3-35 魔王の逆襲、血塗れの勝利
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
この泥まみれの狂った世を、必ず僕が終わらせてみせる。天下布武という果てしない道のりを、僕がこの手で、必ず押し進めてみせるのだと。
――でも、決意だけで凍える夜は越えられない。
坂井右近という偉大な犠牲を払ってもなお、戦局そのものが劇的に好転したわけではない。敵の兵糧を奪い、いくらかの打撃を与えたとはいえ、比叡山という絶対の要害に立て籠もる浅井・朝倉の大軍60,000という物理的優位は、依然として揺らいでいなかった。
無情にも、時は11月の末に差し掛かろうとしていた。近江・坂本の地は、本格的な冬の到来を告げる「比良おろし」の猛威に晒されていた。琵琶湖の対岸、比良山地から吹き下ろす氷の刃のような強風が、容赦なく織田の野陣を吹き荒れる。数ヶ月に及ぶ対陣。敵は山の上で豊かな寺の施設を利用し、疲れた色を微塵も見せない。対する僕たち織田の将兵たちは、ただ吹き晒しの平地で寒気と飢えに耐えるしかなかった。
陣のあちこちから、凍傷に苦しむ者のうめき声や、重い病に臥せって血を吐く者たちの咳き込む音が絶え間なく聞こえてくる。さらに、右近を始めとする歴戦の勇士たちが次々と討ち死にを遂げたことで、陣中には何とも言えない物悲しく、重苦しい愁いが深く立ち込めていた。夜になれば、寒さに震えながら故郷・尾張や美濃の空を慕い、声を殺して泣く屈強な足軽たちの姿が数え切れないほどだ。
軍隊という巨大な生き物が、音を立てて内側から崩壊していく。未来知識のある僕には、それが痛いほどによく分かった。限界だった。これ以上の対陣は、敵と刃を交える前に、僕たち自身の凍死と自滅を意味していた。
「……猿。おるか」
深夜、吹き荒れる風の音を遮るように、信長の陣屋へと呼び出された。篝火の揺らめく影の中で、床几に腰を下ろす信長様の顔には、かつて右近の死に紅涙を流した時の悲哀はもう無い。あるのは、冷徹なまでの静かな怒りと、氷のように冷え切った決断の光だけだった。
「味方の難儀、もはや看過できぬ。……貴様が以前申していた通り、一軍を華々しく動かし、この対陣を終わらせる。よき手配りを致せ」
それは、僕への絶対の信頼であると同時に、「地獄の釜の蓋を開けろ」という魔王からの命令だった。僕は深く頭を下げ、凍りつきそうになる自らの心臓を必死に奮い立たせた。
「分かりました。この長陣で、敵も味方もすっかり凍りついています。では、皆の眠りを、赤い血で覚まさせて見せましょう」
僕はすぐさま自陣に戻り、極秘裏に「罠」の構築を開始した。正面から山を攻め上れば、待ち構える60,000の敵にすり潰される。ならば、どうするか。
敵を山から引きずり下ろすしかない。彼らの「驕り」と「油断」という、人間の最も脆い部分を餌にして。11月27日。僕は織田の諸陣に極秘の軍令を下した。
「全軍、軍を収めよ。我らはこれより、陣を払って退却する」
翌28日の夜。僕の練り上げた謀計は、漆黒の闇の中で静かに発動した。僕は、病に臥せる者や疲れ切った足軽たちを中心に松明を持たせ、意図的に大きな足音を立てさせながら、三井寺の方角へと「退却」を開始させた。
一方で、信長を始めとする織田家の主力――血に飢え、牙を研ぎ澄ませた精鋭部隊たちは、一切の灯りを消し、甲冑の音を殺し、比叡山から三井寺へと続く間道や深い茂みの中に、文字通り息を潜めて「埋伏」した。
氷点下に近い寒空の下、誰一人として声を上げず、ただひたすらに身を伏せて獲物を待つ。それは強靭な意志がなければ不可能な芸当だったが、織田の兵たちは見事にそれに耐えた。右近たちの無念を晴らすための、どす黒い殺意が彼らの体温を保っていた。
僕自身は、空になった大将の本陣に僅かな手勢と共に残り、すべての運命を握る「合図」の役目を担っていた。暗闇の中、僕はじっと比叡山の頂を見上げていた。
――来るか。それとも、見破られるか。
心臓が早鐘を打つ。未来知識があろうと、この瞬間の極度の緊張だけはどうにもならない。だが、僕の読みは歴史の必然として的中した。
山の上から眼下の陣を見下ろしていた浅井長政と朝倉義景は、連なる無数の松明が三井寺の方へと遠ざかっていくのを発見し、狂喜したのだ。
「見よ! 敵は長陣に疲れ果て、ついに寒気に耐えかねたのだ! 今宵、陣払いをして逃げ出すつもりぞ!」
「60日の膠着が、ついに織田の心をへし折ったか! 好機なり、早く追いかけ、逃げる背中を叩き潰せ!!」
彼らの目に映ったのは、空っぽになった陣屋に虚しく焚き捨てられた篝火と、遠ざかる逃兵の明かりだけだった。罠だとは、微塵も思い至らなかったのだろう。彼らは大勝利を確信し、両家の軍兵、さらには比叡山の衆徒たちまでもが、功を焦って我先にと山を駆け下りてきたのだ。
「急ぎ追い詰めよ! 一人残らず討ち取れッ!」
その怒涛のような足音が、地鳴りとなって僕のいる本陣にまで響いてきた。松明の明かりを目標に、息もつかせず押し寄せてくる数万の影。彼らが完全に山を下りきり、僕らが周到に張り巡らせた「死の領域」へと入り込んだのを、冷え切った空気の震えで確信した。
「……掛かったな。」
僕はゆっくりと立ち上がり、用意させていた狼煙に火を放った。夜空に向かって、赤々とした炎が一本の柱となって高く舞い上がる。それが、地獄の開門を告げる合図だった。
直後。山谷も崩れるかと思われるほどの、凄まじい鬨の声が闇夜を切り裂いた。退却したと信じ切っていた浅井・朝倉軍の真横から、暗闇に同化していた織田の大軍が一斉に立ち上がった。
「撃てェェェッ!!」
号令とともに、縦横の区別なく放たれた無数の鉄砲の火線が、夜空を眩い閃光で埋め尽くした。耳をつんざく爆音。直進する鉛玉が、完全に油断しきっていた敵兵の鎧を紙のように貫き、肉を砕き、内臓を撒き散らす。
「な、なんだ!? 敵は逃げたのでは――ぎゃあぁぁぁッ!!」
「伏兵だ! 騙された、退け、退けェッ!」
パニックに陥る敵軍に対し、織田の勇兵たちは一切の慈悲を見せなかった。鉄砲の釣瓶撃ちで混乱した隙を突き、無数の槍衾を作って、思い思いに暗闇の中から突き開いていった。叡山の麓から宇佐山のほとりに至るまでの広大な戦場。そこへ間延びして入り込んでいた浅井・朝倉の大軍は、完璧な奇襲によって七段、八段にも寸断され、完全に指揮系統を喪失した。
もはや戦いではない。純然たる屠殺だった。切り倒し、薙ぎ倒し、槍で貫き、血だまりの中に引きずり込む。討つ数など、もはや誰にも分からない。罠に嵌まったと気づいた浅井・朝倉、そして山門の兵士たちは、完全にうろたえ騒ぎ、我先にと山上へ逃げ帰ろうとした。でも、それがさらなる地獄を生んだ。
数万の人間が、狭い山道へ一斉に殺到したからだ。押し合いへし合い、味方同士で踏み倒し、押し殺し合う。先へ進もうとする者の背中を後ろの者が引き剥がし、倒れた者は無数の軍靴に顔面を踏み砕かれていく。味方の大軍が、却って逃げ道の最大の妨げとなるという皮肉。それはまさに、「網にかかった魚」が陸に打ち上げられ、泥の中でごめくような無惨な有様だった。
その逃げ場を失った人間の群れの中へ、織田の将兵たちが会釈もなく斬り込んでいく。刀が肉を断ち切る鈍い音、断末魔の叫び、命乞いの泣き声。死人の山が幾重にも築かれ、川のようになって流れるおびただしい血が、凍てつく大地を赤黒く染め上げていった。
見下ろす僕の目には、それがひどく美しく、そして吐き気を催すほどにグロテスクに映った。これが、僕が描き出した謀計の結末だ。未来の日本人としての倫理観が、心の奥底で悲鳴を上げている。だが、同時に胸の中の日輪は、この血の生贄を喰らってさらに熱く、激しく燃え盛っていた。
敵の混乱が頂点に達したその時、とどめとばかりに死神の鎌が振り下ろされた。
「一匹たりとも逃すなッ!!」
三井寺の方向へと「退却」したはずの信長自身が、選び抜かれた7,000騎の精鋭を率いて逆落としに突撃してきた。さらに僕も、宇佐山の陣から3,000人を率いて出撃。一度に10,000の軍勢が喚きながら斬り回れば、もはや狼狽して騒ぎ立てる敵兵どもに、前後を顧みる余裕などあるはずがない。
「殺せ! 右近殿の無念、この刃で思い知れッ!!」
抵抗すらできない兵たちを背後から突き刺していく様は、暗闇で寝鳥を撃ち落とすよりも容易い、一方的な蹂躙であった。敵の総大将である浅井長政は、己の武勇を過信して一番に山を下りていたがゆえに、最も深い死地へと取り残されていた。
「……無念! ここまでか!」
幾重にも織田兵に包囲され、すでに討ち死にを覚悟した長政だったが、そこへ家臣の赤尾美作守が自らの身を挺して血路を切り開き、幾多の矢傷を負いながらも長政を救い出した。彼らは泥をすすり、這いつくばるようにして辛うじて山上へと引き上げていった。
一方、朝倉義景はといえば元々、決断の遅い大将であったことが、皮肉にも彼の命を救った。彼がようやく山を下りようとした時には、眼下はすでに血の池地獄と化していたからだ。
「ひ、退け! 急ぎ越前へ戻るのだ!!」
味方を救うという武将としての勇気すら湧かず、義景は這々の体で真っ暗な山道へ逃げ帰っていった。こうして、二つの大軍は完全に切り崩され、散り散りになって暗闇の奥深くへと落失していったのである。
「……深追いは無用だ。山に逃げ登る敵を追う必要は無い」
夜が明け、白み始めた空の下。信長の静かな、しかし絶対的な下知が戦場に響き渡った。敵の脅威は完全に去った。空気を震わせるような勝鬨が、三度、比叡山の麓から琵琶湖の水面へと響き渡る。それは、60日間に及ぶ地獄のような対陣の終わりと、完全なる勝利を告げる雄叫びだった。
信長は宇佐山に本陣を据え、すぐさま討ち取った敵将の「首実検」を執り行った。朝の冷たい日差しの中、血と泥に塗れた無数の生首が、本陣の前にずらりと並べられていく。未来人の僕からすれば正気を失いそうなほどのおぞましい光景だが、この時代の武士たちにとって、それは自らの生き様と誇りを証明する神聖な儀式だ。書記役が、淡々と首帳にその戦果を記していく声が響く。
「柴田修理之進勝家が手に討ち取る首……311」
「池田勝三郎信輝が手に討ち取る首……243」
「佐久間右衛門尉信盛が手に討ち取る首……191」
「丹羽五郎左衛門長秀が手に討ち取る首……187」
「蜂谷兵庫頭賴隆が手に討ち取る首……186」
「前田又左衛門利家が手に討ち取る首……114」
「佐々 内藏助成政が手に討ち取る首……95」
名だたる猛将たちが、どれほど苛烈に敵を屠ったかが、ただの数字となって読み上げられていく。300、200という数字は、ただの数字ではない。一つ一つの数字の裏に、骨を断ち、血を浴び、命を奪った生々しい感触がある。
「……木下藤吉郎秀吉が手に討ち取る首……94」
自分の名と数が呼ばれた時、僕は小さく息を吐き、自らの血塗られた手を見つめた。94の命。僕の采配によって、直接的にその命脈を断たれた者たちの数。謀略によって死に追いやった者を含めれば、その何十倍にもなるだろう。
「稻葉伊豫守良通が手にする首……78」
「明智十兵衛光秀が手にする首……78」
「氏家常陸介入道全が手にする首……34」
「不破河内守時重が手にする首……27」
そのほか、名もなき将兵たちが討ち取った首の数を合わせれば、総数は2,000級にも及んだ。2,000の首。2,000の骸。2,000の絶望。でも、その犠牲の上に立つ織田の諸軍の顔には、もう昨夜までの死に絶えたような愁いは欠片もなかった。
誰もが血の匂いに酔いしれ、己の生き残りと武功を心の底から喜び、勇み立っている。元の陣所へと立ち帰る将兵たちの背中は、誇りに満ちていた。病に臥せっていた者たちでさえ、この絶対的な勝利の熱狂に当てられ、生気を取り戻している。軍威は、対陣していた頃の何十倍にも膨れ上がり、欣然として次なる戦いへと控えるほどに回復していた。
僕は、遠く比叡山の頂を見上げた。冷たい風は変わらず吹いている。だが、僕の胸の中にある日輪は、この血みどろの勝利を経て、一つの揺るぎない覚悟へと結実していた。
僕は、日輪の子だ。未来の平和な倫理観など、この時代ではゴミ屑ほどの価値もない。生き残るため、そしてこの狂った戦国の世に終止符を打つためならば、僕は何度でも泥をすすり、血の雨を降らせてやる。
2,000の首の重みを両肩に背負い、僕は魔王の歩む天下布武の道を、共に、いや、いつかそれを追い越すほどの熱を以て、駆け抜けてみせる。
冷たい初冬の空に、再び織田の勇壮な鬨の声が響いた。僕の新たな戦いは、まだ始まったばかりだった。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
藤吉郎淺井、朝倉勢を破る
さて信長公は淺井、朝倉と對陣數月に及べども、敵は疲れたる色もなく、味方の兵士は寒氣に堪へかね、さらぬだに比叡山おろしの烈しきに、野陣を構へけることなれば、病臥す者少からず。その上このごろは打ち續き味方の勇士討死し、何となく陣中愁ひに沈み物悲しく、みな故鄉を慕ひける。信長この體を御覽じ、かくては味方難儀なるべしとて、木下藤吉郎を召され、「汝先に申せしごとく、一軍はなばなしく合戰をなし、退陣せばやと思ふ間、よろしき手配り致すべし」と仰せければ、藤吉郎謹んで、「臣もさこそ存じ候。いで敵味方の眠を覺まさせ申さん」とて、謀計を信長公へ言上し、十一月二十七日、諸陣に令して軍を収め、退陣の用意をなさせしむ。二十八日の夜に入りて、陣々(じんじん)へみなな謀計を申し含め、勞れたる兵士に松明を持たせ、三井寺の方へ退かしかしめ、信長公は間道より、これも三井寺に餘りの諸將ことごとく陣を開き、所々(しょしょ)に埋伏し、相圖を見て切って出んと構へたり。淺井長政、朝倉義景はこの體を見て、「敵は長陣に疲れ寒氣に堪へかね、今宵陣拂して引退くと覺えたり。早く追い駈け打ち崩せ」とて、兩家の軍兵、山上の衆徒數を盡して山を下り、織田の陣中に入りて見れば、空しく篝のみを焚き捨てて、敵一人もあらざれば、謀計とは思ひもよらず、「さては早く引退きたるものならん。急に追い詰め討ち取れ」と、かの三井寺へ引き取り行く。松明を目的に、息をもつがず追うたりける。木下藤吉郎は大將の本陣に殘り、相圖の役を蒙り居たりしが、淺井、朝倉の兩勢大半山を下りぬと見てければ、用意の狼煙を高く揚ぐるほどこそあれ、埋伏したる織田の大勢一同に發ち立ち、山谷も崩るるばかり鬨の聲を發し、縱橫の嫌ひなく鐵砲を打ちかけ、槍ぶすまを作り、思ひ思ひに突き開き、叡山より宇佐山のほとりまで取り續きたる淺井、朝倉が大勢を、七八段に斷ち切って、切り倒し薙倒し、敵を討つこと數を知らず。淺井、朝倉、山門の兵士ら、うろたへ騷ぎ、われ先に山上へ引き入らんと、押し合ひへし合ひ、踏み倒し押し殺し、味方の大勢却って退く妨げなり、網にかかりし魚のごとくごめく中へ、織田の勇兵會釋もなく切り立つれば、實に死人の山をなし、川のごとく血を流し、見るもいぶせきありさまなり。これを見て大將信長、三井寺より遲兵勝って七千餘騎、宇佐山より木下藤吉郎三千餘人、一度に喚いて切って廻れば、いとどさまへ狼狽へ騷ぐ困兵ども、前後を顧みる者なく、寢鳥を打つより安かりける。淺井長政は一番に山を下りけるが、敵中に取り圍まれ、すでに危ふ見えけるほどに、赤尾美作守勇を奮うて助け出出し、辛じて山上へ引き上げれば、朝倉義景は常々(つねづね)おくれたる大將なれば、このときもいまだ山を下り得ず、打ち出んとするところに、この體の敗軍なれば、味方を救ふ勇も出ず、這ふ這ふ山へ逃げ歸り、兩勢十分に切り崩され、ちりぢりになりて落失せたり。信長下知を傳へて、「山に逃げ登る敵は追ふことなかれ」とて、勝鬨を三度あげ、宇佐山に本陣を居られ、討ち取る首を實檢あり。そのとき首帳に記したる略、左のごとし。
柴田修理之進勝家が手に討ち取る首 三百十一
池田勝三郎信輝が手に討ち取る首 二百四十三
佐久間右衛門尉信盛が手に討ち取る首 百九十一
丹羽五郎左衛門長秀が手に討ち取る首 百八十七
蜂谷兵庫頭賴隆が手に討ち取る首 百八十六
前田又左衛門利家が手に討ち取る首 百十四
佐々 内藏助成政が手に討ち取る首 九十五
木下藤吉郎秀吉が手に討ち取る首 九十四
稻葉伊豫守良通が手に討ち取る首 七十八
明智十兵衛光秀が手に討ち取る首 七十八
氏家常陸介入道全が手に討ち取る首 三十四
不破河内守時重が手に討ち取る首 二十七
そのほか首數二千餘級、諸軍みなみな勇みよろこび、元の陣所へ立ち歸り、軍威以前に十倍して、欣然として控へける。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
https://share.google/AxQqE2xRgf0LcmxAN
絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
蜂屋頼隆は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。織田信長の家臣。近江肥田城および和泉岸和田城主、後に越前敦賀城主。羽柴氏を授けられた後は、羽柴敦賀侍従とも称した。太閤検地の反対派であり、秀吉に検地に関する苦言を3箇条書きだした書状を送っている(『戯言養気集』)。連歌に傾倒しており、里村紹巴・里村昌叱らと交流があり、和歌についても細川幽斎・古田重然らと並ぶ当時の「好士」として挙げられる腕前であったという。出典:wikipedia
マイナー?武将紹介。今話で100以上の首を獲った蜂屋頼隆、信長や秀吉といった天下人から何度も城主に任命された武将です。それって超優秀ってことらしいです。私、この武将知りませんでしたけどw




