2-45 武勇の時代、ここに終焉す
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
古い時代は死んだ。室町幕府という巨大な虚像が京の都から消え去り、天下の盤面は、純粋な暴力と冷徹な知略のみが支配する、真の修羅道へと移行する。
将軍・足利義昭が槇島城を追われ、河内へと落ち延びたという報せは、瞬く間に五畿内を駆け巡った。絶対的な権威の喪失。
それに伴い、将軍の威光に縋って織田に反旗を翻していた畿内の武士たちは、次々と武器を捨てて信長の軍門に降った。狂乱の渦にあった洛中は、ようやく重苦しい静寂を取り戻しつつあった。
だが、200年続いた旧体制の残滓は、そうやすやすと消え去るものではない。時代のうねりに抗い、己の武勇のみを恃みとして、最後まで魔王に牙を剥き続ける亡霊たちがいた。
三好三人衆が一角、岩成主税之助祐道。かつて畿内を席巻した三好政権の重鎮であり、鬼神のごとき剛勇で知られる天下無双の猛将である。彼は「将軍家への忠義」という、すでに色褪せた大義名分を高く掲げ、番頭大炊助、諏訪飛騨守といった与力とともに、2,000余の精鋭を率いて山城国の淀城に立て籠もっていた。
「……死に損ないの獣が、まだ檻の中で吠えているか」
信長の陣屋でその報告を受けた僕は呟いた。信長の下知は極めて簡潔だった。
「あの目障りな城を、片付けろ。」
討手として指名されたのは、僕――木下藤吉郎秀吉と、つい先日まで幕府の重臣であった細川刑部大輔藤孝の二人だ。昨日まで将軍に仕えていた男と、将軍を追放した急先鋒の男。この奇妙な組み合わせの軍勢3,000が、澱んだ空気を切り裂きながら、淀城へと向かって進軍を開始した。
「藤吉郎殿。岩成主税之助は、尋常の武辺者ではござらぬ。まともに正面からぶつかれば、こちらの被害も計り知れませぬぞ」
馬を並べて進む細川藤孝が、秀麗な顔に緊張を滲ませて忠告してくる。
「分かっていますよ、藤孝殿。……あんな死に物狂いの化け物と、正面から殴り合うような馬鹿な真似はしません」
淀城は、宇治川と桂川が合流する水陸の要衝に築かれた堅城だ。力攻めは愚の骨頂である。僕は馬上で冷静に戦術を弾き出した。岩成主税之助の最大の武器は、その圧倒的な「個の武勇」と、それに率いられた兵たちの狂熱だ。ならば、その熱を逆手にとり、冷たい泥水の中に引きずり込んで窒息させてやればいい。
僕は全軍3,000の兵を、三手に分割した。二手、およそ1,000ずつの兵を、淀城からやや離れた街道の左右、深い茂みや地形の死角となる切所へ完全に身を潜めさせる。音を立てることも、身じろぎすることも許さない、完全な「埋伏」だ。そして、残る一手。僕と細川藤孝が率いる1,000人の本隊のみを、淀城の正面へと堂々と押し立てた。
圧倒的な寡兵での城攻め。城内から見れば、織田の軍勢が少数で舐めた真似をしているようにしか見えないはずだ。そして、己の力に絶対の自信を持つ岩成主税之助が、この挑発に乗らないはずがなかった。
「――門を開けいッ! 織田の犬どもを、一匹残らず血祭りに上げよッ!!」
淀城の城戸が重々しい音を立てて開け放たれると同時、岩成主税之助が自ら1,000の兵を率いて、怒涛のごとく討って出た。先頭を駆ける岩成の姿は、まさに鬼神そのものだった。巨大な槍を風車のように振り回し、立ち塞がる足軽たちを紙屑のように吹き飛ばしていく。その一撃ごとに血飛沫が舞い、骨の砕ける鈍い音が戦場に響き渡る。
「退けッ! 槍を合わせるな、押し込まれたふりをして退け!」
僕は声を張り上げ、味方の兵に後退を命じた。偽りの敗走である。だが、これは極めて危険な戦術だった。岩成の武の圧力が凄まじすぎるため、一歩間違えれば「偽り」の敗走が「本物」の崩壊へと繋がってしまう。追撃の刃が背中を掠める、その死と隣り合わせの距離感を保ちながら、じりじりと後退しなければならない。僕の部隊が耐えきれずに崩れそうになったその瞬間。
「――前へ出よッ! 藤吉郎殿の盾となれ!」
細川藤孝の部隊が、僕の部隊と見事に入れ替わり、岩成の猛攻の前に立ち塞がった。藤孝の兵たちが槍衾を作って岩成の突撃をいなし、その足が止まった瞬間に、再び後退を開始する。すると今度は、息を整えた僕の部隊が再び前面に出て、鉄砲を数発撃ち込んでは岩成を挑発し、また引き下がる。
入れ替わり、入れ替わり、絶え間なく続く交代戦術。軍事の常識からすれば、乱戦の中で部隊を無傷で交代させるなど至難の業だ。でも、僕と細川藤孝は、互いの呼吸を完璧に読み合い、狂気のごとき岩成の猛攻を、精密な歯車のようにいなし続けた。
「ええいッ、こざかしい真似を! 逃げずに正面からかかってこいッ!!」
岩成主税之助が、血走った目で咆哮する。彼は気づいていなかった。僕たちのこの執拗なまでの「引き撃ち」が、何を意味しているのかを。戦いに没頭し、目の前の敵を叩き潰すことしか見えなくなっていた岩成の軍勢は、気がつけば淀城の城門から六、七町(約600〜700m)という、致命的な距離まで引きずり出されていた。城からの援護も届かず、退路は間延びし、兵たちは度重なる追撃で息を切らしている。完全に、僕の思い描いた「殺戮の盤面」へと誘い込まれていた。
「……今だ」
僕は、冷たく言い放った。それを合図に、僕の本隊から一発の銃声が高く天に向かって放たれる。
ダァァァンッ!!
その銃声を合図として、街道の左右、深い茂みの中に息を潜めていた二手の伏兵、およそ2,000の軍勢が一斉に立ち上がった。彼らの手には、すでに火縄に火が点けられた無数の鉄砲が握られている。
「な、伏兵だと……ッ!?」
岩成が驚愕の声を上げた時には、すべてが遅すぎた。左右両翼からの、雨あられのごとき鉄砲の一斉射撃。十字砲火の真ん中に取り残された岩成の兵たちは、逃げる間も、防御陣形を組む間もなく、次々と鉛玉に肉を抉られ、悲鳴を上げて血の海へと沈んでいった。
「押し返せッ! 三方から切り崩せ!」
後退していた僕と細川の部隊も、踵を返して大返しの突撃に転じた。もはや戦いではなかった。完璧な死地に誘い込まれた敵に対する、一方的な殺戮である。岩成主税之助がいかに勇を奮って巨大な槍を振り回そうとも、四方から押し寄せる槍の壁と銃弾の前には、個人の武力など何の役にも立たなかった。配下の士卒の大半を無惨に討ち取られ、岩成の軍勢は完全に崩壊した。
「おのれ、おのれぇぇッ!」
血の涙を流しながら、岩成は残ったわずかな敗残兵とともに、這う這うの体で淀城へと逃げ帰り始めた。だが、この冷徹な死の罠は、まだ終わっていなかった。
淀城へと通じる、宇治川に架かる大橋。敗走する岩成が必ず通らなければならないその狭い一本橋の中央に、ただ一人、武器も持たずに静かに立ち塞がる男の姿があった。細川藤孝の郎党にして、比類なき水練の達人として知られる暗殺者――下津権内だ。
「そこを退けェェッ!!」
迫り来る岩成の気迫は、手負いの獣そのものだった。行く手を阻む織田の兵を次々と宇治川へと突き落とし、返り血で真っ赤に染まった姿は、この世の怨念を煮詰めたようなおぞましさがあった。でも、下津権内は一歩も引かなかった。岩成が橋に足を踏み入れ、槍の届く間合いに入ったその瞬間。権内は獣のような身のこなしで槍の穂先を掻い潜り、岩成の巨体に真正面から組み付いたのだ。
「愚か者がッ! この岩成と力比べをする気か!」
岩成主税之助が、怒りの形相で権内の体を締め上げる。剛勇無双の力。まともに組み合えば、権内の骨など数秒で粉々に砕け散っていただろう。もしここが平地であったなら、岩成の圧勝に終わっていたはずだ。しかし、権内の狙いは最初から「地上での殺し合い」ではなかった。彼は岩成の巨体に組み付いたまま、一瞬の隙を突いて自ら橋の欄干を蹴り上げ、岩成もろとも、真っ逆さまに宇治川の激流の中へと飛び降りたのである。
ドザァァァンッ!!
巨大な水柱が上がり、二人の武士は深く暗い水底へと引きずり込まれた。
「……勝負は、ついたな」
橋のたもとに追いついた僕は、渦巻く川面を見下ろしながら、感情の消え失せた声で呟いた。岩成主税之助は、たしかに地上では無敵の鬼神だったかもしれない。でも、彼は重い甲冑を着込んだまま水中に引きずり込まれた。泳ぎ方を一切知らない岩成にとって、己の怪力も、無双の武術も、水の中ではただの重りでしかない。息ができず、足場もない水底で、彼は初めて「死の恐怖」という絶対的な無力感に襲われたはずだ。一方の下津権内は、水練の達人だ。水中に没した瞬間、権内は岩成を突き放し、身軽に水中を泳ぎ回った。もがき苦しみ、徐々に力が抜けつつある岩成の背後に音もなく回り込むと、腰に帯びていた鋭い短刀を引き抜いた。
ゴボッ、ゴボボボッ……!
水面が不自然に泡立ち、やがて、黒ずんだ赤色の液体が、宇治川の清流をゆっくりと染め上げ始めた。武力というただ一つの誇りさえも、環境という冷酷な物理法則の前にあっけなく無効化され、名将は泥を飲み込みながらその命を散らした。
しばらくして。逆巻く川水を押し切って、下津権内が岸辺へと這い上がってきた。ずぶ濡れのその手には、自らの太刀の切先に深々と貫かれた、目を見開いたままの岩成主税之助の生首が握られていた。
「――鬼神と呼ばれた岩成主税之助、この下津権内が討ち取ったりィィッ!!」
権内の裂帛の叫びが、淀城の空に響き渡る。その凄惨な生首を掲げられ、ただでさえ大半の兵を失っていた城内の士気は、文字通り完全に消滅した。大将の討死。それを見た残存の将である諏訪飛騨守と番頭大炊助の二人は、もはや戦う気力を一切失い、城戸を開いて無条件降伏を申し入れてきた。淀城は、こうしてあっけなく陥落した。旧時代の亡霊は、自らの力を過信し、僕たちが張り巡らせた「知略」という名の冷たい泥水の中に溺れて死んだのだ。
僕は馬から降り、血と水に濡れた岩成の首を静かに見下ろした。どんなに個人の武勇が優れていようと、もはやそれだけで天下を獲れる時代ではない。罠を張り、環境を利用し、相手の強みを完全に殺し切る冷徹な合理性。それこそが、これからの戦国を生き抜くための唯一の刃だ。
「……古い時代は、これで本当に終わった」
淀城に翻る織田の旗を見上げながら、僕は自分の手が、また一つ重い業の血で染まったことを自覚した。将軍を追放し、かつての英雄たちを罠にかけて冷酷に屠る。僕は確実に、人間の心を捨て、天下布武という修羅の道を歩む怪物へと変貌しつつあった。
でも、それでいい。この泥まみれの狂った世界を終わらせるためには、誰よりも黒く、誰よりも残酷な権力者にならなければならないのだから。
僕は、冷たく吹き抜ける川風の中、澱みなく次なる戦場の盤面を脳内に描き始めていた。僕の戦いは、まだ序盤に過ぎない。この手で天下のすべてを強奪するその日まで、僕は戦い続けなければならない。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
岩成主税之助討死
將軍槇島退去し給ふと聞こければ、御一味の武士らことごとく降參し、洛中やうやく鎮まりける。ここに三好の三人衆岩成主税之助祐道は、將軍家の御方と唱へ、信長を討たんとて、番頭大炊助、諏訪飛騨守と二千餘人にて淀の城に取籠る。木下藤吉郎秀吉、細川刑部大輔藤孝兩人、信長の命を蒙り、討手として淀の城に向ひける。木下藤吉郎下知を傳へ、惣勢三千餘人を三手に分ち、切所切所へ埋伏せしめ、一手の勢を以て淀の城に押寄せ攻めたりける。岩成もとより剛勇無雙の兵ならば、一千餘騎を引率し、城戸を開いて討出たり。木下藤吉郎迎へ合して支へ戰ひ、僞り負けて退けば、細川刑部大輔入り替り替り、槍を合せ、しばし戰ひ打負けて引取り行く。木下秀吉透間なく入り替り、鐵砲少し放ちかけ、鬨を作って切ってかかり、半時ばかりも攻合ひしが、また崩れ立って敗走す。細川藤孝すぐに駈合わせて木下と替わり、追返しつつ合戰す。かくのごとく兩將互に入れ替へ入れ替へ、敵を誘うて思ふ圖へおび出だすと心づき、透を見合せ引上げんと思へども、日本無雙の木下藤吉、軍事功者の細川藤孝、相互に透間もなく喰ひつきて戰へば、退くことも叶はずして、心ならずも六七町敵に引かれて戰ひ行く。このとき相圖と思ひし鐵砲一聲、耳もとに響けば、二手の伏勢一千餘人、左右より鐵砲を雨のごとく放ちかけ、鬨を作って切って出れば、木下、細川等しく大返しに取って返し、三方より切り崩せば、岩成勇を震うて戰へども、十分死地に入りぬれば、士卒大半討ちなさされ、さんざんになつて淀の城へと走りける。ここに細川刑部大輔が郎等下津權内という大功の兵あり、岩成と組まんとて、ただ一人大橋の上に待ちけるが、主税之助近づく敵を突き落とし討ち殺し、難なくここまで引取って、大橋に渡りかかるを、待ち設けたる下津權内、聲をかけて岩成に組み付きたり。主税之助大に怒り、ただ一つ力に叶ふべくも覺えざれば、はにかに謀計を構へ、組つきながら橋より下へと落ちたり。この權内はならびなき水練の達者なれば、つき放して深く水底に沈み、短刀を抜き持ち、水裡にありて岩成を刺す。岩成剛勇大力の壯士なれども、水心を知らざれば、敢てこれに敵すること能はず、終に力盡きて權内に討たれける。權内水中にて首を取り、逆まく川水押切って陸に上がり、かの首を太刀に貫き、「鬼神と呼ばれたる岩成主税之助を下津權内が討ち取ったり」と呼ばって、惣勢一度に淀の城へ攻寄すれば、大將討死したるりぬれば、今は戰ふ氣勢もなく、諏訪、番頭の兩人城を開いて降參し、淀の城も落ちたりけり。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
https://share.google/AxQqE2xRgf0LcmxAN
絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
淀城は、山城国久世郡淀(京都府京都市伏見区淀本町)にあった日本の城。現在は本丸の石垣と堀の一部が残っている。江戸時代には久松松平家、戸田氏、稲葉氏など譜代大名が居城した。淀は「与渡津」(淀の港の意)と呼ばれ、古代には諸国からの貢納物や西日本から都に運ばれる海産物や塩の陸揚げを集積する商業地であった。また、河内国・摂津国方面や大和国方面から山城国・京洛に入る要衝であった。淀城は、宇治川(旧河道)と木津川(旧河道)の合流点に形成された島之内、現在の京都市伏見区の京阪電気鉄道淀駅の南西に位置する。安土桃山時代、豊臣秀吉が、側室茶々の産所として築かせた淀城(旧淀城)は桂川と宇治川(旧河道)の合流点に挟まれた納所、現在の位置より北へ約500メートルの位置にあった。こちらは、鶴松死後に拾丸誕生後養子となっていた豊臣秀次が謀反の疑いを掛けられた際、城主であった木村重茲の連座とともに廃城とされた。江戸時代に、木幡山にあった徳川氏の伏見城の廃城により、その代わりとして江戸幕府が松平定綱に命じて新たに築かせた。以降は、山城国唯一の大名家の居城として明治に至った。出典:wikipedia




