2-15 宿縁が結んだ主従の契り
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
松の木陰で悠然と腰を下ろした加藤虎之助の前に、先ほどまで鬼神のように刃を交えていた二人の浪人が進み出た。
まず口を開いたのは、身の丈六尺を超える巨漢の大男だった。彼はドスリと地面に蹲り、先ほどの狂戦士ぶりが嘘のように、深く頭を下げて謹んで申し立てた。
「……お見それいたしました。俺はガキの頃から力業を好み、角力を嗜み、大人になってからは諸国を武者修行して回ってきました。あまねく猛者と力量を競ってきましたが、貴方のような凄まじい勇威と剣筋を持つお方に出会ったのは初めてです」
大男は、少し恥じ入るように自身の身上を語り始めた。
「俺の名は、木村又蔵と申します。現在は当国の山林に住み着き、その日暮らしの浪人生活を送っております。……先祖のことを語るのは痴がましいことですが、俺は宇多天皇の末流にして、あの名門・佐々木一族の血を引く者です」
「ほう、佐々木一族とな」
虎之助が興味深そうに相槌を打つ。又蔵は自嘲気味に笑った。
「ええ。ですが、時代は移り変わり、本家の佐々木は栄えても、分家である我が木村家は衰微の一途。野に下って数百年も経てば、もはや名門の姓氏など無いに等しい状態です。俺は『いつか開運のチャンスを引き当て、絶えた家名を再興してやる』と、日夜そればかりを夢見て武芸を磨いてきました」
又蔵の目に、ギラリとした野心が宿る。
「今はこの戦国乱世の時代。俺の腕一本で、仕えるべき主を選ぶことは難しくありません。……しかし、俺には一つだけ気がかりがありました。それは、年老いた母親の存在です」
又蔵は不意に顔を伏せ、その大きな背中を丸めた。
「俺の老母は、近頃重い病に臥せり、その命はまさに旦夕(危篤)に迫っております。今朝も、小谷の町まで医者を迎えに行こうとしたのですが、その医者は他国へ出張中で不在でした」
「……なるほど。それで荒れていたというわけか」
「はい。医者の帰りを待つしかないのかと、……絶望的になりまして。ついつい酒店に入ってヤケ酒を呷り、ご覧の通り形のごとく泥酔してしまいました。そこで、この男と下らない喧嘩を起こしてしまったのです」
又蔵は、隣にいる小男をチラリと見てから、再び虎之助に深く平伏した。
「ですが、これも何かの宿縁です。思わず貴方のような真の武士と剣を交え、俺の『強い男に仕えたい』という日頃の願いはすでに満たされました。もし、俺のような野良犬を捨て置かれないのであれば……今より後の命を貴方に捧げ、犬馬の労を尽くして仕えさせていただきます!」
木村又蔵の、あまりにも真っ直ぐな忠誠の誓い。すると、横で聞いていた小柄な色黒の男も、負けじと虎之助の前に平伏し、大地に頭を擦り付けた。
「……俺も、言わせてもらいます。俺は防州(山口県)の浪人、井上大九郎と申します」小柄な男――大九郎もまた、自らの過酷な生い立ちを語り始めた。
「俺の親父は、井上五郎兵衛といって、西国の大大名・大内義隆様に仕える武士でした。しかし、大内家がクーデターで滅亡した後、親父は『二君に仕えず』と武士の節義を守り、毛利家からのヘッドハンティングを何度も断って、山林に身を隠してしまったのです。社会復帰を完全に放棄した親父のせいで、当時まだガキだった俺も、一緒に山野でのサバイバル生活を強いられました」
大九郎の拳が、土をギュッと握りしめる。
「俺が21歳となった3年前に両親が他界しました。それから俺は諸国を武者修行してきたのですが、所詮はしがない浪人の身。全身を覆うようなまともな装備もなく、腹を満たすような食事にありつくこともできず、ただ流離うだけの日々でした」
大九郎は、チラリと横の又蔵を見上げた。
「腹を空かせてこの場所に通りかかった時、この木村又蔵が熟睡しているのを見つけたんです。身には俺と同じような粗末な服を着ているくせに、腰には見事な二本の刀を帯びている。……俺は、コイツを殺してあの刀を奪い取ってやろうと、刀に手をかけました」
「な、なんだとテメェ!」
又蔵がギョッとして声を上げる。大九郎は「まあ最後まで聞けよ」と手で制し、虎之助に向き直った。
「ですが、近くで見ると、こいつの寝顔にはただのモブじゃない、人相・骨柄に由緒がありげな気配がありました。こんなヤツを不意打ちするのは武士のプライドが許さねえ……そう思って、わざと蹴っ飛ばして喧嘩を仕掛けたんです」
そこまで語ると、大九郎は再び深く、深く頭を下げた。
「結果はご覧の通りです。貴方という圧倒的な強者に乱入され、ボコボコにされて……図らずも貴方に拝謁することができました。俺の『真の武士の元で働きたい』という日頃の本望、これに勝るものはありません。……俺のような卑怯な真似をしようとした無能を嫌い給わないのであれば、どうか、この一命を貴方に捧げ、主君として仰がせてください!」
大男・木村又蔵。そして小男・井上大九郎。二人の凄まじい剣の腕前と、それに負けないほどの真っ直ぐな誠情。それを真正面から受け止めた加藤虎之助は、胸の奥で熱いものが込み上げてくるのを感じた。
「……ふっ。二人とも、顔を上げろ」
虎之助は挟箱から立ち上がると、ニヤリと豪快な笑みを浮かべた。
「テメェら2人の心意気、確かに受け取った! ……だがな、俺もまだ低ランクの家臣に過ぎねえ。テメェらみたいな規格外の豪傑に、満足な扶持を出してやれる力はまだねえんだ」
「そんなものは――!」
2人が同時に声を上げようとするのを、虎之助は手で制した。
「分かってる。真の豪傑の心ってのは、目先の利で動くもんじゃねえ。ただ『義』によって、己の生命すらも軽く投げ出せる。それが武士ってもんだろ? ……今日のこの出会い、ただの偶然じゃねえ。こういうのを『宿縁』って呼ぶんだろうぜ」
虎之助は、二人の肩をバンバンと力強く叩いた。
「2人のマジな気持ちに免じて、テメェらの狼藉はチャラにしてやる。今日からテメェらは、この加藤虎之助の郎等だ! 俺に随い、長浜の城へ来い!」
「おおおぉぉッ……!!」
「ありがたき幸せ!!」
又蔵と大九郎は、涙を流しながら大いに喜んだ。こうして、戦国最強の武将・加藤清正(虎之助)の元に、後に彼の両腕となって天下に武名を轟かせる2人の部下――【木村又蔵】と【井上大九郎】という武将が加わったのである。
「よし、大九郎。お前はそのまま俺についてこい」
「ははっ!」
「又蔵。お前には老母がいるんだったな」
「は、はい……」
「病が旦夕に迫っているなら、こんなところで油を売ってる場合じゃねえだろ。早く村へ帰って、親孝行してこい。……母親をしっかり看取った後に、すぐに俺の元へ来い」
「虎之助様……! この御恩、生涯忘れません! 必ずや、必ずや戻ってまいります!」
又蔵は地面に額を擦り付けて号泣し、故郷へと全速力で駆け出していった。残された虎之助と大九郎は、互いに顔を見合わせてニヤリと笑い、意気揚々と長浜城へと帰還していった。
僕、木下藤吉郎が長浜の城主となってから、僕の周囲には次々とこうした『歴史を動かす原石たち』が集まり始めていた。現代知識だけでなく、僕自身が、こうした血の通った仲間たちの力によって、いよいよ進化していくのである。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
木村又藏、井上大九郎清正に仕ふ
このとき一人の大男、加藤が前に蹲まり、謹んで申しけるは、「我幼稚より力業を好み角力を嗜み、人となり長じて國々(くにぐに)を武者修行し、あまねく人と力量を競べぬれど、君のごとくなる勇威なる人に出合ひしことなし。我は木村又藏と申す浪人にて、當國の山林に住し、年月を過ごし侍る。先祖と申すも痴がましけれど、宇多天皇の末流、佐々木の一族なれども、時移り世變りて、佐々木の家は榮え、木村家は衰微し、民間に星霜經ること數百年、姓氏さらになきがごとし。開運の期もあらば、絶えたる家名を興さんと、日夜朝暮これを思ふ。今戰國のときなれば、君を選び仕へんこと難きにあらず。我に一人の老母あり。このごろ病に臥して、死せんこと旦夕に迫れり。今小谷の町に行きて醫を迎へんとすれども、かの醫師他國に行きて家にあらず。老母の病は醫師の歸りを待つものかはと、心神はなはだものうく、酒店に入りて酒を飮み、形のごとく沈醉し、この男と爭論に及べり。さりぬべき宿縁にや、思はず君に謁し、某日ごろの願ひすでに足れり。もし捨て給はずんば、今より後の命を君に捧げ、犬馬の勞を盡し仕へ奉らん」と云ふ。ときに一人の小男も、同じく虎之助が前に頭を下げ、「某は防州の浪人井上大九郎と申す者なり。父は井上五郎兵衞とて、大内義隆に仕へたりしが、大内家滅亡の後、毛利家よりたびたび召さるるといへども、父五郎兵衞節を守つて敢て仕へず、山林に身を隱し、世事のいとなみを心とせず。そのとき某幼穉にして、共に山野を住家とし、年積つて二十一歳、三年以前兩親を失ひ、諸國を武者修行して經廻りしに、浪々(らうらう)の身の習ひにて、一身を蔽ふべき衣服なく、腹を滿たすべき美食なし。この所へ來かかりしに、これなる木村又藏熟醉に睡眠の體、身には麁服をまとへども、腰に帶せし二刀を見れば、あつぱれ逸物、こやつ殺して兩刀を奪ひ取らんと、刀に手をかけたりしが、人相骨柄由緒ありげなる浪人、寝込みを切らんも便なしと、喧嘩をしかけ只今のありさま、はからずも君に拜謁し奉り、日ごろの本望何事かこれにしかんや。某が不能を嫌ひ給はずば、一命を君に捧げ、主君と仰ぎ奉らん」と、頭を大地にすり附けて屈伏して見えければ、加藤虎之助大に喜び、「二士の厚情、感歎少なからず。しかりといへども我も若年小身にして、汝らを扶持すべき力はあらねども、豪傑の心は利のことにあらず、ただ義によつて生命をも重しとせず。今日の會合あに私のことならんや。しかるべき宿縁ありてこそ主從の約をなせ。二士の誠情にまかせ、今より虎之助が郎等なるぞ。我に隨ひ長濱に來るべし」と申しければ、兩人ともに大によろこび、大九郎はそのま(ま)ま虎之助に隨身し、又藏は「老母の病旦夕に迫りぬれば、ともかうも見果てて後すぐに參じ仕へ奉らん」と、虎之助、大九郎は長濱へ、又藏は舊里へこそは歸りける。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
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絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
木村又蔵は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。加藤清正の家臣。加藤十六将(二十六将)の一人。諱は正勝。実像よりも江戸時代以後に講談で有名となった人物であり、伝承の虚構と史実との境界は不明である。相撲の達人として知られ、毛谷村六助との一番が有名である。著書に『清正記』(一部)、『木村又蔵覚書』がある。清正記は、『續撰清正記』が寛文四年(1664年)に著述されていることから、それ以前に成立していた事になる。後者は不明。出典:wikipedia




