2-16 未来を担う原石たち
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
長浜の城主として、僕は領内の統治を「現代的」なシステムでアップデートしていた。
フリーマーケットを常設する「楽市楽座」で経済を活性化させ、物理的な「関所」をぶっ壊して物流のボトルネックを解消する。僕の現代知識によって長浜の国力は爆上がりしていたが、何よりの収穫は、僕の周囲に優秀な「人材」が集まり始めたことだった。
その日、僕は領内の見回りを終え、観音寺という古い山寺で休憩することにした。喉が渇いていたので、客殿の縁側に腰を下ろし、住職にお茶をお願いする。やがて、一人の少年がお盆を持ってやってきた。整った顔立ちで、どこかただ者ではない雰囲気を漂わせている。少年がいれたお茶を一口飲む。
(……うん、悪くない。この時代にしては、かなり美味しいな)
僕は試すように言った。
「もう一杯、お茶をお願いできるかな」
しばらくして二杯目が運ばれてきた。今度は少しぬるめで、お茶の量も半分ほどしか入っていない。
(……なるほど。わざとか)
僕は思わず口元を緩めた。さらに試すつもりで、今度は「熱いお茶を、ごく少しだけ」と頼んでみる。すると運ばれてきたのは、小ぶりな茶碗に入った、飲み頃の温度の見事なお茶だった。
「……お前、面白いな」
僕は少年をそばへ呼び寄せ、名前を尋ねた。少年は落ち着いた様子で頭を下げ、はっきりと名乗った。
「私は石田村の者です。父は佐五右衛門と申します。名は佐吉と申します。」
石田佐吉。その名を聞いた瞬間、僕の脳内で警報音が鳴り響いた。
(おいおいおい、嘘だろ!? あの石田三成!? この幼少期に、しかもこんな田舎の寺でエンカウントするなんて!)
僕は心の中でガッツポーズをキメた。僕の歴史データベースによれば、この少年の才知は、将来的に天下を揺るがす軍師クラス。まさにこの織田家を、そして僕の覇道を支える最強の参謀だ。
「佐吉、お前、僕の下で働かないか?」
僕は住職から彼を譲り受ける交渉を即座に開始した。住職も僕の申し出に異論はなく、あっさりと佐吉は僕の小姓として長浜城に同行することになった。
僕の寵愛を一身に受けた佐吉は、期待以上のスピードで成長していった。将来は「石田治部少輔三成」として、僕の右腕、いや天下五奉行の一人として羽ばたくことになる原石を、僕は早々にキープした。
長浜の領内は、僕と虎之助たちのパトロールによって、急速に治安が改善されつつあった。そんなある日、僕の部下である加藤虎之助が、一風変わった「捕物」を報告してきた。長浜と小谷の郷境で、浪人同士が殺し合いの喧嘩をしていたというのだ。
虎之助は持ち前の正義感で介入し、2人の浪人を召し捕らえようとしたが、彼らのあまりの強さに逆にタッグを組まれてボコボコにされかけたらしい。結局は虎之助が力づくで制圧し、連行してきたのだが、その報告を聞いた僕は、興味津々で陣幕へ向かった。そこには、ボロボロの衣を着ながらも、ただならぬ覇気を放つ大男と、小男が座らされていた。
「……お見それいたしました」
まず口を開いたのは、巨漢の大男、木村又蔵だった。彼は宇多天皇の末流、佐々木一族という名門の血筋を引いているという。だが、時代に翻弄され、今は衰微した名もなき浪人。老いた母親の病を救うための金欲しさに、荒れた酒場で喧嘩を始めてしまったのだそうだ。
「虎之助殿、貴方のような凄まじい勇威を持つ方に出会えたのは、武者修行の冥利。……もし俺を捨て置かれないのであれば、この命、貴方に捧げます!」
続いて、色黒の小男――防州浪人の井上大九郎も平伏した。
「……俺も、同じです。俺の親父は大内義隆様に仕えた武士でしたが、家が滅んでからは山野でサバイバル生活を強いられてきました。……貴方という最強の主君に会えたのは、まさに宿縁! どうか、この俺を家臣に加えてください!」
2人の浪人が放つ、圧倒的な「武」のステータス。僕の側近である虎之助は、彼らの覚悟に心を動かされ、家臣として受け入れることを決めたようだ。
「よし、分かった! 今日からお前らは俺の郎等だ!」
二人は涙を流して喜び、その場で虎之助への忠誠を誓った。又蔵は老母を看取るために一度帰郷したが、「必ず戻る」と誓い、大九郎はその場で虎之助の影となり随身することになった。
(いいぞ、虎之助! 着々と最強の武将団が形成されている!)
僕の周囲には、三成という最強の参謀、そして虎之助という将来の猛将、さらにその脇を固める木村又蔵や井上大九郎といった豪傑たちが集結しつつある。
僕は長浜城の天守から、夕日に染まる領内を見渡した。僕の覇道は、血の通った仲間たちと絆を紡ぎ、最強の仲間と共に、いよいよ頂点を目指して加速していく。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
石田三成秀吉に仕ふ
長濱の城主木下藤吉郎、軍務のいとまある日、領内を狩りして終日歩けるが、咽渇して覺えければ、觀音寺といへる山寺に入りて、客殿と思しき方の縁側に腰かけて、茶の所望したりければ、住僧まかり出で謹んで禮をなし、小童に命じて茶を點ぜしむ。この童、容貌美麗にして神童のごとし。やがて爐前に至り、大きなる天目に一杯茶をぬるく點てて臺に据ゑ、帛紗を添へて奉る。藤吉郎一息に呑みほし、「氣味よし、氣味よし、いま一服」と乞ひぬれば、かの童子また點じて奉るに、はじめよりは少し熱く、茶の分量もなかばに足らず。藤吉郎この童子の才智を心に感じ、試みにまた一服を所望するに、件の童子、このたびは小茶碗の筒形なるに、いかにも熱き茶を少しばかり點てて奉れば、藤吉郎ほとんどこれに感心し、近く招きて姓氏を問ふに、童子謹んで申しけるは、「小童は江州石田村の産、父は農家にて佐五右衞門と申し、某は佐吉と呼び候ふ」と答ふ。藤吉郎深くこの佐吉が容儀才智を愛し、住僧に乞ひて長濱に連れ歸り、小姓となしてその寵愛並ぶ者なし。後立身して石田治部少輔三成とて、五奉行の一人なり。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
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絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
石田三成は、安土桃山時代の武将・大名。豊臣秀吉に仕え、行政・外交・検地などに卓越した能力を発揮し、豊臣政権の中枢を担った五奉行の一人である。公正無私な性格と信義を重んじる姿勢から、忠臣として知られる。秀吉の死後は徳川家康の台頭に対抗して諸大名とともに西軍を組織し、関ヶ原の戦いで敗れて京都六条河原で処刑されたが、すべてを投げ打って主家を守ろうとした裏表のない律儀な行動とその忠義は、人々の心に強い感動を残し、後世まで語り継がれている。なお、関ヶ原の戦いで西軍を率いた時、三成は41歳であった。後世に描かれた(存命中に描かれたものではない)杉山家伝来の肖像画ではより年長の印象を受けるが、実際は若年であった。出典:wikipedia




