1-16 蝮が震えた日―― 正徳寺会見
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
「殿が、美濃の蝮と対面される」
その噂が清洲城を駆け巡ったのは、平手中務政秀の痛ましい諫死から数ヶ月後の、天文十八年(1549年)の初夏のことだった。
美濃国主・斎藤山城入道道三。油売りから身を起こし、下克上によって一国を盗み取った希代の梟雄。そして何より、信長の正室である濃姫の父親(舅)にあたる男だ。
信秀の生前、両国は和睦のためにこの婚姻を結んだが、今や尾張の大黒柱は折れ、後を継いだ信長は「大うつけ」として諸国にその悪名を轟かせている。道三が信長を呼び出した真の目的など、誰の目にも明らかだった。
「うつけの器量を直に試し、組み易しと見れば、そのまま尾張へ攻め入って国を切り取る気だ……」
家臣たちは皆、青ざめた顔でささやき合った。特に、筆頭家老を継いだ林土佐守や、若き猛将・柴田勝家などは猛反対した。
「殿、どうか美濃へ赴くことだけはお辞めくだされ。これは罠にございます。適当な理由をつけて辞退なさいませ!」
しかし、信長は彼らの諫言を冷たく一蹴した。
「俺を誰だと思っている。蝮ごとき、俺の牙で食い殺してやる」
五月二十六日。信長は、斎藤道三が指定した会見の地、美濃国富田の正徳寺へと向かった。馬番である僕も、一行の末席に紛れ込んでその道行きにお供することになった。
僕の目的はただ一つ。信長が、この「戦国最強の起業家」とも言える斎藤道三に対し、どのようなプレゼンテーションを仕掛けるのか、それをこの目で見届けるためだ。そして、信長が用意した「演出」は、僕の現代の常識すらも軽く凌駕する、常軌を逸したスケールのものだった。
――ズシン、ズシン、ズシン。
尾張から美濃の国境を越え、富田の町口に入った瞬間、沿道で見物していた美濃の領民たちは、その異様すぎる軍装に完全に度肝を抜かれた。
「な、なんだあの行列は……!?」
先頭を進むのは、なんと300挺もの火縄銃を構えた足軽部隊。当時の常識では、鉄砲など戦場に数挺あれば良い方の超高級品だ。それを300挺も横隊に並べ、圧倒的な火力を誇示しながら行軍する。
その次には、これもまた見たこともないほど長い、三間(約5.4メートル)もの朱塗りの長柄槍を揃えた300の部隊。さらにその後ろには、燃え上がる炎のように真っ赤な装束で統一された百余名の親衛隊が、威風堂々と主君の馬前を守護している。
そして、その中央に君臨する信長の姿たるや、まさに異界の魔王だった。朱色で染め抜かれた瓜の大紋の帷子に、虎の皮をあしらった半袴。髪は烏帽子を被らず、萌黄色の紐で無造作に結い上げた茶筅髪。
極め付けは、腰に太刀と脇差を「藁縄」でぐるぐると無骨に巻きつけて縛り上げていることだ。栗毛の荒馬にまたがり、火打ち袋や瓢箪をジャラジャラとぶら下げて悠然と進むその姿は、この時代の「武士の嗜み」をすべて否定する、完璧なパンク・ファッションだ。
(……すごい。完全に美濃の空気を支配している)
沿道の民衆は、恐怖と畏敬がないまぜになった眼差しで、その勇壮すぎるパレードに釘付けになっていた。その頃。この「大うつけ」の真の姿を値踏みしようと、斎藤道三は近習を連れ、町口にある粗末な民家の障子の陰から、こっそりと信長の行列を覗き見ていた。
「ふん。尾張のうつけが、どれほどのマヌケ面を下げて来るかと思えば……」
道三は障子の隙間から目を細めた。だが、その目に飛び込んできたのは、見たこともない圧倒的な火器の壁と、古い常識をあざ笑うかのように異形を極めた若き覇王の姿だった。
「……ッ!?」
道三は息を呑んだ。隣にいた近習たちは、あまりの奇抜さに思わず「ぷっ」と吹き出しかけた。
「なんと珍妙な出立ちで……」
その瞬間だった。馬上の信長が、ゆっくりと首を巡らせ、障子の陰に潜む道三たちを真っ直ぐに睨みつけた。
「――俺の姿が見たいなら、コソコソ隠れずに俺の前に出てきてみろっ!」
地獄の底から響くような大音声が、町中に轟いた。道三の心臓が、ドクリ、と大きく跳ねた。距離は離れているはずなのに、その漆黒の眼光は、間違いなく障子の奥の「蝮」の眼を正確に射抜いていた。
「……ば、馬鹿な。まさか、気づかれたというのか……!?」
戦国の海千山千を生き抜いてきた道三が、冷や汗を流し、慌てふためいて民家から逃げ出すように正徳寺へと引き返した。
(……勝負あったな)
行列の末席からその光景を見ていた僕は、心の中で小さくガッツポーズをした。第一印象の視覚的暴力で、完全にマウントを取った。
しかし、信長の「演出」はこれだけでは終わらなかった。正徳寺に到着するや否や、信長はさっさと休息の間へと入り、あの異様で派手な装束をすべて脱ぎ捨てた。そして、供の者に持たせていた正装――茶褐色の気品ある長絹を身にまとい、頭には折り目正しい烏帽子を被った。
先ほどまでのパンクな傾奇者が、一瞬にして、威儀を正した完璧な「一国の主」へと変貌を遂げた。その神々しいまでのギャップに、出迎えた斎藤家の重臣たちはもちろん、織田家の供回りたちすらも度肝を抜かれ、ただ平伏することしかできなかった。
やがて、会見の間。上座に座る信長のもとへ、斎藤道三が静かに姿を現した。
「……よくぞ参られた、上総介殿」
「お初にお目にかかる、山城入道殿」
互いに慇懃に頭を下げ合う。表向きは舅と婿の和やかな対面だ。だが、信長はゆっくりと顔を上げると、道三の顔をじっと見つめ、口元に微かな、けれど氷のように冷たい笑みを浮かべた。
「……先ほど、町口の民家の障子の隙間から、俺の姿を覗き見て笑っていた『薄汚い曲者』に……舅殿は、よく似ておられるな」
――ピキリ。
道三の額に、冷たい汗が伝い落ちた。偶然ではない。この若造は、あの時確実に、自分の存在を察知して見下していたのだ。
(こいつは……狂人などではない。俺の仕掛けた罠を、すべて見透かした上で、あえて乗ってきた本物の『化け物』だ……!)
道三の脳内で、信長に対する評価が、「狩るべき獲物」から「絶対に敵に回してはならない敵」へと、一瞬にして書き換えられた。会見は、終始和やかに、山海の珍味を尽くした饗宴をもって終わった。だが、その空気の主導権を握っていたのは、間違いなく若き信長だった。
夕刻。信長が帰途につく際、道三は自ら途中まで見送りに立った。信長の帰りの行列もまた、行きと同じく圧倒的な火力と最新鋭の兵器を誇示する、華美で暴力的なものだった。
対して、道三の供回りは、「質実剛健」を旨とする古い戦国の価値観で作られた、地味で古風な装いばかり。最新の鉄砲や長槍を最適化した織田の軍装と並ぶと、美濃の軍勢はひどくみすぼらしく、時代遅れに見えた。
「……殿」
見送りを終えた道三の傍らで、重臣が悔しそうに呟いた。
「あの若造、うつけのフリをして我らを欺いておりました。やはり今のうちに……」
「黙れ」
道三は、遠ざかる信長の背中から目を離さないまま、ひしゃげた声で言った。
「……あれは、俺の手におえる代物ではない」
「は……?」
「見事だ。あのような眼力と狂気を併せ持つ男が、人の下に立つはずがない。……我が子孫たちは、やがて間違いなく、あの男の門前に馬をつなぎ、平伏して仕えることになるだろう」
美濃を盗み取った希代の梟雄に、そこまで言わせたのだ。歴史の転換点となる、見事なトップ会談だった。
僕は信長の行列の最後尾を歩きながら、胸の奥の「太陽」が、熱く、誇らしく脈打つ熱を感じていた。
美濃の民たちも、街道沿いで行列を見送りながら、「尾張の若殿は、恐ろしく底知れない」と密かに囁き合っている。
平手政秀の死という尊い犠牲を払い、完全に覚醒した織田信長。彼の天下布武への道は、この正徳寺の会見をもって、いよいよ本格的に幕を開けた。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
織田信長齋藤道三と正德寺に於て會す
天文十八年春二月、備後守信秀いまだ存生のことなりしが、濃州の國主齋藤山城入道道三が女を以て信長が室とす。然るにその翌月三月、信秀卒去ありて、子息信長家督相續せるといへども、その行跡正しからず、すこぶる狂人に似たりとて、舅道三信長に對面し、その器量を試し、柔弱の將なりせば智になして益なければ、襲ひて尾州を切り取るべしと、使者を以て信長を招き、濃州富田の正德寺において調見せしむべきよし申し送り、諸事の應對、萬事の行鞋、古風を守り、信長に美濃の正しき國風を知らしめんと、その用意まちまちなり。さるほどに織田方には家老林土佐守、柴田勝家ら、「信長濃州に赴き給はんこと、その恐れなきにあらず。事によせて辞退あるべし」と諌めければ、信長曾て用ひ給はず、同五月二十六日、正德寺へこそ赴き給ふ。すでに富田の庄の町口に至り給ふに、その行列出立の異様なるに、美濃の人民肝を潰し、「天晴勇々しき觀物や」と、袖をつらね膝を交へて見物す。このよし道三入道に達しければ、「信長いかなる出立にて来たりけん」と、近習少々 召し連れ民家の内より伺ひ見るに、信長卿の行列こそめざましけれ。鐵砲三百挺左右に列し、次に三間柄の朱槍三百筋、これも同じく左右に備へ、その次に歩行の者百餘人、ことごとく赤き装束を著し馬前を守護す。信長卿の出立には、朱を以て染めなせし瓜の大紋の帷子に、虎の皮の半袴を著け、熨斗付きの太刀、脇差を藁縄を以て巻かせ、緋の苧を打つて腕貫を附け、烏帽子を著せず、萌黄の平打にて髪を巻き立て、腰の廻りには火打袋、馬手指瓢簞などの物を多く結び付け、栗毛なる荒駒に白泡噛まして、上下の同勢一千餘人、次第を守りて打たせける。道三を始め近習の人々 興を醒まし、「さて珍らしき出立かな」と、思はずどつと笑ひけるを、信長聞きと見咎め、「我が姿を見んとならば、我が前へ出でて見るべし。無禮は寛し遺すはなり」と大音に呼ばはりて打ち過ぐるを、道三聞いて大いに驚き、あわてふためき忍びて先へ帰りけり。さて信長は正德寺に至り、休息の間に入りて卒に装束を改め、褐の素袍烏帽子を著し、威儀堂々(だうだう)と座に著き給へば、齋藤が臣下は云ふに及ばず、織田の近習用人まで、恐れて平伏したりける。入道道三やがてその席に出て、互に慇懃丁寧を演べ、深く因を結びけるが、信長、道三が面をしばしば打守り、「前々 町口にて、障子の透間より我を伺ひ、笑ひ戯れし曲者によくも似給ひけるものかな」とつぶやき給へば、道三心中に大いに恐れ、「かかる眼力ある大將、いかでか人の下位に立たんや。我が子孫も終には信長の門前に馬を繋ぐべし」と歎じ言ひつつべし。さては山海の珍味、饗膳美善を盡くし、その日の宴會終はりければ、互に暇を告げて、信長やがて退出ある。道三入道も半途まで送り進らせけるが、道中の行列以前のごとく華美しきに、齋藤家の行裝はかねて古風を守り、目立たざるを専一とせしことなれば、何となく威を奪はれ、みすぼらしくこそ見えにけり。されば美濃一國の軍民ら、「信長は闊達の勇將かな」と、密かに感じ思ひけり。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
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絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜【御礼投稿(8話/8話)】開始1週間で1,000PV達成!〜
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