1-63 洲俣攻略、最後の挑戦者
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
清洲城の軍議で、「洲俣に砦を築く」という前代未聞の事業計画が決まった直後のことだった。
僕――木下藤吉郎秀吉は、自室の薄暗い燭台の灯りの下で、その大役を任された佐久間信盛の動きを冷静に観察していた。
佐久間信盛は、織田家創業の頃から仕える重臣である。彼のような古参武将は、結局のところ「人数を集めて力で押し切る」のが解決策だと考えている。
信長から5,000人もの兵と人夫を預けられると、さっそく尾張中で竹や木を切り集め、それを筏に組んで洲俣へ運ばせる、極めて古典的な計画駆動型の工事をを始めた。
工事にあたる者が2,000人。残る3,000人は周囲を警戒する護衛役だ。夜を日に継いでの突貫工事。典型的な「死の行軍」である。もちろん、そのやり方自体は間違いではない。むしろ昔から行われてきた、ごく普通の築城法だ。でも――。
(……阿呆だ。)
僕は心の中で小さく呟いた。
(そんな大人数が動けば、あの美濃の化け物の目を誤魔化せるはずがない)
洲俣は敵地のすぐ目の前だ。大量の木材を切り出し、人夫を集め、何千人もの兵を動かせば、どれほど隠そうとしても情報は漏れる。完成する前に必ず攻撃してくる。そして建設途中の砦など、まともに守りきれるものではない。僕には、その結末が手に取るように見えていた。
果たして――。僕の危惧は数日と待たずに現実のものとなった。
洲俣に五千人もの人員が滞留し、盛大に音を立てて木を組み始めたのだ。当然、その動きを美濃の斎藤家が見逃すはずがない。
「――信長め。川を渡って砦を築き、美濃攻略の足掛かりを作るつもりか。完成する前に叩き潰せ!」
斎藤方は即座に動いた。
牧村牛之助、長井隼人、同飛騨守といった猛将たちが、10,000を超える大軍を率いて出陣する。
そして夜の闇に紛れ、佐久間軍の工事現場へ襲いかかった。夜襲だった。暗闇の中、突然怒号が響き渡り、無数の矢が飛び交う。佐久間信盛も必死に迎え撃とうとしたが、状況は最悪だった。
ここは敵地である。地形に詳しくないうえ、真夜中で敵の数も位置もわからない。どこから攻撃されているのかさえ把握できなかった。情報の非対称性と絶対的な恐怖。恐怖と混乱は瞬く間に広がった。護衛の兵たちは隊列を乱し、防衛線はあっけなく崩れ去る。
「退けッ! 退けええッ!」
指揮系統も混乱し、佐久間軍は洲俣川の岸辺へと押し込まれていった。足を滑らせて川へ落ちる者。押し合いへし合いの末に濁流へ飲み込まれる者。溺れ死ぬ兵の数は、もはや数え切れなかった。
もはや戦いを続けることは不可能だった。佐久間信盛は残った兵を筏に乗せると、命からがら尾張へ撤退した。一方の斎藤軍は、佐久間が苦労して運び込んだ大量の竹や木材をすべて奪い取る。大勝利の余韻に浸ってそのまま引き揚げていった。
こうして、莫大な人員と時間を投じた佐久間信盛の洲俣築城計画は、見事なまでに炎上し、灰燼に帰したのである。
凄惨な敗北の報告が清洲城に届き、織田家重臣たちは重苦しい沈黙に包まれた。だが、ここで引き下がるような柔な組織ではない。
「……佐久間殿の不手際、この柴田が拭い去ってご覧に入れよう」
次に名乗りを上げたのは、織田家が誇る最高物理火力、柴田勝家だった。勝家は佐久間と同じく5,000人の人夫を引き連れて洲俣へと向かった。
柴田勝家は、ただの筋肉達磨ではない。佐久間の失敗を学習し、防戦手配を極めて厳密に再構築していた。
陣の周囲には幾重にも柵を巡らせ、さらに最新兵器である火縄銃を数多く配置して、夜襲への備えを固めたのである。
「来るなら来い、美濃の連中。俺の陣は佐久間の時のようにはいかんぞ」
そう豪語しながら、柴田は持てる人員と資材を惜しみなく投入し、砦の建設を急がせた。もちろん、この動きを斎藤方も見逃さなかった。
「ならば今回も叩き潰し、材木ごと奪い取ってやる」
斎藤方は日根野備中や長井飛騨守を大将に据え、六千余騎の軍勢を編成する。そして前回と同じく、夜襲を仕掛けるべく洲俣へ向かった。やがて――
「おおおぉぉう!」
闇夜を切り裂くような鯨波が、洲俣の川原に轟き渡った。
だが、勝家は想定内のイベント)であるため、少しも騒ぐことはなかった。
「引き付けろ……敵を射程範囲内までおびき寄せるのだ」
彼は冷徹にコマンドを待機させ、敵が防衛ラインに触れた瞬間、懸け並べた鉄砲隊に一斉射撃の命令を下した。
ダァァァンッ!!
暗闇を強烈な閃光が切り裂き、轟音が連べ放たれる。その弾丸の密度は、雨よりもなお繁く、敵の先陣を文字通り粉砕した。物理的な正面衝突において、勝家の火力を突破することは不可能に近い。斎藤方はたまらず怯み、前進の足を止めた。
「今だ! 懸かれェッ!!」
敵が詰まったその一瞬の隙を突き、勝家の麾下にある選りすぐりの逞勢500騎が、どっと喚いて陣から討って出た。斎藤勢は想定外の状況に乱れ、しどろもどろになって後退し始めた。
(……勝った。このまま敵を川の向こうへ押し返せば、砦の基礎は固まる)
勝家がそう確信した、まさにその時だった。戦場という巨大な盤面において、最大の危機は常に見えない死角から侵入してくる。
正面の激戦の裏で、斎藤方の日根野治右衛門と牧村牛之助の二人が、川の上下から密かに別働隊を忍び寄らせていた。別働隊は勝家の強固な正面を完全に迂回し、軍勢の最後尾――すなわち、最も脆弱な非戦闘員である「普請方の人夫」の背後から、不意打ちを仕掛けたのである。
「な、敵だ! 後ろから敵が来たぞォッ!!」
突然の奇襲に、勝家の後衛は驚愕した。ここで致命的だったのは、人夫たちの中に「以前の佐久間の夜討ち」を経験していた者が多数含まれていたことだ。過去の恐怖が彼らの脳内で一気に再帰処理され、恐怖心は連鎖的に膨れ上がった。
「駄目だ、また殺される! 逃げろッ!!」
完全に恐慌を起こした人夫たちは、勝家の下知を一切受け付けず我先にと逃げ出し、右往左往して陣を走り回る。軍隊というシステムは、構成要素の足並みが揃って初めて機能する。内部の非戦闘員が暴走を起こせば、どれほど強固な外殻を持っていようとも、内側から自壊する。
「ええい、馬鹿者ども! 持ち場を離れるな! 逃げる者は俺が斬るぞ!!」
怒る勝家は自ら巨大な槍を捻って陣内を突き巡った。しかし、一度発生した大恐慌は、個人の暴力では止めることができない。勝家の備えは完全に乱れ、指揮系統は分断され、ついには総崩れとなった。
「……今は、これまでなり」
血走った目で周囲の地獄絵図を見渡した勝家は、己の死を覚悟した。勝家は一足も引かず、迫り来る斎藤の軍勢に向かって単騎で突撃した。その鬼神のごとき武力により、斎藤勢の手負い・死人の数は知れなかったが、多勢に無勢。敵は大軍で勝家を討ち取らんと、幾重にも追いつつ、取り巻いて攻撃を繰り返した。
このままでは、織田家の最高火力を失ってしてしまう。その最悪の事態を辛うじて防いだのは、川を隔てて後方に控えていた織田方の後詰め部隊だった。
森可成、池田勝三郎の両将が率いる2,000人が、川を渡り、強引に柴田の救出を敢行した。彼らの決死のカバーリングにより、柴田勝家は辛うじて川を渡り返し、散り散りになった人夫たちをまとめ上げて、這う這うの体で尾張へと撤退していった。
翌日。2度にわたる大規模事業の炎上と完全な敗北の報告は、織田家にかつてないほどの深刻な絶望をもたらした。
佐久間信盛が失敗し、織田家最強の武将である柴田勝家ですら歯が立たなかった。洲俣という地は、築城不可能なのではないか。重臣たちは一様に顔を青ざめさせ、もはや誰一人として「私がやります」と手を挙げる者はいなかった。
清洲城の大広間は、お通夜のような重苦しい沈黙に包まれている。
(……だから言ったじゃないか)
末席でうつむく僕の胸の奥で、日輪の光が静かに、そして強烈な熱量を持って脈打っていた。
彼らが失敗したのは、武力が足りなかったからでも、運が悪かったからでもない。敵地という不安定な環境において、現場で一から木を組み上げる「計画駆動型」の手法を用いた構造的な欠陥だ。
既存の古典的な手法が、完全に限界に達した。佐久間も、柴田も、己の無力を認めて沈黙している。
――つまり、今この瞬間こそが、僕にとっての「完璧なタイミング」だ。
邪魔をする権威は、もう誰もいない。僕が脳内で温め続けてきた、未来のプレハブ工法とアジャイル開発の概念を統合した「一夜城築城」。それを信長へプレゼンし、この理不尽な盤面の指揮権を握る時が、ついに来た。
僕はゆっくりと顔を上げ、泥にまみれた唇の端を、誰にも見えないように僅かに吊り上げた。
さあ、ゲームの続きを始めよう。
「……信長様。その洲俣の砦構築、この僕に、すべて一任していただけないでしょうか」
静まり返った大広間に、僕の平坦で冷徹な声が、くっきりと響き渡った。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
佐久間信盛洲俣に砦を築く
さても佐久間信盛は、五千人の人夫に下知を傳へ、織田領にて竹木を切らせ、筏に組んで川を渡し、三千人を分ちて敵の亂暴を防がせ、夜を日に繼いで急ぎける。齋藤家この由を聞き、「信長川を渡して砦を築き、足溜まりを作り戰はんとす。成就しては叶ふまじ、一息に蹴散らせ」とて、牧村牛之助、長井隼人、同飛騨守、一萬餘人を引率し、夜中に押寄せ散々(さんざん)に戰ひければ、佐久間心は彌猛と勇めども、案内不知の敵地と云ひ、夜中なれば勢の多少も見え分かず、心ならずも川端へ押出され、水に溺るる者數を知らず。今は防戰叶ひがたく、這々(はふはふ)筏に取り乘つて、尾州の方へ引きにけり。齋藤方は多くの竹木を奪ひ取り、十分の得附きたりと悅び勇み引取りける。ここにおいて織田家の將柴田勝家、佐久間に代りて砦を築かんと、同じく五千人を引率し、防戰の手配を嚴密に構へ、佐久間が敗走に習はじものと、精力を盡して勵みける。この由またまた齋藤方へ聞こえければ、さらば討破つて材木を奪ひ取らんと、日根野備中、長井飛騨守六千餘騎、今度も夜討と相圖を定め、柴田が陣前へ押寄せ、鯨波をどつと上げたりける。柴田かねて期したることなれば、少しも騷がず、敵を矢頃におびき寄せ、懸け並べたる鐵砲を連べ放つこと雨よりも猶繁し。寄手少しひるみて見えけるところを、逞勢勝つて五百餘騎、どつと喚いて驅立つれば、美濃勢案に相違して、しどろになつて逃げたりける。ここに日根野治右衛門、牧村牛之助兩人は、川の上下より忍び寄り、柴田が勢の後より、思ひも寄らず攻めたりければ、柴田方大に驚き、普請方の人夫ども、以前の夜討に手懲して、勝家が下知をもさらに聞かず、我先にと逃げ出し、右往左往に走りけり。柴田大に怒り、槍を捻つて突き廻れど、味方備へ亂れて惣崩れとなりければ、「今はこれまでなり。討死」と思ひ定め、一足も引かず戰へば、齋藤勢手負ひ死人數を知らず。されども大勢勝家を討ち取らんと、追取卷いて戰うたり。織田方の將森、池田、二千餘人にて川を隔てて控へたりしが、新手を以て柴田を救ひければ、辛うじて川を渡り、人夫をまとめ引いたりけり。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
https://share.google/AxQqE2xRgf0LcmxAN
絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
柴田勝家は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。織田氏の宿老であり、主君・織田信長に従い、天下統一事業に貢献した。出典:wikipedia
「鬼柴田」や「瓶割り柴田」など二つ名を持つ織田家ナンバーワンの忠臣にして猛将の柴田勝家ですが、晩年の勝家を読むと具体的に何がって訳じゃないのですが、なんとなく行間からお市の方に翻弄されたというか、気を使い過ぎたというか、頭が上がらなかったんだろうなって気がするのは私だけでしょうか。




