1-36 悪政の代償、そして司法取引
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
天が人に大きな使命を与えようとするとき、必ず逃れられない苦難を与えるという。
犬山領で暴動の引き金を引いてしまった又右衛門の甥、浅野弥左衛門は、まさにその極限の苦難の真っ只中にいた。数千人の怒れる農民に包囲され、彼らを斬り伏せながら血だらけになって清洲の城下まで逃げてきた弥左衛門。
偶然のように、僕は町の見回りの途中で彼と出くわした。
「……弥左衛門殿! その血はどうしたのです!」
「と、藤吉郎殿……! 犬山で百姓どもが暴動を……! 俺は逃げてきたが、奴らがすぐそこまで追ってきている……!」
息も絶え絶えに説明する彼の背後には、鍬や鎌を手にした百人以上の農民たちが、殺気立って清洲の城下へとなだれ込んできていた。このままでは彼が殺されるだけでなく、清洲城下までパニックに陥る。
僕は瞬時に判断し、弥左衛門を清洲城内へと引き入れた。城の堀際まで押し寄せた農民たちに対し、僕は城壁の上から大声で言い放った。
「――静まれ! これ以上騒げば、信長様への反逆とみなす! 事情はすべて聞き届けるから、庄屋と年寄たち四、五人を代表として城内へ入れ! 残りは直ちに引き上げろ!!」
僕の威圧的な交渉に、百姓たちは渋々ながらも代表者を選出し、残りは引き上げていった。
一方、犬山城では、国主である織田信清がこの暴動に肝を潰し、悪政の元凶である小川求馬に事態の収拾を命じていた。求馬は己の不正(コンプライアンス違反)がバレるのを恐れ、「すべては弥左衛門という雇われ手代の責任だ」と責任転嫁を企んでいた。
だが、僕の情報網と政治力は、すでに求馬の逃げ道を完全に塞いでいた。僕は信長名義の特使を犬山へ派遣し、求馬とその配下の手代二人を、強引に清洲城への「出頭」を命じた。
清洲城の広間。僕は、震え上がる小川求馬と手代たち、そして犬山領の百姓の代表者たちを対決させた。村方の勘定帳簿という物理的証拠を突きつけ、資金の使途不明金(横領)を一つひとつ冷徹に解明していく。求馬の顔からみるみる血の気が引いていく。
「……決定だ。小川求馬、および手代二名。領民を不当に搾取し、私腹を肥やした罪により『死罪』とする」
僕が言い渡すと、求馬たちは床に泣き崩れた。しかし、処罰はそれだけではない。僕は百姓の代表者たちに向き直り、今度は氷のように冷たい声で告げた。
「だが、お前たち百姓が徒党を組み、武器を持って一揆を起こしたことも、決して許されることではない。国法を乱した罪は重い」
百姓たちはハッとして青ざめた。悪代官が成敗されて終わりではない。戦国の世においても、私刑は建前上は罪なのだ。
「……一揆の責任を取り、村から『三名の死罪』を出せ」
僕の宣告に、百姓たちは絶望の表情を浮かべた。誰を犠牲にしろと言うのか。だが、僕は彼らの耳元で、あえて「聞こえるように」囁いた。
「いいか。誰なりとも三人だ。……ただし、弥左衛門に斬られて『すでに重傷となっている者』でも、国法は成り立つぞ」
その瞬間、百姓たちの顔にパッと光が差した。すでに死にかけている者を差し出せば、これ以上の犠牲を出さずに暴動の罪を帳消しにできる。現代の司法取引にも通じる、極めて高度でえげつない「着地点」だった。
「あ、ありがてえ……! 藤吉郎様のお計らい、一生忘れませぬ!」
百姓たちは涙を流して僕に三拝し、急いで村へ戻ると、指示通りに「すでに虫の息の重傷者三人」を清洲へ差し出してきた。
僕は彼らを法に則り形だけの処刑をおこない、こうして数万人が巻き込まれるはずだった大暴動を、最小限の出血で完璧に鎮圧した。そして、弥左衛門の処遇だ。
「浅野弥左衛門は、雇われの身であったとはいえ、騒動の引き金を引いた責任がある。……犬山領から『追放』とする」
これは罰ではない。彼を犬山のしがらみから解放し、僕の直属の部下として引き抜くための大義名分だ。僕の意図を理解した弥左衛門は、絶体絶命の状況を脱したことを深く感謝し、これ以降、僕に対して絶対的な忠誠を誓うことになった。
――後に豊臣政権の五奉行の筆頭として天下の政務を取り仕切る、「浅野弾正少弼長政」という男が、僕の手駒に加わった瞬間である。
この「犬山騒動の鎮圧と裁定」を、信長は清洲から犬山城の織田信清へ、公式な書状として送りつけた。
『お前の管理不足で起きた騒動を、うちの藤吉郎が完璧に処理してやったぞ』
そんな嫌味たっぷりのメッセージだ。信清は面目を丸潰れにされ、これ以降、信長に対して強いコンプレックスと反発心を抱くようになり、やがて反逆を起こすことになる。もちろん、その一戦はまた信長によって一瞬で叩き潰され、信清は甲州の武田信玄を頼って逃亡することになる。
(すべては、予測の範囲内)
広間から退出した僕は、夏の気配を含み始めた風を感じながら、静かに空を見上げた。犬山の一件で、僕は「軍事」だけでなく「司法と内政」においても、他の重臣たちを遥かに凌駕する問題解決能力を証明してしまった。
僕に対する彼らの嫉妬は、もはや隠しきれないレベルにまで膨れ上がっているはずだ。だが、構わない。
これからやって来るあの駿河の巨大な魔物――今川義元との決戦(桶狭間)において、僕の存在は、この織田家にとって絶対に必要なものとなる。
「……さあ。いよいよ本番の幕開けだ」
僕の胸の奥で、日輪がかつてないほど巨大な熱量を持って燃え上がり、この戦国という時代全体を焼き尽くすための準備を完了させていた。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
藤吉郎智計一揆を鎮む
人の正に起らんとするときは、果たして逃げがたき愁苦患難あり。これ天その人をして大任を命ずるところなり。淺野彌左衛門は思ひ設けざる騷動にて、多勢を切り拔け、血刀を提げて走りけるが、清洲の城下にて端なく木下藤吉に行き合ひたり。藤吉甚だ驚き、その所謂を尋ぬるに、彌左衛門息つぎ敢へず、しかじかのことと物語るに、はや一揆の百姓ども逃げすまじと追ひ來る。藤吉、かくては彌左衛門危ふかるべしと、伴ひて清洲の城中へ引き入れたり。一揆ら百餘人堀際まで押寄せ、はせ、また三十人を以て臨時の用事を達しければ、半日の間に石垣全く成就し、さて犬山領には、近村近鄕の百姓三萬餘人馳集まり、竹を削ぎて槍となし、領主の城へ押寄せんと、その評議最中なり。織田信清この騷動を聞き、大に驚きかつ怒り、小川求馬を召して、早く退治すべきよし命ぜらる。求馬は己が舊悪を恐れ、淺野彌左衛門が讒怨より事起れば、彼を尋ね出し罪に行ひ、百姓を宥むべしと、例の利口を以て事を逃れんとす。このとき信長卿より使者到來し、求馬及び二人の手代を召されれば、求馬も今は辭しがたく、半死半生の手代を召し連れ、清洲へこそ赴きける。藤吉郎また一揆の中へ使者を立て、庄屋、年寄そのほか魁たる者四五人召し出し、村方勘定帳面等を取寄せ吟味の上、「求馬、百姓ら對決に及ぶところ、ごとく求馬及び手代どもが私慾に究まり、三人ともに死罪に決し、今一人の役人淺野彌左衛門は、傭はれ者なれば、罪一統に行ひがたし。この者は犬山領を追放すべし。百姓ども徒黨を企て一揆を起すこと、大禁を犯す科軽きにあらず。一揆の内より三人を刑に行ひ、國法を糺すべき間、汝らこの旨承り、急ぎ誰なりとも三人を召し連れ罷出づべし。遲滯に及ばば役人を以て召捕り、求馬もろとも刑罪に行ふべし。ただし手負ひたる者にても國法は立つべし」と云ひ捨てて座を立てば、百姓どもは藤吉が計を大に悦び、ありがたしと三拜し、急ぎ犬山に歸り、淺野彌左衛門に切られたる必死の手負ひ三人を清洲へ差出し、法のごとく行ひて、事故なく鎮まりける。淺野彌左衛門は木下が仁智により、必死の難を逃れ、これより藤吉郎に隨身し、忠義の志深く、度々(たびたび)軍功を露はし、後淺野彈正少弼長政と號せるは、この彌左衛門がことなりけり。右の決斷嚴重に犬山へ申し送りければ、信清甚だ面目を失ひ、これより何となく信長卿と不和にして、終に反逆の企てありて、合戰に及びけるが、ただ一戦に打負け、遁れて甲州に至り、武田信玄を頼み、しばらくここに止まりけり。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
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絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
太閤記はおよそ300年前の小説ですが、トラブル、ざまぁ、トラブル、ざまぁ、⋯という筋書きが、現代のなろうの世界感なのが、なんか興味深いです。実は「なろう」こそが日本文学の王道なのではw




