1-47 槍の又左、死地を請う
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
永禄3年(1560年)5月。駿河の魔物・今川義元が率いる46,000の大軍が尾張へと雪崩れ込み、最前線に位置する丸根砦と鷲津砦は、いよいよ明くれば5月18日にも手合わせの激戦が始まろうかという極限の緊張状態にあった。
それぞれの砦では、死を覚悟した将兵たちが、まちまちの用意を整えながらその時を相待っている。そんな血と鉄の匂いが立ち込める清洲城内で、兵站と情報収集のタスクに追われていた僕――木下藤吉郎の元に、ある夜、ひとりの男が人目を忍んで訪ねてきた。
夜闇に紛れて現れたその巨漢は、ボロボロの浪人笠を深く被り、ひどくやつれ果てていた。
「……藤吉郎殿。夜分にすまぬ」
絞り出すような嗄れ声。笠を取ったその顔を見て、僕は思わず目を見張った。
「前田犬千代殿……!」
織田家の小姓頭を務め、さしも強勇無双の壮士として知られた男。かつては派手な傾奇者の衣装をまとい、戦場ではその圧倒的な武勇で敵を蹂躙した「槍の又左」。ゲームで言えば、間違いなく最高レアリティの最前線アタッカーである。
しかし今の犬千代に、かつての凄みはない。信長から「懲戒解雇」を宣告され、すべてを失った男の絶望が、巨大な背中から痛いほどに滲み出していた。
犬千代がこうして浪人の身へと零落した発端は、ほんの数ヶ月前に起きた「恋愛スキャンダル」だった。
戦場で名を馳せる猛将といえども、犬千代もまた人の子である。ある日、信長の奥向きに仕える芳野という侍女を垣間見た彼は、その美しさに心を奪われた。そして、その想いは日を追うごとに募り、やがて引き返せぬ恋へと変わっていった。
絶対的なワンマン社長である信長の奥局での恋愛など、ブラック企業も真っ青な「重大なコンプライアンス違反」だ。見つかればただでは済まない。
だが、恋の山路に道しるべはない。「命も今は絶えなん」と思いつめた犬千代殿は、人づて(仲介)ではなく自ら筆を執り、数の玉章――つまり熱烈なラブレターを彼女へ送り続けた。
「昨日も、今日も、明日も。逢えぬをかこち、見ぬを恨む」
そんな犬千代の切実な思いと辛き日々に沈む姿に、芳野もついに心を解かし、二人は繁き人目を忍んで、一夜の逢瀬から深く契りを結んでしまったのである。俗に言う「社内恋愛」の成立だ。
しかし、閉鎖的な社内の情報網というものは恐ろしい。当時清洲にいた山口九郎次郎という男が、どこからかこの密通の事実を聞きつけた。
山口は、若くして小姓頭に抜擢され、信長の寵愛を受ける犬千代殿の才能をひどく妬んでいたのだろう。だが、彼は直接手を下すことはせず、茶道の祐保という男を利用した。
この祐保という茶坊主は、信長のお気に入りであることを笠に着て威張り散らす、典型的な社内政治の寄生虫のような男だった。山口の入れ知恵を受けた祐保は、得意げに犬千代の不義を信長へと内部告発した。
結果は火を見るより明らかだった。社内法度に誰よりも厳しい信長は大いに怒り、犬千代殿を即座に勘当。織田家から永く暇を賜る――つまり、永久追放という最も重い処分を下した。
犬千代はもとより、色に耽り酒に乱れるような戯男ではない。純粋に芳野を愛し、同時に信長への忠義も本物だった。だからこそ、自分の軽率な行動が主君の顔に泥を塗ったことを甚だ嘆き、千回悔いたという。だが、後の祭りだ。どれほど後悔しようとも、失われた信頼は戻らない。
「……藤吉郎殿。俺は、己の愚かさを心底恥じている」
床に額をこすりつけるように頭を下げる犬千代殿の目から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。
「今年、今川義元が上洛の合戦を起こした。織田家存亡の危機だというのに、俺は戦場に立つことすら許されぬ。……頼む! もしこの合戦に参じ、最前線で討死することができれば、死後の勘気を免され、前田の家名に泥を塗らずに済むやもしれぬ! どうしても、信長様のために命を捨てさせてくれ!」
執念とも言える悲痛な叫び。「願ひ奉る」と涙を流してすがる大男の姿に、僕は静かに目を閉じた。
(……なんてもったいない)
僕の脳内を駆け巡ったのは、武士の情けなどという感傷ではなく、冷徹な「最適化」の計算だ。
今、最前線の丸根砦や鷲津砦は、数千の今川軍に包囲されようとしている。守備兵はわずか数百。戦力差は絶望的であり、文字通りの死地だ。そんな場所に、死を覚悟したSSRクラスの猛将をタダで投入できれば、どれほどの戦術的価値を生み出すだろうか。単なる社内恋愛のペナルティで、カンストしている主力ユニットをゲーム盤から取り除くなど、経営戦略の観点から見れば言語道断である。
山口や祐保のような、足の引っ張り合いしかできない無能な中間管理職のせいで、織田家の貴重な人的リソースが失われるのは許しがたい。信長は稀代のカリスマCEOだが、時折こうした感情的な人事を起こす。ならば、裏側で僕が修正してやるまでのことだ。
それに、ここで彼に恩を売っておけば、将来必ず僕の強力な手駒となる。
「……分かりました、犬千代殿。顔を上げてください」
僕がそう告げると、犬千代は縋るような目で僕を見上げた。
「信長様には内密で、僕が手配しましょう。この一件、委しく僕にお任せを。……向かう先は、最前線にして最悪の死地、丸根の城です。あそこなら、あなたが望む通り、最高の散り場所が得られるはずです」
「おお……っ!かたじけない、藤吉郎殿! この御恩、あの世に行っても決して忘れぬ!」
「あの世など行かなくて結構です。泥水をすすってでも生き延びて、ご自身の手で信長様に手柄を叩きつけてください」
僕の淀みない言葉に、犬千代は深く、深く頷き、その目に再び猛獣のような戦意の炎を宿した。僕はすぐさま筆を執り、丸根砦の城主である佐久間大学へ宛てて密書をしたためた。
『この男、軍規違反で追放された身なれど、その武勇と忠義は本物。必ずや丸根の防衛において、一騎当千を約束します。どうか城内に迎え入れ、最前線で存分にこき使ってやってください』
そんな現代的な推薦状を持たせ、僕は犬千代を夜の闇へと送り出した。丸根の城で彼を出迎えた佐久間大学は、武骨で実直な歴戦の将である。彼もまた、犬千代の身に起きた不運を知っていたのだろう。手紙を読み、死を覚悟して現れた犬千代の節義に深く感じ入った。
これから始まるのは、圧倒的な質量を持つ今川軍との絶望的な防衛戦だ。生きて帰れる保証などどこにもない。だからこそ、佐久間大学は主君・信長の命令に背くリスクを承知の上で、犬千代を快く城中へと請い入れた。共に死地を分かち合う、真の戦友として。
「……これで、丸根砦の防御力は少し跳ね上がったな」
夜風が吹き込む窓辺で、僕は冷めたお茶をすすりながら呟いた。義元の46,000の大軍を相手に、正面からぶつかれば織田家は一瞬で消し飛ぶ。だからこそ、丸根や鷲津の砦には、一秒でも長く敵の主力を引きつけてもらわねばならない。
そのためには、犬千代のような死をも恐れぬ狂戦士の存在が必要不可欠だった。犬千代が砦で暴れ回れば回るほど、今川軍は苛立ち、その足止めは確実なものとなる。
東の空が、わずかに白み始めている。明くれば5月18日。いよいよ、この尾張の地を二分する巨大な戦の幕が上がる。僕が最適化したこの盤面で、犬千代がどれほどの戦果を上げてくれるか。
砦の中で戦を相待つ彼らの姿を遠く思い描きながら、僕は胸の奥で静かに疼く日輪の光を感じ、次のタスクへと無駄のない足取りで向かっていった。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
犬千代丸根の城に赴く
明くれば五月十八日、丸根、鷲津の兩城、手合せの戦あるべしと、その用意まちまちなり。ここに一箇の小説あり、信長の小姓頭前田犬千代、さしも強勇の壮士なりけれど、人木石にあらずして、愛著の情離れがたく、奥局のうちに芳野といへる女を垣間見、恋の山路の道しるべなく、命も今は絶えなんと、人傳ならでかきくどく、数の玉章たまたまに、一夜は逢瀬の情をと、昨日も今日も翌日も、逢はぬをかこち見ぬを恨み、つらき思ひに沈みければ、女も今は心解け、繁き人目を忍びつつ、深き契りを籠めにける。このころ山口九郎次郎未だ清洲にありけるが、犬千代が芳野に密通せしことを聞き、茶道祐保を以て犬千代が不義を訴ふ。信長大いに怒り、犬千代を勘当し永く暇を賜はりける。犬千代もとより色に耽り酒に乱るる戯男にあらざれば、甚だ歎き千悔すれども甲斐なし。ときに今年、今川義元上洛の合戦に討死、死後の勘気を免されば、何ほど嬉しからん。執念「願ひ奉る」と、涙を流し頼みければ、藤吉委しくこのことを許諾し、丸根の城へ遣はし、城主佐久間大学を頼みければ、大学犬千代が節義を感じ、城中に請ひ入れ、戦を相待ちける。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
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絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜 1万PV御礼投稿 1話/7話 〜
いつもご覧頂きありがとうございます。おかげさまで投稿開始21日目に累積10,000PVを超えました。タイトルを付けるとすれば【感謝!累計1万PV到達!日間1,000PV&累積2,000ユニークOVER!感激ブクマ10件超!!】ですが、上っ面のタイトル変更ではなく書き溜めていた話を吐き出す事で御礼に代えさせて頂きます。とはいえ…これまでも誤字脱字謝罪や御礼ばっかしてたのであんまり貯まってませんw




