1-21 偽りの朱印、真実の忠誠
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
清洲城の城塀、およそ百間(約百八十メートル)の修復工事。前任の作事奉行である山口九郎次郎が20日以上かけても終わらせなかったその大工事を、僕は「3日」で終わらせると宣言し、奉行の座を奪い取った。
九郎次郎の裏工作によって現場は停滞していたが、僕は現代のマネジメント手法における「動機付け」と「恐怖の提示」を組み合わせた演説で、職人や人夫たちのモチベーションに火をつけた。
「この城壁が遅れれば、敵が攻め込んできてお前たちの家族が殺されるぞ」という当事者意識の醸成と、「完成すれば殿から二百貫文(約2,000万円相当)のボーナスが出る」という明確な報酬。
この二つが掛け合わさったとき、人間は想像を絶する成果を発揮する。
翌朝。卯の刻(午前六時頃)。まだ朝霧が立ち込める薄暗い時間から、現場には数百人の職人と人夫が、誰一人遅れることなく集結していた。
彼らの顔には、昨日までの「やらされている感」は微塵もない。皆、殺気立つほどの真剣な眼差しで、己の持ち場を見据えていた。
「よし、始めよう」
僕が合図を出すと、彼らは一斉に動き出した。僕は現場の作業体制を、完全な「割普請」――つまり、責任の明確化と分業(タスクの細分化)へとシフトさせていた。
百間の城壁を細かく区画に切り分け、一坪ごとに「大工3人、左官1人、手伝い1人」の五人一組を配置する。
「他の場所の手伝いなどしなくていい。自分の区画の完成だけに全精力を注げ!」
僕の指示が飛ぶ。チーム同士に競争意識を持たせることで、作業速度は劇的に跳ね上がった。誰も一息つくことすら惜しみ、汗と泥にまみれながら、重い石を運び、土を突き固めていく。
現場監督としての僕の役割は、彼らのモチベーションを維持しつつ、作業の「詰まり」を解消することだ。
僕は現場を駆け回り、少しでも早く作業を進めているチームを見つけては大げさに褒め称え、遅れているチームにはアドバイスと激励を飛ばした。
さらに、彼らの作業の手を止めさせないため、僕はあらかじめ用意しておいた「200人の土砂や石材の運搬特化部隊」と、「30人の遊撃部隊」をフル稼働させた。
石が足りない、道具が壊れた――そういった現場のロスタイムを、彼らが即座にカバーする。
この徹底した分業と工程管理により、作業は信じられない速度で進捗していった。圧倒的な「成果」と、回収される「信頼」。
昼前。太陽が高く昇りきった頃には、なんとあの広大な石垣の土台部分が、完全に仕上がっていた。
「――よし! 午の刻(正午)だ。一時休止!」
僕が拍子木を高く打ち鳴らすと、汗だくの人夫たちはその場にへたり込んだ。すかさず、僕が台所から手配していた温かい中飯(昼食)と、酒が振る舞われる。疲労困憊した身体に染み渡る炭水化物、そしてアルコールが、彼らのテンションを最高潮まで引き上げた。
「さあ、飯を食ったら後半戦だ! 一気に柱を立て、壁を塗るぞ!」
休憩もそこそこに、彼らは自発的に立ち上がり、作業を再開した。石垣の上に太い柱が次々と立ち並び、左官たちが滑らかな手つきで壁の土を塗り固めていく。その光景は、まるで生き物のように城壁が「成長」していくかのようだった。
そして――翌日の夕刻。
約束の3日目ではなく、なんと「2日目の終わり」には、城塀から見張り用の櫓に至るまで、すべての修復工事が完全に終了してしまった。
「……終わった。本当に終わらせやがった」
夕日に照らされる真新しい白壁を見上げながら、人夫たちが次々と歓声を上げた。互いに泥だらけの手で肩を叩き合い、涙を流して喜ぶ者もいた。
僕もまた、その光景を誇らしく見つめていた。これが、現代の知識と人間の情熱が組み合わさった時の、本物の「マネジメント」の力だ。
その日の暮れ方。信長は、小姓や近習を引き連れて、外廓へと視察にやってきた。僕が「3日で終わらせる」と豪語した手前、果たしてどこまで進んでいるか、半信半疑だったのだろう。
だが、彼の目の前に広がっていたのは、昨日まで瓦礫の山だったはずの場所が、輝くばかりの堅牢な城壁と櫓へと変貌を遂げた姿だった。
「……これは」
信長は、言葉を失ったように城壁を見上げた。漆黒の瞳が、驚愕と、そして深い感嘆の色に染まっていく。
「見事だ。……見事としか言いようがない。わずか2日で、これほど完璧に修復してみせるとはな」
信長は振り返り、平伏している僕を見下ろした。その顔には、かつての「大うつけ」の狂気など微塵もない。有能な部下を正当に評価する、理知的な最高経営責任者(CEO)の顔だった。
「藤吉郎。お前の働き、まことに大儀であった。褒美として、貴様の扶持に百貫文の加増を許す」
周囲の武将たちが息を呑む音が聞こえた。百貫文といえば、およそ1,000万円に相当する大幅な給与アップだ。僕は深く頭を下げ、ありがたくその言葉を受けた。
「――ははっ! 身に余る光栄に存じます。……ですが、殿。その前にお願いがございます」
「何だ、申してみよ」
僕は顔を上げ、あえて周囲の家臣たちにも聞こえるように、大きな声で言った。
「今回の修復をこれほど速やかに成就させるため、僕は人夫たちに『完成の暁には、信長様から二百貫文(約2,000万円相当)の特別ボーナスが出る』と約束し、人夫たちを死物狂いで働かせました。……願わくば、その賞銭として、今直ぐ二百貫文を拝借できないでしょうか」
家臣たちがざわめいた。
「なんだと!? 殿の許可も得ずに、勝手にそのような約束をしたというのか!」
「越権行為も甚だしい! 打ち首ものだぞ!」
だが、信長はニヤリと笑った。僕が「嘘の朱印状」で人夫たちを動かしたことなど、この天才の頭脳にかかれば瞬時に見抜かれていただろう。だが、彼は結果がリスクを上回るならば、手段のルール違反をあっさりと許容する男だ。
「……よかろう。安いものだ」
信長はあっさりと許容し、即座に二百貫文の金銭を手配させた。僕は大喜びでその金を受け取ると、大工や左官の棟梁たちを呼び集め、その場で彼らに金を分配した。
「見ろ! 信長様は約束通り、お前たちに恩賞を下されたぞ!」
人夫たちは大歓声を上げた。彼らは信長の気前の良さに感動し、同時に、自分たちに嘘をつかず、きっちりと約束を守ってくれた「藤吉郎」という男に対し、絶対的な信頼を寄せるようになった。
この一件により、城内での僕の評価は決定的なものとなった。信長はもちろんのこと、当初は僕を「猿面の成り上がり者」と侮っていた家臣たちも、「藤吉郎の才智は、我らとは次元が違う」と、畏敬の念を込めて噂し合うようになった。
夕闇の中、僕は自分の采配で完成した城壁を見上げ、小さく息を吐いた。山口九郎次郎という反乱の芽を摘み、城の防御力を劇的に向上させ、さらに現場の人心まで完全に掌握した。
(……完璧だ)
胸の奥で燃え盛る「太陽」が、僕の身体を内側から熱く焦がしていく。
現代の知識と、この時代の泥臭い情念。その二つを両輪にして、僕という名の歯車は、天下布武という巨大な歴史のうねりの中へ、いよいよ本格的に食い込み始めていた。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
割普請の法破損を治む
さても城普請の人夫ども、九郎次郎が反心にて、怠りがちに日を暮らしけるが、今度の奉行中村藤吉郎誠實の教訓に先非を悔やみ、信長卿の仁恵を悦び、その翌日より卯の刻に役所に集まり、棟梁の下知に隨ひ、己々(おのおの)が場所を割附け、一坪に五人づつと定め、息をも繼がず汗水になりて働きける。藤吉郎これを見て心意に甚だ歡び、好言を以て讃稱し、猶下知を傳へて、「他の作事を顧みず、自分の場所を出精すべし」とて、別に二百人の人夫を以て土砂を運び、石を荷せ、また三十人を以て臨時の用事を達しければ、半日の間に石垣全く成就し、午の刻に至りて拍子木を打つて人夫をまとめ、中飯を與へ酒を呑ましめければ、食事終りて休息もなく、直に柱立てに取りかかり、はや左官どもも壁を塗り、その翌日に至つては、塀櫓に至るまで残りなく成就す。信長卿は藤吉郎が普請の日限おぼつかなく、その日の暮方、小姓近習を引具し、外廓に出て見給へば、昨日までまだ營みの最中なりしが、今日ははや塀、石垣、櫓まで輝しく立て連ね、全く成就したりければ、甚だ感じ思召して、褒美として百貫文の加増を賜はりければ、藤吉郎謹んで頂戴し、さて改めて申しけるは、「この度の破損修復、速かに成就ならしめんため、作事の人夫へ二百貫文の賞銭を與へ置き候。願はくは当時二百貫の拝借を宥し給はらば、ありがたく候はん」と願ひければ、信長卿この旨許容し給ひ、即時に二百貫文を下し給ふ。藤吉郎大に悦び、これを以て大工左官の棟梁に分ち與へ、先の朱印の偽ならざるを示しければ、人夫どもも悦び勇み、その仁徳になつきけり。この普請速かに成就せしこと、藤吉郎が才智衆に秀でし故なりと、信長卿を始め参らせ、家中一統その計策を感じあへり。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
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絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
太閤記を翻訳始めて良かったなと思ったのが、膨大な「お約束」、定型劇テンプレの宝庫だった事です。予想以上でした、勉強になるわw




