1-49 驕れる者の宴
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
――自ら傲る者は長からず
かつて老子が遺したこの言葉を、今川義元が知っていたかどうかは定かではない。しかし、永禄3年(1560年)5月19日の桶狭間において、義元が完全な「傲慢」の泥沼に足を踏み入れていたことだけは間違いない。
義元の本陣は、桶狭間の窪地に腰を下ろしていた。その巨大な46,000の軍勢をもって、信長が仕掛けた7ヶ所の砦を囲ませ、一息に攻め伏せんと次々に下知を飛ばしていた。
午前中には、最前線の鷲津・丸根の両砦がたちまちに落城したとの報告が入る。討ち取った将兵の首が次々と本陣に運ばれ、首実検に供されていく。さらに、第2防衛ラインである中島・善照寺の砦も色めき立ち、はや落城の様相を呈しているとの注進が追々と入ってくる。
「……まぁ当然だろう」
義元は寛々と打ち笑い、周囲の近習や小姓たちに酌を取らせ、昼間から勝利の酒宴を催し始めた。しかしそれは、まだプロジェクトが完了していないにもかかわらず、競合他社を少し出し抜いただけで「祝勝会」を開くようなものだ。大軍という圧倒的なリソースの優位性が、義元の危機管理能力を完全に麻痺させていた。
一方その頃。清洲城の信長は、今朝も不気味なほど悠然と構えていた。鷲津、丸根の両砦が陥落し、防戦叶わずとの急報が次々と舞い込んでいるというのに、眉ひとつ動かさない。ただ静かに、来るべき瞬間を待っていた。
城内は、「ついに今川がやって来る」というパニック状態で蜂の巣をつついたような騒ぎになっていたが、僕は自室で静かに最終確認を行っていた。
赤革威の具足に、同じ色の兜。僕――木下秀吉のこの派手な軍装は、自己主張のためではない。これから訪れる「すべての視界を奪う豪雨」の中で、味方に僕の存在を視認させ、的確な指示を飛ばすための物理的なマーカーだ。
僕は兜の緒を締め、大広間へと向かった。そして、静かに控える信長に向かって、あえて高声で進言した。
「――はや御出陣の時刻にございます。打ち立ち給うべし!!」
その声に、信長はニヤリと口角を上げ、「さらば向かおう」と直ちに愛馬にまたがった。
信長と僕、そしてわずかな旗本は、清洲を飛び出し、熱田明神の前へと到着した。ここで散開していた味方の精鋭部隊との合流を待つ。
雨の匂いが、風に混じって濃くなってきた。だが、空を覆う厚い雲と雷鳴に、集まってきた兵士たちの顔には「天にも見放されたか」という絶望と恐怖の色が浮かび始めていた。
(……ここで、最後の劇薬を打ち込む)
僕は信長の馬の側に寄り、大きな声で言上した。
「信長様!当社大明神は、日本武尊を斎み祭る社。かつて東国の戎兵を誅伐した武神にございます!今川を討つ前に、神拝あって然るべきかと!」
「よかろう」
信長は馬を降り、神前に進み出た。柏手を打ち、一紙の願書を捧げ、祈誓をこらす。数千の兵たちが、固唾を呑んでその背中を見守っていた。
――その時である。
『チャカ……チャカ……!』
社壇の奥から、勇ましい馬の轡の音が響き渡った。そして、本殿の屋根裏から、2羽の真っ白な白鷺が飛び立ち、今川本陣のある東の空に向かって真っ直ぐに飛んでいった。兵士たちの間に、どよめきが走った。
「見ろ!!白鷺が……東へ!!」
「明神様の奇瑞だ! 日本武尊が、我らを先導してくださっているぞ!!」
僕はわざとらしく両手を天に掲げ、大音声で叫んだ。
「見たか者共! 当社明神の奇瑞、眼前に著明なり!神は我らに味方した!今川を討ち、織田の運を開くこと、この一戦にあり!勇め!進め、進めええッ!!」
「うおおおおおおッ!!」
今川の大軍に恐れをなし、完全に気勢を殺がれていた兵士たちが、一瞬にして爆発的な熱量を取り戻した。現代の心理学における「確証バイアス」と「集団ヒステリー」の完璧な連鎖。神の加護という絶対的な幻想を得た彼らは、もはや死を恐れる人間ではなく、狂熱の狂戦士へと変貌していた。
「……やりおるわ、猿」
馬上の信長が、僕を見下ろして低く、密かに呟いた。
「ハッ。何のことでしょうか」
僕はしらばっくれて笑った。轡の音も、白鷺も、奇跡でも何でもない。僕が事前に神主を買収して仕込ませておいた、ただの物理的な舞台装置だ。信長は、そんな僕の「とにもかくにも智勇勝れた計策」をすべて見抜いた上で、あえて神妙な顔で祈る演技を全うしてくれた。
「流石に智謀の士よ。お前の描く絵図、どこまでも乗ってやるわ」
「ありがとうございます。……さあ、間もなく来ますよ。天が」
僕がそう言った直後。空を引き裂くような巨大な雷鳴とともに、バケツをひっくり返したような豪雨が尾張の大地に叩きつけられた。ザアアアアアッ!!という凄まじい水音が、世界のあらゆる音をかき消す。数メートル先も見えない分厚い雨の壁。
未来の軍事ドクトリンにおいて、視界不良と通信障害は致命的なエラーを引き起こす。ましてや、46,000という前近代的な大軍が、この豪雨の中で満足な連携など取れるはずがない。
逆に、わずか2,000の僕たち「斬首部隊」にとっては、自らの姿を隠匿し、敵の急所へ肉薄するための最高のステルス迷彩となる。
「……信長様!桶狭間へ!!」
「全軍、俺に続けえええッ!!」
赤革の具足を濡らしながら、僕は馬腹を蹴った。豪雨と雷鳴の中、2,000の狂戦士たちが、泥を跳ね上げながら今川本陣へと殺到する。かつて、冷たいアスファルトの上で無力に死んだ現代の夜風の記憶。奴婢として泥まみれで這いつくばった日々。
僕の胸の奥で、それらすべての不条理を焼き尽くすように、日輪の光が爆発的な熱量を放っていた。
(僕は、生きている。そして今、歴史の頂点に手をかける!)
視界ゼロの豪雨の向こう。油断しきった駿河の魔物の喉元へ、僕たち織田の牙が、今まさに突き立てられようとしていた。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
信長桶狭間に出張す
老子の曰く、「自ら傲る者は長からず」と。今川義元桶狭間に本陣を居す、大軍を以て信長が構へ置きたる七箇所の砦を圍ませ、一息に攻め伏せんと、しきりに下知を傳へけるに、鷲津、丸根の兩砦たちまちに落城し、討ち取る首ども實檢に備へ、中島、善照寺の砦も色めき立って、はや落城の體に見えぬる由、追々(おいおい)注進したりければ、義元「然もこそあらめ」と寛々と打笑ひ、近習の武士小姓の輩に酌を取らせ、酒宴をこそ催しける。信長卿は今朝もいと静かに起き給ひ、合戦の次第を尋ね給ふに、鷲津、丸根の兩城は敵強くて防戦叶がたきよし、早打を以て注進ありけれど、さらに驚き給ふ氣色なく、徐々として控へ給ふ。ときに木下藤吉、赤革威の具足に、同じ色にて威しける甲を著し、「はや御出陣の時刻なり。打立ち給ふべし」と高聲に申しければ、信長、「さらば向ふべし」と直ちに御馬に召され、藤吉もろとも熱田明神の前に控へて、味方の勢を待たれける。藤吉、信長卿に向ひ言上しけるは、「當社大明神は日本武の尊を齋み祭る社なれば、東國の戎兵を誅伐し給ふには、神拜あって然るべし」と申しければ、信長やがて神前に恐拜し、一紙の願書を捧げられ、祈誓をこらし給ふところに、社壇の内に轡の音勇ましく聞こえ、白鷺二羽東へ向ひ飛び行きければ、信長、藤吉大に勇み、「當社明神の奇瑞眼前に著明。今川を討って織田の運を開かんこと、この一戰にあるべし。勇め者共、進め、進め」と下知すれば、今川が大軍に恐れ、氣勢なかりし士卒までも、「かかる奇特を含め、さてこそ奇瑞を顯はせり。信長卿は「とにもかくにも智勇勝れし木下藤吉が計策にて、諸軍を励まし功を立てんと、かねて社司らに申し含め、奇瑞を顯はせしは、流石に智謀の士よ。あな」と密かに感じ給ひけり。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
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絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜 1万PV御礼投稿 3話/7話 〜
いつもご覧頂きありがとうございます。おかげさまで投稿開始21日目に累積10,000PVを超えました。タイトルを付けるとすれば【感謝!累計1万PV到達!日間1,000PV&累積2,000ユニークOVER!感激ブクマ10件超!!】ですが、上っ面のタイトル変更ではなく書き溜めていた話を吐き出す事で御礼に代えさせて頂きます。とはいえ…これまでも誤字脱字謝罪や御礼ばっかしてたのであんまり貯まってませんw




