1-67 偽りの城壁、本物の要塞へ
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
朝日を受けて白く輝く「偽りの城壁」の裏側で、僕は静かに、そして誇り高く口角を吊り上げた。
やがて、朝靄の向こうから地鳴りのような足音が響き始めた。美濃勢の到来だ。彼らは昨夜の豪雨で一度は軍を引いたものの、夜明けと共に再びこの洲俣の地を平らげようと大軍で押し寄せてきた。
だが、川の対岸までやってきた美濃の先陣は、ピタリと足を止めた。彼らの目に映ったのは、昨日までただの泥の野原だったはずの場所に、忽然とそびえ立つ一隊の「長城」だったからだ。
「な、なんだあれは……!?」
「馬鹿な……きのうの夕刻までは、ただの原野だったはずだぞ!」
遠目から見れば、板に和紙を張り付けただけの急造の壁は、強固な漆喰で塗り固められた白亜の防壁にしか見えない。画工たちに墨で描き込ませた「矢狭間」や「鉄砲穴」の影が、いかにもそこから無数の銃口が突き出されているかのような立体感を放っている。
その偽りの壁の背後には、織田の武威を示す色鮮やかな旗指物が林立し、数千の精兵が整然と兵器を並べている。城の出入り口には分厚い柵が張り巡らされ、逆茂木と呼ばれる鋭い障害物が幾重にも敷き詰められていた。
そして何より、防衛ラインの最前線に立つ蜂須賀小六率いる三千の傭兵たちが、矢尻を揃え、百挺余りの筒先を並べて、敵が不用意に近づけば即座に撃ち掛けようと殺気立っている。
美濃勢の兵士たちは大いに肝を冷やし、まるで強い酒にでも酔ったかのように、呆然として立ち尽くしている。彼らの頭の中では、過去の常識と、目の前の現実とが激しく衝突を起こし、完全に思考が停止してしまっていた。
「「霧もないのに虹が現れ、雨もないのに龍が天へ昇る……。あれは人の仕業ではない。天狗か鬼神が力を貸しているに違いない!」
「近づくな! 迂闊に攻めれば皆殺しにされるぞ!」
戦国時代を生きる人間にとって、己の理解を超えた現象は、すべて「超常的なもの」として処理される。もはや彼らに進む気力は残っていなかった。美濃の将たちは、「今は退いて軍議を開き、改めて攻めることにしよう」ともっともらしいことを口にしていた。
だが、それは敗北を認めたくない者たちの言い訳にしか聞こえなかった。結局、斎藤勢は一矢も交えないまま軍を返し、肩を落として引き揚げていった。
物理的な防御力が皆無の紙の城が、人間の「恐怖」と「不確実性」を煽り立てることで、見事に大軍を無傷で撃退したのだ。
この瞬間、僕の「一夜城」の計略は、戦国という盤面において最も劇的な成功を収めた。しかし。喜んでばかりもいられない。僕の頭の中で高速回転しているリスク管理の計算式は、すでに次の致命的な危うさを警告し始めている。
(……誤魔化せるのは、せいぜい数日だ)
白壁に見える部分は、あくまで板に紙を張り付けただけの急ごしらえだ。敵が遠巻きに様子を窺っている間はいい。しかし、雨風に晒されれば紙は破れるし、冷静になった敵が偵察でも出せば、本当の姿はあっさりと露見する。そうなれば、この砦はたちまち力任せに攻め潰されてしまうだろう。
時間を稼げた今のうちに、見せかけの砦を、本物の土と木材で構成された「実体のある城」へと作り替えなければならない。ここからが本当の勝負だった。
僕は直ちに清洲城へ急使を送り、信長に現状を報告した。一部始終を聞き終えた信長は、口元に獰猛な笑みを浮かべた。
「見事だ。紙と墨だけで、あの美濃の愚物どもの目を欺きおったか」
そして、手にした軍扇で床を叩き、静かに言った。
「ならば、美濃の連中の目をさらに逸らしてやろう」
信長は織田家の作事奉行たちを呼び集め、大々的に命令を発した。
「これより伊勢へ出陣し、新たな要害を築く。数日中に、長屋10棟、水槽10基、塀2,000間(約3.6km)分、そして柵木50,000本を揃えよ。遅滞は許さん!」
伊勢国。つまり、僕たちが現在動いている北の美濃とは、真逆の南方面への軍事展開だ。この大規模な資材調達の動きは、当然ながら各地の噂となり、美濃の斎藤軍が放っている間者たちの耳にも入った。
『織田の次の狙いは伊勢だ。洲俣の砦は、我々の目を引きつけるための陽動に過ぎない』
偽情報が見事に敵の頭に刷り込まれ、美濃軍の警戒は明らかに洲俣から逸れていった。信長が自らが流す「公式発表」という最強の目くらまし。信長という男の、この情報をコントロールする手腕には、僕も舌を巻くしかない。
一方、信長に『遅滞は許さん!』と厳命され物理的に首がかかってしまった作事奉行たちは死に物狂いで資材の準備を進めた。
僕が洲俣で用いた、あらかじめ部材を寸法通りに加工しておく手法が活用され、彼らは指定された数日中の期限よりも前に、膨大な量の竹木や城の部材を見事に作り上げた。
「……よくやった。ならば、真の狙いを明かそう」
準備が完了したのを見届けた信長は、ついに重臣たちを集め、種明かしを行った。
「伊勢は囮だ。俺が欲しいのは洲俣の城。その完成だけだ。兵を三手に分けよ。一手は敵を抑え、二手は普請に回す。攻めるな。まず城を完成させろ」
信長は断言した。
「今回は一気に決める。お前たちも覚悟して臨め」
北方の川筋に山のように積み上げられていた膨大な資材が、一斉に筏に組み込まれた。川並衆や水運に長けた者たちが総動員され、資材は次々と洲俣へと運ばれていく。川面を埋め尽くすほどの筏の列は、壮観というほかなかった。
そして、信長は小牧山に主力軍を集結させると、ついに洲俣へと本隊を進めた。僕が築いた仮の砦を囲むように、あらかじめ加工されていた本物の柵が次々と設置されていく。土が盛られ、木が組まれ、城は日に日にその姿を強固なものへと変えていく。
「……騙された! 織田の本命はやはり洲俣だ! 今度こそ完全に破壊しろ!!」
美濃の拠点・井ノ口(現在の岐阜)から、8,000騎の美濃軍が押し寄せてきた。怒りに燃えた大軍が、今度こそ物理的な暴力で洲俣の建設現場を叩き潰そうと、砂塵を巻き上げて殺到してくる。
その光景を見た織田の猛将たちは、一気に血気にはやった。
「信長様! 敵は大軍ですが、我らにお任せを!」
「打って出て、美濃の奴らの首を討ち取ってご覧に入れます!」
佐久間信盛や柴田勝家といった古参の武将たちは、敵を見れば「討ち取って手柄を立てる」という単純な思考しか持っていない。しかし、信長の判断は、彼らの熱狂に冷水を浴びせるような、極めて冷徹かつ合理的なものだった。
「――阿呆どもが」
信長は軍扇を振り上げ、全軍に向けて一喝した。
「誰一人、柵の外へ出ることは許さん!」
諸将は息を呑んだ。
「敵は多い。無駄に戦えば損害が増えるだけだ。弓と鉄砲を用いて、柵の内側からひたすら敵を防ぐだけでよい! よく聞け、かような時における真の手柄とは、敵を討ち取ることではない。要害の普請を速やかに完成させること――ただそれのみが目的である!」
それは、戦国時代の「敵の首を取ってナンボ」という常識を根底から覆す、明確な方針の転換だった。敵を倒すことよりも、拠点の完成を最優先させる。このトップのブレない意思決定により、織田軍の行動は完全に統制された。
兵たちは柵の内側から弓と鉄砲で敵を防ぎ続け、決して前に出ない。そして普請奉行や職人たちは、敵の攻撃を背中で聞きながら、昼夜を問わず城造りを進め、泥まみれになりながら本物の土と木で城を構築していく。戦いと建設の同時進行。
7日、8日と日が過ぎる頃には、紙と板で作られていた見せかけの城壁は姿を消していた。代わりに現れたのは、分厚い木材と土壁で築かれた堅固な城である。壁は厚く塗り固められ、櫓も長屋も完成した。洲俣の地に、本物の要塞が誕生した。
「……信じられん。本当に、城になってしまっただと……」
その異次元の建設速度を目の当たりにした美濃の兵たちは、呆然と呟いた。もはや付け入る隙はないと悟った美濃軍は、ついに攻撃を諦め、戦意を失って静かに兵を引いていった。
堀の普請も無事に完了し、武具や兵糧といった物資も完璧に城内に運び込まれた。見せかけの砦から、本物の城への作り替えは、こうして見事な成功を収めた。
洲俣の城に束の間の静寂が戻った夕暮れ時。僕は、新しく塗り立てられた土壁に寄りかかりながら、冷たい川風を全身に受けていた。
寺の静謐から放り出され、泥まみれの奴婢として四カ国を流浪してきた日々。露に濡れた不快な藁草履の感触。爪の間に詰まった黒い煤。理不尽な暴力と、冷酷な身分制度。
あの時、現代のアスファルトの記憶を抱えたまま放り出された僕は、ただ「今日という日を無駄なく生き延びる」ことだけを目的に、目の前の単純作業をひたすらに工夫し続けてきた。
けれど今、僕の足元には、僕自身の知恵と計算で組み上げた「一つの城」が存在している。そして僕の背後には、僕の描いた図面を信じて命を懸けてくれる、小六党という頼もしい仲間たちがいる。
(……僕は、まだ生きている。いや、ただ生きているだけじゃない)
胸の奥で、小さな心臓の鼓動に合わせて静かに疼いていたあの「日輪の光」が、今はもう、僕の全身を焼き尽くさんばかりの熱量を持って脈打っている。
織田信長という常識外れの主君の下で、僕のような「異端の存在」が次々と手腕を発揮し、この戦国という麻のごとく乱れた古い世の中を、根本から書き換えようとしている。
天下を獲るだの、歴史に名を残すだの。泥まみれの奴婢だった頃は、そんな大きなことはどうでもいいと思っていた。だが、今は違う。この理不尽で非効率な世界を、僕の頭の中にある現代の知恵で、隅々まで作り変えてみたい。
すべての無駄を省き、すべての悲劇を未然に防ぎ、最も滑らかに動く「天下」という名の巨大な仕組みを、僕の手で完成させてみたい。
色鮮やかな「五色の吹貫」の旗が、夕風にバサリと翻る。僕は、胸に燻る強烈な野心を極限まで圧縮したエネルギーに変え、明日という新たな戦場へと、再び真っ直ぐに前を向いた。
秀吉卿軽一命於敵国成要害之主事(二)
かくて伊勢国に令㆓出張㆒、取出の要害をせさせ給ふへきと、永禄九年七月五日大小の長屋十ケ、槽十塀二千間、柵木五万本、来八月廿日以前に仕立候へと、作事奉行等に被㆓仰出㆒しに、日限より先て出来せしかは、老臣共をめされ、於㆓勢州表㆒取出の要害を拵んと思ふそ、然は国中の人数三分にして、一分は敵をゝさへ、二分は城の普請作事に掛候へし、今度は一きは果敢行やうに長臣何も可㆑成㆓其意㆒とて、永禄九年九月朔日、北方の渡より土にをいて、筏イカダにくみ下さんと、悉く城具を川際へ持はこはせ積置しかは、山の如くに見えにけり、川に近き在々所々、加様の事に意得たる者を呼聚め、筏に組せ給ふ、九月四日小牧山へ勢を聚められ、五日の未明に北川之川上に着陣し、美濃地へ相越先城所に柵を付廻し、ひた〳〵と城を拵むとし給ふに、井ノ口〈後号岐阜〉より八千余騎之軍勢を段々にをし出し、城の普請をゝさへんとせしを信長卿見給ひ、敵は多勢なるそ、柵より外へ出へからす、弓鉄炮にて能防き候へ、かやうの時の手柄は、敵をは討す共唯要害の普請を、速に出来しぬるか本意なるそと下知し給ひけれは、敵を防者は防矢を射、普請の人々は夜を日に続て急き、七日八日には大形城も出来、塀櫓をもをし立、其夜にぬり立長屋に至るまて残る所もなく、いよやかに見えしかは、敵も興をさましけるとそ聞えし、扨堀普請に悉く懸て急かせ給ひける程に、是も程なく出来しけれは、武具兵粮等入置れ、藤吉郎に番手の士共相添、すへ置給ふ、其制書に云、
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
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絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
ご覧頂いてますとおり、太閤記の原文ガン無視の翻訳です。だって…個人的に超衝撃だったのですが、ユニット工法は秀吉のアイデアだと思ってたら、太閤記には「信長の発案」って書いてありました。それも伊勢国でw 主人公は秀吉だから、なろう投稿的に、そういうの非常に困るんですけどw




