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新訳 太閤記 ~ 転生 豊臣秀吉、未来を識る僕は史実の道を静かに歩む 〜  作者: 条文小説


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1-6 無刀の童に課された試練、静かな心理戦

挿絵(By みてみん)


 『太閤記たいこうき』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。

 『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本よみほん。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia

 矢作川やはぎがわの激しい川音に揉まれ、蜂須賀小六はちすかころくという巨大な男の配下となってから、数日の時が流れていた。


 彼らの本拠である砦は、僕の知る現代の「家」とはあまりにもかけ離れていた。生々しい血と泥の匂い、手入れの行き届かない錆びた武具、そして、明日をも知れぬ命を投げ出すようにして笑う野武士たちの荒々しい声。ここは、法も秩序も存在しない、力だけがすべてを決定する純然たる暴力の世界だった。


 12歳になったばかりの僕の貧相な身体は、彼らの中に混ざると、まるで嵐の中に放り出された一枚の木の葉のようだった。それでも、僕は生き残るために必死に手を動かした。未来の知識を引っ張り出し、砦の兵糧の保存方法を少しだけ効率化したり、馬の寝床に敷く藁の湿気を防ぐ工夫をしたり。目立たない雑用を最適化していくことで、僕は自分の「生存価値」を少しずつ、周囲に証明しようとしていた。


 ある日の夕暮れ時、僕は小六の部屋へと呼び出された。薄暗い室内の奥、月光を浴びて座る小六の巨体は、それだけで圧倒的な圧迫感を放っている。彼の膝の上には、一振りの刀が置かれていた。


「日吉、お前は確かに才智が回る。だがな……」


 小六は低く笑いながら、その刀のさやをゆっくりと撫でた。


「この戦国、腰に何も差していない童など、それだけで狼の前に転がる肉片と同じだ。無刀の身で見苦しく砦をうろつかれるのは、俺の性分に合わん」


 彼が差し出してきたのは、息を呑むほどに美しい刀だった。刃文はもんはまるで波立つ湖面のように妖しく研ぎ澄まされ、薄暗い部屋の空気さえも切り裂きそうな冷徹な輝きを放っている。僕の拙い歴史知識でも、その名には聞き覚えがあった。


「これは『青江村正あおえむらまさ』。俺が命のやり取りの末に手に入れた、秘蔵の指料さしりょうだ」


 小六の目が、獰猛どうもうな獣のように細められる。


「お前のその回る知恵が、ただの口先だけのものではないと証明してみせろ。今から三日の間、この村正を俺の枕元に置いておく。もし、お前がその才智を以て、俺に気づかれずにこれを盗み出すことができたなら……この刀はお前にくれてやる。自分の身を守る武器として、腰に帯びるが良い」


 それは、野武士の頭領としての洗礼であり、同時に僕という「異分子」を見極めるための、決定的な試練だった。僕のような身寄りのない子どもが、この過酷なコミュニティで本当に「不可侵の居場所」を勝ち取るためには、小六の信頼が絶対に必要だ。無能と見なされれば、明日の朝には谷底へ突き落とされていてもおかしくない。


「……分かりました。その勝負、お受けいたします」


 僕は深く頭を下げ、その挑戦を承諾した。

 

(一対一の真っ向勝負なら、僕の勝率は零パーセントだ。だけど……人間の『脳』の仕組みを利用した心理戦なら、勝機はいくらでも作り出せる)


 胸の奥の太陽が、静かに、けれど熱く脈打つのを感じながら、僕は部屋を退いた。


 一日目、そして二日目の夜。僕は一切、動かなかった。小六の部屋に近づくことすらせず、昼間はいつも通りに淡々と砦の雑用をこなした。馬のひづめを拭き、井戸から水を汲み、他の野武士たちに混ざって泥まみれになりながら、夜になれば自分の寝床で泥のように眠った。


 未来の脳科学、あるいは睡眠医学の知識が、僕の頭の中で冷静に方程式を組み立てていく。

 

(人間が一晩中、完璧な警戒心と緊張感を維持することは、生物学的に不可能だ)


 睡眠剥奪すいみんはくだつがもたらす脳へのダメージは凄まじい。人間は24時間起きているだけで、血中アルコール濃度が0.05パーセント――いわゆる酒気帯び状態と同等の認知能力低下を起こす。それが48時間、72時間となれば、脳は強制的に「マイクロ睡眠」と呼ばれる数秒間の気絶を繰り返し、やがて心身の疲労は限界を迎える。


 小六は戦場を潜り抜けてきた強靭な武将だ。当然、「日吉がいつ忍び込んでくるか」と身構え、初日の夜は一睡もせずに枕元の村正を守るだろう。二日目の夜も、持ち前の執念で眠りを拒むはずだ。だからこそ、僕は最初の二日間、あえて何も仕掛けない。


 「何もしない」という事実そのものが、小六の精神をじわじわと削る最大の攻撃になる。小六は暗闇の中で、存在しない僕の気配を探し続け、自らの緊張の糸で自分を縛り上げていく。


 三日目の昼、遠巻きに見た小六の顔には、隠しきれない疲労の色がにじんでいた。強面こわもての輪郭がわずかにたるみ、瞳の奥の焦点が、時折ふっと浮いている。


(よし。僕の予測通り、彼の脳は深刻なエネルギー不足に陥っている。勝負を決めるのは、今夜だ)


 僕は静かに息を吸い込み、最終段階の仕掛け(ギミック)を構築するために動き出した。


 三日目の夜は、僕の計画を祝福するかのように、天が激しい雨を降らせていた。バチバチと激しく屋根を叩く雨音。大気を満たす湿った土の匂い。小六の寝所の外は、激しい雨だれが絶え間なく地面を打つ音が響き渡っていた。


 二晩まどろんでいない人間の脳は、五感が極度に過敏になると同時に、著しい「錯覚」を起こしやすくなっている。特に、暗闇の中で聴覚だけを頼りにしている状態なら、なおさらだ。


 夕暮れ時、僕は小六の寝所のすぐ外、最も雨だれが激しく落ちる軒下の地面に、ある細工をしておいた。古びて硬くなった雨笠あまがさを、絶妙な角度で固定して捨て置いておいたのだ。


 夜が更け、子の刻(深夜0時頃)を過ぎる頃。雨脚がいっそう強まると、その笠は「タタン、……タタン」と、雨粒を弾く独特の、規則的な音を立て始めた。ただの雨音ではない。それはまるで、誰かがそこに息を潜めてたたずみ、自分の笠を指先でしきりに叩いて合図を送っているかのような、奇妙に生々しい足音のようにも聞こえる音だった。


 部屋の暗闇の中で、小六はその音を聞いたはずだ。


「……さては、猿めが忍び来たり、俺の寝るのを伺っているな」


 彼は敷物の上で身を硬くし、息を詰めて、暗闇の向こうを見つめていたに違いない。村正の柄に手をかけ、いつ飛び出してくるか分からない僕の影を、今か今かと待ち構える。その緊張のピークこそが、僕の仕掛けた本当の罠だった。


 人間の脳は、極限の緊張状態の後に「何も起こらない」時間が続くと、反動で強烈な弛緩しかんを起こす。小六が暗闇の中で神経を研ぎ澄ませている間、当の僕はといえば、自分の部屋で温かい藁の寝床にくるまり、文字通り泥のように眠っていた。


(僕が今やるべきことは、潜入の技術を磨くことじゃない。明日の朝、コンディションを完璧に整えた『100パーセントの脳』を用意することだ)


 自分の心身を最適化すること。それこそが、この理不尽な世界で僕が生き残るための、唯一の科学的なアプローチだった。


 夜が、ほのぼのと明け渡ろうとしていた。激しかった雨はいつしか小降りになり、砦の周囲には薄白いもやが立ち込めている。


 三日間、一瞬たりとも心神を休めることができなかった小六の身体は、すでに限界をとうに超えていた。夜明けの光が部屋に差し込み、「今夜も日吉は来なかった」と緊張の糸がプツリと切れた瞬間、彼の脳は強制的な「クラッシュ」――すなわち、深い深い気絶に近い眠りへと叩き落とされる。それを見計らって、僕は行動を開始した。


 僕は静かに、気配を完全に消して小六の部屋へと歩を進めた。現代の肉体運動パルクールや潜入技術の知識を応用し、足裏の重心を滑らかに移動させる。廊下の木板がきしむわずかな摩擦音さえも、自らの呼吸と、外に残る雨だれの音に同期させて完全に消し去る。部屋の戸を、指一本分ずつ、数分をかけて音もなく開ける。

 

 室内の机に寄りかかるようにして、小六が深くしていた。地鳴りのような地声とは異なる、重く規則的な寝息が聞こえる。これほどの巨漢が、完全に無防備な肉体の塊となって横たわっていた。


 小六の枕元。そこには、妖しい輝きを秘めたまま静かに眠る、青江村正があった。僕は息を完全に止め、一歩、また一歩と距離を詰める。


 未来の僕の記憶が「失敗すれば死ぬ」と警鐘を鳴らす。けれど、不思議と恐怖はなかった。胸の奥の太陽が、驚くほど静かに、温かく僕の身体を支えていた。


 ゆっくりと、細く小さな手を伸ばす。村正の冷たい鞘に指先が触れた。小六の眉が微かにピクリと動く。僕はその場に凍りつき、彼の呼吸が再び深くなるのを数秒間待った。

 

 そして――確実な動作で、刀をその枕元から引き寄せ、自分の小さな脇へと挟み込んだ。部屋を出て、静かに戸を閉める。


 廊下に一歩踏み出した瞬間、肺に流れ込んできた朝の冷たい空気が、信じられないほどに美味しかった。


「……ふぅ」


 小さな、けれど確かな勝利の吐息が漏れた。ややあって、目覚めた小六が枕元の喪失に気づき、砦中に響き渡る声で僕を呼び出した。


 野武士たちが何事かと騒然とする中、僕はくだんの村正をしっかりと脇に挟み、堂々と小六の前に出た。小六は、僕の姿を見るなり、信じられないものを見たというように目を見開いた。そして、自らの額を大きな手で覆い、驚嘆のあまり舌を巻いた。


「……三日の間、俺は一瞬もまどろまずに目を光らせていた。子の刻には、お前が外の雨の中にいる気配すら確かに感じていたのだ。それなのに、夜が明けた一瞬の隙に、音もなくこれを盗み出すとは」


 小六は僕を見つめ、その瞳に明らかな「恐れ」と、それを上回る深い感心の色を宿らせた。


「日吉。お前のその智計、俺のような野武士の頭などでは到底、及びもつかぬ。ただの百姓の倅、ただのわらべだと思っていたが……お前は、末恐ろしいほどの器を秘めた男だな」


 彼はそう言って、僕の小さな肩をがっしりと掴んだ。その手の温かさは、僕がこの世界で初めて手に入れた「確かな信頼」のあかしだった。


「約束だ。その村正はお前のものだ。その知恵と共に、大事に帯びるが良い」


 僕は、自分の腰に初めて一振りの刀を差した。ズシリとした、鉄の物理的な重みが骨に伝わる。それは、人を殺すための道具の重みであり、同時に、この過酷な乱世を僕が僕として「生き延びていく」ための、覚悟の重みそのものだった。


 天下を獲るなんて、今の僕にはやっぱりまだ大きすぎる話だ。まずは今日を生き、明日を掴む。けれど、腰に帯びた青江村正の冷たい感触が、そして小六の「末頼もしい」という言葉が、僕の未来の輪郭をほんの少しだけ、大きく、眩しく塗り替えていくような気がした。


 胸の奥の太陽が、誇らしげに、優しく脈打つ。

 

「……ありがとうございました。大切にします」


 僕は黄金色の朝焼けを見上げながら、新しく手に入れた相棒(刀)の柄にそっと手を添え、また一歩、確かな足取りで歩き出した。




【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】




小六日吉丸ころくひよしまるかんが


 さても、小六正勝ころくまさかつは、日吉丸ひよしまる尋常じんじょうものにあらずとおもひ、そのこころみんとて、あるとき日吉丸ひよしまるちかまねき、「なんじとし幼稚ようちといへども才智さいちたくましく、人並ひとなみなるはたらきをなせば、無刀むとうにても見苦みぐるし。このかたな青江村正あおえむらまさにて、秘蔵ひぞうせる指料さしりょうなれども、才智さいちもっ三日みっかうちぬすらば、なんじものとなしてぶべし」とひ、日吉丸ひよしまるありがたしと領承りょうしょうし、って退しりぞきけり。小六ころくはかの村正むらまさ枕元まくらもとなおき、すこしもねむらず用心ようじんす。そのつぎ日吉丸ひよしまるかつたらず、第三日だいさんにちいたりて、あめしきりにりてもすごく、小六ころくはいよいよこころくばり、日吉丸ひよしまるきたるをつ。すでにこくぐるころ、あめだりのもとひとありとおぼえて、あめかさたたおとしきりなれば、「さてはさるめがしのきたり、るをいかふにこそ」と、いきめてたりけるに、もほのぼのとわたれど、日吉丸ひよしまるついきたらず。小六ころく三日みっかあいだまどろまず、心神しんしんつかれ、つくえによりてしたりける。ややあって目覚めざめ、あたりをれば、かの村正むらまさかたななし。おおきにおどろき、いそ日吉丸ひよしまるせば、あっとこたへて日吉丸ひよしまるくだん村正むらまさ脇挟わきばさみ、小六ころくまえでにける。小六ころくしたきてはなはおそれ、「なんじ智計ちけいわれかつおよびがたし。すえたのもしきわらべかな」とくれぐれ感心かんしんしたりける。これは日吉丸ひよしまるあまだりのもとかさばかりをき、しのきたりしていにもてなし、その寝所しんじょかえり、つねのごとくよくて、くるころ、小六ころく草臥くたびんことをはかり、しのりてぬすったり。その計略けいりゃくあることかくのごとし。

〜参考文献〜

太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource

https://share.google/AxQqE2xRgf0LcmxAN

絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編

夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700


〜舞台背景〜

 NHK VR「サムライの見た夢~幻の豊臣大坂城~」主催:NHK、期間:〜26年5/31、内容:VRゴーグルをつけると目の前に現れるのは、400年前に消えた幻の城、豊臣大坂城。“三国無双”と称された名城を、歩き浮遊し巡る“夢”の体験があなたを包む⋯

https://www.event.nhk.or.jp/e-portal/detail.html?id=3682


 これ絶対に面白いヤツじゃん。行きたいよぉ〜。東京都民が羨ましい⋯次、名古屋でも開催して欲しいなぁ♪

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