1-27 魔王の奇襲と猿の謀略
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
清洲城の城塀修復という実務において圧倒的な成果を上げ、僕は織田家の中で「何でもこなせる実務家」としてのポジションを確立しつつあった。
だが、ここは戦国。いくら内政のスキルがあっても、戦場での功績がなければ本当の権力は握れない。その機会は、信長の奇抜な軍事行動によってもたらされた。
永禄元年(1558年)の秋。信長は突如として「伊勢の北畠を討つ」と号令をかけ、3,000騎の軍勢を率いて佐屋川へと出陣した。
先陣は織田家随一の猛将・柴田勝家。後陣には佐久間信盛(右衛門)。そして信長自身が本隊を備え、佐屋川へと堂々の出陣を果たした。
だが、佐屋川に陣を構えた直後、信長は全軍に向かってとんでもない命令を下す。
「――北畠の討伐というのは偽りだ。これから岩倉の城を攻める!全軍、反転せよ!」
全軍がどよめいた。岩倉城。それは、尾張の上四郡を支配する「織田伊勢守家」の居城である。つまり、同じ織田一門でありながら信長に敵対している、尾張統一のための最大の障壁。
未来の軍事用語で言う陽動作戦だ。伊勢へ向かうと見せかけて、全く逆方向の岩倉城を奇襲する。3,000の軍隊の進行方向を、何の前触れもなく180度変えるなど、戦国の軍事常識からは完全に逸脱していた。諸将は度肝を抜かれた。
「信長様の軍略、まさに魔王の如し……!」
武将たちは驚嘆し、同時にその神懸かり的な戦術に熱狂した。士気は最高潮に達し、軍勢は押し寄せる津波のように岩倉へと殺到した。
岩倉城の不意を突く。鬨の声を上げ、鉄砲の轟音を響かせ、無二無三に攻め立てる。城中からは、慌てふためきながらも織田七郎左衛門、同源左衛門、堀尾忠右衛門らが切先を並べて討って出てきた。
彼らは防戦に努めたが、物理的な準備も心理的な覚悟もできていない「奇襲」において、十分なパフォーマンスが発揮できるはずもない。
猛将・柴田勝家の苛烈な突撃により防衛線はズタズタに切り裂かれ、織田伊勢守家の中心人物である織田七郎左衛門もついに討ち取られた。
しかし、ここからが問題だった。生き残った兵たちは、這々の体で城中へと引き揚げ、城門を固く閉ざしたが、岩倉城は堅牢な平城であり、一度門を閉ざして籠城の構えに入られると、3,000程度の兵力では簡単には落とせない。
信長は無理な「力攻め」を避け、「兵糧攻め」へと戦術を切り替える評定を開いた。しかし、兵站を絶つ兵糧攻めは確実だが、圧倒的な時間を消費する。周囲の敵対勢力がいつ介入してくるか分からないこの状況下で、悠長な包囲戦などやっていられるはずがない。
でも、ここまでは僕の描いたロードマップの「第一段階」に過ぎない。
時は満ちた。僕は陣幕の裏で密かに泥を顔に塗りたくり、髪を乱し、完璧な「役作り」をしてから、本陣の柴田勝家のもとへと走った。
「……柴田様ァァッ!」
僕は陣幕に飛び込むなり、泣き崩れた。文字通り、大粒の涙をぼろぼろとこぼしながら、地面に突っ伏す。
「……藤吉郎。貴様、こんな最前線に何用だ」
勝家は、不機嫌そうに僕を睨みつけた。以前、僕を間者扱いして以来、勝家は僕の「口先のうまさ」を毛嫌いしている。勝家に対し、僕は鼻水を垂らしながら必死にすがりついた。
「僕は馬鹿でした……!信長様の深遠な計略も解らず、本当に伊勢追討だと思い込み、あのような出過ぎた発言をしてしまった……!信長様のご機嫌を損ねたこと後悔しています!」
僕は地面に頭を何度も打ち付けた。ドン、ドンという鈍い音が響く。
「所詮、僕のような者はここまでです! ならばせめて……せめてこの岩倉攻めの最前線で討ち死にをして、この忠義を信長様に証明したいのです!ああ、柴田様のお口添えで、どうか僕を最前線の鉄砲玉として参加させてください!そして討ち死に後には、どうか信長様へのお取り成しを……お願い申し上げます!」
涙と泥でぐちゃぐちゃになった顔で、僕は勝家を見上げた。勝家という男は、典型的な脳筋の武将だが、同時に「強きをくじき、弱きを助ける」という任侠気質の持ち主でもある。
僕のプロファイリングでは、僕のような弱者が涙ながらに必死にすがりつけば、無下に追い返すことはできない。案の定、僕の全身全霊の演技を見た勝家の顔つきが、スッと変わった。
「……分かった。お前の必死の覚悟、この柴田勝家がしかと受け取った。俺が信長様の御前に出向き、お前の罪を許してもらうよう取り成してやろう」
勝家は胸を張り、僕を連れて信長の本陣へと向かった。そして信長に「どうかこの藤吉郎を先陣に加え、名誉挽回の機会を与えてやっていただきたい」と熱弁を振るった。信長は、床に平伏する僕をチラリと見下ろし、ふっ……と鼻の奥で小さく笑った。
(俺の芝居に気づかなかっただと?猿も、また何かくだらん芝居を打ってきおったな)
信長は僕の意図を完全に読んだ上で、あえて不機嫌そうに顔をしかめ、勝家の「顔を立てる」ための芝居に乗ってくれた。
「……フン。愚か者が今さらしゃしゃり出てくるとは言語道断だが、権六(勝家)がそこまで言うなら仕方あるまい。藤吉郎、この城攻めにおいて何らかの『功』を立ててみせよ。さすれば、これまでの無礼を帳消しにしてやろう」
「は、ははっ! ありがたき幸せにございます!」
僕が深く平伏して退室すると、勝家は自分の幕舎に戻り、僕の肩を力強く叩いた。
「よかったな、藤吉郎。この戦、俺の立てた手柄を少しお前に譲ってやるから、それで殿の機嫌を取れ」
なんという男気か。でも僕が欲しいのは、勝家から恵んでもらう手柄ではない。勝家が持っている物理的な軍事力だ。
「……柴田様。お心遣い、痛み入ります。ですが――」
僕は勝家のすぐそばまで寄り、周囲の目を盗むように声を潜めた。
「僕に、この堅牢な岩倉城を『たった一戦』で落とす計略がございます。これを功として、勝家様のお口添えを確実なものにしていただけませんか?」
「なんだと……? その計略、いかなるものだ」
勝家が怪訝そうに眉をひそめる。僕は彼の耳元に口を寄せ、静かに、けれど熱を帯びた声で囁いた。
『――風と火を操り、空から地獄を降らせるのです』
現代の気象学と熱力学の理論を応用した、狂気の環境兵器。その詳細を聞いた瞬間、勝家の目が驚愕に見開かれ、暫くして大きな悦びの光が宿った。
「……見事だ!よし、藤吉郎、俺の直属の手勢500人を任せる!好きに使え!」
勝家は即座に諸陣へ触れを出し、僕を支援する態勢を整えてくれた。
すべてのピースは揃った。僕は欣然として500の軍勢を引き連れ、岩倉城の南西――西を指して出発した。
現代の知識と、この時代に最適化した戦術が交差する瞬間 ―― さあ、物理演算の準備を始めようか。
僕の胸の奥で、日輪の光が静かに、そして熱く燃え上がっていた。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
信長岩倉の城を攻むる
さるほどに信長卿、勢州征伐と號し、その勢三千餘騎、三手に分ち、先陣柴田勝家、後陣は佐久間間左衛門、自ら中陣に備へて佐屋川へ出張し、この所にて、「勢州征伐とは偽、實は岩倉の城を攻むるなり」と下知し給へば、諸軍大に驚き、「信長卿の軍慮、鬼神も計りがたし」とて感じあへり。さらば敵の不意を打つべしとして、揉みに揉んで岩倉へ押し寄せ、鯨波を作り鐵砲を飛ばし、無二無三に攻めければ、城中より織田七郎左衛門、同源左衛門、堀尾忠右衛門、切先をならべて討つて出、火水になつて戰ひしが、もとより城中思ひよらざる合戰なれば、武しといへども信長に切破られ、織田七郎左衛門も柴田勝家に討たれ、漸く城中へ引き入りける。これより城中堅く防ぎて出づることなし。
信長卿力なく、食攻にせんと評定しけるところへ、木下藤吉郎來り、柴田勝家に密に対面し、「我愚にして君の計策を知らず、實に北畠追討と心得、御諫言申し御氣色を損じたること、千悔すれども益なし。所詮この合戰に討死仕り、泉下の鬼となりて、愚直なる某が志を顯はしたき存念にて、これまで参り候。あはれ足下の御慈悲にて、士卒の中へ御加え下され、討死の後も、御取成にて御不興御免下され候やう、偏に頼み存ずる」由、涙を流し語りければ、柴田もとより強きを凌ぎ弱きを助くる生質なれば、藤吉が所存を大に感心し、信長卿の御前に出て、藤吉郎が願ひ詳らかに言上し、一方の大將御免下されたきよし願ひ詫びけるにぞ、信長卿はかねて藤吉と計策を定め給ひたれば、わざと面色を荒らげ給ひ、「藤吉が推参、甚だその謂なし。追い返す奴なれども、其方が推擧も黙止がたければ、當城攻において一つの功を立つべし。それを賞に容赦し遣はすべし」と仰せ渡されければ、柴田ありがたく退出し、藤吉に右の次第を物語り、「この度の戦には我が功を御邊に譲り、御不興御免相違あるまじ」と申しければ、藤吉そのとき近く居寄り、「某この城を一戰に落とし申さん計略あり。これを功に貴殿の御取成にて御不興御免下されまじくや」と申しければ、柴田、「その計略いかが」と問ふ。藤吉、柴田が耳に口を寄せ、「斯様斯様」と密語きければ、柴田大に悦び、己が手勢五百人を藤吉に分ち與へ、諸陣へ觸れてこそ控へたり。藤吉郎欣然と軍勢を引き、西をさして出行きけり。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
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絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
因みに、織田家のお膝元である清須はあの世界一のカレーチェーン、ココイチ(カレーハウスcoco壱番屋)の発祥の地です。壱番屋記念館や清須市店舗限定メニューのひつまぶしカレー『からあげまぶし』(信長が湯漬けを愛好した事から考案)があります。行ったことないけどw




