2-22 姉川の十一段崩しvs魔王の盾
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
朝霧が、世界を白く染め上げていた。
元亀元年(1570年)6月27日、早朝。姉川を挟んで対峙する織田・徳川連合軍と、浅井・朝倉連合軍。冷たい水面を挟んで睨み合う両軍の熱気で、夏の朝霧はまるで沸き立つ湯気のように怪しく揺らめいている。
遠藤喜右衛門という狂気の将が、命を賭した特攻の計画を胸に秘めていたまさにその頃。僕は、織田軍の本陣前衛で、愛馬のたてがみを引き絞りながら冷や汗を流していた。
(……おいおい、未来知識で知ってはいたけど、迫力が違いすぎるだろ……!)
前世は日本のしがない一般人。不慮の事故で死に、気がつけば戦国時代の尾張で『日吉丸』という最底辺の幼児に転生していた。未来知識と、死に物狂いの努力を駆使して、ようやく信長の直臣にまで上り詰めた。だが、そんな僕の「未来知識」をもってしても、目の前に広がる圧倒的な「暴力の気配」には、魂が縮み上がりそうになる。
対岸に布陣する浅井軍の先陣。その数、およそ5,000。漆黒の軍勢の先頭で、一際巨大な槍を引っ提げて馬を躍らせている男がいる。浅井家中において『勇猛無双の剛兵』と恐れられる戦鬼――磯野丹波守貞満だ。
彼の背後に従う士卒たちは、ことごとく勝ち立った歴戦の兵ばかり。その纏うオーラは、飢えた猛獣の群れ、いや、檻から解き放たれた『猛虎』そのものだった。彼らの辞書に「防御」の文字はない。ただ前方の敵を食い破るためだけに特化した、完全な戦闘狂の集団だ。
磯野丹波守は、地平線を埋め尽くす織田軍の重厚な「段々の陣」をはるかに見渡すと、獰猛な笑みを浮かべて槍を突き上げた。
「野郎ども、よく聞けェ! この敵を破るには、小細工など一切不要! 我らは『長蛇の陣』にて、ただ一筋に突き入るのみ! 左右を顧みるな! 正面を切り崩し、信長めが座す本陣まで一気に押し詰め、勝負を一挙に決すべし!!」
「「「オオオオオオオオッ!!」」」
5,000の絶叫が姉川の谷響きとなって轟いた。磯野自身が真っ先に馬腹を蹴り、冷たい川の水を爆発させるように跳ね上げて突撃を開始する。それと同時に、猛虎の群れが織田陣営へと殺到してきた。いよいよ、戦国史に刻まれる最悪のデスマッチ、『姉川の戦い』の火蓋が切って落とされた。
「ひるむな! 我らが一番備の意地を見せよ! 放てっ!!」
押し寄せる浅井軍の波に対し、織田軍の最前線を任された一番備――坂井右近正尚率いる2,000人が、冷静に前に繰り出した。両陣営の距離が急速に縮まり、ついに射程距離へと突入した瞬間、坂井の号令とともに織田の鉄砲隊が一斉に火縄銃を水平に構え、連べ放った。
ドガァァァァァンッ!!!
早朝の静寂を木っ端微塵に粉砕する、凄まじい斉射。爆音とともに立ち上る白い硝煙が視界を覆い、鉛の弾丸が浅井軍の先頭集団を容赦なく引き裂く。水飛沫とともに数え切れないほどの兵士が血を流して倒れ込んだ。普通の軍勢なら、この一撃で進軍の足が止まるはずだった。
――だが、磯野丹波守は、普通の武将ではなかった。
「フン、織田の飛び道具など、屁の突っ張りにもならんわ! 時分はよし! かねて左右に備え置きし鉄砲、撃てェッ!!」
磯野が軍扇を開いて左右をさし招くと、浅井軍の左右の脇から、密かに配置されていた鉄砲隊が躍り出た。彼らが手にした数百挺の火縄銃が、今度は織田軍に向けて一斉に火を噴いたのだ。
バリバリバリバリッ!!!
激しく撃ち込まれる浅井軍のカウンター・ドライブ。至近距離からの容赦ない銃撃を受け、今度は坂井の兵士たちが正面を向くこともできず足元をガクガクと震わせて動揺した。前衛の防衛ラインが一瞬でパニックに陥る。
「よし! 今だっ!!」
磯野丹波守はその瞬間を逃さなかった。自ら大槍を掴み直して、雄叫びを上げて先頭を突き進む。一騎当千の怪力で織田の兵士を次々と串刺しにし、文字通り道を切り開いていく。その圧倒的な突進力の前に、一番備である坂井の陣は右往左往に散乱する完全に戦線崩壊という無残な状態に追い込まれてしまった。
(う、嘘だろ……!? 織田の一番備が、ものの数十分で消し飛ばされたぞ……!?)
後方で戦況を見ていた僕は、背筋に冷たいものが走るのを禁じ得なかった。これが、本物の戦国武将の『殺気』なのか。未来のゲームの比ではない。
「一番備が破れたか! ならば我らが押し返すまでよ! 全軍、槍を入れよ!」
坂井軍の敗退を見るや否や、すぐさま動いたのは、信長の二番備を任されていた池田勝三郎信輝2,000人だ。信長の乳兄弟であり、織田家屈指のサラブレッドである彼が、坂井に代わって前線へと突入する。
しかし、磯野の兵士たちは少しもためらわなかった。一番備を粉砕した勢いのまま、池田が陣へまっすぐに突いて入り、切り立て、薙ぎ立てる。その烈しきこと、まさに電光の如し。浅井軍の突撃速度は衰えるどころか、勝利のバフを受けてさらに加速していた。
「ええい、化け物め! 距離を詰めさせるな! 鉄砲を打ちかけよ!」
池田勝三郎は必死に陣を進め、至近距離から鉄砲を打ちかけて応戦した。激しい銃撃戦と泥泥の白兵戦が繰り広げられる。だが、磯野軍の凄まじい圧力は、池田の防衛線をもじりじりと押し込んでいく。
「二番備も持ちこたえられんか! 三番備、蜂谷兵庫頭頼隆、出陣する! 磯野の首をわしづかみにせよ!」
続いて織田軍の三番備、蜂谷兵庫頭の2,000人が、池田をサポートするために戦線へと繰り出された。蜂谷はこれ以上の突破を許すまいと、磯野の兵士を左右から包み込み、完全にホールドしようとした。
「ガハハハハ! 包囲など怖れるに足りんわ! 浅井の男児の意地を見せてやる! 鯨波一声を上げよッ!!」
磯野丹波守が「おっう!」と喚いて槍先を揃えると、5,000の軍勢が一丸となって一点突破の楔となった。ただひたすら槍を突き立てて前進する。その捨て身の突撃の前に、蜂谷の備えも気勢を削がれ、戦意を喪失させられた。猛攻に耐えきれずに戦線離脱を余儀なくされた。
(おいおいおい! これで三番備までぶち抜かれたぞ! ゲームなら完全にリトライ案件だろこれ!)
僕の手汗は止まらない。磯野軍の進撃ルートは、一直線に信長の本陣へと向かっている。まるでドミノ倒しのように、織田の精鋭たちがなぎ倒されていく。
「ふん、騒がしいな。ここからは織田の戦い方を教えてやろう」
ここで満を持して前に出たのが、四番備を預かる佐久間右衛門尉信盛2,000人だ。のちに『退き佐久間』と呼ばれる守備の達人。佐久間は備えを厳重に繰り出し、全軍の士気を高めるため鬨の声を上げさせて、自ら陣前に馬を乗り出した。
「うろたえるな! 敵は連戦で疲弊している! ここで我らが壁となり、浅井の進撃を完全にストップさせるのだ!」
佐久間の的確な下知により、織田軍の防衛線はようやく持ち直すかに見えた。だが、磯野丹波守の勢いはまさに破竹の勢い。すでに三つの防衛線を紙切れのように引き裂いてきた勝ち誇った軍勢だ。磯野は軍扇を開いて左右の部隊を招き、鉾先を鋭くして佐久間の陣へと突きかかった。
「そこまでだ、戦鬼め! この佐久間右衛門尉が通さん!」
佐久間は陣形を崩すまいと、自ら槍を引っ提げて敵の渦中へと飛び込んだ。その見事な槍さばきにより、目の前に迫った敵の騎兵5、6騎をまたたく間に瞬殺した。流石は織田家の宿老、伊達に高い知行をもらってはいない。
「おのれ、ならば俺が相手をしてやろう!」
味方を倒された磯野丹波守が、怒りに目を血走らせて馬を馳せ寄せてきた。無言のまま、佐久間に向かって超高速の突きを繰り出す。
「望むところよ! 織田の盾の硬さ、思い知れ!」
佐久間もまた、凄まじい怒濤の気迫をまとい、たちまち髪の毛が逆立つほどの怒髪天を突き、勇を振るって応じる。双方ともに、猛勇剛士。上段、下段と隙間なく火花を散らして一騎打ちを繰り広げた。もしこれが普通の合戦であればば、周囲の兵たちは手を止めて見物していただろう。でも、これは一瞬の瞬きする余裕すらない烈しいデスマッチである。
佐久間の獅子奮迅の強さに、浅井側の大将たちも危機感を覚えた。
「おい、磯野を討たすな! 続けや、野郎ども!!」
浅井軍の後方から、高宮三河守、大宇大和守、赤田信濃守、山崎源太左衛門という四人の勇将が、一度にどっと佐久間に向かって突きかかってきたのだ。
「ずるいぞ、一騎打ち(タイマン)じゃないのかよ!?」とツッコミを入れたくなるような、完全な数の暴力。
佐久間の軍卒たちも「主を守れ!」と喚き叫んで馳せ寄り、敵の四将と切り結ぶ。戦場は完全に混沌とした乱戦へと変貌した。佐久間右衛門がいかに個人の戦闘力が優れていようとも、この4人の猛将と数千の精鋭は凌げず、徐々に劣勢になってきた)。
「チッ、ここまでか……!」
守備の達人である佐久間は、完全に壊滅する前に戦いを次の備えに譲り、左右へ鮮やかに戦線を離脱して後退した。
「おうよ! ここからはこの森三左衛門のステージだ! 浅井の雑魚ども、まとめてあの世へ送ってやるわァ!!」
佐久間に代わって槍を合わせたのは、五番備を守る森三左衛門可成2,000人。のちに『鬼武蔵』と呼ばれる森長可や、あの森蘭丸の父親であり、織田家最強のアタッカーの一人だ。しかし、迎え撃つ磯野の勢いは、すでに織田の備えを四番まで打ち破り、完全にノリに乗っている状態だ。その鉾先は鋭すぎて、正面から受け止めるのは不可能に思えた。バフが十重に累積した無双状態の突撃である。これを見た森三左衛門は、猛烈に焦り、激怒し、自身の槍を握りしめて吠えた。
「お前たち、よく聞け! もしこの陣を破られなば、次は信長様の旗本なるぞ!! 織田家最強を自負する我らが、生きて恥をさらすくらいならここで死ね! 討死せよ!!」
森は自ら真っ先に槍を合わせ、一歩も退却しないという絶対防衛の構えで狂ったように戦った。その凄まじい槍さばきで、浅井の兵士がゴミのように吹き飛んでいく。一方、鐙を踏ん張り、馬上で大きく身を起こした磯野丹波守は、はるかに敵の陣の奥を見据えていた。森の軍勢のすぐ後ろ。そこに、黄金に輝く織田軍の本陣が見える。風にひるがえっているのは、『南無妙法蓮華経』の大旗。信長が自らの権威を示すためのシンボルだ。
「ガハハハハ! 見えたぞ! 信長の首がすぐそこにある!」
磯野は歓喜に顔を歪め、味方の諸勢を顧みて吠えた。
「皆の衆! この備えを破れば、次はいよいよ信長の本陣ぞ! 力を尽くし、ただ一突に切り崩して歴史に名を残せ!!」
「「「おおおおお(信長を殺せ)!!!」」」
浅井軍は残った総勢を合わせ、およそ5,000人。一丸となって、まっしぐらに森軍へと最後の総突撃を仕掛けた。森軍の防衛線が、ギチギチと悲鳴を上げて軋み始める。
「……おのれ、長政の犬どもめが。これほどまでに狂い咲くか」
はるか後方から、五番備までが押し込まれるこの凄惨な体を見ていた信長は、かつてないほどの衝撃を受け、その端正な顔を歪めた。史実において、信長の人生の中で最も「死」に近づいた瞬間の一つ。それが、この磯野丹波守による『姉川の十一段崩し』だ。前衛の五つの防衛ラインが全て機能不全に陥り、魔王の本陣が丸裸にされようとしている。
「ええい、もう余裕はない! 本陣の親衛隊を繰り出し、森の備えを扶助しろ!!」
信長が焦燥に駆られて下知した、まさにその時。
「――お待ちください、信長様!」
床几に座る信長の前へ進み出たのは、そう。僕――木下藤吉郎だ。深く頭を下げながらも、胸の内は不思議なほど静かだった。転生者としての冷静な判断力と、この戦国の世で這い上がると決めた覚悟。その二つだけは、誰にも負けるつもりはない。
「信長様。ご心配無用です。この藤吉郎が控えている以上、敵を本陣へ近づけることは決してございません」
信長はゆっくりと僕を見据えた。その眼差しには、この土壇場で名乗り出た若武者への驚きと、わずかな期待が入り混じっている。僕はその視線を真っ向から受け止め、言葉を続けた。
「いかなる強敵が相手であろうとも、この先は一歩たりとも通しません。押し寄せる敵は、この藤吉郎が必ず食い止め、打ち破ってご覧に入れます」
しばしの沈黙の後、信長は小さく口元を緩めた。
「……猿め。そこまで言うなら、やってみせよ」
「はいっ!」
僕は立ち上がり、すぐさま配下へ命令を飛ばした。
「全軍、戦闘準備!」
僕の手勢は2,000。でも、ただ数を揃えただけの足軽ではない。未来の知識をもとに集団戦を徹底して叩き込み、兵站を整え、日々の訓練を積み重ねてきた、僕が自ら育て上げた精鋭部隊だ。
この戦場で、その力を証明する時が来た。
僕はすぐさま、前線で孤立無援のデス・マッチを演じている森三左衛門のもとへ、俊足の軍使を立たせて申し入れさせた。
「森殿! このままでは損害が増えるばかりです! これ以上兵を失う前に、ここは私に任せて戦線を離脱してください!」
軍使の言葉を聞いた森可成は、顔を血に染めながら「何だとぉ!?」と怒鳴り散らした。
「ふざけるな、猿ッ! 俺が引けば本陣がどうなるか分かっているのか!?」
「問題ありません! 我が主には『必勝の計略』がございます!」
「……チッ、あの猿め!」
森勢はこの時、浅井軍と火花を散らして死闘を演じていたけれど、所詮はバフが累積した磯野軍を相手に正面から勝てる合戦ではなかった。森可成は脳筋の猛将に見えて、実は戦況の引き際を見極められる冷静さも持っている。森は僕の提案に従い、後退を組織して、右方向へとばっと退いた。森の軍勢がサイドへと引いたことで、目の前の視界が一気に開けた。
「おおおっ!? 織田の五番備が逃げ出したぞ! 勝った、勝ったぞ!!」
森の撤退を「敵の敗走」と誤認した磯野の軍勢は、勝利を確信して狂喜乱舞した。ただ一突に僕の備えを破り、そのまま信長を討ち取るべしと、テンションを最高潮まで引き上げて突入してくる。地響きが、僕の足元から伝わってきた。押し寄せる浅井軍5,000の、圧倒的な破壊の津波。その先頭に立つ戦鬼・磯野丹波守の目が、まっすぐに僕を捉えた。
(さあ……歴史の史実通り、ここからは僕の舞台だ)
僕は腰の刀を抜き払い、前世の記憶をフル回転させながら、冷徹な笑みを浮かべた。
幼児として転生したあの日、日輪の熱を胸に宿して生き延びると誓った。泥水をすすり、這いつくばって手に入れたこの『木下藤吉郎』の地位。ここで魔王の盾となり、未来の天下人の器を証明してやる。
「前衛は盾を構えろ! 後衛は次の一撃の準備を怠るな! ……さあ、戦国の怪物がどれほどのものか、僕が直々に査定してやるよ!」
夜明けの姉川に、僕の声が響き渡る。迫り来る暴風雨のような敵軍を前に、僕は不敵な笑みを崩さず、新しい時代の第一歩を踏み出した。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
姉川合戰の始末
信長の先陣坂井右近、淺井の先陣磯野丹波守、雙方互に槍を合せ、喰ひつついて相戰ふ。磯野丹波守時分はよしと、かねて左右に備へ置きし鐵砲を下知してさし招けば、たちまち兩方より數百挺の鐵砲を、雨より繁く打ちかくれバ、坂井の兵士面を向くべき樣もなく、漂うて見えたりける。磯野丹波守、すはや勇戰今なりと、自ら槍をおっ取つて、どつと喚いて突き立つれば、坂井が陣さんざんに破れて、右往左往に散亂す。これを見て信長の二番備池田勝三郎二千餘人、坂井に代つて槍を入るる。磯野が兵士したもためらはず、池田が陣へ面もふらず突いて入り、切り立て薙ぎ立て、その烈しきこと電光のごとし。池田勝三郎陣を進め、鐵砲を打ちかけ向うたり。三番備蜂谷兵庫頭二千餘人を先陣となし、磯野が兵士をわしづかみに取つた。磯野何かはしばしもためらふべき、鯨波一聲、おつと喚いて槍先を揃へ、無二無三に突き立つれば、蜂谷が備へも突き白まされ、これも左右へ引き上げける。四番備佐久間右衛門尉二千餘人、備へを繰り出し、興を作つて、自ら陣前に馬を乘り出し、味方を下知して戰うたり。磯野丹波守は勝ち誇つて破竹の勢、軍扇を開き左右を招き、鉾先するどに突きかかれば、佐久間備亂さじと、自身槍を以て敵にあたり、眼下に五六騎突き伏せたり。磯野丹波守、「憎き敵のふるまひかな、いで物見せん」と馬を馳け寄せ、聲をかげず突きかかれば、佐久間獅子の怒をなし、たちまち髪さかしまで立ち、勇を振うて戰ふありさま、雙方聞こゆる猛勇剛士、上段下段透間なく馳せ違うて突き合ひけるが、尋常の軍なりせば、見物して勝負を分てど、これは目さへふる間なき烈しき合戰なりければ、淺井方の大將高宮三河守、大宇大和守、赤田信濃守、山崎源太左衛門四人の勇將、「磯野討ちたすな、續けや」と、一度にどつと突きかかれば、佐久間が軍卒、主を討たせじと馳け寄り、喚き叫んで切り結ぶ。佐久間右衛門勇なりといへども、この大敵を凌ぎがたく、負色に見えければ、戰を次の備へに讓り、左右へばつと引きたりける。五番備森三左衛門二千餘人、佐久間に代つて槍を合すに、磯野が勢は織田の備へ四番まで打ち破り、勝に乗つたるずぎ鉾先、當りかたく見えにけり。森三左衛門大いにいらち、「この陣を破られなば、御大將の旗本なるぞ。何面目に活きて人に面を合はさん。討死せよ人々(ひとびと)」とて、自ら眞先に槍を合せ、一足も引かじと戰うたり。磯野丹波守鐙踏ん張り、はるかに敵の陣を見るに、はや次備は信長の旗本と見えて、南無妙法蓮華経の大旗、風にひるがへつて見えければ、味方の諸勢を顧みて申しけるは、「この備へを破るや否や信長の旗本なるぞ。めいめい力を盡し一突に切り崩し、高名せよ人々(ひとびと)」と、惣勢合はして五千餘人、まつしぐらに森が備へへ突き入りたり。信長はるかにこの體を御覽じ、大いに驚き給ひ、「旗本の勢を繰り出し、森が備へを扶助すべし」と下知し給へば、木下藤吉郎御前にまかり出で、「君少しも心を惱まし給ふべからず。藤吉郎秀吉これに控へ候ほどに、いかなる大敵強將といへども、いかでか御旗本まで亂入いたさせ申すべきや。いま來る敵は某討破つて、君の御心を安んじ奉らん」と、手勢二千餘人合戰の備へをなし、森三左衛門に軍使を立てて申させけるは、「御戰ひ危ふ見え候ほどに、味方損亡これなきうち、はやはや御引取り候べし。別に必勝の計略こそこれあり」と申し送りければ、森勢このとき火花を散らし戰ひけれど、所詮勝つべき合戰にあらざれば、木下が詞に従ひ、繰引きに右へばつと退けば、磯野が軍勢、ただ一突に木下が備へを破り、信長を討とるべしと、勇みに勇んで備へを進む。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
https://share.google/AxQqE2xRgf0LcmxAN
絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
姉川の戦い(あねがわのたたかい)は、戦国時代の元亀元年6月28日(ユリウス暦1570年7月30日/グレゴリオ暦8月9日)に近江国浅井郡姉川河原(現在の滋賀県長浜市野村町および三田町一帯)で、織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍の間で行われた合戦である。「姉川の戦い」「姉川合戦」という呼称は元々は徳川氏によるものであり、布陣した土地の名から織田・浅井両氏は「野村合戦」、朝倉氏側は「三田村合戦」と呼んだ。出典:wikipedia
つまり「姉川の合戦」と記述されてる資料はみんな江戸幕府(家康)への忖度が入ってます。なので本当に活躍したのはいったい誰なんでしょうねw




