2-23 姉川、総力戦へ
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
森勢が左右へ退いたことで、戦場の正面が大きく開いた。磯野丹波守は、その隙を逃さなかった。
「今ぞ! 一気に押し通れ!」
勝機を確信した浅井勢が鬨の声を上げる。五つの備えを破った勢いそのままに、5,000の兵が土煙を巻き上げながら一直線に押し寄せてくる。その正面に、僕は2,000の兵を率いて静かに立った。数では大きく劣る。しかも、わざと前線を薄く見せ、隊列にもあえて余裕を持たせていた。敵から見れば、頼りない陣に映るだろう。
(頼む……引っかかってくれ)
真正面からぶつかれば勝ち目は薄い。僕が狙ったのは兵力ではなく、敵将の心だった。目前まで迫っていた磯野丹波守が、不意に手綱を引く。
「待て」
鋭い下知に、先頭の兵たちが次々と足を止めた。磯野は馬上から僕の陣をじっと見渡す。
「……妙だ。」
誰に聞かせるでもなく、低く呟く。
「ここは信長の本陣を守る最後の備え。ならば、最も堅固な陣で待ち受けるはずだ。」
しかし目の前にあるのは、わずか2,000ほどの兵。隊列は密集せず、陣形にもどこか余裕がある。守りを固めるというより、敵を招き入れるような布陣だった。風に揺れる瓢箪の馬印を見つめながら、磯野は眉をひそめる。
「……あれは木下藤吉郎か。」
近頃、織田家で名を上げつつある若武者。奇策を好み、常識にとらわれない将だという話は、浅井方にも伝わっていた。
「これほど露骨な隙を見せるのは、かえって不自然だ。」
磯野はなおも進まない。
「誘っているのかもしれぬ。」
勝ちに乗っていた浅井勢にも、疑心暗鬼が広がった。その様子を見て、僕は静かに息を吐く。
(よし……止まった。)
相手は勇将だ。だからこそ、不自然さを見逃さない。そこに、僕の付け入る隙があった。僕は槍を静かに前へ向けた。敵が足を止めたのは一瞬だった。その一瞬を逃せば、二度と勝機は訪れない。
「前へ。」
大声で怒鳴る必要はなかった。短い下知だけで十分だった。訓練を積んだ兵たちはすぐに動き出す。乱れかけていた隊列を整え、槍を揃えながらゆっくりと前へ進む。焦るな。追い立てるな。あくまでも落ち着いて圧力をかける。こちらが動けば、敵は「やはり何かある」と考える。その迷いこそが、僕の狙いだった。
「……動いたぞ。」
磯野丹波守が目を細める。織田方は守りを固めるどころか、自ら前へ出てきた。それも慌てた様子はない。兵数では劣るにもかかわらず、まるで勝算を握っているかのような落ち着きだった。
「やはり、ただの布陣ではない。」
磯野は槍を握り直したまま、周囲へ鋭く視線を巡らせた。
「左右の林を探れ。伏兵が潜んでいるやもしれん。」
命を受けた兵たちが散開し始める。浅井軍の勢いは、目に見えて鈍った。勝ち戦だと信じていた兵ほど、不安は大きい。将が慎重になれば、その迷いは瞬く間に全軍へ伝わる。
(そのままだ。)
僕は胸の内で呟く。
(もっと疑え。)
もちろん、本当は綱渡りだった。もし今、磯野が「構わず突き破れ」と命じれば、正面から受け止め切れる保証はない。兵たちもそれを理解している。槍を握る手には汗が滲み、誰もが固く唇を結んでいた。それでも隊列は崩れない。僕が日頃から教え続けてきたのは、武勇ではない。下知を信じ、仲間を信じ、陣形を崩さないことだった。だからこそ、この2,000は踏みとどまれる。静寂が戦場を包む。つい先ほどまで響いていた怒号が、不気味なほど遠く感じられた。そして、その沈黙を破るように僕は右手を高く掲げる。
「──今だ。」
乾いた銃声が一発、姉川の河原に響き渡った。それは戦いの始まりではない。あらかじめ決めておいた合図だった。河原の茂みが一斉に揺れる。左翼から古参勢、蜂須賀小六、蜂須賀又十郎、稲田大炊、中村孫平次らの兵が姿を現した。ほぼ同時に右翼でも、若手勢、小一郎、加藤虎之助、福島市松、片桐助作、堀尾茂助らが伏せていた兵を率いて躍り出る。2,000を超える伏兵が、一斉に浅井軍の側面へ迫った。
「鉄砲隊、撃て!」
800挺の火縄銃が、白煙を噴き上げる。轟音が谷間を揺らし、鉛玉が浅井勢の横腹へ容赦なく突き刺さった。先頭の兵たちが次々と倒れ、悲鳴があちこちで上がる。突然の挟撃に、浅井軍の隊列は大きく揺らいだ。
「伏兵だ!」
「左右から敵が来るぞ!」
誰かが叫ぶ。その叫びは、恐怖となって瞬く間に全軍へ広がっていった。磯野丹波守は食いしばるように歯を鳴らした。
「やはり……これが狙いであったか。」
その表情に浮かんでいたのは敗北ではない。自らの読みが当たったという苦い確信だった。しかし、その一瞬の判断の遅れが、勝敗を分けることになる。
「落ち着け!」
磯野丹波守の怒号が、銃声の余韻を切り裂いた。
「左右を敵に向けるな! 前へ出て木下勢を破る! 本陣を(メインベース)抜けば、この程度の伏兵など意味はない!」
さすがは歴戦の猛将だった。一瞬の動揺はあっても、すぐに勝ち筋を見失わない。側面から攻められているなら、正面を突破してしまえばいい。その判断は決して誤りではなかった。だが、その下知は兵たちの足を再び前へ向かわせるには至らなかった。伏兵が現れたという事実が、彼らの心を大きく揺さぶっていたのである。
「本当に伏兵はこれだけなのか……」
「まだどこかに隠れているのではないか」
そんな疑心暗鬼が、兵の間を静かに広がっていく。将が冷静でも、兵の心まで一瞬で立て直すことはできない。その隙を、僕は見逃さなかった。
「前進!」
短く命じると、2,000の兵が一斉に槍を揃えた。陣形は崩さない。一人が突出することもない。槍衾を保ったまま、じりじりと敵を圧迫していく。左右からは伏兵。正面からは僕の本隊。三方から迫られた浅井勢は、しだいに隊列を保てなくなっていった。
「下がるな!」
「踏みとどまれ!」
磯野は馬上で叫びながら、自ら槍を振るって退く兵を押し返す。その槍はなお鋭く、近づく織田兵を次々となぎ倒していく。戦場の最前線では、なおも磯野一人が軍全体を支えているような有様だった。
(やっぱり強い……。)
僕は思わず息をのむ。史料に名が残る武将というのは、決して誇張ではない。あれほど劣勢になってなお、戦線を崩壊させない。だからこそ、この男を逃がしてはならない。
「追い詰めろ。ただし深追いはするな。隊列を乱すな!」
僕は冷静に命令を重ねた。勝ちに酔った軍ほど、簡単に崩れる。敵が潰走を始めたからといって、ばらばらに追えば、逆に切り返される危険がある。僕が欲しいのは武功ではない。戦いそのものに勝つことだった。その頃には、浅井軍の混乱は隠しようもなくなっていた。磯野の命令は届かず、あちこちで兵が後方へ走り始める。
「退け!」
「囲まれるぞ!」
誰かの叫びが引き金となり、逃走は一気に全軍へ広がった。
「くっ……!」
磯野は歯を食いしばり、自ら殿に立つ。退却する味方を守るため、何度も馬首を返しては追撃してくる織田兵へ槍を繰り出した。その奮戦によって、多くの浅井兵が命をつないだ。しかし、戦いの流れまでは変えられない。僕たち3,000の兵は、崩れた敵軍を押し込みながら、ゆっくりと前へ進んでいった。その先では、浅井長政率いる本隊が、新手3,000を率いてこちらへ向かってきていた。敗走する磯野勢と、進軍する長政本隊。二つの軍勢が、姉川の戦場で交わろうとしていた。
敗走してくる磯野勢を目の当たりにした浅井長政は、思わず馬を止めた。つい先ほどまで、「信長の本陣へ迫った」という報が届いていたはずである。ところが今、目の前にいるのは、血にまみれ、隊伍を乱して退いてくる味方の姿だった。その先頭には、槍を握ったまま殿を務める磯野丹波守がいる。
「丹波守、何があった。」
磯野は馬を寄せ、荒い息を整える間もなく答えた。
「木下藤吉郎です。」
その一言だけで、長政はすべてを察したように目を細めた。
「伏兵か。」
「左右に兵を潜ませておりました。敵の備えが薄く見えたのも、我らを誘うためでございましょう。」
長政は追撃してくる木下勢へ視線を向けた。敵は勢いに乗っている。しかし、隊列は乱れていない。勝ってなお、深追いを戒めていることが見て取れた。
「……なるほど。」
長政は小さくうなずく。
「ただ勢いに任せるだけの将ではないか。」
その評価に、磯野も無言でうなずいた。
「丹波守は後ろへ下がれ。兵を立て直せ。」
「しかし……。」
「ここからは私が受ける。」
長政は静かに軍扇を開いた。
「赤尾美作守。」
「はっ。」
「中西日向守。」
「お任せくだされ。」
「遠藤喜右衛門、浅井半助、早川右馬之丞。」
歴戦の諸将が次々と馬を進める。いずれも浅井家を支えてきた猛将たちである。長政は軍勢を見渡し、ゆっくりと言った。
「敵は勝っている。だからこそ勢いがある。」
「ならば、その勢いごと受け止め、正面から砕く。」
軍扇が静かに前を指した。
「進め。」
号令とともに3,000の新手が前へ動き出す。先ほどまで敗走する兵で乱れていた戦場が、一転して整然とした陣へ変わっていく。その様子を見た僕は、思わず表情を引き締めた。
「……来たか。」
敵は崩れていない。いや、ここからが浅井軍の本隊だった。先頭には赤尾美作守、中西日向守ら歴戦の勇将。その後ろには、自ら采配を執る浅井長政の姿がある。さきほどまでとは空気が違う。兵の足並みは乱れず、鬨の声にも浮ついたところがない。勝利を急ぐ軍ではなく、勝つために前進する軍だった。
(正面からぶつかれば、こちらの損害も大きい……。)
僕は戦場を見回した。この2,000は、ようやく育て上げた子飼いの精鋭だ。ここで消耗させるわけにはいかない。ならば、勝負を決める相手は僕ではない。
「全軍、左右へ開け。」
兵たちは一瞬だけ驚いた表情を見せたが、誰一人として命令に疑問を口にしない。訓練どおり、整然と左右へ分かれていく。やがて中央に一本道が現れた。その道の先にあるものを見て、浅井勢の兵たちはどよめく。黄金の馬印。幾重にも守りを固めた織田軍本陣。そして、その中央に悠然と座す織田信長。長政の目が鋭く光った。
「信長……。」
ついに、両軍の総大将が互いの姿を視界に捉えた。
「好機だ。」
長政は迷わなかった。眼前には、織田信長の本陣。その姿を認めた以上、ここで退くという選択肢はない。
「諸軍に伝えよ。一気に敵陣を切り崩す。信長と雌雄を決するのは、今この時だ。」
軍扇が振り下ろされる。
「進めッ!」
赤尾美作守、中西日向守、遠藤喜右衛門らが先頭に立ち、浅井勢は一斉に駆け出した。地鳴りが響く。数千の兵が槍を揃えて押寄せる様は、まるで濁流そのものだった。僕はその様子を見届けると、小さく息を吐いた。
(かかった。)
僕が左右へ道を開けたのは、敵を逃がすためではない。信長の本陣へ誘導するためだった。もちろん、本陣が無防備なはずがない。信長は、僕の意図を見抜いてくれる。次の瞬間だった。
「――今ぞ。」
信長が静かに采配を振るう。その合図とともに、本陣の左右に控えていた軍勢が一斉に動き出した。左から氏家常陸介。右から安藤伊賀守。それぞれ2,000の兵を率い、浅井軍の側面へ鋭く切り込んでいく。
「横から敵だ!」
「備えよ!」
赤尾勢が素早く迎え撃ち、たちまち激しい乱戦となった。槍と槍がぶつかり合い、刀が火花を散らす。怒号と悲鳴が入り交じり、さきほどまで整然としていた戦場は、一瞬で修羅場へと変わった。それでも長政は動じない。
「止まるな!」
自ら馬を進め、軍扇を高く掲げる。
「敵は我らを止めようとしているだけだ! 信長の旗本まで押し通れ!」
その声に応え、浅井勢は再び勢いを取り戻す。さすがは浅井家の精鋭だった。横から攻め込まれても隊列は崩れず、氏家勢、安藤勢を押し返し始める。
(これでも止まらないか……。)
僕は思わず唇を引き結んだ。長政自身の統率力が、兵の士気を支えている。このままでは、本陣前がさらに激戦となる。その時だった。
「まだ終わってはおらん!」
後方から、新たな鬨の声が響く。先ほど磯野に敗れて退いた坂井右近、池田信輝、佐久間信盛らが、兵を立て直して戻ってきたのだ。
「織田の武士が、一度敗れたくらいで引き下がれるものか!」
彼らは横一文字に陣を広げ、長政の本隊へ向けて再び突撃した。さらに蜂谷兵庫、森三左衛門も本陣の守りへ加わる。戦場の中央では、織田・浅井双方の名だたる将が入り乱れ、槍を交えた。もはや戦いは、一人の武勇や一つの計略で決まる段階ではない。姉川一帯は、両軍の総力がぶつかり合う決戦の場となっていた。そして僕は、その激戦の渦を見据えながら、静かに次の一手を考えていた。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
藤吉郎磯野丹波守を破る(一)
孔明街亭に破られて、琴を彈じて仲達を去しめたるは、孔明が才智、仲達が上にありて、仲達が才を使うて仲達を去らしむ。信長の五段備へ、磯野が勇に當たりがたく、ことごとく破れ、今は旗本の一備のみなりければ、誰かこれを勇まざらん、破竹の勢にて惣がかりに進みけるが、磯野丹波守馬をとどめ、味方の兵士を顧みて申しけるは、「心得ぬことかな。この敵こそ信長が旗本なれば、大勢にてもっとも堅固に構ふべきを、わづか一千ばかりの兵卒にて、しかも隊伍整はず、備へも立てず、まばらに陣を構へたるは、奇計をなして味方を討たん手段なるべし。その上飄風の馬印を立てたるは、織田家の謀士猿面冠者木下藤吉郎なり。この者正成、孔明を欺く智略ありて、尋常の將にあらず。猨にかかりて小猿めが謀計に陷り、不覺を取ることのあるべからず」と、猶豫して進み得ず。木下藤吉郎これを見て、「さては我が備へ全からざるを、却つて恐るるものなるべし。こなより急に押寄せ打ち崩せよ」と、隊伍揃はぬ士卒に下知して、無二無三に討つてかかれば、丹波守いよいよ怪しみ、八方に眼を配り、敵の謀計を危ぶみながら、しばらく支へ戰うたり。軍は將の心にありとは宜なるかな、磯野が從兵あまたの軍を切り崩し、勢壯なりしも、主將かくのごとくなれば、勇氣たゆみて、何となく色きて見えけるにぞ、木下藤吉郎、時分はよしと、相圖の鐵砲を響かすほどこそあれ、左の方より蜂須賀小六、同又十郎、稻田大炊、中村孫平次、右の方より木下小市郎、加藤虎之助、福島市松、片桐助作、堀尾茂助、兩勢合はして二千餘人、鐵砲の兵八百人、筒先揃へ打倒せば、たちまち磯野が勢三百餘人打殺され、疵を負ふ者數を知らず。「すはこそ敵の謀計に落され、早く退けや」と云ふほどに、大將の下知をも聞き入れず、亂れ騷ぎて敗走す。木下方三方の勇士ら、勢に乘じて駈け出せば、さしも猛かりし磯野丹波守、さんざんに討ちなされ、後陣の味方と一手にならんと、元來し道へ走りけるを、木下が三手の勢三千餘人、追詰め追詰め攻め討つほどに、討たるる者數を知らず。磯野丹波守自ら殿して、取り返しては戰ひ、戰うては引退き、やうやう後陣の勢に近づけたり。淺井備前守長政は、先陣勝つに乘じて信長が旗本まで切り入つたりと聞き、跡に續いて備へを繰り出し進むところに、たちまち先手の軍破れ、磯野丹波守亂れ騷ぎて逃げ來れば、木下勢跡に喰ひつつき、少しもゆゆるず追ひ來る。長政これを見て丹波守を後陣となし、自ら旗本の勢三千餘人、新手を以て木下と迎へ戰ふ。この手の先陣赤尾美作守、中西日向守、遠藤喜右衛門、淺井半助、早川右馬之丞ら、みな究境の遲兵を勝ち立て、曾釋もなく切つてかかる。このとき秀吉、敵の銳氣を挫き、味方損亡なからしめんと、俄に兵を左右へ引きわ、中を開きて通しける。淺井勢向うをきつと見れば、これぞ信長の旗本なり。長政諸軍に下知して、一息に切り崩し、信長と雌雄を決せんと、まつくら合はして二千餘人、鐵砲の兵八百人、筒先揃へ打倒せば、たちまち磯野が勢を負ふ者數を知らず。「すはこそ敵の謀計に落され」と、談にて、氏家常陸介、安藤伊賀守おのおのの二千餘人、横ざまに右を下知し給へば、氏家常陸介、安藤伊賀守おのおのの二千餘人、横ざまに右を下知し給へば、氏家常陸介、安藤伊賀守おのおのの二千餘人、横ざまに、淺井が先陣へ切つてかかり、赤尾、中西らと火を散らして戰うたり。長政これを見て旗本の勢を急に進め、自ら采配おつ取つて、「進めや進めや」と下知をなせば、はや雄の兵士得物得物を提げて、惣がかりにかかつて、氏家、安藤を切り崩さんとす。織田方の將坂井右近、池田信輝、佐久間信盛ら、先に敗軍して引取りけるが、この戰を見て、一文字に長政が本陣へ切つてかかれば、蜂谷兵庫、森三左衛門は信長の御手に加はり、兩將互に鎬を削り開き、横ざまに薙ぎ廻り、當たるを幸ひに切り立つれば、この兩人に切り立てられ、坂井が手の兵ども、しどろになりて見えける。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
https://share.google/AxQqE2xRgf0LcmxAN
絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
赤尾清綱は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。浅井氏の家臣。『浅井三将』の一人。『赤尾曲輪を設けて在番』し、赤尾美作守として著名となった。天正元年(1573年)9月1日、小谷城の戦いで織田軍に敗北して捕虜となり、信長の目前で切腹した。享年60歳。赤尾屋敷で浅井長政とその弟の政元と共に自害したとする説もある。出典:wikipedia
ちなみに、浅井三将は赤尾清綱、雨森清貞、海北綱親です。三好三人衆とか美濃三人衆とか、いつも3人居るのは不思議です。と、wikipedia記述『赤尾曲輪を設けて在番』に含蓄があり、通常、家臣は謀反リスクのため城外に屋敷を持ちます。城内に居館を持つのを許されてるのは凄く信頼されてる証です。




