2-27 忠臣、最期の一刺し
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
まさに地獄だった姉川の合戦は終わった。だが、これはあくまで戦国乱世という果てしない狂気の、ほんの序章に過ぎない。僕は血まみれの指先をギュッと握りしめ、次なる歴史のうねり(シナリオ)に向けて、静かに闘志を燃やすのだった。
――なんて、少しばかりヒロイックに黄昏ていた僕だったが、戦国時代の現実は、余韻に浸る時間すら与えてはくれなかった。
姉川の河原に急造された織田軍の本陣。そこでは、合戦の事後処理ともいうべき最も凄惨なイベント、すなわち『首実検』が執り行われていた。夕闇が迫る中、煌々(こうこう)と焚かれた篝火に照らし出されるのは、討ち取られた浅井・朝倉軍の武将たちの生首である。鼻を突く血と泥と臓物の匂い。勝利に酔いしれ、己の武功を大声で主張する織田の兵士たちの熱気。その狂騒の中心には、床几に腰掛けた魔王・織田信長がいた。
数万の血が流れた大激戦の直後だというのに、信長はまるで退屈な茶会にでも参加しているかのように、悠々(ゆうゆう)と、そして冷徹に、並べられた首の山を見下ろしていた。
「……ふん。雑魚の首ばかりよ。長政の首はどこだ」
不機嫌そうに扇子を鳴らす信長の周囲には、近習たちがピリピリとした空気を放って控えている。
僕も、自軍の被害状況の集計を終え、本陣の末席で控えていた。体力ゲージはとうにゼロを振り切り、立っているだけで意識が飛びそうだったが、ここで気を抜けば、いつどこで流れ弾が飛んでくるかわからない。その時だった。僕の脳内の前世記憶が、ふいに警鐘を鳴らした。
(……待てよ。姉川の戦いの終盤。首実検の最中。たしか、歴史の教科書には載らないレベルの、とんでもない『暗殺未遂』があったはずだ……!)
僕がハッとして本陣の入り口へと視線を向けた、まさにその瞬間。一人の「異様な兵士」が、ふらふらと本陣のゲートを潜り抜けてくるのが見えた。
「よ、よき首を取りて候……! 大将の、実検に入れ奉らん……! 大将は、いずれにおわしますか……ッ!」
大声で叫びながら歩み寄ってくるその男の姿は、あまりにも不気味だった。乱れ髪を顔の前にばらりと垂らし、表情は泥と血で判別できない。その右手には、誰のものとも知れない生首が一つ、無造作に提げられている。見た目は、手柄を立てて興奮状態にある名もなき雑兵。事実、周囲の織田兵たちは「おお、また首を持ってきた奴がいるぞ」「大将ならあそこにおわすわ!」と、何の警戒もせずにその男に道を譲ってしまっていた。
(……違う! あいつはただの雑兵じゃない!!)
僕の背筋に、氷のような悪寒が走る。あの男。あの殺気。そして、この絶望的なタイミングで信長の前に直行しようとする狂気。間違いない。昨日、浅井の陣で「信長と刺し違える」と豪語していたという、あの男だ。
浅井長政の絶対的功臣にして、浅井家一の智将――遠藤喜右衛門。彼は今日という日を「己の死に場所」と定め、凄まじい勇気と威勢で戦場を駆け回っていた。だが、圧倒的な織田・徳川連合軍の前に味方は総崩れとなり、もはや戦局を覆すことは不可能だと悟ったのだ。普通なら、ここで切腹するか、名乗りを上げて玉砕するかの二択である。しかし、喜右衛門は違った。
(……浅井の滅亡が確定したというなら、せめて……せめてこの命と引き換えに、あの魔王の首だけは道連れにしてやるッ!!)
彼は自らの顔を泥と血で汚し、乱れ髪で素顔を隠し、その辺に転がっていた生首をアイテムとして拾い上げ、あえて敵陣のど真ん中へと潜入したのだ。「首実検」という、誰もが血の匂いと生首に麻痺しているこの瞬間を突く、完璧にして狂気的な暗殺プラン。
「大将は……大将はどこだ……!」
喜右衛門は、難なく本陣の最深部まで歩みを進めた。そして、篝火の向こう。床几に悠々と腰掛ける信長の姿を視界に捉えた瞬間、喜右衛門の双眸に歓喜の光が宿った。
(……見つけた! あれが、信長ッ! これなら、届くッ!!)
彼は一目散に、信長へ向かって馳せ寄ろうと筋肉を弾かせた。距離にして、あと十歩。あと五歩。僕が「危ない!」と叫ぼうとした、その時だった。
「――そこまでだ、遠藤喜右衛門!!」
鋭く、透き通るような若い声が、戦場の喧騒を切り裂いた。信長のすぐ側に控えていた一人の若武者が、つっと前に進み出て、喜右衛門の前に立ち塞がったのである。竹中久作。かの天才軍師・竹中半兵衛の若き実弟であり、信長の小姓として仕える俊英だ。
「信長様の御前なるぞ! それ以上近づくのは許さんッ!!」
久作の鋭い視線と槍の穂先が、喜右衛門の喉元をピタリと指し示した。完璧だったはずのステルス偽装が、この若者に見破られた瞬間だった。
「……チッ。見顕たか。無念なり……!!」
喜右衛門は舌打ちをすると同時に、手に提げていたダミーの生首を、信長の顔面めがけてハッと全力で投げつけた。生首という名のグロテスクな投擲武器。周囲の近習たちが「うわっ!」と怯むその一瞬の隙を突き、喜右衛門は腰の短刀を引き抜いて、竹中久作へと飛びかかった。
「させるかァッ!!」
久作も槍を放り捨て、喜右衛門と真っ向から取っ組合いの乱戦にもつれ込んだ。ゴロゴロと泥まみれになりながら、上になり下になりと激しく組み合う二人。遠藤喜右衛門は、浅井家屈指の勇者である。その膂力と暗殺への執念は凄まじく、短刀の刃が何度も久作の首筋を掠める。だが――残酷なことに、この世界には「現実」という壁が存在した。喜右衛門がいかに勇猛といえども、年齢はすでに60の壁を超えている。その上、今朝から幾度も激戦を潜り抜け、体力ゲージはとうにゼロで、気力だけで動いている状態だ。対する竹中久作は、血気盛んな十代の若武者。本陣待機で体力はフル満タンである。
「ぐっ、うおおおおッ!!」
「老いぼれが……大人しく、首を置いていけッ!!」
格闘戦の末、ついに年齢と疲労のデバフが喜右衛門の腕から力を奪った。久作が力任せに喜右衛門の体をひっくり返し、馬乗りになって完全にマウント・ポジションを取る。そして、久作が振り下ろした刃が、浅井の忠臣の首筋に深々と突き立てられた。
「グハッ……! な、長政、様……浅井の、未来……ッ」
ゴパァッと血を吐き出し、喜右衛門の瞳から光が消える。浅井の滅亡を誰よりも早く予見し、信長暗殺の最適解を何度も主君に提案しながら、退けられ続けた悲運の智将。その忠勇と才略を兼ね備えた老武士は、最後は自らの命を弾丸とした特攻に散り、空しく姉川の露と消えた。
「――討ち取ったりィ!!」
久作が泥だらけの顔で立ち上がり、遠藤喜右衛門の首を天高く差し上げた。その瞬間、織田の本陣は割れんばかりの歓声に包まれた。信長は、飛んできた生首を避けることもなく(実際には側近が弾き落としたが)、ただ冷たい目で事の顛末を見届けた後、ふっと鼻で笑った。
「……浅井にも、まだ牙を剥く老犬がいたか。大儀であった、久作」
「ははっ! 恐れ入ります!」
首を掲げて誇らしげに笑う竹中久作。実は彼、普段から周囲の者たちにこう豪語していたのだという。
『浅井の家臣・遠藤喜右衛門は、あっぱれな武功の士である。この戦で、俺が必ず奴の首を取って出世してやる』と。
フラグ回収。名もなき暗殺者として処理されるはずだった喜右衛門は、彼を「格好の獲物」として狙っていた若者の野心によって見破られ、討ち取られた。
「猛者の執念というのは、恐ろしいものだな……」
周囲の武将たちが感心し合って頷く中、僕は一人、深くため息を吐いた。嗚呼、遠藤喜右衛門。あなたの悲痛なまでの忠義と、魔王を討たんとした最後の足掻き。歴史の授業では数行で片付けられる出来事だが、実際に目の当たりにしたその覚悟は、痛ましいほどに胸に突き刺さった。
「……でも、これが戦国だ」
勝つ者がいて、負ける者がいる。いかに智略を巡らせようと、いかに忠義に殉じようと、時代という巨大なシステムは残酷に勝者を選別していく。僕は改めて、胸の奥に宿る「日輪」の熱を確かめた。竹中久作のような若い才能が次々と台頭し、遠藤喜右衛門のような古き忠臣が泥に塗れて消えていく。僕も、立ち止まっていればすぐに食い殺されるだろう。
理不尽で、残酷で、血生臭いこの戦国を生き残るには、誰よりも泥をすすり、誰よりも高く登り詰めるしかない。
「……さあて、次はどんな無理難題が降ってくることやら」
僕は兜の緒を締め直し、血の匂いが立ち込める夜の姉川から、燃えるような眼差しで天下の空を見上げた。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
遠藤喜右衛門討死
長政の功臣遠藤喜右衛門は、今日を限りと思ひ定めしことなれば、一足も引かず、勇威盛んに戰ひしが、終に味方敗軍に及びければ、今は戰ひても由なし。あはれ信長に近づき寄り、刺し違へ死せんものをと、亂れ髮を面にばらりとかけ、首一つ提げて織田勢に紛れ込み、「よき首取りて候ほどに、大將の實檢に入れ奉らん。大將はいづ方におはします」と呼ばり呼ばり、難なく旗本まで來りけるを、信長公床几に腰掛け、悠々としておはしける。遠藤はるかに見て嬉しきことに思ひ、一參に馳せ來る。大將の御側にありける竹中久作といふ者これを見て、つっと走り出で、「遠藤喜右衛門、大將の御前なるぞ。推參なり」と聲かくれば、遠藤「見顯されし、殘念なり」と、持つたる首を信長にはつと投げ付け、竹中と引っ組んだり。雙方聞こゆる勇者なれば、上になり下になり組合ひしが、遠藤勇なりといへども年すでに六十にあまり、その上今朝より數ヶ度の戰ひに勞れぬれば、血氣壯の竹中に敵すること能はず、久作終に遠藤を組敷き、首を取つて差し上げたり。嗚呼遠藤、忠勇才略兼ね備へし武士なりしに、數度の諫言用ひられず、空しく姉川の露と消えたりしは、痛ましかりし次第なり。この竹中久作は竹中半兵衛重治が弟なりしが、つねづね人に語りて申しけるは、「淺井の臣遠藤喜右衛門はあつぱれ功の武士なり。われ必ず彼が首を取るべし」と云ひけるが、果してかくのごとくなりければ、剛の者の志は恐しきものなりけりと、人々 感じあへりける。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
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絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
竹中 重矩(たけなか しげのり、天文15年(1546年) - 天正10年6月6日(1582年6月25日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。美濃斎藤氏、織田氏の家臣。竹中重元の子。通称は彦作、久作。妻は中川重政の姉妹。天正7年(1579年)6月13日、播磨国の陣中で病死した兄・重治に代わり、同月22日、羽柴秀吉の与力として遣わされた。天正10年(1582年)3月、信長に従い信濃国に出軍している。しかし、同年6月に信長が本能寺の変で死去した後、美濃国不破郡表佐村で起こった郷士一揆と戦って戦死した。享年37。出典:wikipedia
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