2-37 魔王を喰らう鬼
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
生き延びるための戦いは、終わった。ここからは、天下を奪い取るための戦いだ。浅井長政、朝倉義景。次に出会う時が、貴様らの本当の地獄の始まりだ。首を洗って、待っているがいい――。
――そんな暗い野心を胸の奥で煮えたぎらせながら、僕は近江の雪景色を睨み据えていた。元亀元年という、血と泥に塗れた悪夢のような一年が暮れ、年が明けた。元亀2年(1571年)の春。比良山地から吹き下ろす凍てつく風は少しずつ鳴りを潜め、琵琶湖の湖面を覆っていた薄氷が溶け始める頃。
朝廷の絶対的な権威――「勅命」という名の不可視の鎖によって強制的に結ばれた織田と浅井・朝倉の「和睦」は、誰もが予想していた通り、薄氷よりも脆く、そして白々しい欺瞞に満ちていた。
誰も、本気で矛を収める気などない。雪解けとともに再び血の雨が降ることは、この泥まみれの戦国を生きる者ならば肌感覚で理解している。だからこそ、この冬の間の「沈黙」は、互いの喉元に短刀を突きつけるための、息詰まるような水面下の工作合戦へと変貌していた。
その口火を切ったのは、織田家随一の知将である丹羽五郎左衛門長秀だった。
「……佐和山の城主、磯野丹波守を寝返らせる」
ある日、陣屋を訪れた丹羽長秀が淡々と口にしたその言葉に、僕は思わず息を呑んだ。磯野丹波守貞満。浅井長政の幕下に属する猛将中の猛将だ。去年の「姉川の合戦」において、彼は浅井軍の先鋒として織田の陣に突撃し、なんと十一段にも及ぶ我らの強固な備えを次々と粉砕するという、鬼神のごとき目覚ましい勇戦を見せつけた男である。敵も味方も、その圧倒的な武勇には驚嘆と恐怖を抱いていた。
佐和山城は、北近江から美濃へと抜ける交通の要衝であり、まさに浅井家の「心臓部への扉」である。あそこを力技で落とそうとすれば、どれほどの血が流れるか想像もつかない。信長は、この佐和山城を封じ込めるため、百々屋敷という場所に丹羽長秀を配置し、監視と圧力をかけさせていた。だが、丹羽長秀の真の狙いは「包囲」ではなく「調略」だった。
丹羽長秀は、以前から磯野丹波守と面識があり、その時々の音信や書簡のやり取りを通じて、密かに、そして執拗に磯野丹波守の心を揺さぶり続けていた。そして今、僕が朝廷から引き出した「和睦」という状況が、最高の盤面を作り出していた。
「磯野殿。我が主君である信長様は、貴殿の勇壮に深く感銘を受け、長年その武勇を慕っておられる」
丹羽長秀の放った使者は、佐和山城の奥深くで、磯野丹波守に対して恭しく、しかし逃げ場のない論理を突きつけた。
「いまや浅井と織田は勅命によって和睦し、互いに隔心を持たぬ親族のごとき間柄となった。……ならば、貴殿が信長様に随順したとしても、それは『裏切り』には当たらない。何の憚ることがあろうか。信長様は、貴殿の武名を将軍家へ吹聴しようと、首を長くして待ち望んでおられるのだぞ」
完璧な詭弁。だが、抗いがたい魅力を放つ毒の論理だった。戦う名分を一時的に奪われ、孤立感を深めていた磯野丹波守は、この丹羽長秀の巧みな誘い水に深く頷いた。
「……謹んで、信長公の御意に従いましょう」
姉川で我らを恐怖のどん底に陥れた無双の壮士が、ただの一滴の血も流すことなく、織田の軍門に降った。この吉報を受けた信長は、大いに喜悦した。すぐさま磯野を江州・高島の城主として厚遇し、空いた佐和山城の城主には、見事な調略の功を立てた丹羽長秀を据えた。戦略的にも、心理的にも、浅井家にとっては取り返しのつかない大穴が穿たれた瞬間だった。
「――おのれッ! 丹波の裏切り者めがァァッ!!」
小谷城の奥深くで、浅井長政が激怒の咆哮を上げたのは、その数日後のことだ。自らが最も頼りとしていた猛将の寝返り。しかも、和睦という建前を逆手に取られた屈辱。若く気丈な長政のプライドはズタズタに引き裂かれ、その怒りは冷酷な狂気へと変貌した。長政は、以前より人質として浅井方に留め置いていた「磯野の老母」を牢から引きずり出した。そして、一切の慈悲をかけることなく、その白髪の首を無惨に刎ね飛ばし、見せしめとして獄門に晒した。
横山城でその凶報を聞いた時、僕は冷ややかな絶望感とともに、長政の「限界」を悟った。確かに、人質を処断するのは戦国の習いかもしれない。だが、この極度の緊張状態において、己の怒りに任せて血を流す行為が、周囲の家臣たちにどう映るか。彼はその想像力を完全に失っていた。
「……愚かだな、長政」
僕は城の櫓から、小谷城のある北の空を見つめて呟いた。案の定、この苛烈すぎる処断は、浅井家中に決定的な亀裂を生んだ。
「長政様は、長年尽くした功臣の母君を、いとも容易く斬り捨てられた……!」
「明日は我が身か。あのような不仁な主君に、もはや命を預けることはできぬ」
浅井の旗下に属していた勇士たちは、ことごとく長政の残酷さを憎み、恐怖した。太尾城の城主・中島惣左衛門。朝妻城の城主・新庄駿河守。名だたる国衆たちが、次々と浅井家を見限り、雪崩を打って織田の幕下へと駆け込んできたのである。
僕が引き出した「和睦」と、丹羽長秀の「調略」。そして長政自身の「不仁」。これらが連鎖し、浅井家は戦わずして内部からボロボロに崩壊し始めていた。
そしてついに、長政父子は怒りと焦燥で我を忘れ、狂気に満ちた報復の手段に打って出た。武士の忠誠が信じられなくなった彼らが頼ったのは――神仏の名の下に死すら恐れぬ狂信の徒、「石山本願寺」の門徒たちであった。
「仏敵・信長を討ち滅ぼせ! 進まば極楽浄土、退かば無間地獄ぞ!!」
江州の寺々――箕浦の誓願寺、新庄の金光寺、朽木の常願寺、上路の順慶寺、油須木の清願寺、益田の真宗寺、唐崎の超照寺、下坂の福照寺。本願寺からの激しい檄と催促を受け、各地の坊主たちと、彼らに扇動された郷民たちが、文字通り蜂の群れのように湧き出した。農具を槍に持ち替え、「南無阿弥陀仏」の筵旗を掲げた狂乱の群れは、瞬く間に膨れ上がり、その数およそ20,000人。
浅井父子はこの大軍勢を自らの兵力として取り込み、織田方に与したばかりの小城「鎌刃城」へと怒涛の進軍を開始した。20,000という絶望的な質量が、城の周囲を黒く塗りつぶす。城中の兵たちは、必死に矢石を飛ばして防戦に努めたが、多勢に無勢。寄手は死を恐れぬ門徒の群れであり、倒れても倒れても、新しい狂信者が念仏を唱えながら城壁に群がってくる。城門は軋み、櫓は燃え、落城はもはや時間の問題というところまで追い詰められていた。
「……藤吉郎様! 鎌刃城が、20,000の一揆勢に包囲されております! もはや半日と持ちませぬ!」
僕が横山城の陣屋でその凶報を受けた時、手元にある動かせる兵力は、僅かに1,000人しかいなかった。1,000対20,000。単純な数字で言えば、絶対に覆せない戦力差だ。未来のゲームなら、迷わず「撤退」か「見捨てる」を選択する場面だろう。でも、僕は薄暗い陣屋の中で、ゆっくりと立ち上がり、口の端を歪めて笑った。
「面白い。……出るぞ」
周囲の家臣たちが、ギョッとしたように僕を見た。
「藤吉郎様!? 正気ですか、たった1,000で20,000の狂信者の群れに突っ込むなど、自ら死地に赴くようなもの……!」
「正面からぶつかればね」
僕は、傍らに置いてあった自分の兜を拾い上げながら、冷たく言い放った。
「相手は20,000の『大軍』じゃない。烏合の『群衆』だよ。軍律も知らない素人の集まり。ならば、彼らのその『数』そのものを、最大の弱点に変えてみせよう」
僕はすぐさま1,000の兵を庭に整列させ、軍令を下した。
「全員、旗指物をすべて外せ! 馬印も布で隠し、どこの軍勢か一切分からぬようにして出発する!」
疑問符を浮かべる兵たちを急き立て、僕らは横山城を飛び出した。目指すは、20,000の敵が群がる鎌刃城の「背後」だ。旗を隠し、身を潜め、一切の音を立てずに、僕らは一揆勢の後方へと不気味なほど近々と忍び寄っていった。
戦場は、凄まじい熱狂と喧騒に包まれていた。念仏の声、怒号、城が燃える音。誰もが前方の城を落とすことだけに血眼になり、背後への警戒など完全に疎かになっている。僕の1,000の兵が、一揆の群れのすぐ背後にまで到達した時、最後尾にいた郷民の何人かが、ようやく僕らの存在に気づいた。
「ん? なんだ、あいつらは……」
「旗を掲げておらん。浅井様からの増援か? それとも、別の寺からの門徒衆か?」
敵か、味方か。判然としない謎の軍勢の出現に、一揆勢の最後尾に動揺と猶予が生まれた。群衆というものは、情報がない状態での未知との遭遇に最も弱い。その「一瞬の空白」こそが、僕の狙いだった。
僕は馬上に立ち上がり、肺の底から空気を吸い込んだ。
「――今だッ!! 馬印を掲げよォォッ!!」
僕の絶叫とともに、隠されていた巨大な馬印が、青空に向かって高々と振り上げられた。
金箔で眩いばかりに輝く、無数の瓢箪。木下藤吉郎の代名詞たる、『千成瓢箪』の馬印である。
それまで息を潜めていた1,000の兵たちが、一斉に天を衝くような鬨の声を上げた。僕は、喉が張り裂けんばかりの大音響で、戦場全体に響き渡るように名乗りを上げた。
「僕は織田の臣、木下藤吉郎!後詰のため参上ッッ!!」
突如として背後に出現した、黄金の馬印と、悪魔のような織田の猛将の名。稲や麻、竹や葦がびっしりと生い茂るように密集していた一揆の群れに、雷が落ちたような戦慄が走った。
「わ、わッ! 敵の助勢だ!!」
「背後を取られたぞ! 取り巻いて討ち取れッ!」
箕浦の誓願寺の坊主たちが慌てふためき、4,000人の郷民たちに下知を飛ばして僕らを迎え撃とうと陣形を整えようとする。だが、遅い。遅すぎる。
「かかれェェェッ!!」
僕の号令とともに、1,000の猟犬たちが、面も振らずに20,000の群れへと突し込んでいった。その先頭を駆け抜けるのは、僕がこの時代で見出し、手塩にかけて育て上げてきた、若き怪物たちだ。
「っしゃあああッ! 一番槍は俺がもらうぜェッ!!」
巨大な虎を思わせる巨躯で、鉄棒のような長槍を振り回して敵を宙に舞わせる加藤虎之助清正。
「邪魔だ邪魔だァ! 藤吉郎様の道を空けろォッ!」
血走った目で太刀を乱舞させ、狂ったように敵の首を刎ね飛ばしていく福島市松正則。さらに、片桐助作且元、堀尾茂助、蜂須賀小六といった、後に天下にその名を轟かせることになる一騎当千の勇士たちが、この絶望的な戦力差を「面白い」と笑いながら、斬り廻った。軍律を持たない素人の群衆は、この一握りの「本物の暴力」の前に、紙くずのように引き裂かれた。
「ひ、ひぃぃッ! 化け物だ!」
「逃げろ! 殺されるゥッ!」
何が起きているのかも分からないまま、前衛の悲鳴が後衛へと伝染し、20,000の軍勢は恐慌状態に陥った。彼らはもはや武器を捨て、四方八方へと蜘蛛の子を散らすようにばっと逃げ出し始めたのだ。
「――木下様が来てくださったぞ! 今だ、城戸を開けェッ!」
この劇的な反転攻勢を見た鎌刃城の城内から、織田の勇士・多羅尾右近、樋口三郎兵衛らが率いる500人の城兵が、門を内側から蹴破って斬って出た。
前からは怒りに燃える城兵。後ろからは若き猛将たちの軍勢。完璧な挟み撃ちだ。寄手は20,000という大軍だったが、軍令も何もない烏合の衆だ。一度「負け色」が濃くなれば、その圧倒的な数は、逃げ道を塞ぎ合い、同士討ちを誘発するだけの「足手まとい」でしかなかった。
我先にと敗走する一揆勢の背中を、僕の兵たちは無慈悲に刈り取っていった。泥に足をとられて転ぶ者、命乞いをする僧侶、すべてを押し潰すように、織田の刃が血を吸い続けた。討たれる者の数は、もはや知れない。
やがて、狂乱の宴が終わり、戦場が静まり返った。夕日に照らされた鎌刃城の周辺は、おびただしい数の死体が転がる、地獄の屠殺場と化していた。
僕らは、泥と血に塗れた大地を歩き回り、討ち取った首を一つ一つ検分していった。その数、実に400級。
「……藤吉郎様。首の処理は、いかがなさいますか」
返り血で顔を真っ赤に染めた加藤が、興奮冷めやらぬ荒い息を吐きながら尋ねてきた。この時代、討ち取った首は論功行賞の証として主君の元へ送るのが常だ。だが、400もの腐りゆく生首を、遠く離れた岐阜城まで運ぶのは物理的に困難だ。
僕は、冷たい目で見開かれた死者たちの顔を見下ろしながら、自分の中にある「未来人の倫理」が、音を立てて崩れ去っていくのを感じていた。もう、後戻りはできない。優しい未来の日本人のままでは、この狂った世界で天下を盗ることなど不可能だ。魔王の懐で生き抜き、いつかそれを喰い破るためには、僕自身が、魔王を超える「鬼」にならなければならない。
「……首は置いていく」
僕は、感情の抜け落ちた声で命じた。
「その代わり、すべての死体の『耳』と『鼻』を削ぎ落とせ。それを塩漬けにして岐阜城へ送ろう」
周囲の空気すら凍りつくような残酷な命令。だが、僕の配下の若き怪物たちは、躊躇することなく「ははッ!」と平伏し、すぐさま小刀を片手に死体の山へと取り付いていった。
グチャリ、グチャリと、肉を削ぐ不気味な音が夕暮れの戦場に響き渡る。
僕は、黄金の千成瓢箪を見上げた。血飛沫を浴びて赤黒く汚れたその馬印は、まるで僕の魂の形そのもののように見えた。
浅井長政。朝倉義景。そして、本願寺の狂信者たちよ。どんな手を使っても、僕は生き残る。そして、貴様らの作り出したこの泥まみれの戦国を、僕の手で終わらせてやる。
僕は、血塗られた自分の手を強く握り締め、暗くなり始めた近江の空に向かって、低く、獣のように嗤った。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
磯野丹波守信長に降る
その年も暮れ元龜二年の春なりけり。佐和山の城主磯野丹波守貞滿は、淺井長政が幕下に屬し、去年姉川の合戰に目ざましき勇戰をなし、敵も味方も驚歎せし壯士なり。これ(おさ)へ(のための)とて、百々(どど)屋敷といへる所に丹羽五郎左衛門長秀を置かれたるに、長秀もとより磯野と面會の交はりありて、折節の音信、書翰の往來などねんごろに聞こえければ、長秀折を伺ひ磯野を信長に降らしめんと、心中に含み居けるが、このころ勅命によりて織田、淺井和平の議調ひぬれば、よき折なりとて、使者を以て云はせけるは、「主人信長、足下の勇壯を感じ、慕ひ給ふこと年久し。いま淺井と織田と和睦ありて、互ひに隔心をさし挟むことなく、昔のごとく親族なり。しかれば足下信長に隨順あるとも、何の憚ることあらんや。信長かねて足下を將軍へ吹聽賴み入る」よし謹んで返答しければ、長秀そ(の)こと(の)旨を信長公へ言上すれば、信長もよろこび給ひ、丹波守を江州高島の城主となし、丹羽五郎左衛門を佐和山の城主たらしめ、磯野を降參せしめたる功を顯し給ふ。丹羽、磯野ありがたく領承し、おのおの居城に籠もりける。淺井長政このことを聞き大に怒り、磯野が老母、先に人質として淺井方にありけるを引出して首を刎ね、獄門にかけたりける。これより淺井の旗下に屬せし勇士ことごとく長政の不仁を惡み、太尾の城主中島惣左衛門、朝妻の城主新庄駿河守ら、みな淺井家を離散して信長の幕下に屬し(ば)、さらに織田家の勢を増しにける。これによって長政父子いよいよ憤り、この恨を晴らさんとさまざま工夫を凝らしけるが、一計を案じ出し、攝州石山本願寺を賴み、江州の寺々(てらでら)を催しけるに、生死知らずの門徒らなれば、本願寺より御催促なりと馳せ集まる坊主たちには、箕浦の誓願寺、新庄の金光寺、朽木の常願寺、上路の順慶寺、油須木の清願寺、益田の眞宗寺、唐崎の超照寺、下坂の福照寺、鄉民どもをかり集め、その勢合せ二萬餘人、蜂のごとく群がって長政に與しければ、淺井父子大によろこび、織田方に與し小城たる鎌の刃の城へ押寄せ、無二無三に攻めたりける。城中の勢矢石を飛ばし防戰すれども、寄手は目にあまる大勢なれば、新手を入れ替へ攻めけるほどに、すでに落城に及ばんとす。このとき秀吉は橫山の城にありてこの合戰を聞きければ、手勢一千人を引率し、旗指物を隱し、いづれの勢とも見わけがたく出立て、寄手の勢の後より近々(ちかぢか)と進み寄れば、門徒の一揆、敵か味方の兵なるかと猶豫してありけるところに、藤吉郎下知して千生瓢箪の馬印を高くさし上げ、「織田の勇臣、日本一の剛の者、木下藤吉郎後詰のために向うたり」と大音に罵り、稻麻竹葦のごとく集まりし一揆の中へ、面もふらず切ってかかれば、「すは敵の助勢なるぞ。取り卷いて討ち取れ」と、箕浦の誓願寺四千餘人の鄉民を下知して戰わんとするところを、加藤、福島、片桐、堀尾、蜂須賀な(ど)世に聞こえたる勇士ども、面白ことに思ひ、當たるを幸いに切り廻れば、何かはこれに敵すべき、四方へばっと逃げ散ったり。これを見て城中より堀野が勇士多羅尾右近、樋口三郎兵衛五百餘人、城戸を開いて切って出れば、寄手多勢なりといへども、法令もなき集まり勢、負色になりぬれば何の用にか立つべきや、われ先に敗走し、討たるる者數を知らず。暫時に軍静まりて、討ち取る首四百餘級、ことごとく耳鼻を斬って岐阜の城に送り、軍の次第を言上す。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
https://share.google/AxQqE2xRgf0LcmxAN
絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
鎌刃城(かまはじょう/かまのはじょう)は、滋賀県米原市にあった日本の城。城跡は2005年(平成17年)3月2日に国の史跡に指定されている。また、2017年(平成29年)4月6日には続日本100名城に選定された。江北と江南の国境線に位置する境目の城で、湖北最大級の山城であった。京極氏と六角氏の攻防、織田信長と浅井長政の攻防の舞台となった。信長が美濃と近江を平定後の1574年(天正2年)に城主の堀秀村は改易となり、まもなく廃城となった。出典:wikipedia




