1-53 桶狭間、歴史が変わる刻
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
桶狭間の本陣。今川義元という男は、自らの持つ「46,000」という物理的質量の大きさに、最後まで甘え切っていた。
義元は、前線の丹下砦で味方の部隊が苦戦しているとの報を受けると、「それくらい瞬殺しろ」と大見得を切り、あろうことか本陣に残っていた護衛部隊までをも、残らず前線への援軍として投入してしまった。
その結果、彼の周囲に残ったのは、わずか1,000の近習や小姓といった文官や付き人レベルの非戦闘員のみ。義元は僕たちが張った「六角の偽装軍」や「砦の死守」という派手なフロントエンドの裏側で、システムの脆弱性が完全に無防備になっていることに気づいていなかった。
バケツをひっくり返したような豪雨。間道と呼ばれる獣道を経て、義元の本陣の背後へと回り込んだ信長と僕たち斬首部隊は、崖下を見下ろした。
「……空っぽだ。義元の旗本は、完全に消え去っている」
豪雨の中で目を凝らし、僕はニヤリと笑った。信長は無言のまま、抜刀した。それが「突撃」の合図だった。
「――一番乗りは、この木下秀吉がもらうッ!!」
僕は愛馬の腹を蹴り、急斜面を揉みに揉んで真っ先に駆け下りた。折りしも、雨脚がさらに強まり、白雨が本陣を呑み込むように降りしきる。大風が砂を飛ばし、木の根を穿ち、人馬の突撃音すらも完全に秘匿していた。
完璧なステルス環境。僕は鐙を踏ん張り、背後に続く精鋭たちに向かって大声で叫んだ。
「この異常な風雨こそ、熱田明神の神風だ! 神は我らと共にある!進め!進めえええッ!!」
出陣前のあの「白鷺の奇瑞」を強烈に信じ込んでいる兵士たちの士気は、ここで最高潮に達した。
服部小平太、毛利新助、遠山甚太郎、中条小八郎、林藤八郎といった猛将たちを先頭に、選りすぐりの精鋭500人が、崖の上から雪崩のように義元の本陣へと無二無三に切り込んだ。
「ひぃぃッ!?敵だ!織田の奇襲だァッ!!」
完全に不意を突かれた今川方。しかも残っているのは非戦闘員ばかり。彼らは驚き、狼狽騒ぎ、刀を抜いて戦おうとする者など一人もおらず、我先にと逃げ散っていった。
その大混乱の中、ただ一人、逃げずに立ち塞がる巨漢がいた。今川治部大輔義元。東海の覇者たる男が、激怒に顔を歪ませていた。
「何者だ!何者なれば近くに来たって、この虎の髭を撫でるかッ!!」
義元は、重代の太刀である「松倉郷」という名剣を抜き放ち、四方を白眼みつけて咆哮した。未来の企業のCEOなら逃げる場面だろうが、義元は生粋の武将だ。自ら物理的暴力を行使する覚悟を決めている。僕は彼の正面に馬を進め、大音声を張り上げた。
「――織田上総介信長、自ら参って見参する! 快く、その首級を賜るぞ!!」
僕の宣言と同時に、信長を護衛するあまたの勇士たちが、一同に義元めがけて斬りかかった。
「信長が直に寄せただと!?ならば刺し違えてくれるわッ!」
義元はもとより大力の勇将。絶望的な状況下でも勇を震い、凄まじい剣幕で応戦する。その時、服部小平太が横合いから滑り込み、義元の右の太股を槍で深々と突き抜いた。
「ぐぅぉッ! 小童が!」
義元は痛みに顔を歪めながらも、松倉郷を力任せに振り下ろし、小平太の片足を太刀の勢いごと斬り飛ばした。小平太が絶叫とともに血の泥に倒れ込む。義元がなおも進んで戦おうとしたその瞬間。
「……獲ったァッ!!」
背後の死角から、毛利新助がむずと義元の巨体に組み付いた。彼は義元を押し倒すと、腰の短刀を抜き、豪雨の中で義元の脇腹に深々と突き立てた。
「があああっ!!」
義元は組み敷かれながらも、最後の抵抗として、新助の左の指にガブリと噛みついた。肉が千切れ、骨が軋む不気味な音が響く。
「い、痛ぇ……!だが、放すかよッ!!」
新助は指を食いちぎられそうになりながらも、物ともせずに短刀を押し込み、ついに……その太い首を、一刀のもとに叩き斬った。
ゴロン、と。
海道一の弓取りの首が、泥水の中に転がり落ちる。新助は血まみれの手でその首を拾い上げ、太刀の先に貫いて、豪雨の空へ高々と突き上げた。
「――今川義元、討ち取ったりィィィッ!!」
その絶叫が、戦場のすべてのノイズをかき消して、桶狭間の谷にこだました。
時に永禄3年。義元、享年42歳。勇名は関東・東海に震い、さしも名将の誉れ高かった男。しかし、彼の大軍という「物理的な余裕」が招いた油断は、僕――木下秀吉が未来の最適化論理を用いて組み上げた非情な罠によって完全にコントロールされ、ついに桶狭間の泥と露となって消え失せたのである。
「……終わったな」
雨が嘘のように小降りになり始めた空を見上げながら、信長が静かに息を吐いた。義元の首を見つめるその目には、狂喜も、安堵もなく、ただ底冷えするような野心の炎だけが静かに燃え移っていた。
「はい。これで尾張は守られました」
僕は馬から降り、泥にまみれた具足のまま、信長の傍らに歩み寄った。僕がこの戦国時代に放り出され、奴婢として泥水をすすりながら生きてきたのは、この瞬間のためだったのかもしれない。
未来の夜風と、寺の木魚の音。その記憶のすべてが、今、この桶狭間の熱狂の中で完全に一つに統合されたのを感じていた。
「猿。お前の『最適化』とやら、少しは役に立ったようだな」
信長が、僕に向かって初めて「認め」の言葉を口にした。
「恐れ入ります。ですが、これはまだ序章に過ぎません。……天下を獲るという覇道は、ここから始まりますから」
僕がニヤリと笑って答えると、信長もまた、ふっと口角を上げた。
「くっ……。小賢しい奴め。ならば、これからも俺の覇道を最前線で最適化し続けろ、秀吉」
「御意のままに」
僕は深く一礼し、雨雲の切れ間から差し込んできた一条の光――日輪の輝きを眩しそうに見上げた。
僕の胸の奥で、その光はかつてないほどの巨大な拍動となって鳴り響いている。
(僕は、生きている。この狂った戦国の世を、僕のやり方で遊び尽くしてやる)
木下秀吉の、本当のサクセスストーリーは、この泥と血にまみれた桶狭間から、いよいよ本格的に幕を開けるのだった。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
今川義元討死
このとき桶狹間の義元が本陣は、「先手の合戰難儀なるよし、一時に蹴散らし捨てよ」とて、旗本の勢殘らず丹下の戰ひを助けしめ、僅かに一千餘の近習小姓のみにて控へたり。信長は間道を経て義元の後へ廻り、今川の旗本無勢なりと見てければ、木下藤吉郎一番に馬を駈け出し、揉みに揉んで馳せたるところに、折りふし白雨一村降りしきり、俄かに大風砂を飛ばし、木の根を穿ち、人馬の音さらに聞こえず。藤吉郎鐙を踏ん張り味方に向ひ、「この風雨こそ熱田明神の神風ぞや。進め進め」と下知するにぞ、服部小平太、毛利新助、遠山甚太郎、中條小八郎、林藤八郎、織田酒造丞を始めとして、遲兵勝つて五百餘人、義元の旗本へ無二無三に切り込めば、今川方不意のことにてありければ、大に驚き狼狽へ騷ぎ、戰ふ者一人もなく、我先にと逃げ出づ。義元怒つて、「何者なれば近く來つて虎の髭を取るや」とて、重代の太刀、松倉郷といへる名劍を提げ、四方を白眼みて立つたりける。木下藤吉大音にて、「織田上總介信長、自ら來つて見參す。快く首級を賜はり候」と、あまたの勇士一同に、義元がけ切込みたり。義元もとより大力の勇將、信長直に寄せたと聞きてあれば、刺し違へて死なんものと、勇を震つて戰ひける。服部小平太横合より、槍を捻つて駈合はせ、義元が右の太股を突き抜きたり。義元太刀取り延べて小平太が片足打ち切り、猶進んで戰ふところを、毛利新助後より、むずと組付き短刀を以て脇腹を刺し通し、終に組敷き動かせず。このとき義元、新助が左の指に噛み付けを事ともせず、終に首を打ち落とし、太刀先に貫き差し上げたり。義元このとき四十二歳、勇名關の東に震ひ、さしも名將の譽れ高かりけるも、運すでに盡きぬれば、木下が軍配に賺し出だされ、終に桶狹間の露とぞ消え失せけり。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
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絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜 1万PV御礼投稿 7話/7話 〜
いつもご覧頂きありがとうございます。おかげさまで投稿開始21日目に累積10,000PVを超えました。タイトルを付けるとすれば【感謝!累計1万PV到達!日間1,000PV&累積2,000ユニークOVER!感激ブクマ10件超!!】ですが、上っ面のタイトル変更ではなく書き溜めていた話を吐き出す事で御礼に代えさせて頂きます。とはいえ…これまでも誤字脱字謝罪や御礼ばっかしてたのであんまり貯まってませんw




