2-18 偽りの人質と阿鼻叫喚
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
六角(佐々木)入道承禎による長光寺城への『水断ち』の報せは、瞬く間に長浜城の僕にも届けられた。
「……なるほど、敵もバカじゃない。城の構造的欠陥を突いてきたか」
僕は長浜城の評定の間で腕を組み、密偵からの報告に耳を傾けた。長光寺城を守る柴田勝家は普通の武将ではない。どんなに猛攻を仕掛けられようと、そう簡単に落ちるような男ではないことは百も承知だ。あの『水浴びのブラフ』で見せたハッタリは見事だが、とはいえ水が尽きているという物理的な限界はいかんともしがたい。長くは保たないだろう。
この膠着状態をどう打破するか。未来知識を持つ僕の脳内で、戦況という名の盤面が高速でシミュレートされていく。
(……長光寺城を直接救援に行く? いや、それは悪手だ。六角勢5,000と正面衝突すれば、こちらの被害も甚大になる。ならば……)
僕の視線は、地図上の一点――長光寺城から少し離れた場所にある、六角承禎の居城『鯰江城』に釘付けになった。今、承禎は長光寺城を包囲するために、鯰江城から大半の兵力を引き抜いているはずだ。つまり、本拠地は手薄になっている。
「……敵の意識が完全に長光寺城に向いている今こそ、ガラ空きの本拠地を叩く最大のチャンスだ!」
僕はポンと手を打った。承禎の居城である鯰江城を攻め落とせば、長光寺の包囲網は崩壊する。六角勢は慌てて引き返さざるを得なくなり、結果的に勝家を救出できる。まさに『一石二鳥』である。
「よし、やるぞ。でも、まともに攻城戦をやるつもりはない。最高に性格の悪い『ステルス・ミッション』を仕掛ける」
6月3日。僕は長浜領内の百姓100人余りを緊急招集した。そこに、戦闘力の高い屈強な兵士50人を農民の姿に変装させて紛れ込ませた。彼ら「偽装難民」に、僕は今回の計略を徹底的に叩き込んだ。
「いいか。お前たちは『長光寺城から降伏の証として送られてきた人質』を演じるんだ。夕闇に乗じて鯰江城の門前に立ち、泣き落としの演技をしろ。門が開いたら……あとは分かるな?」
「ははっ! 任せてくだせえ、藤吉郎様!」
「偽装難民」部隊が先行して鯰江城へと向かうのを見送り、僕は加藤虎之助や福島市松といった僕の誇る超精鋭1,000人を率いて、忍びやかにその後を追った。
その日の夕暮れ。鯰江城の留守を預かっていたのは、鯰江相模守と高瀬刑部の二人だった。彼らは1,000人の守備隊とともに、平和ボケしたように城を守っていた。そこへ突如、城外から喧騒が響いてきた。
「頼もう、頼もう! 長光寺の陣所におられる承禎様の命を受けて参りました! 早く門を開けてくだされ!」
高瀬刑部が怪しんで櫓に上がり、堀際を見下ろした。そこには、手々に松明を灯した百姓ふうの男女が300人ほど群がり、その周りを軽装備を着た兵士が5、6人ほどで囲んでいる姿があった。
「なんだ、あれは?」
刑部が問いかけると、下にいた兵士が大声で答えた。
「ご報告いたします! 長光寺城の水の手を断ち切った結果、城内は飢えと渇きで大パニックに陥りました!ついに本日、柴田勝家が降参を申し出たため、その証拠として郷民ら200人を人質として受け取りました!」
「おお! ついに落ちたか!」
「はい! ですが、柴田の降伏が本物かどうかまだ不透明なため、今宵はこの人質たちをとりあえず鯰江城へ入れ置いてほしいとのことです! 明朝、長光寺城が完全に落去した後に処遇を決めますゆえ、まずはこの人質たちを城中へお入れくだされ!」
完璧な台本だった。刑部は松明の光で下の人々をよくよく観察した。ボロボロの服を着て、怯えたように身を寄せ合う姿は、どう見ても一揆の郷民にしか見えない。疑う余地はどこにもなかった。
「よし、分かった。門を開けろ! 人質を城内へ入れよ!」
ギギギ……と、重い城門が開かれる。それが、鯰江城にとっての『破滅のゲート』だとも知らずに。
門が完全に開いたその瞬間。怯えていたはずの郷民たちの中に紛れ込んでいた、僕の精鋭部隊50人が、一言の叫び声も上げずに動き出した。
「――ッ!?」
ズバッ! グシャッ!彼らは無言のまま、門番をしていた城兵7、8人を瞬きする間に切り倒した。その鮮やかすぎる暗殺術に、城兵たちが状況を理解するより早く、残りの百姓たちも一斉に城内へと雪崩れ込んだ。
「かかれェェェッ!!」
ここで初めて、城内に天地を揺るがすような鬨の声が響き渡った。偽装部隊は刀や槍を振り回し、城内のあちこちを縦横無尽に走り回る。あまりにも不意打ちすぎる奇襲に、城内の守備隊は完全に思考停止に陥った。
「な、なんだ!? 敵襲か!?」
「人質じゃなかったのか! ぐわぁぁっ!」
誰一人としてまともに防戦する者はなく、ただただ城内はうろたえ回るだけの阿鼻叫喚の騒動となった。
そして、城門が開いたという合図を見逃さず、闇夜に潜んでいた僕の本隊1,000人が、怒涛の勢いで城内へと突入した。
「ヒャッハー! 手柄は俺のモンだァッ!」
「市松、抜け駆けすんじゃねえ! 俺が先だ!」
先陣を切るのは、僕の自慢のヤンキー小姓、加藤虎之助と福島市松だ。彼らをはじめとする木下のやんちゃな兵たちは、四方八方に散りながらパニックになって逃げ惑う城兵たちを片っ端から薙ぎ払っていく。その姿は、まるで無双ゲームのボーナスステージを楽しんでいるかのようだった。守将である鯰江相模守と高瀬刑部は、あまりの展開の早さに完全に理性を失っていた。
「ど、どうすればいい!? どうやって防げば……!」
もはや防戦案など微塵も浮かばない。彼らは逃げ惑う兵士たちに紛れ、開けっ放しになっている城門を幸いと、城外へと逃げ出そうとした。これを見た僕の部下たちが、彼らを追いかけて討ち取ろうとした瞬間、僕は扇子を振り上げて制止した。
「待て! 逃げる敵をわざわざ討ち取るな! 無駄な体力は使うな、ただ城外へ追出すだけでいい!」
「逃げるなら逃がしてやれ! 城から追い出せば僕たちの勝ちだ!」
僕の指示を受けた木下勢は、向かってくる者だけを切り捨て、背中を見せて逃げる者はあえて見逃し、城外へと勢いよく駆け散らした。これにより、城兵たちは我先にと争うように城戸から飛び出し、大将の承禎がいる長光寺の陣所へと全速力で逃走していった。
結果として、作戦開始からわずか半時(約1時間)。流血も味方の被害も最小限に抑えながら、僕たちは六角勢の本拠地である鯰江城を、なんの手間もなく電撃制圧に成功した。
「よし、本丸を確保したぞ! 皆、休息を取れ!」
僕は制圧した本丸の床几にどっかりと腰を下ろし、ホッと一息ついた。そしてすぐさま、伝令を走らせる。
「長浜城へ注進だ。『鯰江城、木下藤吉郎が制圧』と伝えろ!」
これで盤面は完全にひっくり返る。本拠地を落とされたと知れば、長光寺城を包囲している承禎の軍勢はパニックに陥り、必ず包囲を解いて引き返してくるはずだ。水不足で限界を迎えていた柴田勝家への、これ以上ない最高の援護射撃だ。
「さあ勝家。舞台は整えたぞ。あとは……」
僕は長光寺城があるであろう夜空を見上げ、ニヤリと笑った。僕の識る未来の歴史に残る『あの漢』の狂気じみた大逆転劇が、いよいよ炸裂する瞬間だ。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
木下藤吉郎鯰江の城を襲ひ取る
このとき木下藤吉郎は長濱に在城して、承禎長光寺の城の水の手を斷ち切り、攻むること急なりと聞きけれど、勝家尋常の將にあらざれば、いかに攻むるとも、容易く落城することあるべからず。この隙に承禎入道が居城鯰江の城を攻め落さば、長光寺の圍もおのづから解け、勝家も命全く、兩全の計なりと、長濱の百姓百餘人に、兵士の勇壯なるを五十餘人交へ、六月三日計策を敎へ、鯰江の城へ到らしめ、その跡より加藤、福島らの勇兵一千餘人、しのびやかに打立ちける。ときに鯰江の城には、鯰江相模守、高瀬刑部、兩大將にて一千餘人、承禎の留主を守り居たりけるが、暮過ぐるころ城外に人音かまびすしく、「長光寺の陣所より、大將の命を受け參り候ふほどに、早く門を開かれ候へ」と呼はりけるにぞ、高瀬刑部急ぎ櫓に上り見下ろせば、百姓と見えて、手々(てんで)に松明をともし三百人ばかり、小具足著たる兵士五六騎、堀際に立ちて大音に申しけるは、「長光寺の城の水の手を斷ち切りしほどに、城中なはだ困窮し、今日降參の由を申すにより、人質として郷民ら二百人請け取りぬれど、なほ實否分明ならざれば、今宵まづ當城へ入れ置き、明早朝長光寺の落去により、いかにとも計らふべしとの御事なれば、まづこの人質を城中へ入れられ候へ」と申しければ、刑部松明の光によくよく見れば、一揆の郷民に相違なければ、下知を傳へて門を開き、人質を請け取らんとす。このとき郷民の中に交へ置きたる木下が郎等、城門に到るや否や、聲をもかけず城兵を七八人切り倒し、一同に城に駈け入り、にはかに鬨を作り、ここかしこに切つて廻れば、城中不意のことなれば、誰か防ぎ戰ふ者もなく、うろたへ廻り騒動す。木下が勇兵一千餘人、加藤、福島のめいめい續いて馳來り、四方八方に駈け巡り、騒ぎ立ちたる城兵を片端より切りまくれば、大將鯰江、高瀬らも、防戰すべき思案も出でず、度を失つて逃げさまよひ、城門の開きたるを幸ひに、這ふ這ふ遁れて逃げ出づるを、木下勢は、「逃ぐる敵を討つことなかれ。ただ城外へ追出せ」とて、向ふ者は切つて捨て、逃げば逃がせと駈け散らせば、城兵ら我先と爭うて城戸を出で、長光寺の陣所へと走りければ、半時ばかりに、何の手もなく鯰江の城を乘り取り、本丸に入りて休息し、このむね長濱の城へ注進す。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
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絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
鯰江貞景は、戦国時代の武将。六角氏の家臣。近江国愛知郡鯰江城主。永禄11年(1568年)、織田信長の侵攻を受けて(観音寺城の戦い)、観音寺城から逃れた六角義賢・義治父子を、子・定春と共に自身の鯰江城へ迎え入れて籠城し、六角家の旧臣や湖東三山の一つである百済寺等の支援を受けて信長に抵抗した。信長は百済寺へ入った後、柴田勝家、佐久間信盛、丹羽長秀、蒲生賢秀らに命じ鯰江城の周囲に井元城や中戸城等の城砦を築かせ包囲させるが落城はしなかった。しかし、天正元年(1573年)9月4日、信長の命を受けた柴田勝家の再度の侵攻により義賢は鯰江城を捨て逃亡、鯰江城は落城した。子・定春は、後に豊臣秀吉に仕え大坂に所領を与えられ、その地は「鯰江」と呼ばれた。現在も大阪市城東区にその呼称が残っている(鯰江城跡案内板)。出典:wikipedia
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