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新訳 太閤記 ~ 転生 豊臣秀吉、未来を識る僕は史実の道を静かに歩む 〜  作者: 条文小説


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42/219

1-42 7つの砦と1つの首

挿絵(By みてみん)


 『太閤記(たいこうき)』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。

 『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本(よみほん)。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia

 永禄3年(1560年)春。清洲城の大広間は重く淀んだ空気に包まれていた。


 議題はただ一つ。東海の覇者、今川義元による尾張侵攻である。噂によれば、今川軍の総兵力は40,000。対する僕ら織田家の動員兵力は、すべてをかき集めてもせいぜい3,000〜4,000。ビジネスに例えるなら、資本金が10倍以上違う巨大多国籍企業が、地方のベンチャー企業を敵対的買収(TOB)しにやって来るようなものだ。普通に考えれば、勝ち目は万に一つもない。


「……もはや、戦(いくさ)になりませぬ。降伏あるのみにございます」


 沈痛な面持ちでそう言い放ったのは、織田家筆頭家老の林秀貞(はやしひでさだ)だった。隣に座る「鬼柴田」こと柴田勝家、そして森可成(もりよしなり)といった猛将たちでさえも、今回ばかりは重々しく頷いている。


「無念ではありますが、林殿の申される通り。義元の大軍を前に野戦を挑めば、我が軍は1刻(2時間)と持たずに壊滅いたしましょう。ここは城を開き、軍門に下るしか……」

 

 彼らは決して臆病なわけではない。むしろ戦国を生き抜いてきた歴戦のプロフェッショナル。だからこそ、物理的な「質量の差」を前に、論理的に絶望を抱いている。


 上座に座る信長は、無言のまま険しい視線で広間を見下ろしていた。その瞳の奥には、決して屈服しないという煮えたぎるような炎が宿っていたが、それを肯定する材料(エビデンス)を、重臣たちは誰も提示できていない。圧倒的な降伏論の波。だが、僕は知っている。ここで降伏を選べば、織田家はどうなるか。


「――恐れながら。降伏という選択肢(オプション)は、我が織田家には存在しません」


 静寂を切り裂いて響いた僕の声に、広間の全員の視線が一斉に突き刺さった。末席に控えていた僕――木下藤吉郎。泥まみれの下働きから信長の直臣にまで這い上がってきた「異物」である僕が、家老たちの意見を真っ向から否定したからだ。


「猿(さる)……!貴様、口を慎め!40,000の大軍を前にして、狂ったか!」


 柴田勝家が怒髪天を突く勢いで怒鳴りつける。でも、僕は涼しい顔で勝家たちを見渡し、未来の戦略論(ロジック)を展開し始めた。


「柴田様。狂っているのは、大軍を前にして『降伏すれば助かる』という希望的観測(ファンタジー)を抱いていることの方です。義元の真の目的は何ですか? 尾張の平定?違います。彼の目的は上洛――つまり京都へ上がり、天下の覇権を握ることです」


 僕はゆっくりと立ち上がり、広間の中央へと進み出た。


「義元にとって、我が尾張は単なる補給線に過ぎません。もし我々が降伏したとて、彼らは織田の兵を上洛のための『使い捨ての先兵(フロントライン)』として最前線に立たせるでしょう。勝てば今川の手柄、負ければ織田の損害。どちらに転んでも、我々は擦り切れるまで酷使され、最後には消滅する。それが降伏の現実です」


 冷徹な僕の言葉に、重臣たちは息を呑んだ。戦国武将たちの「武士の情け」などという曖昧な概念を、僕は容赦なく未来的なコスト計算で打ち砕いた。


「戦っても地獄、降っても地獄。ならば、己の意思で未来を掴み取るために、抗う一択しかありません。……そうではありませんか、信長様?」


 僕が上座に向かって問いかけると、信長は口元に獰猛な笑みを浮かべ、バンッと膝を叩いた。


「……猿の申す通りよ! 義元の首を取りに行く。運を天に任せ、雌雄を決する! 異論は許さん!!」


 信長の絶対的指示(トップダウン)により、織田家のベクトルは「決戦」へと完全に統一された。

 

 しかし、問題はここからだ。「やる気」だけで勝てるなら、精神論を振りかざすブラック企業はすべて世界トップになっている。圧倒的な戦力差を覆すための、具体的な戦略(ソリューション)が必要だ。


「では藤吉郎。貴様はあの40,000を、どうやって崩すつもりだ?」


 林秀貞が、半ば意地悪く問いかけてきた。僕は懐から尾張の地図を取り出し、広間の床に広げた。


(⋯ランチェスター第一法則だ)


「正面衝突をすれば、兵力差の二乗で我々はすり潰されます。ですから、敵の軍勢を『分割(ディバイド)』し、局所的な優位性を作り出します」


「分割だと……?」


「はい。義元の大軍が尾張に入るルートは限られています。そこで、鳴海(なるみ)、鷲津(わしづ)、丸根(まるね)、丹下(たんげ)、中島(なかじま)など、要所となる7ヶ所に砦を築き、それぞれに200から300の小勢(リソース)を配置します」


「馬鹿な!」


 森可成が声を荒げた。


「ただでさえ少ない兵力を分散させてどうする!各個撃破されるだけではないか!」


「その通りです。それが狙いなのです」


 僕はニコリと笑って見せた。その笑みが気味悪かったのか、重臣たちは一瞬言葉を失った。


「考えてもみてください。40,000の大軍が尾張を進む際、自分たちの進軍ルート上に敵の砦が存在するのを無視できるでしょうか? できません。必ず背後を突かれる懸念(リスク)を消すために、砦を一つひとつ攻め落とそうとします。……つまり、この7つの砦は、今川の40,000の軍勢を引きつけるための巨大な『避雷針(ヘイト・コレクター)』です」


 未来の軍事ドクトリンで言うところの「縦深防御(ディフェンス・イン・デプス)」と「陽動」のハイブリッド戦術。


「敵は20倍以上の戦力差に驕(おご)り、砦を容易く落とそうと諸方の手勢を増やすでしょう。砦の将兵が必死に抵抗すればするほど、義元は焦り、あるいは意地になり、兵を砦攻めに集中(ロックオン)させます」


 僕は地図上の「今川本陣」と予想される地点に、バツ印を書いた。


「敵の主力が砦に張り付き、本陣の護りが手薄になったその一瞬(タイミング)。……信長様自らが精鋭(タスク・フォース)を率いて、義元の首だけをピンポイントで斬首(デカピテーション・ストライク)する」


 広間に、水を打ったような静寂が落ちた。狂っている。確かに狂っている。200、300の兵を事実上の「死に餌」とし、数万の敵をコントロールして、大将の首一つをもぎ取る。それはあまりにリスキーで、しかし同時に、この絶望的な状況下で唯一無二の「最適解」だった。


「……恐ろしい小僧だ」


 柴田勝家が、呆れたように、しかし明確な畏怖を込めて呟いた。


「仮に義元を討てずとも、本陣を脅かされたとあれば、敵は浮足立ち、本国へ退かざるを得なくなります。……僕の描いた生存戦略(ロードマップ)は、以上です」


 深く一礼した僕を見て、信長は「くくっ……あはははは!」と狂ったような高笑いを上げた。


「面白い! その絵図、採用してやる! 直ちに人夫を集めよ! 丸根、鷲津、善照寺、中島、丹下に砦を築くぞ!」


 信長の号令により、織田家はかつてないスピードで砦の構築を開始した。僕も自ら現場に立ち、泥にまみれながら人夫たちを指揮した。かつて流浪の旅で身につけた地層の知識や、未来の力学を用いた効率的な土塁の構築法を駆使し、砦は驚異的な速度で完成へと近づいていった。


 だが、僕の「世界を静かに見る力」は、現場に潜むもう一つの致命的なバグを検知していた。――士気(モチベーション)の崩壊である。


「今度の戦、いくら信長様が張り切っても、勝ち目はねえよなぁ……」


「ああ。40,000の今川に、俺たち200で砦を守れってんだ。捨(トカゲ)て駒(シッポ)じゃねえか」


 砦の構築現場や、兵士たちのたまり場で、僕はそんな絶望的な囁きを何度も耳にした。僕が構築した戦略は、あくまで「砦の守備兵が、死に物狂いで敵の猛攻を耐え抜くこと」を大前提(ファクター)としている。もし彼らが早々に戦意を喪失し、砦を捨てて逃亡したり、簡単に降伏したりすれば、今川軍を釘付けにすることはできず、信長の本陣奇襲の隙(チャンス)は永遠に生まれない。


 人間の心は、冷徹な論理(ロジック)だけでは動かない。死地に赴く兵士たちには、「自分たちは勝てるかもしれない」という強烈な錯覚(インセンティブ)が必要だった。


(……仕方ない。劇薬(フェイク)を使うか)


 僕は再び信長のもとへ赴き、極秘の密計(プロモーション)を提案した。


「信長様。このままでは、砦の兵たちが今川の大軍に呑まれ、戦う前に心が折れてしまいます。彼らに『大いなる希望』を与える必要があります」


「希望だと? この期に及んで、どこにそんなものがある」


「作り出すのです」


 僕はニヤリと笑った。


「近江(おうみ)国、六角義秀(ろっかくよしひで)殿、ならびに入道 承禎(じょうてい)殿へ、僕が直接赴いて『援兵』を請うてまいります」


 信長は訝しげに眉をひそめた。


「六角が我々に援軍を出すわけがなかろう。奴らも自分の領国維持で手一杯だ」


「ええ。十中八九、援軍など来ません。ですが、『信長様が近江の六角家と軍事同盟を結び、背後から今川を挟み撃ちにするための援軍が来る』という“噂”を、尾張全土に流布(リーク)するのです」


 ビジネスで言えば、「倒産寸前の自社に、海外の巨大ファンドから巨額の資本提携(ホワイトナイト)が入る」というフェイクニュースを流し、株価を維持するようなものだ。事実である必要はない。


「あの藤吉郎が、六角家の当主に直談判に向かった」という『行動の事実(エビデンス)』さえあれば、絶望に沈む兵士たちは、それを心の拠り所として信じ込む。「援軍が来るまでの辛抱だ」「あと少し耐えれば、六角の大軍が今川を後ろから叩き潰してくれる」。


 その幻想(プラシーボ)さえあれば、彼らは限界を超えて砦を守り抜き、義元のヘイトを完璧に集めてくれるはずだ。


「なるほど……。味方を騙して死地に立たせるか。貴様、どこまでも底意地の悪い男よ」


 信長は呆れたように言いながらも、その案を即座に承認した。


「よかろう。行ってこい、猿。思い切り大仰に、ハッタリをかましてこい」


 初夏の日差しが、青々とした木々の葉を照らしている。風は生ぬるく、間もなく訪れる血と硝煙の季節を予感させていた。


 僕は従者を4、5人だけ引き連れ、清洲を後にして近江国へと馬を走らせていた。


「藤吉郎様。本当に六角様は援軍を出してくださるのでしょうか?」


 供の一人が、不安げに僕に尋ねてきた。僕は前を向いたまま、大らかに笑い飛ばした。


「ああ、間違いない! 僕の交渉術(プレゼンテーション)にかかれば、六角の殿様も首を縦に振るに決まっている。お前たちは心配せず、尾張に大軍が駆けつける日を楽しみにしておけ!」


 嘘だ。交渉など最初から成立する見込みはない。だが、僕のこの自信に満ちた声は、必ず彼らを通じて尾張の兵たちに伝播(バズ)する。


 僕の胸の奥にある「日輪の光」が、馬の蹄の音に合わせて静かに、けれど確かな熱を持って疼(うず)いていた。


(笑いたければ、笑えばいい。僕は、僕の信じるやり方でこの盤面(ゲーム)を操作する)


 かつて泥にまみれ、理不尽に耐えながら生きた知恵を蓄えた流浪の少年は、今、軍師として歴史の表舞台に立っている。


 巨大な特異点――「桶狭間の戦い」は、もう目と鼻の先まで迫っている。駿河の魔物を討ち取るための、僕の周到な死の罠(デスマッチ・リング)の構築は、いよいよ最終段階に入ろうとしていた。




【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】




信長(のぶなが)七箇所(しちかしょ)の砦(とりで)を築(きず)く


永禄三年(えいろくさんねん)の春(はる)正月(しょうがつ)より、夏(なつ)の始(はじ)めに至(いた)るまで、今川勢(いまがはぜい)攻(せ)め上(のぼ)ると風聞(ふうちゅう)せしかど、今(いま)に至(いた)りこれを果(は)たさず。林(はやし)、森(もり)、柴田(しばた)ら強(つよ)て降参(かうさん)を勧(すす)めけれども、藤吉(とうきち)一人(ひとり)この儀(ぎ)を可(か)なりとせず。信長(のぶなが)もまた降(くだ)ることを快(こころよ)し給(たま)はず、終(つい)に衆議(しうぎ)一決(いっけつ)して、「今川(いまがは)の大勢(たいぜい)を引受(ひきう)け、運(うん)を天(てん)に任(まか)せ雌雄(しゆう)を決(けつ)すべし」と評議(ひょうぎ)定(さだ)まりければ、さらば防禦(ぼうぎょ)の備(そなへ)をなすべしと、藤吉郎(とうきちろう)計策(けいさく)を献(けん)じて云(い)く、「義元(よしもと)大軍(たいぐん)にて攻来(せめきた)る、味方(みかた)小勢(こぜい)を以(も)て當(あ)たらんには、豫(あらかじ)め備(そなへ)をなすべし。まづ鳴海(なるみ)の邊(ほとり)、鷲津(わしづ)、丸根(まるね)、丹下(たんげ)、中島(なかじま)等(とう)の切所(せっしょ)に七箇所(しちかしょ)の砦(とりで)を築(きず)き、二百騎(にひゃっき)、三百騎(さんびゃっき)の勢(せい)を籠(こ)め置(お)き、敵(てき)の大軍(たいぐん)を分(わ)ち小勢(こぜい)となして戦(たたか)ひ給(たま)へ。敵(てき)の勢(せい)を以(も)て味方(みかた)の勢(せい)に競(くら)ぶれば、二十倍(にじゅうばい)に過(す)ぎたるべし。されば何(いず)れの砦(とりで)を攻(せ)むるとも、ことごとく大勢(たいぜい)にて向(む)ふべし、等閑(なおざり)には當(あ)たるべからず。籠城(ろうじょう)の将士(しょうし)必死(ひっし)の戦(たたか)ひをなし、手痛(ていた)く防(ふせ)ぎ戦(たたか)はば、義元(よしもと)大軍(たいぐん)を頼(たの)み心驕(こころおご)りて、諸方(しょほう)の手勢(てぜい)を益(ま)し、一時(いちじ)に砦(とりで)を攻落(せめおと)さんと計(はか)るべし。そのとき君(きみ)遅兵(ちへい)を勝(すぐ)て旗本(はたもと)へ攻入(せめい)り、義元(よしもと)と雌雄(しゆう)を決(けつ)せん、恐(おそ)らくは敵(てき)小勢(こぜい)にして備(そなへ)なく、多分(たぶん)味方(みかた)の勝利(しょうり)なるべし。たへ義元(よしもと)を討(う)たずとも、本国(ほんこく)へ追帰(おひかへ)すべし」。信長(のぶなが)この計略(はかりごと)に随(したが)ひ、人夫(にんぷ)を分(わ)けて丸根(まるね)、鷲津(わしづ)、善照寺(ぜんしょうじ)、中島(なかじま)、丹下(たんげ)等(とう)に七箇所(しちかしょ)の砦(とりで)を築(きず)き、兵(へい)を籠(こ)めて義元(よしもと)の大軍(たいぐん)を防(ふせ)がんとす。ここに藤吉郎(とうきちろう)つくづく諸士(しょし)の容体(ありさま)を考(かんが)ふるに、「今度(こんど)の合戦(かっせん)、味方(みかた)無勢(みかたぶぜい)なるを以(も)て、必定(ひつじゅう)の勝利(しょうり)おぼつかなしと、危(あや)ぶ思(おも)ふ気色(けしき)あり。かくては合戦(かっせん)勇(いさ)みなかるべし」と察(さっ)し、一(ひと)つの密計(みっけい)を出(い)し、「江州(ごうしゅう)の六角義秀(ろっかくよしひで)、同義(どうよし)賢(かた)入道(にゅうどう)承禎(じょうてい)に援兵(えんぺい)を乞(こ)ひ、その勢(せい)を合(あ)せ今川(いまがは)と防戦(ぼうせん)あるべし」と申上(もうしあ)げ、自(みずか)ら従者(じゅうしゃ)四五人(ごにん)を引(ひ)き連(つ)れ、江州(ごうしゅう)さして急(いそ)ぎける。

〜参考文献〜

太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource

https://share.google/AxQqE2xRgf0LcmxAN

絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編

夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700


〜舞台背景〜

 ようやく⋯やっと桶狭間です。太閤記は想像以上の膨大なボリュームで⋯このペースで書いてたら終わりが見えないので、ちょっとやり方考えないと⋯ですw


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