2-28 城を落としたのは、言葉だった
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
「……さあて、次はどんな無理難題が降ってくることやら」
僕は兜の緒を締め直し、血の匂いが立ち込める夜の姉川から、燃えるような眼差しで天下の空を見上げた。
――明けて翌日。姉川での激戦の熱も冷めやらぬまま、戦国という名の盤面は休むことなく動き続けていた。織田・徳川連合軍の前に完全な敗北を喫した浅井・朝倉の両軍。大軍をすり潰された朝倉勢は、もはや戦線を維持する力もなく、尻尾を巻いて本国の越前へと撤退していった。一方、義兄・信長に弓を引いた浅井長政は、手負いの獣のように自らの居城である小谷城へと逃げ込み、堅く門を閉ざした。これにより、浅井側の重要な防衛拠点であった『横山城』は、完全に孤立無援の状態に陥ってしまった。
横山城に籠もっているのは、浅井家の将である大野木佐渡守、野村肥後守、三田村左衛門尉らを中心とした手勢。彼らは姉川での本隊敗北の報を聞き、もはや援軍が来る希望がゼロであることを悟り、城内で深く絶望し、目に見えて士気を落としていた。この横山城を包囲していたのは、信長の弟である三十郎信包を大将とし、丹羽五郎左衛門、不破河内守らが率いる3,000人の織田軍である。そこへ――姉川の戦いで獅子奮迅の働きを見せた僕が、新たに2,000騎の元気な手勢を引き連れて、大手の方へと堂々たる進軍をかけて合流したのだ。
都合、6,000人の大軍勢。僕は全軍に対し、「思い切りデカい声を出せ」と指示を出した。
「「「オオオオオオオオオッ!!」」」
大山も崩れるばかりの凄まじい鯨波。数千人が一斉に発する威圧は、物理的な振動となって横山城の城壁を揺らした。城の中に立て籠もる兵士たちは、この圧倒的な暴力の気配に震え上がり、「もうダメだ」「いつ逃げ出そうか」と、戦う前から逃亡準備を始める有様だった。
(……よしよし。これで城兵のメンタルゲージは残り1割ってところだな)
僕は城の堀際ギリギリまで愛馬を乗り出すと、前世で鍛えた腹式呼吸をフル活用し、大声で城に向かって降伏勧告を叩きつけた。
「おーい! 城の中の者たち、よく聞けェ! 頼みの綱だった朝倉と浅井の両軍は、昨日、木端微塵になって逃げたぞ! 今さら誰をあてにして籠城なんて無駄なことをやってるんだ!我らが信長公は、仁愛をもって天下を征するお方だ! お前たちが今まで浅井に尽くした忠義は立派だとお認めになっている。今すぐ城を開いて立ち退くなら、特別に全員の命を助けてやると仰せだ! 無駄死にしたくなければ、開城せよ!!」
僕の声が城内に響き渡ると、ざわ……ざわ……と城兵たちの動揺が広がるのがわかった。しかし、浅井の意地を見せようとする者が一人、物見櫓の上に姿を現した。城将の大野木佐渡守である。彼は顔を真っ赤にして激怒し、僕に向かって怒鳴り返してきた。
「黙れ、猿めッ! 一時の勝敗で調子に乗るな! 長政様は一度敗れたとはいえ、現然として無敵の小谷城を守っておられる! 我らが長政父子の命令もなく、いかんで城を開き、おめおめと逃げ出せようか!貴様ら、仮初の勝利に傲り、みだりに大言壮語を吐くでないわ! 見よ、長政様がすぐに英気を養い、信長にカウンターを決めてくださる! その時になって、貴様らこそ我らに泣きついて降参を願うことになるのだ! その時は俺がよろしく取りなしてやるから、今は大人しく帰れ!!」
完全に虚勢である。だが、傍若無人に罵ってくる大野木の言葉に、僕の背後に控えていた織田の従兵たちはブチギレた。
「あの野郎、悪言を吐きやがって!」
「藤吉郎様! あんな奴ら、一揉みに蹴散らしてやりましょう! オラァッ!」
血の気の多い味方たちが、一同にどっと駆け寄って城に突撃しようとする。僕はそれを手で制し、「待て待て、怒るな」となだめると、わざと城まで聞こえるような声で、腹の底から大笑いしてみせた。
「アッハッハッハッ! いやいや、傑作だ!」
僕は馬上で腹を抱え、大野木を指差した。
「おい大野木! 俺はお前たちを忠勇の武士だと思って、信長様の慈悲で助けてやろうとしたんだが……とんだ見当違いだった! お前、日本無双の『臆病者』じゃないか!」
「な、なんだとォ!?」
「図星だろうが! お前が城を開かないのは、忠義なんかじゃない! 城を出たら、俺たちに騙されて外で殺されるんじゃないかって、ビビり散らかしてるだけだろうが!」
僕の容赦ない心理攻撃に、大野木の顔が青ざめる。
「本当に勇者なら、こんな援軍も来ない詰み確定の城を守るより、さっさと開城して主君の元へ駆けつけるはずだ! もし城を出た後に俺たちが約束を破って襲いかかってきたら、その時に全力で蹴散らして死ねばいいだろう! 何が難しいんだ!わずかな小城に引きこもり、絶対に来ない味方の援軍を妄想して、網にかかった魚のように居ながらにして餓死を待つ……。そんな思考停止したバカと、これ以上言葉を戦わせるのも時間の無駄だ!」
そして僕は、大野木から視線を外し、城内にいる無数の『名もなき雑兵たち』に向かって大声を響き渡らせた。
「城中の兵士たちよ! 僕の言葉を聞け!お前たちの命だ、あんな臆病な主将のメンツに付き合う必要はない! 心次第、自分の判断で城から逃げ出せ!信長公の厳命により、逃げていく者に対して、途中で危害を加えることは一切しないと誓う! たった一人の臆病な指揮官のせいで、城中の全員が巻き添えになるなんて、あまりにも不憫だからな! わざわざ逃げ道を教えてやったんだぞ!」
完璧な扇動だった。ただでさえ援軍の絶望と恐怖でメンタルが削られていた兵士たちの心に、僕の「お前たちは悪くない、逃げていいんだ」という免罪符がクリティカルヒットした。
「……お、俺は嫌だ! ここで餓死なんてごめんだ!」
「逃げよう! 降参だ!!」
城内は瞬く間にパニック状態に陥った。兵士たちは武器を放り捨て、塀を越え、堀を泳ぎ渡り、「降参、降参!」と喚きながら、我先にと織田の陣営へ向かって逃げ出してきたのだ。その数は50人、100人とあっという間に膨れ上がり、城の防衛システムは内部から完全に崩壊した。
「き、貴様らッ! 逃げるな! 戻れェェェッ!」
大野木佐渡守は怒り狂い、刀を振り回して様々な下知を叫んだが、もはや誰の耳にも届かない。ついに大手の城戸が開け放たれ、城兵の大半が逃げ去ってしまった。
「……おのれぇぇ! 小賢しい猿めぇぇぇッ!!」
もはやこれまでと悟った大野木は、恥と怒りに耐えかね、残されたわずか二百余人の狂信的な手勢だけを引き連れ、城門から打って出た。狙うはただ一つ、僕の首のみ。真一文字に突撃を仕掛けてきたのだ。
「フン、遅いよ。全軍、包囲殲滅!」
僕が冷たく手を振り下ろすと、待ち構えていた木下勢が四方から大野木部隊を取り囲んだ。近代的な陣形訓練を受けた僕の手勢の前に、感情任せの特攻など通用するはずがない。悲鳴と怒号が交錯する中、一騎も残さず、大野木の兵たちは切り捨てられていった。無惨なるかな。大野木佐渡守もまた、乱軍の中で無数の槍に貫かれ、血を吐いて討ち死にしたのであった。
この一方的で凄惨な結末を城内から見ていた野村肥後守と三田村左衛門尉は、完全に心が折れていた。彼らも浅井家では勇士と聞こえのあった武士だが、眼の前であっさりと大野木が討ち死にした恐怖、そして僕の心理戦の前に、戦意を喪失してしまった。
「……降伏いたします。城をお渡しするゆえ、どうか命ばかりは……」
彼らは白旗を上げ、一同に降参して城を明け渡した。
僕は約束通り、城に入っても兵士や民を一人も害することなく、武器を取り上げてことごとく許してやった。降伏した者たちは皆、涙を流して喜び、小谷城を目指して落ち延びていった。こうして、浅井の重要拠点『横山城』は、大した味方の損害(リソース消費)を出すこともなく、あっけなく落着した。
僕はすぐさま、使者を飛ばして信長にこの旨を注進した。報せを受けた信長は、「でかした猿! この勢いに乗じ、一気に小谷の城を攻め、長政父子の息の根を止めてくれるわ!」と、最終決戦(ボス戦)の用意を始めた。
しかし――歴史のシナリオは、そう簡単にはプレイヤーの思い通りに進ませてはくれない。
「申し上げます! 四国の三好一党が、またまた軍勢を催し、都(京都)を攻めんと摂津まで出張して参ったとの風聞にございます!!」
伝令の報告に、本陣の空気が凍りついた。三好三人衆の逆襲。信長が近江の浅井・朝倉にかかりきりになっている隙を突いた、絶妙なタイミングでの多正面作戦だ。帝都を押さえられれば、織田の天下布武という大義名分が根底から崩れてしまう。長政をあと一歩のところまで追い詰めながらも、信長は苦渋の決断を下した。
「……チッ。小谷攻めは一時中断だ。全軍、京都へ向けて撤退する」
だが、手に入れたばかりのこの横山城を空っぽにして帰れば、再び浅井に奪い返されるのは火を見るよりも明らかだ。
「横山の城は、越前や小谷から我が領国を狙う際の『喉首』となる最重要拠点だ。凡庸な武将では到底守りきれまい……」
信長様は鋭い視線で諸将を見渡し、そして、その目を僕にピタリと止めた。
「猿。お前を、この横山城の城代に命ずる」
「――は、ははァッ!!」
僕は泥にまみれた額を地面に擦り付けながら、胸の中で歓喜の雄叫びを上げた。城代。それは事実上の『一城の主』である。
農民の子、日吉丸として転生し、草履取りから這い上がってきた僕が、ついに信長の直轄城を任されるまでの地位を手に入れたのだ。僕はすぐさま、元々の自分の居城である長浜の城には、僕の頭脳である竹中半兵衛重治と、頼れる身内・浅野弥兵衛の二人を守りとして残す手配をした。
さらに信長は、浅井の剛将・磯野丹波守が未だ居城としている佐和山城の牽制として、百々屋敷という場所に新たに前線基地を構えさせ、そこに重鎮・丹羽五郎左衛門を籠もらせた。浅井を完全に封じ込めるための、万全の防御陣形である。すべての処理が整った6月29日。信長は近江国を立ち、美濃の岐阜城へと足早に帰城していった。
夕日に赤く染まる横山城の天守。僕はそこから、眼下に広がる近江の広大な景色を見下ろしていた。心地よい初夏の風が、汗と泥にまみれた頬を撫でていく。
胸の中の日輪が、確かな熱を持って僕を焦がしている。戦国のエンディングに向かって、僕の新たな物語が、今まさに幕を開けようとしていた。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
橫山落城
淺井、朝倉の兩勢、信長のために討崩され、朝倉は本國へ、淺井勢は小谷の城へ引取りければ、橫山の城に籠もりし大野木佐渡守、野村肥後守、三田村左衛門尉ら、今は後詰の勢もなく、力を落し、堪へがたくぞ見えける。この城を押への大將は、三十郎信包、丹羽五郎左衛門、不破河内守ら、三千餘人にて圍みける。木下藤吉郎秀吉新たにまた二千餘騎の勇兵を引率し、大手の方へ攻め來り、都合六千餘人の軍勢、大山も崩るばかり鯨波の聲を發し、攻めかからんず勢をなせば、城兵どもも恐れをののき、落ち支度の用意をなす。
ときに木下藤吉郎追手の堀際に馬を乘り出し、大音にて申しけるは、「朝倉、淺井の兩軍、粉のごとくなりて逃げ失せたれば、今は誰をたののみに籠城せるや。信長公は仁愛を以て天下を征し給へば、汝らが忠志を感じ給ひ、城を開き落ち行くならば、命は助け給ふべし。はやはや開城すべし」と罵りければ、城將大野木佐渡守矢倉に現はれ、大いに怒り答へけるは、「心の勝敗は剛臆によるべからず。長政敗軍せりとへども、現然として小谷の城を守れり。われわれ長政父子の命なくして、いかんでや城を開き、おめおめと落ち行くべき。汝ら假初なる勝利に傲り、みだりに大言を吐くことなかれ。見よ見よ長政英氣を養ひ、信長に泡を吹かせん、そのとき汝ら我にたより降參を願ふべし。よろしくとりなし得さすべし」と、傍若無人に罵りける。木下が從兵大いに怒り、「憎き敵の惡言かな」一揉みに蹴散らされ、一同にどつと駈け寄るを、木下制し、大いに笑ひ申しけるは、「わ(わ)れららを忠勇の者と思ひ、信長の仁心をおしひろめ、退城せば助けんと思ひしに、日本無雙の臆病者にてありけるよな。いま城を開き退散せば、城外にて害せらるべしと思ふなるべし。まこと勇ある丈夫なりせば、詮なき城を守らんより、開城して主人を助け、もし敵に害心あらば、蹴散らして捨てん、何のかたきことあらんや。わづかなる小城を守り、味方の後詰をためし、網にかかりし魚のごとくに、居ながら死を待つ不覺者には、言葉戰ひも益なし。いかに城中の軍兵、たしかに我が言を承われ。城みな主將にかかはらず、心次第思ひに落ち行くべし。信長公の御下知に、途中において少しも妨げあるべからず。ただ一人の臆病に障へられ、城中殘らず餓死せんこと、さらに便なきことなれば、わざわざ命を傳ふるなり」と、生え得たる大音にて響きわたつて演べたりける。これを聞いて、いとどさへ勇氣たるみし士卒ども、塀を越え堀を渡り、「降參、降參」と呼ばりて、われ先にと落ち行くほどに、大野木佐渡守大いに怒り、さまざま下知すれども、耳にもさらに聞き入れず、終に大手の城戶を開き、五十騎百騎落ち行くにぞ、大野木いまは堪へがたく、手勢わづかに二百餘人、眞一文字に秀吉目がけて切つて出たり。待ち設けたる木下勢、四方より取り圍み、一騎も殘さず斬り捨てたり。無慙なるかな、大野木佐渡守、乱軍の中に討死す。この體を見て、城に殘りし野村、三田村、さしも勇士の聞こえありし武士なれども、眼前大野木が討死に恐怖して、みな一同に降參し、城を開き渡しけり。秀吉城に入つて一人も害することなく、ことごとく免しければ、皆よろこび小谷をさして出行きける。
ここにおいて橫山の城事なく落著し、このむね使を以て信長公に注進す。信長公は「この勢に乘じ、小谷の城を攻め、長政父子を討ち取るべし」と、その用意をなし給ふに、四國三好の一黨、またまた軍勢を催し、都を攻めんと攝津まで出張せしよし風聞しければ、これまた由々(ゆゆ)しき大事なれば、「橫山の城は、越前よりの咽喉なれば、尋常の士の守りがたき場所なり」とて、木下藤吉郎を以て城代となし、木下が居城長濱の城には、竹中半兵衛重治、淺野彌兵衛兩人に守らせ、なほ佐和山には淺井の剛將、磯野丹波守居城すれば、押への勢なくては心もとないとして、百々屋敷といふところに城を構へ、丹羽五郎左衛門を籠もらせ置き、萬の手當ととのひければ、六月二十九日江州を立ちて、美濃の岐阜へぞ歸城せられる。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
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絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
織田信包は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。丹波国柏原藩初代藩主。信包系織田家初代。織田信秀の4男(異説あり)で、織田信長の弟。通称は三十郎。「信包」を称したとされるが、自署で確認できる名は「信良」および「信兼」である。なお、一時長野工藤家に養子に入り17代当主となっていた。織田信秀の四男(異説あり)。従三位、上野介、民部大輔、左中将。子に寿圭。出典:wikipedia
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