1-61 桑名を呑んだ男
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
清洲城の自室。僕は与えられたばかりの「五色の吹貫」――僕自身の旗印として承認された真新しい旗――を傍らに立てかけながら、薄暗い燭台の灯りを頼りに、忍びの者たちが持ち込んだ最新の報告書に目を通していた。
美濃の天才軍師・竹中半兵衛との極限の情報戦を生き延び、僕という存在の権限は織田家内部で確実に一段階引き上げられた。
だが、この急成長する織田家において、圧倒的な成果を出しているのは決して僕一人ではない。盤面の向こう側、南の伊勢国方面で、ひとつの痛快なプロジェクトが進行していた。
プロジェクト・リーダーの名は、滝川左近一益。言葉と心理的ハッキングのみで長島城の服部左京を騙し、敵の資金で尾張と伊勢の国境に「蟹江城」という強固なバックドアを構築した男だ。
一益はその実績を以て信長に正規雇用され、ついには伊勢の要衝「桑名城」の城主が留守にした隙を突き、無傷のまま城の乗っ取りを成功させていた。
「……さて。城を奪われた旧態依然の伊勢国司は、この凄腕の一益に対してどう動く?」
僕は報告書の束を捲り、冷徹なシミュレーションを走らせた。桑名を奪われた前城主・伊勢三郎は、大河内城の国司である北畠家へと泣きついた。驚いた国司と老臣たちは間者を放ち、桑名の現状を調査させた。
そこで彼らが直面したのは、物理的な武力以上の絶望だった。一益は城を奪うや否や、前城主の悪政を即座に修正し、課役を免じ、民を親のように撫育する「仁政」を敷いていた。桑名の民草は一益を神のように崇め、他領からの新規流入も止まらない。完全に「民衆支持」を掌握していた。
物理的な軍事力で攻め込めば、泥沼に陥る。そう判断した国司と老臣たちは、現代の企業買収においてよく見られる「妥協」という結論に至った。
『――そもそも、百姓たちが寝返ったのは伊勢三郎のクソみたいな悪政が原因だ。一益という男の主張に罪はない。ここは逆に国守様より使者を立て、彼を正規の幕下として迎え入れるべきだ』
僕は思わず失笑した。なんと傲慢で、かつ現実が見えていないトップダウンだろうか。圧倒的な技術力を持つ独立系ハッカーに対し、「お前の利用規約違反を許してやるから、うちのシステムの下請けになれ」と持ちかけているようなものだ。
案の定、桑名に至った国司の使者に対し、一益の対応は完璧なまでに冷酷だった。使者が、「国司様はそなたの罪を許し、そのまま桑名を治めることを認めるとのことだ。ただし、以後は国司様の配下として従うがよい」と告げると、一益は鼻で笑ったという。
「……まずは落ち着いて、俺の言葉をよく聞け。そもそも、お前らはこの滝川一益を何者と思っておるのだ」
報告書に記された一益の言動は、僕の胸の奥の日輪の光を共鳴させるほどに痛快だった。
「世が乱れて久しい。民は長く苦しみに喘いできた。だからこそ俺は、不正を正し、人々を救うために立ち上がった。先の城主・伊勢三郎は民を顧みず、城すら満足に守れなかった。桑名を失ったのは、すべて己の不徳によるものだ」
一益はさらに言葉を続けた。
「それを正すべき立場にありながら何もせず、今になって俺に罪を問うとは笑止千万。もし国司殿が正しい政を行うお方であるならば、俺も喜んで力を貸そう。だが、もしそうでないというなら――」
そこで一益は声を張り上げた。
「伊勢三郎の二の舞になるだけのことだ。俺は大軍を率いて北畠一族を討ち滅ぼし、この伊勢一国を俺の手に収めるまでよ。さあ、帰って国司殿にそのまま伝えるがよい!」
予想もしなかった強烈な返答だった。国司の権威を笠に着ていた使者はたちまち顔色を失い、返す言葉もなく桑名を後にしたのである。
(見事だ。相手の妥協案(M&A)を蹴り飛ばし、逆に敵対的買収のプレッシャーをかけて交渉の主導権を完全に掌握した)
僕は感嘆の溜息を吐きながら、次の報告書へと目を移した。国司という巨大なシステムが機能不全に陥っている中、もう一人、怒り狂って暴発を起こそうとしている哀れな管理者がいた。長島城の服部左京である。
左京は、一益から「信長の脅威から身を守るため」と唆され、本願寺という巨大ベンチャーキャピタルから莫大な資金を借り受けて蟹江城を構築した。
だが、一益は掌を返し、「蟹江は尾張の地であり、信長様から城主に任命されたから返さない」と公言したのだ。
「蟹江城は儂が本願寺から資金や兵糧を受け、苦労して築き上げたものだ。それを滝川一益に騙し取られた。このまま泣き寝入りなどできるか!」
躍り上がって激怒した左京の心理は、完全な埋没費用の罠に嵌まっていた。失った莫大な出資を取り戻さなければならないという焦りが、彼のリスク評価を完全に麻痺させていた。
左京は国司の使者に自らの挙兵を告げると、直ちに3,000騎という過剰な大軍を率いて、蟹江城へと押し寄せ、包囲攻撃を開始した。
「……馬鹿な男だ。そこはすでに、完璧に設計された死地だというのに」
僕は窓の外の暗闇を見つめながら、冷たく呟いた。蟹江城には、一益の甥である滝川儀太夫詮益が500騎で籠城している。3,000対500。数字だけを見れば圧倒的だ。しかし、城というものは防御側の備え次第で、兵力差という数字は簡単にひっくり返る。
一益は、小勢で大敵を防ぐための極めて緻密な防御機構を構築していた。城壁の随所に設けられた「石棚」の上には、あらかじめ大石や大木という物理的な質量兵器が限界まで積み重ねられていた。
服部左京の士卒たちが城壁に取り付き、最も密集度が高まった瞬間を計算し、守備隊は一同にそのロックを解除した。
ゴオォォォッ!!
凄まじい地鳴りと共に、転ばし掛けられた大石と大木の雨が、服部の軍勢を頭上から粉砕する。重力と運動エネルギーという絶対的な物理法則を用いた広範囲攻撃。
これに対処する術など、歩兵には存在しない。服部の士卒は死傷者の数すら把握できず、陣形は瞬く間に崩壊した。そして、敵がひるんだその隙を、一益の仕込んだ守備隊は見逃さなかった。
重い城門が開き、中から300騎の騎馬隊と、100挺余りの鉄砲隊が姿を現した。
ダァァァンッ!!
黒煙の中からの、一斉射撃。そして間髪入れずに鯨波を上げて突撃する騎馬隊。ただでさえ物理的ダメージでパニック状態に陥っていた長島勢の指揮系統は、完全にクラッシュした。
討たれる者は麻のごとく、右往左往して敗走するのみ。守備隊は深追いするリスクを冒さず、軽々と引き上げて城内へ戻り、再び堅牢な城門を閉じた。服部左京は、一益の恐るべき軍略が己の及ぶ次元ではないことを痛感し、敗軍を率いて長島へと逃げ帰っていった。
「……鮮やかすぎる」
すべての報告を読み終えた僕は、報告書を静かに卓に置き、深く息を吐き出した。この一連の鮮烈な伊勢攻略により、滝川一益の威勢は遠近に震い渡った。近郷の国侍である小牧、福山、上木、白瀬、浜田、高松といった輩は、招かれずとも自発的に一益に降り、桑名・員弁の両郡はことごとく一益の支配下として確立された。
滝川一益。泥にまみれ、単純作業の最適化から這い上がってきた僕とは対極にある、最初から経営層を見据えてすべてをスマートに攻略していく男。
信長のもとには、一益のような優れた人材が、これからも次々と集まってくるだろう。彼らはそれぞれ手柄を立て、領地を広げ、織田家の勢力を大きくしていく。だが、だからといって僕がただの奉行として、彼らの活躍を支えるだけで満足するつもりはない。
(信長は言った。「思い上がるな。身の程を弁え、ただ命を賭して働け」と)
あの日、泥にまみれながら聞いた信長の叱責を、僕は忘れていない。だが同時に、その言葉は僕にとって別の意味も持っていた。
――命を懸けるだけの価値がある大舞台を与えられた。
そう受け取った。今はまだ、滝川一益の武功も、僕自身の働きも、すべては信長の天下布武という大きな流れの中の一つに過ぎない。
だが、僕は知っている。人も、知恵も、機会も、すべてはやがて繋がる。今は離れて見える点と点も、いつか一本の線となり、大きな形を描く日が来る。その時、誰よりも高い場所から全体を見渡し、動かすのは僕でありたい。
傍らに立てかけた五色の吹貫をそっと撫でる。いつの日か、この戦国の世で、誰も見たことのない太閤記を紡ぎ上げるその時まで。僕は僕のやり方で生き抜く。泥にまみれながらも一歩ずつ前へ進み、誰よりも遠くへ辿り着いてみせる。
東の空がわずかに白み始めていた。夜明けの冷たい風が陣屋を吹き抜ける。僕は忍びたちが運んできた報告書を蝋燭に焚べ、新たな一日に備えて静かに立ち上がった。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
服部左京蟹江を攻むる
さるほどに國守の使者桑名に至り、瀧川一益に對面し、國守より申し越す趣演説す。その次第は、「そもそも勢州の國中に住居せる者、一城の主より百姓町人に至るまで、みな國守の命に隨はざるものはなし。然るに汝逆威を震ひ、當城を襲ひ取り、あまたの所領を奪ふこと、その罪輕きにあらず。軍兵を起し、急に征伐せらるべきところ、汝よく百姓を撫育して、政道また邪なき由を聞き、寛仁大度の國守、むげに誅伐せんも本意なし、國司の幕下に屬し、守國破敵の業を扶けば、そのままに桑名を領し、尚功に從ひ恩賞あるべし。或は盜心を改めず、國司の命に應ぜずんば、たちまち軍兵を以て誅殺し、城壁共に粉のごとくなし、その罪を糺すべし」と嚴かに演べければ、瀧川左近大に笑ひ、「汝心を靜めて我が言をよく聞くべし。そもそも我をいかなる者と思ふや。應仁以來民の塗炭を憐み、天兵を率し、普く天下に横行し、不仁無道の賊を誅し、有道仁義の君を助く。先の城主伊勢三郎、愚昧にして民を憐まず、惡政日々(ひび)に増長し、剰へ戰國の間に挾まつて、要害の地を守るべき備もなく、一朝一夕に城を失ひしは、ことごとく彼が暗弱より起れり。その君たる國司として、かかる愚人を糺すこと能はず、却つて罪を我に問ふは何事ぞや。國司の政道正しきときは、我よろしく扶助を加へて、勢州を泰山のごとく安くすべし。もし不仁不義なるときは、伊勢三郎を以て例となし、たちまち天兵を引率し、北畠一家を討亡し、勢州一圓に我が有となすべし。汝早く大河内に歸り、詳らかに申し達せよ。政道の邪正により、軍勢を差し向くべし」と、案に相違の返答、國司の使者色を失ひ、頭を抱へ、鼠のごとく逃げ歸りぬ。さてまた長島の城服部左京方へも、使者を以てその謂を尋ね問ひ、「瀧川がふるまひ、ことごとく服部が身に懸れり。所存ありや」と責めければ、左京も瀧川が行ふところ心に落ちず、蟹江、桑名を合せ領し、その上織田方の士卒を引入れ、防禦の備をなすよし聞こえければ、やがて桑名へ使者を立て、蟹江の城を返すべきよし申し遣はしければ、一益答へて、「もとより蟹江郡は尾州の地なるによつて、このごろ織田信長より某を以て蟹江の城主に補され、國主の命默すこと能はず、暫く蟹江を領する間、その旨心得候へ」と答へければ、使者大に驚き、急ぎ長島に歸り、事の次第を語りければ、左京以ての外に仰天し、「我本願寺より金銀兵糧を借り受け、若干の費を厭はず築きたる城なるを、かの賊に欺かれ、奪ひ取られしこそ安からね。このままにてはいかでか止ん」と、躍り上つて怒りしが、兵を發して攻め討つべしと、まづ國司の使者にこの趣を告げて歸らしめ、直に三千餘騎を引率し、蟹江の城へ押寄せ、四方を圍んで攻めたりける。この城には瀧川儀太夫詮益、五百餘騎にて籠りしが、一益かねて小勢を以て大敵を防ぐべき備密なりければ、石棚の上に大石大木を積み重ね、一同に轉ばし懸けたりければ、服部が士卒死傷の者數を知らず、ひるむところを、城戸を開きて三百餘騎、百挺餘の鐵砲を一度にどつと連べ放ち、黒煙の中より鯨波を作つて突き立つれば、長島勢討たるる者麻のごとく、右往左往に敗走す。城兵は敢て進まず、輕々(かろがろ)引上げて城に入る。服部左京、もとより一益が軍慮己が及ぶところにあらざれば、國司の加勢を乞ひて重ねて攻むべしと、敗軍を引いて長島へ歸りける。これより瀧川威勢甚だ強く、勢ひ遠近に震ひければ、近鄕の國侍、小牧、福山、上木、白瀬、濱田、高松の輩、招かざるに來たり隨ひ、桑名、員辨の兩郡ことごとく一益に隨ひ、今は動かしがたくぞなりにける。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
https://share.google/AxQqE2xRgf0LcmxAN
絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
本作品をご覧頂いてる歴史マニアな方々はご承知済みかと思いますが、伊勢国の長島は超巨大武装宗教団体一向宗(本願寺)のS級軍事拠点(要塞)でした。なので服部左京の借金で名前が出てくるし、国司北畠家が伊勢国をまとめきれず滅亡した一因でもあります。もちろん信長もこれから、有名な長島一向一揆で徹底的な殲滅戦を行うまで10年以上苦しめられることになります。




