1-31 短槍エリート軍 vs 長槍システム軍
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
3日間の調練が終わり、4日目の早朝がやってきた。清洲城の馬場は、異様な熱気と静寂に包まれていた。馬場の東西に、それぞれ50人の足軽部隊が陣を敷いている。
西に陣取るのは、上島主水が鍛え上げた「短槍の精鋭部隊」。東に陣取るのは、僕――木下藤吉郎が3日間ひたすら酒と飯を食わせ、ひたすら甘やかした「長槍のシステム部隊」。
馬場の正面に設けられた桟敷席には、織田信長をはじめ、柴田勝家、佐久間信盛、池田勝三郎といった織田家の重鎮たちがずらりと並び、この奇妙な実験の行方を固唾を呑んで見守っている。
「……皆の者、よいな。相手は槍の達人だと気負うことはない。ただ真っ直ぐに構え、僕の号令で一歩前に出て、竹槍を振り下ろせ。それだけでいい」
僕は配下の50人の足軽たちに、もう一度、極めて単純な行動規則を再確認させた。彼らの顔には、3日間の休養と栄養補給による張りと艶、そして何より「この木下様を漢にしてやる」という強烈な忠誠心が宿っていた。
「上島殿、木下殿、準備はよろしいか!」
審判役を務める菅谷九右衛門が、高く手を上げた。信長が扇子を軽く振る。それが合図だった。
ドン、ドォン!
九右衛門の打つ太鼓の音が響き渡り、いよいよ模擬戦の火蓋が切って落とされた。
「やぁーッ!!」
上島陣営の足軽たちが、威勢よく駆け出してきた。彼らは3日間の猛特訓により、短い槍を構えて身軽に動き回り、敵の懐に飛び込もうとする「個人の武術」を叩き込まれている。
対する僕の部隊は、三間(約5.4m)という長大な竹槍を横一列にびっしりと並べ、まるで一つの巨大な壁のように、じりじりと前進していく。距離が詰まる。50m、30m、10m……!
「……今だッ!!」
両軍がぶつかり合うその直前。僕は扇を開き、あらかじめセットしておいたバッチファイル(.bat)を実行した。
「散開! そして、咆えろォォッ!!」
僕の指示に従い、横一列に並んでいた50人の足軽たちが、一瞬にして『三つの部隊』へと別れた。中央、左翼、右翼。そして次の瞬間、彼らは腹の底から、三日間の休養で溜め込んだ有り余る体力を爆発させ、天地を揺るがすほどの凄まじい「鯨波の声」を上げた。
「るぉぉぉぉぉぉぉぉいッ!!」
それは武術の掛け声などではない。統制された軍隊が生み出す、圧倒的な物理音波だった。想定外の陣形変化と、耳をつんざく爆音。
上島陣営の足軽たちは、一瞬、完全に足が止まり、硬直してしまった。3日間、一対一の槍術ばかりを叩き込まれていた彼らは、集団戦特有の「恐怖と混乱」への対処法(.patch)を持っていなかったのだ。
「なんだ!? ひ、ひるむな! 飛び込めッ!!」
上島主水が慌てて指示を飛ばすが、もう遅い。パニックに陥った素人の頭から、3日漬けで覚えた高度な武術の「型」など一瞬で吹き飛んだ。彼らはただオロオロと短い槍を振り回し、陣形はしどろもどろに崩壊し始めた。
「よし! そのまま押し潰せッ!!」
僕は扇を突き出した。僕の足軽たちは、一切の思考を停止したロボットのように、ただ前へ歩みを進め、長大な竹槍を一斉に上から叩き下ろした。
バシィィィッ!!
それは「突く」のではない。50本の重い竹竿による、純粋な「質量による制圧」だ。短い槍で払おうにも、三間もの長さから上から叩きつけられる竹槍の雨を防ぐ術はない。上島陣営の足軽たちは、次々と頭や肩を打たれ、あるいは長い槍の穂先に突っ込まれ、悲鳴を上げて地面に転がった。
「進め、進め! 止まるな!」
僕がさらに下知を飛ばすと、長槍の壁は崩れた敵陣を容赦なく蹂躙し、叩き伏せ、半町(約55m)も向こうまで一気に押し込んだ。
カン、カン、カンッ!!
これ以上の戦闘は危険と判断した菅谷九右衛門が、慌てて鐘を鳴らし、試合終了を告げた。圧倒的。あまりにも一方的で残酷な、完全なる勝利だった。
「おおおおおおおッ!!」
僕の足軽たちが、3度の勝鬨を上げる。彼らは自分が「武術の達人の部隊」に完全勝利したことに驚き、そして震えるほどの喜びを感じていた。対する上島主水は、崩れ落ちた自分の部下たちを見て、顔面を蒼白にして立ち尽くしていた。
桟敷席は、水を打ったように静まり返っていた。やがて――信長が立ち上がり、ゆっくりと馬場へ降りてきた。
「……上島。そして、藤吉郎。近う寄れ」
僕と上島は、信長の御前に進み出て、深く平伏した。信長は、顔面蒼白の上島をチラリと見下ろし、それから僕の方へ視線を移した。
「……主水。お前自身が槍を使うのであれば、短い方が利を得るだろう。個人の武の極みとしては、間違いではない」
「は、ははっ……!」
信長は上島のメンツを最低限だけ守ってやった後、ニヤリと笑って僕を見た。
「だが、藤吉郎。貴様は『群れとして勝つ工夫』をした。個人の技量に頼らず、集団として敵を蹂躙する。……それこそが、俺の目指すこれからの戦術だ。」
「ありがたき幸せに存じます」
僕は頭を深く下げたまま、暗い悦びを噛み締めていた。これは単なる模擬戦ではない。織田軍の軍備標準が、個人の武術から「長槍の密集陣形」という近代戦術へとアップデートされた、歴史的な瞬間なのだ。
「両名とも、この後は水と魚のように助け合い、我がために忠勤を励め!」
信長の言葉に、僕と上島は声を揃えて返事をした。信長は上機嫌で、勝敗に関わらず100人の足軽全員に酒を振る舞うよう命じ、清洲城へと引き上げていった。
「……お見事でしたな、木下殿」
信長が去った後、上島主水が力なく僕に声をかけてきた。その目には、もはや以前のような侮りの色は微塵もなかった。
「いえ、上島殿の調練があったからこそ、僕の戦術が浮き彫りになりました。今後とも、ご指導をお願いいたします」
僕は立ち上がり、泥のついた着物の裾を払いながら、大らかに笑って見せた。これでまた一つ、僕は城内での発言権を強化した。
(さて。僕の評価が上がるほど、また厄介な嫉妬が生まれるだろうが……)
馬場の冷たい風を全身に浴びながら、僕は空を見上げた。どんなバグが起きようとも、僕の頭の中にある未来の「論理」で、すべてデバッグしてやる。
胸の奥で燃え盛る「日輪」の熱が、天下布武という巨大なシステムを動かすための無尽蔵のエネルギーとなって、僕の全身を駆け巡っていた。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
上島木下槍の長短を試す
さてこの日を始めとして三日が間、上島が方にては、汗水になり手練を磨き、藤吉方を突き崩さんと、息をもつがず調練す。木下方には、さらに槍術の稽古はなれず、何となく打騒ぎたる世の中こそ疎ましけれ。木下方では、何となく酒食を振舞ひ、笑談のみに日を暮らしぬ。第四日の早朝、かねて申し合せしごとく、上島、木下、おのおの五十人の足輕に竹槍を持たしめ、馬場の東西に陣を布く。信長卿、柴田、佐久間、池田、森を始め、今日の勝負いかがと、固唾を呑んで御桟敷に缺席ある。菅谷九右衛門、相圖の太鼓を打つて戰ひを始む。東西の兵士ら、鼓の拍子につれて間近くなりぬ。すはや槍を合はすと見えけるとき、木下かねて計策を定め置きたれば、五十人の士卒たちまち三手に別れ、一統同音に「るいるいおう」と鯨波を發し、勢に乗じて無二無三に突きかかる。上島が士卒鯨波に辟易し、あはてふためき、このごろ習ひ得し槍の手段も出でこず、しどろになつて逃げ出せば、木下藤吉扇を開き、「進め、進め」と下知するにぞ、かの長き槍にて突き伏せ、叩き伏せ、半町ばかり追ひたりけり。菅谷九右衛門鐘を鳴らし、戰ひを止む。木下方の士卒ども十分の勝利を得、勝鬨を三度揚げ、勇み悦び引取りしは、目ざましくこそ見えにける。信長卿、上島、木下兩人を近く召され、「主水自ら槍を遣はば短きを以て利を得べし。藤吉は衆と共に勝つの工夫、これまた戰國の心掛け、我が心にも叶へり。兩人ともにこの後いよいよ水魚のごとく忠勤を勵むべし」とて、百人の足輕どもへ御酒を下され、やがて御歸城し給ひけり。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
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絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜【誤字ご指摘御礼投稿】〜
いつもご覧いただきありがとうございます。秀吉の名前が間違ってるとご指摘頂きましたので修整いたしました。




