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新訳 太閤記 ~ 転生 豊臣秀吉、未来を識る僕は史実の道を静かに歩む 〜  作者: 条文小説


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1-60 滝川一益という最適解

挿絵(By みてみん)


 『太閤記(たいこうき)』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。

 『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本(よみほん)。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia

 情報(データ)というものは、ただ収集するだけでは意味を持たない。それをどう解析(パース)し、己の生存戦略(アルゴリズム)に組み込むか。それが戦国というバグだらけの世界で生き残るための唯一の最適解だ。

 

 僕――木下藤吉郎秀吉は、薄暗い自室の片隅で、配下の忍(スパイ)びたちが集めてきた膨大な情報の断片を、現代のプログラミング思考を用いて脳内で再構築(コンパイル)していた。

 

 机の上に広げられているのは、伊勢国方面の最新のトラフィック状況だ。織田家の客将である滝川左近一益(たきがわさこんかずます)が、言葉と心理的ハッキングのみで敵の資金を騙し取り、尾張と伊勢の国境に「蟹江城」という強固な要塞(バックドア)を構築したことは、すでに聞いている。

 

 問題は、その後の一益のアクションだ。一益は服部左京という哀れな管理者を完全に欺いたまま、構築したばかりの蟹江城から密使を飛ばし、信長に対して「伊勢への侵入経路(ルート)が完成した」と上申した。

 

 清洲城で報告を聞いた信長は、愉快そうに笑い声を上げた。


「見事だ、左近! 敵の金で城を築くとは、なんとも痛快ではないか。その才覚、実に見事だ!」


 信長はただちに感状を与え、一益を蟹江城の城主に任じた。さらに直属の兵三百人を預け、その働きを大いに称えた。そして信長の恩賞は、それだけでは終わらなかった。


「左近よ。さらに計略をもって桑名を落としたならば、その城はそなたに与えよう」


 功ある者には惜しみなく報いる――それが信長の流儀だった。


 一益はこの言葉に大いに勇み、ただちに近郷の野武士たちを召し抱え、兵を整え始めた。すぐさま近郷の野武士(フリーランス)たちを金で雇(リクルート)い始めた。


 彼は蟹江城の防御アルゴリズムを徹底的に調練(デバッグ)し、大軍が来ても落ちないほどの堅牢な防御を完成させてしまった。

 

(……見事な手際だ。だが、彼の真骨頂はここからのはずだ)

 

 僕は蝋燭の火を頼りに、忍びの報告書の次のページをめくった。

 

 永禄4年(1561年)春正月。組織には必ず「人間」という脆弱性が存在する。そして、人間が最も油断するのは、旧態依然(レガシー)な慣習(イベント)に縛られている瞬間だ。

 

 桑名城の城主である伊勢三郎氏善(いせのさぶろううじよし)は、「年始の賀儀」という旧態依然(レガシー)とした行事(プロトコル)のため、自身の主君である国司の居城・大河内城へと出向いた。つまり、桑名城が、一時的に管理者不在という致命的な無防備状態に陥った。

 

 一益が、この脆弱性(ゼロデイ)を見逃すはずがなかった。一益が事前に桑名城内へと忍ばせていた間者(スパイウェア)が、即座に蟹江城へと駆け戻り、「桑名城、現在空虚(スタンバイ)」というシグナルを送信した。

 

「――今だ。押寄せ、桑名を奪うぞ」


 一益は自ら数百騎を率い、音もなく桑名城を包囲した。そして城主不在という好機を逃さず、一気に攻めかかった。守る側は完全に虚を突かれた。指揮を執るべき主もおらず、城兵たちは混乱するばかりで、有効な抵抗もできないまま次々と逃げ出していった。一益はわずかな損害で桑名城を奪い取り、本丸へ入った。


 しかし、僕が最も感心したのはここからだ。城を奪うだけなら他の武将にもできる。一益の真価は、その後の処置にこそ現れていた。

 

 普通、戦国時代の荒くれ者であれば、敵の城を奪った際、残されていた敵将の妻子を物理的に殺戮するか、乱暴に破壊する。だが、一益は違った。彼は伊勢三郎の妻子を無傷のまま「生捕り」にし、隔離された一室(セキュア)に丁重に保護した。番兵を付けて手厚く労わり、城門を固く閉(ロック)めた上で、一切の挑発行動を控えて鳴りを潜めた。

 

(……なるほど。無駄な反感(ヘイト)を稼ぐことを意図的に回避したのか。極めて合理的なリスクヘッジだ)

 

 その翌日。自分の城が奪われたことなど夢にも思わない伊勢三郎が、大河内城から帰ってきた。城門をくぐろうとしたその瞬間だった。櫓の上に並んだ無数の弓と鉄砲が、一斉に伊勢三郎へ向けられる。城内へ足を踏み入れるどころか、顔を上げることすらできない。伊勢三郎は「これはいったいどういうことだ」と呆然と立ち尽くした。その時、櫓の上に一人の武将が姿を現した。一益である。一益は城下にも響き渡る大声で叫んだ。


「よく聞け。我は数千の兵を率いて諸国を巡る武者なり。しばらくこの地に留まろうと思ったが、大勢の兵を置く城がなかった。ゆえに、この城をいただき、しばらく我が居城とすることにした」


 あまりにも身勝手な言い分に、伊勢三郎は言葉を失った。しかし一益は平然と続ける。


「いずれ他国へ移る時が来れば、この城は返してやろう。ありがたく思い、妻子を連れて好きな所へ去るがよい」


 そう言うと一益は城門を開かせた。すると城内から、捕らえられていたはずの伊勢三郎の妻子や、一族郎党、譜代の家臣たちが次々と姿を現した。しかも誰一人として傷つけられてはいない。一益は彼らを残らず解放したのである。伊勢三郎は、あまりの出来事に一瞬言葉を失った。


「覚えておれ! 必ず軍勢を率いて戻り、この城を取り返してくれる!」


 悔しさのあまり奥歯を噛み締め、怒鳴り散らしたものの、それ以上どうすることもできなかった。妻子も家臣たちも無事に返されている以上、今この場で戦を始める大義名分はない。結局、伊勢三郎は妻子を伴い、悔しさを胸に抱えたまま大河内城へ引き返していった。

 

(完璧な退場処理(オフボーディング)だ)


 僕は思わず、膝を打った。もし妻子を殺していれば、伊勢三郎は復讐のため死に物狂いでゲリラ攻撃を仕掛けてきただろう。だが、無傷で家族を返還されたことで、彼の怒りの矛先(ベクトル)は致命的な殺意にまでは至らず、妻子まで無事に返されてしまった以上、戦う口実を失った。

 

 一益は、自らの兵をほとんど失わず、敵の怨みも買わずに、桑名という要地を手に入れた。その働きに信長は大いに感じ入り、約束どおり一益を桑名城の城主に任じた。さらに500騎を与え、伊勢方面の備えを任せたのである。一益は甥の儀太夫詮益に蟹江城を守らせ、自身は桑名に腰を据えた。


 でも、本当に感心すべきはここからだった。城を奪うだけなら優れた武将なら誰でもできる。一益は、その城を手に入れた後のことまで考えていた。

 

 城主となった一益が最初に手を付けたのは戦ではなく政治だった。前任者の伊勢三郎は領民から重い税を取り立てていたが、一益はそれを改めた。余計な課役を免除し、賞罰を公平に定め、民に寄り添う統治を行ったのである。


 結果は驚くべきものだった。桑名と蟹江の領民たちは歓喜し、「これこそ理想の政治だ」と一益を称えた。その評判はたちまち周辺へ広がり、十日も経たないうちに他領から移り住む者まで現れた。桑名は日に日に賑わいを増し、一益の名声もまた急速に広がっていった。

 

(……素晴らしい。彼もまた、僕と同じ景色を見ている)

 

 「領民」とは、国家(システム)を駆動させるための「電力」であり「メモリ」だ。彼らを理不尽に虐げれば、国家(システム)はいずれ熱暴走を起こして破綻(クラッシュ)する。適切な負荷(タックス)と最高の還元(リターン)を与えることでのみ、領地は拡大(スケールアップ)していく。一益は、その真理を完全に理解していた。

 

 一方、桑名城を追われた伊勢三郎は、大河内城の国司のもとへ駆け込み、訴えた。


「滝川一益という浪人に城を奪われました。どうか軍勢をお貸しくだされ。必ずや桑名を取り返してみせます」


 この報告に驚いた国司や重臣たちは、まず事情を確かめるため、密かに間者を桑名へ送り込んだ。数日後、戻ってきた間者の報告は、彼らの予想を大きく裏切るものだった。


「桑名を奪った滝川左近一益は、ただの山賊や野武士ではございませぬ」


 間者はそう切り出した。


「一益は前の城主の悪政を改め、重い課役を免じ、賞罰を公平にしております。領民たちは皆これを喜び、一益を慕っております。近隣の村々から移り住む者まで現れ、桑名は日に日に賑わいを増しております」


そして深く頭を下げた。


「今や桑名の民は完全に一益に心服しております。たとえ軍勢を差し向けたとしても、容易に城を取り戻すことはできませぬ。かえって長く苦しい戦になる恐れがございます」


 この報告を聞いた国司や重臣たちは顔を見合わせた。

力ずくで奪い返すのが難しいとなれば、別の道を考えねばならない。やがて一人の老臣が進み出て言った。


「そもそも民が一益に従ったのは、伊勢三郎の政が悪かったからでございます。一益だけを責めることはできますまい」


 老臣は続けた。


「むしろ使者を送り、一益を国司様の家臣として迎え入れては如何でしょう。罪を許し、そのまま桑名を任せれば、尾張の織田勢に対する頼もしい備えともなりましょう」


 重臣たちはこの意見に賛同した。こうして伊勢三郎は見放される一方で、一益は討伐されるどころか、伊勢側から『ぜひ我らの味方になってほしい』と望まれる立場になったのである。


「……くくっ、ははははッ!」

 

 報告書を読み終えた僕は、薄暗い部屋の中で一人、腹の底から笑い声を上げていた。

 

 滝川一益。彼は織田(こちら)からリソースを引き出し、本願寺(フレネミー)から資金を引き出し、さらには伊勢(ターゲット)から公的な承認(ライセンス)まで引き出そうとしている。


 三つの異なるプラットフォームを跨ぎながら、一切の矛盾を起こさず、己の利益(バリュー)だけを最大化し続ける、恐るべき調略の手腕だ。

 

(面白い。本当に、この世界は退屈しない)


 信長の周りには、一益をはじめとして、常人離れした才覚を持つ者たちが集まりつつあった。でも、僕は彼らに脅威を感じるどころか、むしろ胸が躍った。


 優れた人材が多ければ多いほど、成し遂げられることも大きくなる。そして、その力を束ねて天下へと向かうのは、この僕――木下藤吉郎秀吉だ。

 

 胸の奥で疼く日輪の光が、静かに、だが確かな熱を帯びて脈打っている。


 僕は燃え尽きた蝋燭の火を指で弾き消し、闇の中でゆっくりと立ち上がった。一益が伊勢のバックドアをこじ開けた今、織田のスケールアップはさらに加速する。


 僕もまた、泥にまみれた奴婢の時代に培った最適化の知恵と、未来の記憶という最強のデータベースをフル稼働させ、次なる戦場(タスク)へと歩みを進めていく。




【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】




瀧川(たきがは)左近(さこん)一益(かずます)桑名(くはな)を奪(うば)ふ


瀧川(たきがは)左近(さこん)一益(かずます)は、服部(はつとり)を欺(あざむ)き蟹江(かにえ)に城(しろ)を築(きづ)かせ、密使(みつし)を以(もつ)て信長卿(のぶながきやう)へ言上(ごんじやう)しければ、信長(のぶなが)大(おほい)に悅(よろこ)び、拔群(ばつぐん)の計略(けいりやく)感心(かんしん)少(すく)なからざる旨(むね)感状(かんじやう)を下(くだ)し賜(たま)はり、蟹江(かにえ)の城主(じやうしゆ)たるべき朱印(しゆいん)竝(なら)びに逞卒(ていそつ)三百人(さんびやくにん)を遣(つか)はされ、猶(なほ)も「計議(けいぎ)を以(もつ)て桑名(くはな)を取(と)り得(え)ば、則(すなは)ち桑名(くはな)の城主(じやうしゆ)たるべし」と御下知(おんげち)ありければ、左近(さこん)限(かぎ)りなく悅(よろこ)び、近鄕(きんがう)の野武士(のぶし)を招(まね)き、防禦(ばうぎよ)の術(じゆつ)を調練(てうれん)し、十倍(じふばい)の大軍(たいぐん)をも防(ふせ)ぎ戰(たたか)ふべき形勢(ありさま)なり。同四年春正月(どうよねんはるしやうぐわつ)、桑名(くはな)の城主(じやうしゆ)伊勢(いせの)三郎(さぶらう)氏善(うぢよし)、年始(ねんし)の賀儀(がぎ)を賀(が)せんとして、國司(こくし)の居城(きよじやう)大河内(おほかうち)に赴(おもむ)きけるを、かねて瀧川(たきがは)が入(い)れ置(お)きたる間者(かんじや)蟹江(かにえ)に馳歸(はせかへ)り、しかじかのことにて桑名(くはな)の城(しろ)空虚(くうきよ)のよし告(つ)げたりしかば、さらば押寄(おしよ)せ桑名(くはな)を奪(うば)ふべしとて、左近(さこん)自(みづか)ら數百騎(すうひやつき)を引率(いんそつ)し、俄(にはか)に四方(しはう)を取卷(とりま)き、短兵急(たんぺいきふ)に攻(せ)めしかば、城中(じやうちゆう)思(おも)ひ寄(よ)らざることなれば、防(ふせ)ぐべき手術(てだて)を失(うしな)ひ、這々逃(のが)れ落失(おちう)せたり。一益(かずます)心安(こころやす)く城(しろ)を奪(うば)ひ、本丸(ほんまる)に入(い)りて伊勢(いせの)三郎(さぶらう)が妻子(さいし)を生捕(いけど)り、一間(ひとま)なる所(ところ)に置(お)き、番兵(ばんぺい)を附(つ)けてよく勞(いたは)らせ、嚴(きび)しく城門(じやうもん)を守(まも)り、鳴(なり)を靜(しづ)めて控(ひか)へたり。伊勢(いせの)三郎(さぶらう)はかかることのありとも知(し)らず、その翌日(よくじつ)大河内(おほかうち)より歸(かへ)り來(き)たり、城(しろ)に入(い)らんとするところを、櫓々より弓(ゆみ)、鐵砲(てつぱう)を打出(うちいだ)し、面(おもて)を向(む)くべき樣(やう)ぞなし。こはいかにと惘(あき)れ果(は)て、茫然(ばうぜん)として立(た)つたりける。瀧川(たきがは)一益(かずます)矢倉(やぐら)の上(うへ)に現(あらは)れ出(い)で、大音(だいおん)にて申(まう)しけるは、「汝(なんぢ)ら匹夫(ひつぷ)よく承(うけたまは)れ。我(われ)は數千(すうせん)の兵士(へいし)を隨(したが)へ、天下(てんか)を武者修行(むしやしゆぎやう)する英雄(えいゆう)なり。今(いま)この地(ち)に暫(しばら)く足(あし)を留(とど)めんとすれども、數千(すうせん)の兵卒(へいそつ)住(ぢゆう)すべき所(ところ)なし。故(ゆゑ)に當城(たうじやう)を乘(の)つ取(と)り、我(わ)が居城(きよじやう)となせし間(あひだ)、この旨(むね)よくよく心得候(こころえさふら)へ。我(われ)また他國(たこく)へ赴(おもむ)く節(せつ)には、城(しろ)も汝(なんぢ)らに返(かへ)し與(あた)ふべし。ありがたく思(おも)ひ妻子(さいし)を召連(めしつ)れ、何方(いつかた)へも赴(おもむ)くべし」と、城戸(きど)を開(ひら)き、妻子(さいし)一族譜代(いちぞくふだい)の臣下(しんか)、殘(のこ)らず出(いだ)し遣(つか)はしければ、伊勢(いせの)三郎(さぶらう)、あまりのことに言葉(ことば)も出(い)でず、牙(きば)を噛(か)んで怒(いか)れども、如何(いかん)ともすることなく、「重(かさ)ねて軍(いくさ)を起(おこ)し微塵(みぢん)になすべし」と、妻子(さいし)を引具(ひきぐ)しすごすごと、大河内(おほかうち)へと赴(おもむ)ける。これより左近(さこん)は桑名(くはな)に在城(ざいじやう)し、甥(をひ)瀧川(たきがは)儀太夫(ぎだいう)詮益(のります)をして蟹江(かにえ)を守(まも)らせ、信長卿(のぶながきやう)へこの旨(むね)注進(ちうしん)に及(およ)びければ、信長(のぶなが)大(おほい)に感(かん)じ給(たま)ひ、直(すぐ)に桑名(くはな)の城主(じやうしゆ)に命(めい)ぜられ、新(あらた)に五百騎(ごひやくき)の兵(へい)を賜(たま)ひ、これを分(わか)ちて蟹江(かにえ)と桑名(くはな)の要害(えうがい)を守(まも)らせ給(たま)ふ。瀧川(たきがは)一益(かずます)やがて桑名領(くはなりやう)の仕置(しおき)を改(あらた)め、先(さき)の城主(じやうしゆ)伊勢(いせの)三郎(さぶらう)が吝(やぶさ)かなる政道(せいだう)に引替(ひきか)へ、民(たみ)を憐(あはれ)み、賞罰(しやうばつ)を正(ただ)しうし、課役(くわやく)を免(ゆる)し、專(もつぱ)ら仁政(じんせい)を施(ほどこ)しければ、桑名(くはな)、蟹江(かにえ)の百姓(ひやくしよう)町人(ちやうにん)悅(よろこ)ぶこと限(かぎ)りなし。さても伊勢(いせの)三郎(さぶらう)桑名(くはな)を追出(おひいだ)され、這々大河内(おほかうち)の城(しろ)に參(さん)じ、しかじかの由(よし)言上(ごんじやう)に及(およ)び、軍勢(ぐんぜい)を申(まう)し受(う)け、城(しろ)を取返(とりかへ)したき旨(むね)愁訴(しうそ)しければ、國守(こくしゆ)を始(はじ)め古老(ころう)の臣下(しんか)大(おほい)に驚(おどろ)き、まづ物馴(ものな)れたる間者(かんじや)を遣(つか)はし、事(こと)の實否(じつぷ)を伺(うかが)はせるに、やがて間者(かんじや)立歸(たちかへ)り、「桑名(くはな)を奪(うば)ひし大將(たいしやう)は瀧川(たきがは)左近(さこん)といふ浪人(らうにん)、長島(ながしま)の服部(はつとり)左京(さきやう)と計(はか)つてまづ蟹江(かにえ)に城(しろ)を築(きづ)き、今(いま)また桑名(くはな)を奪(うば)ひしなり。されどもこれは先(さき)の城主(じやうしゆ)の苛政(かせい)を改(あらた)め課役(くわやく)を免(ゆる)し、賞罰(しやうばつ)を糺(ただ)し、民(たみ)を撫育(ぶいく)すること親(おや)の子(こ)を愛(あい)するがごとし。これによつて桑名(くはな)の百姓(ひやくしよう)町人(ちやうにん)、延喜(えんぎ)の聖代(せいだい)、堯舜(げうしゆん)の御代(みよ)なりとて、悅(よろこ)び勇(いさ)むこと大方(おほかた)ならず。他領(たりやう)の百姓(ひやくしよう)も桑名(くはな)に來(き)たり、いまだ一旬(いちじゆん)も過(す)ぎざるに、賑(にぎ)はふこと甚(はなは)だし。ここを以(もつ)て考(かんが)ふるに、山賊(さんぞく)野武士(のぶし)の類(たぐひ)にあらず。今軍兵(いまぐんぴやう)を以(もつ)て攻(せ)め給(たま)ふとも、領分(りやうぶん)の百姓(ひやくしよう)かくのごとく歸服(きふく)せる上(うへ)は、容易(ようい)に征伐(せいばつ)おぼつかなし。よくよく思慮(しりよ)あつて然(しか)るべし」と申(まう)しける。國守(こくしゆ)大(おほい)に色(いろ)を失(うしな)ひ、いかがはせんと議(ぎ)せられるに、老臣(らうしん)ら申(まう)しけるは、「長島(ながしま)の服部(はつとり)左京(さきやう)、彼(かれ)と同心(どうしん)して蟹江(かにえ)に城(しろ)を築(きづ)き、また桑名(くはな)を奪(うば)ひしこと、その謂(いはれ)ありや否(いな)やを糺(ただ)し、返答(へんたふ)により兵(へい)を發(はつ)し、罪(つみ)を問(と)ふべし。且(かつ)また桑名(くはな)へも國守(こくしゆ)より使者(ししや)を立(た)て、その意趣(いしゆ)を正(ただ)し、國守(こくしゆ)の幕下(ばくか)となり隨(したが)ひ奉(たてまつ)らば、罪(つみ)を免(ゆる)して桑名(くはな)を守(まも)らすべし。その故(ゆゑ)は先(さき)の城主(じやうしゆ)の不仁(ふじん)不道(ふだう)を惡(にく)み、百姓(ひやくしよう)町人(ちやうにん)今(いま)の城主(じやうしゆ)に歸服(きふく)なすは、伊勢(いせの)三郎(さぶらう)に罪(つみ)ありて、今(いま)の瀧川(たきがは)とやらんに罪(つみ)なし。その上(うへ)國守(こくしゆ)に隨身(ずゐしん)せるときは、尾州(びしう)の押(おさ)へ究竟(くつきやう)の勇士(ゆうし)なり。急(いそ)ぎ桑名(くはな)、長島(ながしま)へ使者(ししや)を立(た)てられ然(しか)るべし」と、衆議(しゆうぎ)これに一決(いつけつ)し、その日(ひ)の評議(ひやうぎ)は果(は)てにけり。

〜参考文献〜

太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource

https://share.google/AxQqE2xRgf0LcmxAN

絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編

夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700


〜舞台背景〜

 伊勢国(70万石)も尾張国(60万石)より規模が大きいのですがその真価は、長島・桑名の伊勢湾水運です。なので桑名攻略は「ただ城が1つ増えた」ではなく「伊勢湾制海権の確保」の効果があり、一益が成功させたのは超凄い事で、史実の秀吉もライバル心メラメラですw

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