1-35 百姓蜂起 ―― 犬山領、炎上
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
大沢主水を、現代の情報戦と交渉術を用いて完全に僕の手駒へと書き換えた夜から、さらに数ヶ月が経過していた。
かつて泥にまみれ、四カ国を流浪しながら生存のための「最適化」を繰り返してきた最底辺の奴隷は、今や尾張の中心で歴史という巨大なプロジェクトの末端に食い込んでいる。
だが、下働きから武士へとクラスチェンジしたところで、戦国という時代の理不尽さが変わるわけではない。むしろ、権力の中枢に近づけば近づくほど、人間の欲と愚かさが引き起こす「システムエラー」は規模を増していく。
その頃、僕が独自に構築しつつある領内の情報網は、尾張の北端――犬山領において、致命的な炎上の兆候を検知していた。
犬山城主である織田十郎左衛門信清。信長の従弟にあたるこの男は、広大な所領と強大な軍事力を有し、その威勢は尾張家中でも群を抜いていた。しかし、未来の企業経営の視点から言わせてもらえば、信清の領国経営はとっくに破綻の領域に足を踏み入れていた。
その元凶にして、最悪のバグ。それが信清の寵臣、小川求馬という男だ。巧言令色――信清にひたすら耳障りの良い言葉だけを並べ立てて寵愛を勝ち取り、犬山領の政務をことごとくその手中に収めている。本質的にはただの佞奸の小人でありながら、権力を笠に着て犬山家中で絶大な権勢を振るっていた。
華美を好み、連日酒食に耽り、その驕奢は日に日にエスカレートしていく。では、その莫大な交際費や遊興費はどこから出ているのか?言うまでもない。領地の百姓たちからの苛烈な搾取である。
年々理不尽に重くなる課役により、農家の経済は完全に崩壊していた。再生産の限界点を超えた搾取は、必ず下部構造からの反発を招く。領民たちの恨みは限界に達し、「清洲に行って信長様に直接、求馬の悪政を告発しよう」という極秘の企てすら、僕の耳には届いていた。
犬山領は、いつ爆発してもおかしくない火薬庫だ。そんな中、求馬の手足となって動く村方支配の手代三人のうち一人が、重い病に倒れた。この手代たちもまた、求馬が自分と同類の「中抜き」に特化したクズばかりを選んで登用した者たちだ。
利に走り、賄賂を貪り、民の嘆きなど一切顧みない。手代たちに対する領民の憎悪は、「その肉を喰らってやりたい」というレベルにまで達していた。
ところが欠員が出たことで、急遽、代役の「用心棒兼手代」として傭われた男がいた。
浅野弥左衛門。犬山浅野村の百姓の出でありながら、信長の家臣・藤井又右衛門を伯父に持つ男だ。彼は幼少の頃から類稀なパワーと身体能力を持ち、農夫という生業を嫌って武術と兵法に傾倒していた。父の死後、農業を捨てて伯父のもとで養われていたところを、その腕を買われて求馬の陣営に引き抜かれた。
弥左衛門のスペックは申し分ない。しかし、弥左衛門には致命的な欠落があった。それは、この犬山領に渦巻く「政治的文脈」と「領民の絶望」を、まったく理解していなかった。旧年来の悪政を知らない彼は、ただの「真面目な武槍者」として、純粋に手代の役目を果たそうとした。
(……最悪のタイミングで、最悪のフラグが立ったな)
報告を聞いた僕は、清洲の空を見上げながら密かにため息をついた。運命の暴発は、秋の村方検見――すなわち年貢の査定監査の日に起きた。
元の手代二人と共に村へ乗り込んだ弥左衛門だったが、出迎えた領民たちの態度は異常だった。役人の権威など微塵も恐れる様子はなく、例年強要されていた扇子料や菓子料といった「賄賂」を一切出さない。それどころか、休息のための茶所すら設けていなかった。これは現代で言えば、全従業員による完全なストライキとサボタージュの宣言に等しい。
「貴様ら! 上を敬うことも忘れた愚民どもめ!」
空気が読めない手代二人は、これを単なる「無礼」と受け取り、庄屋や年寄たちをさんざんに罵倒した。しかし、百姓たちは詫びるどころか、役人たちを薄ら笑いで嘲った。
「上を誇る愚人どもめ。よし、奴らを一人残らず捕らえて糾明してやる!」
手代たちがそう喚き、物理的な制裁を加えようと立ち上がった瞬間――それが、火薬庫への着火となった。
「不道の役人どもを打殺せ! 日頃の恨みを晴らせええッ!」
地鳴りのような鬨の声と共に、数十人の百姓たちが手々に鋤や鍬を提げて、四方からなだれ込んできた。
人間が「個」であることをやめ、「群衆」という一つの巨大な質量を持つ怪物に変わる瞬間。理性を吹き飛ばされた狂戦士の群れが、手代たちへ襲いかかる。ここで、事情を知らない浅野弥左衛門が動いてしまった。
確かに弥左衛門は欠員補充の代役であり、これまでの苛政を知らない。弥左衛門彼から見れば、目の前の光景は「法と秩序を乱す、悪しき下賤の暴徒たち」でしかない。
「無礼者ども! 一々首を並べてくれるわ!」
弥左衛門は太刀を抜き放つと、圧倒的な戦闘力で先頭にいた数人を瞬く間に斬り伏せた。
しかし、それは完全な悪手だった。血を見たことで、百姓たちのタガが完全に外れてしまった。騒動を聞きつけた近郷近村の百姓たちが、「非道の役人を活かしておけば、いつか報復される! ぶち殺せ!」と武器を携え、雲霞のごとく集結し始めたのである。
10人程度だった暴徒は数百へ、そして幾千という数を数え切れないほどの大群衆へと膨れ上がった。元の手代二人は、命乞いをする間もなく群衆に飲み込まれた。日頃の悪事への報いは凄惨を極め、無数の農具でタコ殴りにされ、辛うじて意識はあるものの半殺しとなった。
そんな状況の中でも弥左衛門は凄まじい膂力で群がる百姓を斬り伏せ敵陣を駆け抜けた。しかし、物理的なスタミナには限界がある。次第に増え続ける百姓の波を前に、彼の息は上がり、太刀は血脂で切れ味を失っていった。幾千とも知れない百姓たちが鬨を作りながら押し寄せてくる様は、まさに絶望そのものだっただろう。
「……この所にて、百姓を相手に犬死にするのも無念なり……!」
弥左衛門はついに討死の覚悟を決めかけたが、すんでのところで合理的な生存本能が勝った。彼は無勢で防御が薄い箇所を見極めると決死の突撃を敢行した。
驚異的な突破力で難なく囲みを打破り、包囲網から抜け出した彼は、血まみれのまま、伯父のいる清洲城下を目指して走り出した。
「逃がすな! 殺せ!!」
背後からは、目を血走らせた何千もの百姓たちが、彼を追って雪崩を打って追いかけてくる。それはまさに、尾張北部のシステム全体がクラッシュし、巨大な炎となって清洲へ押し寄せてくるような光景だった。
――そして、僕の待つ「清洲」へと、その灼熱の波が到達する。
(……来たか)
清洲の町を巡回する名目で事前に待機していた僕は、街道の土煙の向こうから、息も絶え絶えに逃げてくる血まみれの巨漢の姿を視認した。
「さあ。いよいよ炎上案件処理の始まりだ」
僕は腰の刀の柄にそっと手を添え、現代の知識と戦国の処世術を総動員した「最適解」を脳内で組み上げながら、逃げてくる彼――浅野弥左衛門に向かって、ゆっくりと歩みを進めた。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
犬山領騷動
ここに信長卿の從弟に、織田十郎左衛門信清といふ人あり。尾州犬山の城主にして、所領の地あまた持ち、その威勢甚だ剛し。これが寵臣に小川求馬といへる者あり。巧言令色を以て信清の寵を得、一家の政事ごとく求馬が手裏にありて、權勢一家中に並ぶ者なし。もとより佞奸の小人なれば、華美をこのみ、酒食に耽り、驕奢日日に増長し、領地の百姓を虐げ、課役年々に重なりければ、農家一統に困窮して、その悪政を恨み、清洲に参り信長卿に愁訴して事を糺さんと、よりよりその企をなしにける。この求馬が卑役、村方支配の手代三人ありけるが、何れも求馬が選み用ひし者どもなれば、利に走り賄賂を貪り、民百姓の歎きをも顧みず、一向過役を増しければ、領地の百姓皆その肉を喰らはんと欲す。ときにこの手代のうち一人、重き病に臥して立つこと能はず、淺野彌左衛門といふ者を傭ひて手代の役を勤めしむ。この彌左衛門は同國淺野村の百姓彌左衛門いへる者の子にて、信長の臣藤井又右衛門が甥なり。幼少のときより力量衆に越え、生長りて農夫を嫌ひ、武術を勵み兵書を讀む。父彌左衛門沒後の後、農を棄てて伯父又右衛門が方に養はれ居たりけるが、今度求馬が手代に傭はれ、二人の手代もろともに、村方檢見に廻りけるに、領地の百姓共かねがね苛政に苦しみ、出訴せんと思ふと、さらに役人の權威を恐れず、扇子料、菓子料の賄賂は會てなさず、休息所へ設けざれば、三人の手代大に怒り、庄屋、年寄を召し、さんざんに罵れども、百姓どもさらに詫びる氣色もなく、結句役人を嘲ひ、「上を誇る愚人ども、捕らへ捕らへて糾明せん」と立ち上がれば、数十人の百姓ども、手々に鋤鍬提げて、「不道の役人打殺して、日頃の恨みを晴らせよ」と、ばらばらと立寄れば、淺野彌左衛門はもとより傭はれ人なれば、舊年の悪政を知らず、一途に百姓の無禮なりと思ひ、「悪き下賤一々に首を並ぶべし」と太刀拔き放ち、手の下に二三人切倒せば、その勢に恐れけん、ばらと逃げたりけるが、近鄕近村の百姓ども、この騷動を聞くと等しく、「非道の役人活け置かば、いつか恨みを散ずべき。擲げ殺せ、打殺せ」と得物を携へて、雲霞のごとくに取り卷いたり。二人の手代大に恐れ、日頃の悪事を詫びるといへども、百姓どもは會て耳にも聞き入れず、難なく二人を打倒し、半生に打擲す。彌左衛門群がる百姓を西へ追ひ東へ靡け、五六度ばかり駈けたりけるが、次第次第に百姓増り、幾千萬と云ふ數を知らず、鬨を作りて押寄せしは、恐ろしかりける次第なり。彌左衛門今は敵しがたく、討死と思ひけるが、「この所にて百姓を相手に犬死せんも無念なり」と、無勢なる所を目掛け、おつと喚いて切つて入り、難なく一方を打破り、清洲を指し走りける。跡より百姓一同に、逃げすまじと追ひけるは、危ふかりける有様なり。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
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絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
戦国武将は研究者ごとに読みが違い「正解が一つ」とは限らないそうです。なので、今話のモブキャラ小川求馬をwikipediaは「きゅうま」と呼んでましたが、ここでは「もとめ」とルビ振りました。「作品内で統一されていること」が一番大切らしいのですが、丹羽長秀(ながひで/ながしゅう)⋯多分混在しちゃいますw




