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新訳 太閤記 ~ 転生 豊臣秀吉、未来を識る僕は史実の道を静かに歩む 〜  作者: 条文小説


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1-24 浅瀬を駆ける ―― 佐屋川電撃戦

挿絵(By みてみん)


 『太閤記たいこうき』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。

 『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本よみほん。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia

 清洲城の城塀修復、そして山口九郎次郎の反乱の芽を未然に摘み取ったことで、僕――木下藤吉郎の城内におけるプレゼンスは確固たるものになりつつあった。


 草履取りから台所奉行、作事奉行と、次々に与えられる無理難題タスクを、現代の知識と最適化の手法でクリアしていく。信長からの信頼は厚く、家臣たちももはや僕を「ただの猿」と侮ることはなくなった。


 しかし、僕の視座ビジョンは「次のフェーズ」を見据えていた。内政や後方支援バックオフィスでの実績は十分に積んだ。次に必要なのは、戦国武将としての本懐――すなわち「合戦フロント」での武功だ。


 永禄2年(1559年)4月17日。僕が待ち望んでいた「その時」は、突如としてやってきた。


「伊勢国の国司・北畠具教きたばたけとものりが、20,000騎の大軍を率いて尾張へ侵攻!すでに国境の佐屋川さやがわへ迫っております!」


 伝令の悲痛な叫びに、清洲城の広間は騒然となった。北畠具教。剣豪としても名を馳せる彼が率いる20,000の大軍。対する織田方は、かき集めても5,000人が限界だった。四倍もの兵力差である。信長はただちに出陣を命じ、佐屋川を挟んで北畠軍と対陣したものの、容易に動ける状況ではなかった。


「……殿。誠に、すくなきはおおきにかなわずと申します」


 本陣の幕舎で、軍議ミーティングが開かれていた。発言したのは、筆頭家老の柴田勝家。そして、それに同調するように佐久間信盛さくまのぶもりも口を開いた。


「敵は大軍、味方は小勢。この平地フィールドでの正面衝突は、あまりにも勝算リターンが低うございます。ここは一度、清洲の本城へ引き返し、塁を高くし、ほりを深くしての籠城戦ディフェンスに持ち込むべきかと」


 重臣たちの保守的な意見に、幕舎の空気は「撤退」へと傾きかけていた。信長は腕を組み、沈黙している。四倍の兵力差。常識的に考えれば、勝家たちの言う通り「損切り」して籠城するのがセオリーだ。


(……だが、違う。ここで引けば、尾張の西半分は蹂躙され、経済基盤サプライチェーンが崩壊する。それに、北畠の軍勢は寄せ集めだ。指揮系統コマンドラインの脆さを突けば、十分に勝機はある)


 僕は、幕舎の末席――本来なら発言権などない位置に控えていたが、現代の戦術理論と、昨夜の「独自調査」のデータを頭の中で素早く組み合わせ、結論を弾き出した。そして、僕はあえて、静まり返った幕舎に響き渡るように、フッと小さく、だがはっきりと「わらった」。


「……ほう。猿、何か言いたいことがあるのか」


 信長の鋭い視線が、末席の僕を射抜いた。勝家や信盛が「下郎の分際で!」と怒りの目を向ける中、僕はゆっくりと顔を上げ、堂々と口を開いた。


「……申し訳ございませぬ、柴田様、佐久間様。あまりにも臆病風に吹かれた御意見ゆえ、つい失笑が漏れてしまいました」


「なんだと貴様ッ!」


 激昂する勝家を信長が手で制する。僕はそのまま、信長に向かってプレゼンテーションを始めた。


「信長様。北畠の軍勢が20,000人いようとも、それは統率の取れていない『蟻の群れ』に過ぎません。この合戦、味方十分の勝利の算段が立っております。」


「勝算があるというのか? 根拠エビデンスを示せ」


 信長の問いに、僕はニヤリと笑った。


「僕は昨夜、現地の百姓を案内ガイドとして雇い、密かに敵の布陣と、佐屋川の『浅瀬の地形データ』をマッピングしてまいりました」


 僕は懐から、昨夜徹夜で書き上げた佐屋川周辺の簡略図マップを取り出し、広げて見せた。


「敵の狙いは単純です。川上と川下に『伏兵アンブッシュ』を配置し、織田方が川を渡ったところで、両翼から包囲して殲滅する算段です。……つまり、中央の陣は『デコイ』に過ぎません」

 

 僕は図面のポイントを指で叩いた。


「敵が包囲の陣形を敷いているということは、中央の兵力は薄いということ。味方がその備えを逆手に取り、一撃離脱の電撃戦で中央を突破すれば、敵の20,000の大軍など烏合の衆となり、何の役にも立ちません!」


 僕のあまりにも論理的で、敵の裏の裏をかく作戦カウンター・ストラテジーを聞き、幕舎は水を打ったように静まり返った。信長は、広げられた図面と僕の顔を交互に見つめ……やがて、バンッ!と扇子で床を叩き、顔を綻ばせた。


「……面白い! 実に見事な盤面ボードの見立てよ!」


 信長は立ち上がり、僕の目の前まで歩み寄ってきた。


「藤吉郎! 貴様は浅瀬の地形を完璧に把握している案内人ナビゲーターだ。この戦、貴様に先陣ファースト・アタックを任せる!」


「ははっ!」


「これを着ろ」


 信長は、なんと自らの「予備の鎧兜」を僕に下賜し、さらに『夕貌ゆうがお』という名馬、そして自身の手槍を僕の手に直接握らせた。総大将からの直々の装備支給バフ。これ以上の名誉はない。


「武功を立てよ、藤吉!」


「浅瀬の先陣、必ずや切り拓いてみせます!」


 僕は兜の緒を締め、夕貌に跨ると、一散に佐屋川の浅瀬へと乗り出した。その僕の背中を追うように、池田勝三郎、坂井右近、森三左衛門といった織田家の若き猛将たちが、「あの猿に遅れを取るな!」とばかりに咆哮を上げて川に飛び込んでいく。


 一方、信長は僕の作戦通り、柴田勝家と佐久間信盛の両名にそれぞれ五百の精鋭を与え、川の上下から密かに渡河させ、敵の「伏兵」を逆に奇襲するよう命じていた。


 戦端が開かれた。北畠軍の中央部隊は、僕たち織田の先陣が川を渡ってくるのを見て、しめしめとほくそ笑んだ。


「すわ、織田勢が川を渡ってきたぞ! 偽って退き、奴らを伏兵の罠に誘い込め!」


 彼らは戦うフリをしながら、ズルズルと後退していく。


 だが、その時だった。川上と川下の茂みから、突如として柴田・佐久間の両軍が怒濤の勢いで突撃し、隠れていた北畠の伏兵たちを文字通り「粉砕」したのだ。


「な、なんだと!? 伏兵が逆に討ち取られた!?」


「敵に作戦が筒抜けだぞ!!」


 伏兵という切札カードを失い、完全にパニックに陥る北畠の中央部隊。僕はその絶好のタイミングを見逃さず、手槍を高く掲げて咆哮した。


「今だ! 敵の陣形は崩壊した!一気に中央を突破せよ!」


 僕が率いる先陣が、恐怖で足の止まった北畠軍の中央へ、鋭いくさびのように突き刺さる。そこからは、まさに「風に木の葉の散るが如く」だった。20,000の大軍は完全に指揮系統を喪失し、散り散りになって逃げ惑った。彼らは佐屋川の陣を維持できず、遥か後方の大河内おおかわちの本城へと逃げ帰るしかなかった。


「……勝ったぞォォォッ!!」


 血と泥にまみれた佐屋川の河原で、織田軍の歓声が轟き渡る。僕は夕貌の背で息を整えながら、冷たく澄んだ空を見上げた。四倍の兵力差を、情報戦と戦術の最適化で完全に覆したのだ。


 信長は、北畠軍の反撃に備えて佐屋川に陣を構え、厳かに全軍を統率していた。僕が本陣へ凱旋すると、信長は血に染まった僕の鎧兜を見て、ニヤリと不敵に笑った。


「……よくやった、猿。お前のその頭の中にある『戦のロジック』は、俺の想像を遥かに超えているようだな」


「いえ、すべては信長様の御威光があってこそにございます」


 僕は深く頭を下げた。内政だけでなく、戦場フロントでも僕は結果を出した。僕の武将としてのキャリアは、この佐屋川の合戦を機に、爆発的な上昇気流アップ・トレンドに乗ることになる。


(……でも、これもまだ序章に過ぎない)


 僕は胸の奥で、あの「日輪」がかつてないほど激しく熱を放っているのを感じていた。


 この翌年。歴史の教科書にその名を刻む、戦国最大の特異点――「桶狭間おけはざま」の戦いが、すぐそこまで迫っている。


 僕は泥だらけの手で手槍の柄を強く握りしめ、来るべき巨大な嵐に向けて、静かに、けれど熱く闘志を燃え上がらせた。




【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】




佐屋川さやがは合戰かつせん


永祿二年四月十七日えいろくにねんしぐわつじふしちにち勢州北畠具教せいしうきたばたけとものり二萬餘騎にまんよき引率いんそつし、信長のぶながめんと、佐屋川さやがは出張しゆつちやうす。信長卿のぶながきやう五千餘人ごせんよにんにて出陣しゆつじんたまひ、佐屋川さやがはなかはさみて對陣たいぢんし、いまだあへたたかはず。信長諸將のぶながしよせうしていくさ評議ひやうぎありけるに、柴田勝家しばたかついへ佐久間信盛詞さくまのぶもりことばそろへ、「まことすくなきはおほきにてきせず。てき大勢おほぜい味方みかた小勢こぜい、このところにての合戰心かつせんこころもとなし。清洲きよす本城ほんじやう引退ひきしぞき、るゐたかうし、ほりふかくしててきつべし」とふ。ときにはる末席まつせきひかたる中村藤吉郎なかむらとうきちらう、このことを聞いておほわらひ、「勢州せいしう軍勢何萬ぐんぜいなんまんありとも、これありむらがるがごとし。この合戰味方十分かつせんみかたじふぶん勝利せうり、早くかはわたりて合戰かつせんを始めたまへ。某昨夜百姓それがしさくやひやくしやう案内あんないとして、ひそてきそなへ、かは淺瀬あさせこころさふらふてき川上かはかみ川下かはしも伏勢ふせぜいかまへ、味方渡みかたわたらば引包ひきつつんでたたかはんとす。味方みかたそのそなへをなして、短兵急たんぺいきふたたかはば、てき大勢何おほぜいなんようにか立つべき」とふ。信長大のぶながおほきによろこび、「さらば藤吉郎とうきちらう淺瀬あさせ案内あんないなれば、この度の先陣仕たびのせんぢんつかまつるべし」とて、御召替おめしかへ鎧兜よろひかぶと夕貌ゆふがほといふ御馬おんうまたまはり、「高名かうみやうせよ藤吉とうきち」とて、づから手槍てやりあたたまへば、藤吉郎とうきちらうありがたく頂戴ちやうだいし、「淺瀬あさせ先陣仕せんぢんつかまつらん。すすたまへ人々」とて、一散いつさんせば、池田勝三郎いけだかつさぶらう坂井右近さかいうこん森三左衛門もりさんざゑもん我劣われおとらじとかはわたす。信長卿のぶながきやう柴田しばた佐久間兩さくまりやうにん五百人ごひやくにんせいあたへ、かは上下かみしもよりひそわたり、伏勢ふせぜいやぶらしむ。勢州勢謀せいしうぜいはかりごとれたるはかつらず、「すはや織田勢おだぜいかはわたすぞ。いつはりけておもに引寄せよ」とて、かつたたかひ、かつはしる。柴田しばた、佐久間の兩勢りやうぜいおもひもよらず兩方りやうほうより伏勢ふせぜい打破うちやぶり、どつとわめいてかかりければ、勢州勢案せいしうぜいあん相違さうゐして、かぜに木のるがごとく、散々になりてげたりけるが、佐屋川さやがはにはたまず、大河内おほがうち本城ほんじやう退しりぞきけり。信長卿のぶながきやう勢州せいしう軍勢ぐんぜいまたも仕寄しよらばたたかはんと、佐屋川さやがはぢんつて、おごそかにこそひかへたり。

〜参考文献〜

太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource

https://share.google/AxQqE2xRgf0LcmxAN

絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編

夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700


〜舞台背景〜

 参議にして剣豪・北畠具教はこれ以降凋落し最後は暗殺されます。ご存じだと思いますが、近習に刀が抜けないように細工されてたというあの有名な「三瀬みせへん」です。北畠具教の生涯はなんか後味悪くて苦手です。

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