。藤吉吃と計策を案じ、己が攻口を舎弟小市郎に託し置き、その身は小六正勝、弟又十郎、加次田隼人、稻田大炊、青山新介、日比野六太夫、主從七人、間道を經て搦手へ廻らんと、銘々 腰に兵粮を附け、大きなる瓢簞に酒を入れ又十郎に背負はしめ、頃は八月十三日、申の半刻に陣所を打立ち、瑞龍山に登り、峯傳ひに細道を稻葉山の後牧田に出でけるとき、中秋の月東に昇り、あたかも白晝のごとし。これより嶮岨云ふばかりなく、岩石岨ち人路も絶え、松柏茂繁りて月の光を掩ふ。藤吉郎元來身の輕きこと猿のごとく、木の根に取附き岩角を傳ひ、繩梯を下して人を通はし、辛うじて一箇の平地に出づ。ここにて人々 酒を呑み飯を喰ひ、暫く休息せしところに、俄に草木動搖して、一丈ばかりの手負猪、土砂を蹴立てて荒れ來る。人々(ひとびと)あはやと見るところに、獵師一人跡より馳來り、聲をかけてかの猪を呼び返す。猪振り返りて飛び掛るを、咽首にしつかと取附き、山刀を拔き出し、二刀三刀突き通せば、猪はいよいよ躍り狂ひ、木の根岩石の嫌ひなく、縱横無碍に馳けたりしが、次第次第に力盡き、終に倒れて死したりけり。藤吉郎この働きを見て大に感じ、近く居寄りてその姓名を尋ぬるに、「堀尾茂助」と答ふ。藤吉手を打ち欣んで曰く、「汝父堀尾忠右衛門と同じく岩倉の城に籠り、父を救うて勇を顯はしたりし少年ならずや」。堀尾驚きて、「君は何人にて我ら父子が素姓を知り給ふや」。藤吉が曰く、「我岩倉の城に汝が勇壯を感じ、軍中にて名を認め、常に再會せんことを願ふ。我は信長の郎等木下藤吉郎なり。この度齋藤が稻葉山を攻め拔かんため、この嶮岨を凌ぎ、城の搦手へ出でんとす。汝我がために勞を厭はず、道の案内をなさば、重ねて恩賞を與ふべし」と云ふ。茂助大に悅び、再拜して命に隨ひ、稻葉山へ導きける。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
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絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
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堀尾吉晴は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。豊臣政権三中老の1人。出典:wikipedia
「仏の茂助」「鬼茂助」の二つ名持ちで信長、秀吉、家康の3人に重用された。ご存知のとおり沢山の逸話がありますが…個人的にはこれが好きです。
『慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで吉晴は家康に従軍を求めたが帰国を命じられた。その帰国途上の7月、三河国池鯉鮒(愛知県知立市)での宴会中の口論の末に、美濃加賀野井城主・加賀井重望が、三河刈谷城主・水野忠重を殺害。さらに吉晴も襲いかかられたが、これを返り討ち。返り血と17か所の槍傷から殺害の主犯と勘違いされた』
じじい吉晴の逸話、それも隠居後w




