1-20 清洲城塞プロジェクト
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
清洲城の台所奉行として実績を上げ、信長からの覚えもめでたくなってきたある日、僕は予想外の「巨大プロジェクト」に巻き込まれることになった。
清洲城の城塀、およそ百間(約180メートル)が崩落したことによる大規模な修繕工事である。元々、この工事は鳴海城主・山口左馬助の子である「九郎次郎」という男が作事奉行として任されていた。しかし、昼夜を問わず作業させているはずなのに、20日以上が経過しても全く完成する気配がない。
僕は台所の片隅で、ため息をつきながらその状況を分析していた。
「……戦国の勢力図を考えれば、城壁は最優先の防衛設備だ。それをこんな放置しているなんて、危機管理が甘すぎる」
そんな僕の「ぼやき」を、いつの間にか背後に立っていた信長が聞いていた。
「おいっ猿。本当に数日で城塀と石垣を直せる策があるのか?」
信長の漆黒の瞳が、僕を試すように見下ろしている。ここは勝負どころだ。僕は平伏し、はっきりとした声で答えた。
「もし僕に奉行を任せていただけるなら、三日で城塀も石垣も完全に修復してみせます」
「3日、だと?」
「はい。前任の奉行や職人たちが怠けているから、ほんのわずかな破損に何十日もかかっているのです」
信長は僕の度胸と計算能力をすでに知っている。彼は扇子で膝を叩き、厳かに命じた。
「よかろう。九郎次郎に代わり、貴様を作事奉行に任ずる。3日で、必ず修復させよ」
――こうして、僕は清洲城修繕の総責任者となった。
僕はすぐに大工や左官の棟梁たちを呼び集め、現代の工程管理の概念を用いて指示を出した。
「よく聞け。石垣1坪を修理するには、大工3人、左官1人、手伝い1人――五人一組で1日あれば終わるはずだ。塀の破損は100坪。ならば100組5百人を投入すれば、計算上は1日で終わる。だが今回は、より堅牢に仕上げる必要がある。そのために3日の猶予をいただいた。死ぬ気で働け」
僕の論理的すぎる指示に、棟梁たちは一応は「ははっ」と頭を下げて退いていった。しかし、現場の空気は明らかにおかしかった。
翌日から作業が再開されたが、外見上は忙しく動いているように見えて、よく見ると土台や石垣の崩れていない部分をわざと壊したり、無駄な動きをして意図的に時間を稼いでいる。サボっている。
(……なるほど。現場に前任者の『息がかかっている』わけか)
僕の脳内の未来知識が、点と線を結びつけた。前任の作事奉行・山口九郎次郎。彼の父親である山口左馬助は、後に駿河の今川義元に内通し、織田家を裏切る運命にある男だ。
つまり、この城塀の修繕が遅々として進まないのは、単なる怠慢ではない。清洲城の防御力を低下させたままにし、今川軍が攻め込みやすくするための「反逆の準備」だった。
九郎次郎は、僕に奉行の座を奪われた後も、裏で棟梁たちに金品を握らせ、「藤吉郎の命令を聞くな。作業を遅らせろ」と指示を出しているに違いない。
(力ずくで鞭打っても、現場は動かない。なら……)
僕は現代のマネジメント手法における「動機付け」と「帰属意識」のロジックを、この泥臭い現場に持ち込むことにした。
その日の午の刻(正午)。僕は作業を一時中断させ、数百人の人夫たちを一箇所に集めた。そして、あらかじめ台所に手配しておいた大量の酒と肴を、人夫たちに振る舞った。
「さあ、朝早くからよく働いてくれた。信長様も皆の苦労を労いたいとのことで、この酒を下さった。遠慮せず飲んで、日頃の疲れを晴らしてくれ!」
人夫たちは大喜びし、下賤の習いで遠慮もなくガブガブと酒を飲み、肴を平らげていった。場が完全に温まり、人夫たちの警戒心が解けたタイミングを見計らい、僕は木箱の上に立って、ゆっくりと、しかしよく通る声で語りかけた。
「少しだけ、僕の話を聞いてくれ」
騒がしかった現場が、スッと静まり返る。
「お前たちは皆、この尾張で家族を養って生きてきたはずだ。今の世は、今川や斎藤みたいな敵国ばかり。隙があれば、この尾張を呑み込もうとしている。もし城の修復が遅れ、その隙を突かれて敵軍が攻め込んできたら、どうなると思う?」
僕は人夫たちの一人ひとりの顔を見渡した。
「城が落ちれば、敵は町や村へなだれ込む。お前たちの妻や子ども、年老いた親たちは、皆まとめて斬り殺される。そうなれば、死体は道端に転がされることになるんだ」
人夫たちの顔色が変わった。彼らにとって、城の工事はただの「お上から押し付けられた仕事」だったが、僕の言葉によって、それが「自分たちの家族を守るための防壁」へと変換されたのだ。
「これは信長様への忠義のためだけじゃない。お前たち自身と、家族を守るための仕事だ。だからこそ、一刻も早くこの普請を終わらせてほしい。その働きへの褒美として……信長様から特別に二百貫文(約2,000万円)を下さるという御朱印もいただいている!」
僕は懐から、信長の朱印が押された書状を高く掲げた。
「工事が終わったら、この御朱印と引き換えに、必ず皆へ銭を渡す!自分たちの家族を守るための仕事に、これほどの恩賞まで下さる信長様の御厚意に、応えなければ男じゃないだろ!?」
利益と恐怖、そして主君の恩情という三方向からの強烈なプレゼンテーション。
人間は木石ではない。彼らもまた、血の通った親であり、夫である。僕の「自分事化」させる演説に、人夫たちの目から次々と涙がこぼれ落ちた。
「藤吉郎様……いや、奉行様! 俺たちが間違ってました!」
「九郎次郎様の金に目がくらんで、家族を危険にさらすところでした……! 3日以内に、必ず完成させてみせます!」
彼らは先ほどの非を悔やみ、僕に向かって深く頭を下げた。翌日から、現場の空気は劇的に変わった。サボタージュは一切消え去り、数百人の職人と人夫が、まさに鬼神のごとき勢いで石を運び、塀を築き上げていく。
九郎次郎のワイロなど、家族の命と目の前にぶら下げられた莫大な報酬の前では、もはや何の力も持たなかった。
そんな己の限界を超えて動く人夫たちを見ながら、僕は胸の奥で燃え盛る「太陽」の熱を感じ、不敵な笑みをこぼしていた。
【太閤記 小瀬甫菴道喜輯録 近藤出版部 大正8年】
秀吉初て普請奉行の事
或時清洲の城郭塀百間計崩れしかは、大名小名等に、急き掛直し可㆑申旨被㆓仰付㆒しか共事行す、甘日許出来もやらて、御用心も悪けれは、秀吉千悔し、此節は高㆑塁深㆑塹すへき時也、東は今川義元武田信玄、北は朝倉義景斎藤山城守、西は佐々木承禎浅井備前守等、調略を事とし武勇を専にして、すきまを伺ひ尾張国を望み思ふ事、恰如㆓戦国七雄㆒、寔に棟梁の士を聘招し、介冑の士を用る折ふし、如㆑此延々に掛る事招㆑禍に似たり、危事かなとつぶやきけるを、何とかしたりけん、信長公きこしめし、猿めは何を云そ、何事そと問給へ共、さすか可㆓申上㆒義にあらされは、猶予し給へる処に、是非に申候へとて、かひなを取てねぢかがめ給ふ、有のまゝに申せは宿老共を讒するに似たり、又申さねは君の仰を背に似たり、呼アヽ口は禍門なりと世の諺に伝へし事、今おもひあたりたり、唯有のまゝに不㆑申は悪かりなんと思ひ、御城の塀なとを今世間不㆑穏折節、如㆑此延々に掛申事にては有ましくや、深㆑堀高㆑塁全㆑身、敵国を并せ平㆓呑夫下㆒せんと思召大将の、かゝる事や有と、御普請奉行を叱けると申上けれは、尤能そ申たりける、武勇の志有者は此こそ有度物なれ、汝奉行し急拵可㆑申と被㆓仰付㆒、かくて宿老衆へ参て申けるは、御城の塀、下奉行の油断にて遅々に及条、某奉行仕り早速に出来候やうにと、御諚にておはしましけるそ、其旨下奉行共に堅く被㆓申付㆒可㆑然候はん由申けれは、唯御辺を頼入条能に計ひ候へと各被㆑申けり、さらは割普請に沙汰し申さんとて、下奉行共と相謀り、百間を十組に令㆓割符㆒、面々に充しかは、翌日出来し、腕木ことに松明をも掛置、掃除以下きらよく見えし折節、信長公御鷹野より帰らせ給ふて、御覧しもあへす、御感有て御褒美不㆑浅、其晩に被㆓召出㆒、御扶持方加増有けるこそ、終を初に立る微兆也と後にそ思ひ知れたる、斯て翌年夏の比、清洲の城は水多して水乏し、願は小牧山御城に宜しかりなんと申上奉る、信長も内々左様に思召寄給へ共、諸人の費を痛み給ふて、さたかにも不㆑被㆓仰出㆒に、さし出たる事と云,諸人の痛所を不㆑省と云、弊㆓人民㆒弱㆓兵器㆒也、汝か云所似㆑諫非㆑諫、従㆑下制㆑上謂㆓之賊㆒、罪死に当と有、去共其段をは宥給ふと仰けるこそうたてけれ、寔にかく恥しめられし事を怨み奉る事もなく、主君の為に宜しき事あれは、不㆑移㆑時申上ける心の内を、推察し見るに、自然に忠義に深き素性也、其はさし出者よと制し給ふ事、あまたたひの事なりしかば、皆人あれほとつらの皮の厚かりしは、見も聞もせぬなと、聞や聞ぬ計に目引鼻ひき笑ひけり、其をも露心に掛給はて、唯忠勤を抽て、善言を奉らんと思召計にて、異心はなかりけり、曩昔汲黯と云し者、好㆓直諫㆒数犯㆓王之顔色㆒と云伝しか、気象聊是に似たるか
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
https://share.google/AxQqE2xRgf0LcmxAN
絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
人それぞれでしょうけど、他の投稿者の方々はどれくらいのペースで書いて、どれくらいのストックを持ってるんだろう⋯気になります。




