2-26 怪物・真柄十郎左衛門、散る
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
血風吹き荒れる姉川の戦いは、いよいよ最大の最終局面へと向かおうとしていた。
織田軍と浅井軍の大軍が入り乱れ、入り乱れ、討ちつ討たれつの泥沼の消耗戦が繰り広げられている。両軍ともにスタミナは限界に近く、戦況は完全に五分と五分。いまだ勝敗の行方は誰にも知れざる、息詰まる膠着状態が続いていた。
だが、この盤面をひっくり返す手札を、信長はまだ手元に温存していたのである。
「……そろそろ、頃合いか」
信長が後陣に向けて采配を振るった。その合図を待っていたのは、これまで全く戦に参加せず、体力も気力もフル満タンで控えていた二人の将だ。明智十兵衛光秀と、前田又左衛門利家。
未来の謀反人と、加賀百万石の祖。合わせて2,000人という、暴力的なまでの『新手』である。
「掛かれェッ!」
「前田の槍、とくと味わえ!」
光秀の冷徹な号令と、傾奇者・利家の雄叫びとともに、この新手な2,000人が戦場に解き放たれた。彼らが狙ったのは、疲労困憊でフラフラになっていた浅井の先陣――赤尾や中西の部隊の、がら空きになった側面である。文字通りの『横槍を入れる』というやつだ。
浅井の兵士たちは絶望に顔を歪めた。今朝からノンストップで戦い続け、疲労が限界を超えていた彼らに、この理不尽な横からの全力の突撃を凌ぐ力は残っていなかった。陣形は瞬く間に突き崩され、この新手によって討たれる者の数は知れず。ついに浅井の先陣は心をへし折られ、ちりぢりになって完全な敗走へと移った。
「好機到来! ここを攻め落とせ!」
この光景に、前線で苦戦していた織田の軍将、氏家や安藤らはテンションを盛り返し、短兵急の猛攻に打って出た。さらに、一度は磯野に敗れてメンタルが死にかけていた池田や佐久間までも、「うおおお! 倍返しだァ!」とばかりに長政の本陣へ切り散らしていく。
「よし! 前が崩れたぞ! 後ろから一気に押し潰せ!!」
長政の後方に陣取っていた僕も、この絶好のタイミングを逃さなかった。野郎どもを煽り立てて士気を最高潮にし、後ろから激しく圧迫した。前からは氏家、安藤、池田、佐久間、そして明智と前田の新手。後ろからは僕の軍勢。完璧なまでの包囲殲滅戦。浅井の陣々、備え備えは、ことごとく打ち破られた。堅固を誇った陣形は粉々に粉砕され、兵士たちは右往左往に散乱し、ついに浅井軍は『惣敗軍』という最悪の結末を迎えた。
一方、その頃。この姉川の戦場から少し離れた場所でも、もう一つの巨大な絶望が進行していた。今朝、この合戦が始まったまさに同時刻。越前から浅井の援軍として駆けつけていた朝倉孫三郎景健率いる10,000騎。そして、織田の援兵として遠路はるばるやってきた三河勢、徳川家康率いる5,000人。この両軍が、江北の姉川の別のポイントで、追いつ返しの激しい戦いを繰り広げていた。
朝倉勢は10,000という大軍だった。しかし、徳川の三河武士といえば、戦国でも屈指の「死を恐れない狂戦士集団」として知られている。数に勝る朝倉勢だったが、三河武士の異常な粘りとド根性の前に次第に押し込まれ、ついには討ち負け、こちらも全軍総崩れとなってしまった。
「ええい、口惜しい! 我が朝倉軍が、たかが5,000の三河田舎侍に後れを取るなど……無念!!」
敗走する朝倉軍の中で、ただ一人、逃げるどころか血走った目で三河勢に向き直る男がいた。朝倉の勇臣として名高い、真柄十郎左衛門という規格外の化け物である。彼は身長2メートル近い巨漢であり、その手には『太郎太刀』と呼ばれる五尺三寸(約160センチ)もある規格外の大太刀が握られていた。
「俺の屍を越えてゆけ! この真柄がいる限り、朝倉の誇りは折れん!」
真柄は大太刀を上段に振りかざし、群がる三河の敵兵の中へと単騎で突っ込んでいった。その凄まじい膂力から放たれる一撃は、まさに災害。刃向かう者は、重厚な鎧を着ていようが、頑丈な兜を被っていようが、お構いなし。防御力という概念を完全に無視して、衝撃波もろともに真っ二つに切り倒されていく。彼の間合いに入って、五体満足で立っている者は、誰一人としていなかった。まさに「災害級」である。
「うおおお! 化け物だ! 近寄るなァ!」
「三河の腰抜け共め! 誰か俺と一騎打ちをする命知らずはおらんのか!」
ここに、三河勢の中から一人の男が進み出た。向坂式部という、三河でも名うての大剛の勇士である。彼は手槍を引っさげ、「我こそは!」と名乗りを上げて真柄に向かっていった。
「フン。健気な振る舞いだが、無謀だ。冥途の門出、覚悟せよッ!」
真柄は尻目に彼を白眼みつけると、件の大太刀を軽々とひらめかせた。二打、三打。すさまじい金属音が響く。向坂式部がいかに手練れの武者とはいえ、相手が悪すぎた。彼の持っていた手槍はあっさりと切り落とされ、続く二の太刀で、兜の吹返し(顔の横の防御パーツ)を八寸(約24センチ)ばかり深々と切り割られ、即死して馬から転げ落ちてしまった。
「兄者ァァァッ!!」
これを見た式部の弟たち――同姓の五郎治郎と、六郎五郎、そして郎等(家臣)の山田宗六の主従三人が、怒りに血涙を流し、切先を並べて真柄へと切りかかった。
「束になってこようが、同じことよ!」
真柄は少しもひるまない。迫りくる三人に対し、まず太刀をスーッと延ばして、先頭の山田宗六の兜の天辺から脇腹にかけて、斜め下へと一刀両断に斬り破った。残された向坂兄弟は、「絶対に仇を討つ!」と限界突破のバフをかけ、踏み込み、踏み込み、必死に切り結んだ。だが。大勇無双の真柄相手では、分が悪すぎた。兄弟ともに数ヶ所の深手を負い、血まみれになって「もう殺される寸前」という状態に追い込まれてしまった。
――真柄の大太刀が、兄弟の首を刎ねようと高く振り上げられた、まさにその時。
ヒュッ。
戦場のどこからか。誰が射たとも知れぬ一本の流れ矢が、音もなく飛んできた。
ドスッ。
「……あ?」
それは、見事なまでに真柄十郎左衛門の『左の目の上』に、ぐさっと深々と突き刺さっていた。さすがの最強の化け物も、脳天を貫く急所攻撃には耐えることができなかった。真柄は白目を剥き、巨大な大太刀を取り落として、真っ逆さまに馬からドスンと落ちたのである。
「い、今だッ!!」
瀕死の向坂兄弟は、最後の力を振り絞って真柄の巨体に折り重なるように飛び乗り、必死に押さえつけて、ついにその首を討ち取った。戦国最強クラスの物理アタッカーの最期は、名もなきモブ兵が放った一本の矢による、あまりにも呆気ない幕切れだった。
「……真柄が死んだぞォォ!」
北国最強無敵の真柄すらこの体たらくで討たれたという事実は、朝倉軍の残り少ない戦意を完全に粉砕した。朝倉勢がいよいよ乱れ騒いで崩壊し、それを見た浅井方もまた、戦線に留まる気力もなく、総大将・長政の居城である小谷城をさして、雪崩を打って逃げ出していった。
「逃がすな! 追え、追えェッ!」
信長勢と三河勢は、完全に勝ちの勢いに乗って、背中を向けて逃げる敵を容赦なく追討ちしまくった。討ち取る首は1,000に上ったという。
やがて、夕暮れ時になり、血に染まった姉川の空が茜色に染まる頃。
「エイ、エイ、オォォォッ!!」
織田・徳川連合軍は、勝ち鬨を三度、天地を揺るがすほどに揚げた。戦士たちは歓喜に沸き、よろこび勇みながら、姉川の河原に堂々と本陣を据えたのである。
「よし、各将、よくやった。これより首実検を行う!」
信長様の号令のもと、討ち取られた敵将たちの首が並べられ、凄惨な戦果確認が始まった。
前世の僕なら卒倒してしまうような、血と肉と泥の匂いが立ち込める戦場。でも、今の僕は不思議と心が落ち着いていた。胸の奥に宿る「日輪」の熱が、僕の魂を戦国へと完全に同化させているのを感じる。僕は兜を脱ぎ、夕日に染まる姉川を見つめながら、小さく息を吐いた。
「姉川の戦い……完全勝利、だな」
でも、これはあくまで戦国乱世という果てしない狂気の、ほんの序章に過ぎない。僕は血まみれの指先をギュッと握りしめ、次なる歴史の海練に向けて、静かに闘志を燃やすのだった。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
淺井勢惣敗軍
織田、淺井の大軍入り亂れ入り亂れ討つ討たれつ戰ひて、いまだ勝敗知れざるところに、信長が後陣に控へし明智十兵衛光秀、前田又左衛門利家、兩人二千餘人、今朝よりかつて戰はざる新手の勢を以て、淺井の先陣赤尾、中西が手へ横槍を入れ、無二無三に突き崩せば、もはや戰ひ勞れ軍勢ども、この新手に討ち崩され、討たるる者數を知らず、ちりぢりになつて敗走すれば、織田の軍將氏家、安藤ら、いよいよ力を得て、短兵急に攻め討つにぞ、池田、佐久間も勇氣を益し、長政が旗本を切り散らせば、後の方より木下藤吉郎大いに興を作りかけ、洩らすまじと揉んだりけるに、淺井の陣々備へ備へ、ことごとく打ち破られ、右往左往に散亂し、惣敗軍となりける。今朝この合戰はしまるとき、同時同時刻、越前より淺井の與力を朝倉孫三郎景健一萬餘騎、織田援兵の三河勢五千餘人と、江北の姉川にて追つ返しつ戰ひが、朝倉勢大軍といへども終に討負け、惣崩れになりける。このとき朝倉の勇臣眞柄十郎左衛門といふ不當の兵ありけるが、敗軍を無念に思ひ、五尺三寸の大太刀を眞向にかざし、群がる敵を切り崩し、刃向ふ者は鎧も兜も賴みならず、太刀風につれ切り倒され、命生ける者としてはさらに一人もなかりける。ここに三河勢の内より向坂式部といへる大剛の勇士、手槍提げ名乘りかて向うたり。眞柄尻目に白眼み、「やさしき振舞ひかな。冥途の門出覺悟せよ」と、件の大太刀ひらめかし、二打三打戰ひが、向坂いかに敵べし、持つたる槍を切り落とされ、二の太刀に兜の吹返しを八寸ばかり切り割られ、馬より落ちて死したりける。これを見て式部が弟同苗五郎治郎、同六郎五郎、郎等山田宗六、主從三人、切先を並べて切つてかかる。眞柄少しもひるまず、まづ太刀を延べて、山田宗六が兜の天邊より脇腹まで、切先下に斬り破つたり。向坂兄弟、これは口惜しと一世の勇を奮ひつつ、踏み込み踏み込み切り結べど、大勇無雙の眞柄なれば、兄弟とも數ヶ所の深手を負ひ、すでに討たれつべう見えたりけるに、眞柄が運や盡きたりけん、誰が射るとも知れぬ流矢ひとつ飛び來つて、左の目の上にぐさと立てば、さしもの十郎左衛門、急所なれば暫時も堪らず、眞さかさまに馬より落つるを、向坂兄弟折重なり、押へて首を取つたりけり。北國にならびなき眞柄すらこのごとくなりければ、朝倉勢いよいよ亂れ騷ぎし淺井方、立つ足もなく小谷をさして引き行くを、信長勢勝の勢に乗じて追ひ討つこと數を知らず、討とる首一千餘級、日も西山に傾けば、勝鬨を三度揚げ、よろこび勇み姉川に本陣を据え、首實檢せられける。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
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絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
真柄十郎左衛門、規格外の無双。いくら軍記物でも話盛りすぎだろって思うのですが、身長約2mの真柄直隆が振るった太郎太刀は、姉川の合戦直後、織田信長に関係する人物によって熱田神宮(私のご近所、愛知県名古屋市)へ奉納されました。全長303cmの刀身は約6kg、付帯している朱塗鞘野太刀拵を入れた総長は340cm、総重量は約10kgという圧巻の本大太刀の実物が熱田神宮の宝物館で見学できます。実在だったんかいッw…この辺が歴史の面白いところです。




