2-34 散りゆく鬼神、魔王の紅涙
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
冷たい初冬の風が、再び戦場を吹き抜ける。胸の中の日輪が、彼らの壮絶な覚悟に応えるかのように、ギリリと熱く痛んだ。
60日の停滞を破る、決死の夜襲。この奪われた兵糧と、堅田に残った500の命の灯火が、長きにわたる元亀の対陣の「終わり」を告げる、血塗られた号鐘となることを、僕はまだ知る由もなかった。
――後に、生き残った乱破や堅田の者たちが震える声で語ったその光景は、凄惨という言葉すら生易しい、真の地獄絵図であったという。
圧倒的な質量をもって押し寄せる朝倉・浅井の5,000の大軍に対し、退路を断ち、文字通りの「死兵」と化した坂井右近と500の兵たち。彼らの抵抗は、常軌を逸していた。波打ち際で繰り広げられた乱戦は、すぐに陣形も何もない、泥と血にまみれた殺し合いへと変貌していった。冷たい琵琶湖の水は赤黒く濁り、そこかしこで臓物が浮かび、絶叫と鉄の打ち合う音が比良の山々に木霊していた。
その狂気の渦中で、一際凄まじい死闘を繰り広げていた者たちがいる。夜襲の案内役として同行し、本来ならばこの死地に残る義理など微塵もなかった堅田の力者たち――居初又治郎、猪飼甚助、馬場孫次郎である。彼らは、不器用なまでに己の誇りを貫こうとする坂井右近の背中に、理屈ではない「漢の意地」を見てしまっていた。だからこそ、逃げなかった。
「うおおおおッ!!」
真っ先に敵陣へと突っ込んだ居初又治郎の前に立ち塞がったのは、浅井家の剛の者、赤尾勘助。互いに名乗りを上げる余裕などない。又治郎の槍と勘助の槍が、凄まじい速度と重さで交錯する。火花が散り、柄が軋み、互いの息遣いが白く凍りつく空間で、二人は半時(約一時間)にも及ぶ壮絶な一騎討ちを繰り広げた。一時間もの間、全力で巨大な質量を振り回し続ける。それは人間の肉体の限界をとうに超える所業だ。肺は焼け焦げるように熱く、腕の筋肉は断裂し、握力はとうに失われていた。それでも気力だけで槍を突き出していた又治郎だったが、武士として修練を積んできた勘助の執念が、ほんの僅かに上回った。
「……ガ、ハッ!」
又治郎の足が泥に滑った一瞬の隙。勘助の冷たい穂先が、又治郎の胸板を深々と貫き、その屈強な肉体を絶命させた。
「又治郎ォォォッ!!」
盟友が血を吐いて倒れるのを見た猪飼甚助は、獣のような咆哮を上げて勘助へと躍りかかった。勘助も即座に槍を引いて迎え撃とうとしたが、又治郎との一時間に及ぶ死闘は、確実に彼の肉体を蝕んでいた。又治郎の最期の一撃を躱した際に負った右腕の傷が、致命的な痛手となって槍の操作を鈍らせたのだ。
「……チッ、もはや槍は振れぬか!」
勘助は歴戦の武士らしく、瞬時に自らの不利を悟った。彼は重くなった槍を湖水へと投げ捨てると、凄まじい気迫で甚助の懐へと飛び込み、素手での組討ちに持ち込んだ。互いに大柄な壮士。泥と血の混じった浅瀬で、二人は獣のように上になり下になり、首を絞め、目を抉ろうとし、歯を立てて殺し合った。だが、右腕の傷から止めどなく血を流す勘助の力は次第に衰え、ついに甚助の渾身の力によって泥の中に沈められ、討ち取られた。
しかし、局地的な勝利など、何の意味も持たないほどの絶望的な数だった。盟友の敵を討った甚助も、直後に無数の槍に串刺しにされて絶命。奮戦していた馬場孫次郎も、右近の忠実な郎等である浦野源八郎も、次々と群がる敵の波に飲まれて命を散らしていった。
もちろん、ただで死んだわけではない。敵の勇士である堀平左衛門、中野圭之丞、浅井新七、田辺平内といった名のある将たちも、決死の反撃によって次々と乱軍の中で首を刎ねられ、共に地獄への道連れとなった。誰も彼もが死んでいく。味方も、敵も。やがて、堅田の岸辺から、織田の兵たちの雄叫びが完全に消え失せた。
ただ一人。死屍累々の泥濘の真ん中で、全身を朱に染め上げた坂井右近だけが、静かに荒い息を吐きながら立っていた。大太刀の刃は幾度も人を斬ったことで脂にまみれ、刃こぼれでノコギリのようになっている。兜の緒は切れ、鎧の隙間からは夥しい血が流れ落ちている。もはや立っていることすら不思議なほどの重傷だ。
周囲を見渡せば、500の味方は誰一人として残っていない。動く者はすべて敵。数千の朝倉・浅井の兵たちが、たった一人の血まみれの武将を取り囲み、そのあまりの鬼気迫る姿に、誰一人として不用意に近づけずにいた。
「……良い敵は、おらぬか」
右近の唇から、血の泡とともに低い声が漏れた。名もなき雑兵の槍で死ぬつもりはない。最後に相応しい、己の命を預けるに足る武将の首を手向として、地獄へ逝く。その凄絶な殺気が、周囲の空間を凍てつかせていた。
「――越前朝倉が家臣、前波右衛門! 推して参る!!」
兵の輪を割り、一人の大柄な武将が進み出た。朝倉家でも屈指の勇夫として知られる男だ。右近の放つ死の空気に呑まれることなく、静かに、だが確かな殺意をもって長槍を構える。それを見た右近の顔に、血の汚れに塗れた壮絶な笑みが浮かんだ。彼は、血を吸って重くなった大太刀をゆっくりと正眼に構え直す。
「……優しい敵の振る舞いであるな。名乗り、見事なり」
右近の声は、ひどく澄んでいた。
「織田信長が家の子に、斯かる者ありと知られたる……坂井右近 正尚が、最期の道連れ。相手は選ばぬ、いざ来れッ!!」
二人の将が、真っ向から激突した。周囲の数千の兵たちは、もはや手出しをすることすら忘れ、ただ二人の死闘を息を呑んで見守るしかなかった。それほどまでに、両者の戦いは神懸かっていた。半時。己の命の残滓をすべて燃やし尽くすような、極限の打ち合い。右近の凄まじい踏み込みが大太刀を走らせ、前波の繰り出す鋭い槍の刺突を弾き飛ばす。何度目かの交錯の末、右近の刃こぼれした太刀が、ついに前波の槍の柄を真っ二つに切り折った。
「しまったッ!」
武器を失い、とっさに腰の太刀に手をかけようとした前波。だが、右近の動きのほうが一瞬早かった。
「シィッ!」
袈裟懸けに振り下ろされた右近の太刀が、前波の兜の真っ向を三寸(約9cm)ばかり叩き割った。兜の鉄を断ち切り、頭皮を裂く一撃。前波の額から噴き出した鮮血が、彼自身の両目を塞ぎ、視界を完全に奪った。勝負あった。誰もがそう思った瞬間、前波右衛門の勇夫たる意地が爆発した。
「おおおおッ!!」
目が見えぬまま、前波は捨て身で両手を広げ、右近の血まみれの鎧へと組みついたのである。二人は再び湖畔の泥へと倒れ込み、力限りに揉み合った。だが、頭を割られ、致命傷を負った前波の力は長くは続かない。マウントを取った右近が、組み敷いた前波の首元へと短刀を突き立て、ついにその首を搔き切った。
「……見事なり、前波」
右近は、前波の首を泥の上に置き、ゆっくりと立ち上がろうとした。だが、膝が笑い、体が鉛のように重い。先程までの神懸かった力が嘘のように抜け落ちていくのを感じた。手足の感覚はない。出血は致死量をとうに超えている。自分の肉体が、もはや数歩歩くことすらできない「限界」を迎えたことを、彼は誰よりも正確に悟った。
「……ここまで、か」
数千の敵が、静かに彼を見つめている。右近は、手にした太刀を泥に突き立てると、重い鎧の紐をゆっくりと解き始めた。そして、冷たい初冬の風が吹き抜ける湖畔で、静かに正座をした。焦りも、恐怖もない。あるのは、やり遂げた者だけが持つ、透き通るような静寂だけだった。姉川での失態の記憶は、もはや彼の心を縛ることはない。彼は己の血と命をもって、すべての恥辱を雪いだのだから。
右近は、残された僅かな力で短刀を抜き放つと、自らの腹へと深く突き立て、真一文字に掻き切った。内臓がこぼれ落ち、彼の体が泥の上に崩れ落ちる。堅田の浦に屍は晒せど、その壮絶なる生き様と死に様は、坂井右近正尚という名を、深く、消えることのない傷跡のようにこの世に刻みつけた。
「――右近が、戻らぬだと?」
その頃。坂本の本陣では、奪った兵糧を満載した船団の中に坂井右近の姿がないことに、信長様が異変を察知していた。僕が血相を変えて報告に走った時、信長の表情から、普段の冷徹な魔王の仮面が完全に剥がれ落ちていた。
「右近殿は、後続の我らが到着するまで堅田を死守すると……! 殿、急ぎ救出の兵を!!」
「……馬鹿な男め! たかが500で何ができるというのだ!」
信長は、かつて見たこともないほどに声を荒らげ、床几を蹴り飛ばした。その瞳の奥には、確かな焦燥と、腹心の部下を失うことへの痛切な恐怖が揺らいでいた。
「佐久間! 稲葉! お前たち両名で5,000の兵を率い、今すぐ船に乗れ! 何としても、右近を救い出して帰れッ!!」
「ははッ!!」
佐久間信盛と稲葉一鉄の両将は、信長様の悲痛なまでの叫びを背に受け、慌ただしく兵をまとめると、急いで船に乗って堅田の浦へと船を漕ぎ出させた。僕も、居ても立っても居られず、彼らの船に同乗した。冷たい風が頬を打つ。船足がもどかしい。現代のエンジンボートなら数分で着く距離が、永遠のように遠く感じられた。
「間に合え……間に合ってくれ……!」
僕は祈った。転生してからというもの、幾多の死を見てきた。だが、あんな不器用で、誇り高い男を、こんな冷たい泥の中で死なせたくはなかった。しかし。僕らが堅田の浦へと辿り着いた時、そこに敵の姿はなかった。朝倉も、浅井も、用は済んだとばかりにとうに比叡山へと引き揚げていた。
残されていたのは、静寂だけ。血で赤く染まった波打ち際と、夥しい数の無惨な骸。そして、その中央で、自らの腹を十文字に切り裂き、安らかな顔で絶命している坂井右近の亡骸だけだった。
「……右近、殿……」
佐久間信盛も、稲葉一鉄も、言葉を失い、ただ崩れ落ちるようにその場に膝をついた。僕もまた、泥の中に立ち尽くし、冷え切った右近の体に触れることすらできなかった。どうすることもできない。圧倒的な「死」という現実の前に、未来知識など何の役にも立たない。僕らは無言のまま、右近と、彼と共に散った500の勇士たちの亡骸を船に乗せ、坂本の本陣へと引き返した。
本陣に、重く、苦しい沈黙が降りていた。泥と血にまみれた右近の遺体を前に、信長は床几からゆっくりと立ち上がり、その場に膝をついた。普段ならば、感情を押し殺して冷徹に振る舞うはずのその男が、右近の冷たい頬にそっと手を触れ、肩を震わせていた。
「……馬鹿者が」
絞り出すような声だった。その瞬間、信長の目から、大粒の涙が溢れ落ちた。ただの涙ではない。悲哀と悔恨に満ちた、血を絞るような「紅涙」だった。
「……股肱を失えり」
大切な手足を、右腕を失ってしまった。信長のその嗚咽にも似た悲鳴を聞いた瞬間、陣屋にいた佐久間も、稲葉も、柴田も、歴戦の勇士と呼ばれる屈強な将兵たちが皆、堪えきれずに声を上げて泣き崩れた。冷たい雨の降る本陣は、深い哀悼の慟哭に包まれた。
僕も、末席で泥にまみれた自分の手を見つめながら、静かに涙を流していた。これが、戦国時代なんだ。教科書に載っている数行の記述の裏には、こうして血を流し、臓物をぶちまけ、己の誇りのために死んでいく生身の人間たちがいる。そして、冷酷非情と呼ばれる魔王でさえも、部下の死に血の涙を流して慟哭するのだ。
胸の中の日輪が、これまでにないほどに重く、熱く脈打っていた。ただ未来知識を使って上手く立ち回り、生き延びればいい。そんな転生者の浅薄な考えは、右近の壮絶な死と、信長の紅涙を前にして完全に砕け散った。
僕はこの時代で、この命の重さをすべて背負って生きていかなければならない。右近の命が繋いだこの道。彼が己の命と引き換えに奪い取った兵糧と、60日の膠着を破るという「戦局の流動」。そのすべてを無駄にしないために。
「……見ていてくれ、右近殿」
僕は涙を拭い、小さく、しかし決して消えることのない決意を胸に刻んだ。この泥まみれの狂った世を、必ず僕が終わらせてみせる。天下布武という果てしない道のりを、僕がこの手で、必ず押し進めてみせるのだと。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
坂井右近、淺井、朝倉と堅田の浦に戰ふ(三)
中にも居初又治郎は、淺井の家士赤尾勘助と槍を合せ、半時ばかり戰ひが、居初には力盡き、勘助ために突き殺さる。これを見て猪飼甚助走り來り勘助と戰ひけるが、勘助居初を討ちしとき、右の腕首をしたたかに突き通され、戰ひ心に任せざれば、「いざや組まん」と槍投げ捨て、甚助に組み附きたり。互いに劣らぬ壯士なれば、しばらく勝負も見えざりけれど、勘助痛手を負ひぬれば、終に叶わず甚助に討たれけり。そのほか坂井方馬場孫次郎、浦野源八郎も討死しければ、敵の勇士堀平左衛門、中野圭之丞、淺井新七、田邊平内ら、みなみな亂軍の中に斬られけり。坂井右近は、このときまでも勇氣たゆまず、切り廻って戰ひけるが、味方の兵士ことごとく討死しけると見えて、續いて來る者一人もなし。よき敵がな、討ち死せんと、四方を白眼みて控るところに、朝倉の勇士前波右衛門と名を名り、右近を目掛け討ってかかる。右近鎧の元まで血に染みたる大太刀を打ち振って、「やさしき敵の振舞ひかな。信長が家の子にさる者ありと知られたる、坂井右近正尚が最期の道連れ、相手は選ばぬ、いざ來れ」と、人まぜもせずただ二人、半時ばかり戰ひけるが、坂井が切り込む太刀先に、前波が槍を切り折られ、太刀に手をかけ抜かんとするを、右近たたかひて切り附くれば、兜の眞向三寸ばかり切り割られ、目に血がかかって開くこと能はず。されども前波聞こゆる勇夫なれば、大手をひろげ組み附きて、上になり下になり、力限も揉み合ひしが、前波大事の手負なれば、組敷かれて、右近に首を取られけり。右近も今は力勞れ、ふたたび戰ふこと叶わず、右近に首を取られけり。右近も今は力勞れ、ふたたび戰ふこと叶わず、と覺えければ、鎧脱ぎ捨てて、靜かに腹をかき切りて、堅田の浦に屍は肆せど、名を今の世に殘しける。このとき信長公は、坂井右近敵の兵糧を襲ひ取り、堅田の浦に宿陣せしと聞こ召し、大に驚き、「佐久間信盛、稻葉一徹兩人五千餘人、坂井を救ひ歸るべし」と命じ給へば、兩將かしこまって船に取り乘り、堅田をさして急ぎけるに、はや淺井、朝倉の勢退散し、坂井主従ことごとく討死しければ、すべき樣なく、そのまま引き返し、このむね大將に言上しければ、信長長く惜しみ給ひ、「われ股肱を失へり」と紅淚を流し歎き給へば、一座の勇士強卒も、ともに袂を絞りける。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
https://share.google/AxQqE2xRgf0LcmxAN
絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
志賀の陣は、元亀元年(1570年)9月16日から12月17日にかけて発生した、織田信長と浅井長政、朝倉義景、比叡山延暦寺の戦いをいう。信長は拠点は守りきったものの、当初の目的である野田・福島攻めを中断された上、弟の信治・信興や家臣の森可成、坂井政尚といった武将を失う結果に終わった。一方の朝倉義景は、信長を追い込みながら、豪雪のために撤退することになり、領土を得ることはできなかった。また、延暦寺はこの戦いにおいて信長の通告を無視して浅井・朝倉方についたことが翌年の比叡山焼き討ちにつながることになる。出典:wikipedia




